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修羅狩り刃  作者: 辻 信二朗
第三章 恋慕の行方

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第二十三話 殺意

 数に物を言わせて得意になる殺し屋に対して、刃は堂々と宣戦布告をした。


「おるわおるわ、うじゃうじゃと。力の差もわからぬ雑魚どもが……。わしに挑む者は前へ出ろ。どうだ? 纏めて掛かってきてもよいのだぞ?」


「…………!」


 刃の言葉に込められた殺意は、取り囲む殺し屋に絶望を与えていた。

 百を超える殺し屋の軍団は、たった一人の少女によって足止めをされている。

 死の想像を植え付けられ、金縛りにあったように動くことができない。


 彼らは自覚した。ここが既に飢えた猛獣の腹の中であると。


 殺気の優劣は実力差にも関わっており、殺意に呑まれた状態で勝てる道理はない。己が生きるも死ぬも、少女の意志一つ。完全に生殺与奪を握られている。

 一挙手一投足の全てを見透かされ、遁走はもう間に合わない。


 興味本位で修羅狩りに近付いたことがどれほど愚かな行為であったか、身に染みて痛感させられていた。上には上がいるという不変の真理。だがあまりにも壁は高く、届き得ることのない摩天楼まてんろう

 もはや勝負の次元ですらなく、多勢の優位性は無いに等しい。羽虫がどれだけたかろうとも、燃え盛る山火事を消すことはできないのだから。


 修羅狩りを名乗ることは、己の実力が最強であることの自負。そして、血みどろの戦渦に抗う覚悟の表れである。もし敵方に腕力で劣ろうとも、敵が近しい実力を持ち合わせていようとも、その不撓不屈の精神が揺らぐことはない。

 どれだけ相手が強くとも、どれだけの数に囲まれようとも契約者を護り抜く。こういった気概が太刀に込められ、修羅狩りは最強のつわものとなるのだ。


 一騎打ちでは太刀打ちできずとも、集まった殺し屋が力を合わせれば刃に一矢報いる可能性は絶無ぜつむではない。だが最初に歯向かった者が真っ先に殺されることは明白であり、誰一人として自分が先駆けとなる気は毛頭ないのである。


 勝てない相手とは戦わない、勝てないなら逃げればいい、そんな覚悟で戦っている者など高が知れている。私利私欲に溺れ、弱者を食い物にする殺し屋など修羅狩りの相手になるはずもないのだ。


 こうして格の違いを見せつけることで、修羅狩りの威光は広まっていく。

 巣に返った彼らは仲間に告げるだろう。「修羅狩りには手を出すな」――と。


 殺し屋の戦意は疾うに砕け散っている。自身の他に標的と成り得る対象が近くに存在することだけが、彼らの心を落ち着かせる材料となっていた。

 可能な限り目立たないよう息を殺し、少女の許しをじっと待っている。


「安い挑発には乗らぬか……見逃してやるから、早々に立ち去れ」


 しばらく殺し屋の集団を縛り付けた後、刃はふっと息を吐いて殺気を解いた。

 呼吸を忘れていた者が多くいたようで、水中から顔を出したような激しい息遣いが各所から聞こえてくる。どうやら脅しが利き過ぎてしまったようだ。


 殺意の呪縛から解放された殺し屋の集団は、静かに刃から距離を取った。迷いなく踵を返し、蜘蛛の子を散らすように闇夜へと消えていく。


 あれほどの数を集めた殺し屋だが誰一人として刃に牙を剥くことはなく、立錐りっすいの余地もなかった城内は数名の寡兵かへいと領主の道明のみが取り残された。


「ど、どうして……」


 道明は絶望に顔を歪ませ、肘を地面に突けて頭を抱えている。


「殺し屋とはこんなものだ。損得勘定でしか動かず、そこには義理も人情も存在しない。あんな奴らを信用して領内に置いておく気が知れぬ」


 残った家臣の一人が銅鑼どらを鳴らすと、大勢の狐坂兵が続々と集まってきた。

 全員が腰の太刀を抜き放ち、刃に敵意を向けている。


「やめておけ。大人しくしておれば手出しはせぬ。実力差もわからんのか? 命は大事せねばならぬぞ」


 刃は一言の脅しを添えて相手にしなかったが、狐坂兵は抗う姿勢を変えない。なんと狐坂の兵には、殺し屋を撤退させた刃の殺気が通じないようだ。


 ――殺意とは、相手を殺すという明確な意思表示である。危害を加えるという強い思念が波動となり、標的の脳内に死に様を植え付けるのだ。


 人食い鮫の泳ぐ水槽にむざむざと身を投じる者がいないように、強力な殺意の前には戦意を削がれて然るべきである。

 しかしこれは、命のやり取りをした経験のある者にしか感じることができない知覚である。無辜(むこ)の民には効果がなく、狐坂兵もまた刃の(にら)みが通用しなかった。


 なんと鈍いことだろうか。野生を知らない家猫のように、彼らは外敵の脅威を察知できないのだ。百の殺し屋が尻尾を撒いて逃げる光景を目の当たりにしても、黒斬刃に宿る危険性を推し量ることができないのだ。


 刃は狐坂の兵から、殺意とは程遠い極少の敵意を犇々と感じさせられていた。領主の道明を護るために命をもなげうつ気概だ。弱者であるが故の無知が恐ろしい。


「我が狐坂の兵達、よく聞け! 黒斬刃は人を殺さない! 全員で叩け!」


 道明は何やら光明を見出みいだしたようで、家臣への下命を叫んだ。


「はぁ……」


 空虚な策に呆れた刃は、つくばう道明の眼前に錆びた脇差の切っ先を突き立てた。


 殺生を行うためではない。修羅狩りの矜持きょうじを傷付けられた腹いせでもない。道明の今後の人生の糧として、修羅狩りの本質を知らしめる必要があったのだ。


 修羅狩りに対する畏怖いふの正体は、その名が示す通り惨殺を積み重ねた歴史である。現存する修羅狩りは、きっと刃のように温厚な者ばかりではない。決して暴力で出し抜ける相手ではなく、絶対に敵に回してはならない存在なのだ。


 いつの時代も、愚将の旗揚げほど梼昧とうまいなことはない。

 この厳しい戦乱で頭角を現した道明だが、実際は傑士けっしでも何でもないのだ。彼は時代の寵児ちょうじではなく、むしろ時代の被害者であるといえるだろう。


 誰が最初に始めたのか、殺し屋の目論見もくろみ通りの世の中となってしまった。

 殺し屋が報酬の受け取りを後払いにしていることは、本当によくできた構造だといえよう。殺し屋を雇えば、自国の犠牲や被害をいとうことなくあっさりと戦争に勝つことができるのだ。力のない国でも強国に勝つことができ、一個人であろうとも将領になることができるのだ。そんな夢のような仕組みを利用しない手はない。

 これに道明は食いつき、無一文から領主へと成り上がったのだ。ただ殺し屋の掌の上で踊らされていただけだとは知らずに――。


 現代の日輪という魔境の摂理。それは、自然界の弱肉強食など生易しく思えるほどに厳しいものだ。領地を統べる者としてあるまじき愚行。あまりにも欠如した危機管理能力。修羅狩りを武力で捩じ伏せようなど、正気の沙汰とは思えない。


 だが道明には商才がある。その人並外れた野心と行動力を正しく使えば、立派な商人になっていたであろうことは想像に難くない。他人を煽動する力、更には大勢を纏める力もあり、時代が違えば将軍になっていたことも考えられる。出会った場所や立場が違えば、刃と仲良く笑い合えていた可能性だってあるのだ。


 そんな憐れな道明に対して、刃は情けをかけた。

 刃は道明の瞳をじっと見据え、心の深淵に向かって強く語り掛ける。


「狐坂道明よ、知っておるか? たとえ四肢が千切れようとも、止血をすれば人間は生きられる。視覚も聴覚も、〝生きるだけ〟ならばなくとも問題にはならない。わしは人を絶対に殺さぬが、殺す以外の行為なら何だってできるぞ」

「ひぃっ!」


 刃は脇差の峰で、道明の首筋を優しく撫でた。殺し屋とは比較にならない殺気を放ち、虚構のかいなで道明の心臓を鷲掴みにした。


「お主から――〝生きる〟以外の全てを奪ってやろうか?」

「――――!!」


 刃の全力の殺気は、戦いを知らない道明の心に楔を打ち込んだ。


 道明は白目を剥いて動かない。恐怖のあまり、泡を吹いて意識を失っている。

 これでいい。これで彼は同じ過ちを犯さないことだろう。


「道明……どうして人の道を外れてしまったのだ……。一体どこで間違えたのだ……? 殺しは外道であると……お主は真なる眼で言っておったではないか!」


 刃は脇差を握り締めたまま、茫然ぼうぜんと夜空を見上げた。冷たく光る錆びた刀身の輝きと共に、独り立ち尽くす刃の姿を月明かりが照らし出す。


 刃の戦いはどこまで続くのだろうか。いつになれば世界は平和になるのだろうか。日輪に充満する殺意を取り払うことは不可能なことなのだろうか。


 どれだけ精神的に打ちのめされそうになっても、刃は立ち止まるわけにはいかない。力に溺れた者によって繰り返される虐殺を絶対に阻止しなければならない。

 道明のような者がまた、日輪のどこかで現れるかもしれないのだから。


 その命が尽きるまで、刃の戦いは続いていく。

 底なしの悪意にまみれ、暗雲が立ち込める日輪に光を齎すために。


 佇立ちょりつする刃の背後で、さく星月夜ほしづきよを彩る流れ星が音もなく走り去っていった。

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