第二十一話 真意
蕭々たる晩春の夜。夜気が衣服の隙間を通り過ぎていく。
刃はいつものように、道明の寝室で夜警に当たっていた。夜半の寝室で無防備な主君を御護りすることは、修羅狩りとして最も遣り甲斐を感じる時間だ。
道明とは屏風を隔てて、いつもと同じく就寝前の談笑をする。刃はこの時間が好きだった。何気ない会話でも、道明は上手く話を繋げてくる。
話題が一向に尽きず、いつも道明が眠りに落ちるまで会話を続けるのだ。
刃が狐坂と契約してから、幸いなことに外敵の襲撃を受けたことは一度もない。
それでも刃は油断することなく警戒を続け、万全の態勢で警備に臨んでいた。
今日も綺麗な星空だ。きっと無事に朝を迎えられることだろう。
――ガタッ。
「え――」
視界の景色が目まぐるしく変化していく。突然の出来事に理解が追い付かない。
どうやら足元の床が抜けたようだ。宙に放り出され、刃は数秒の後に着地した。
急いで目を暗闇に馴致させ、刃は周囲の状況を確認した。
辺りは煤けて薄暗く、鼻が曲がりそうな異臭が漂っている。
「ここは……どこだ? わしは道明を護らねばならぬ!」
契約者と離れてしまうことは、修羅狩りとして最も避けるべき事態だ。
一刻も早く道明の元へと戻らなければならない。
見上げると、落ちた床は塞がれている。まるで忍者屋敷のように、床がどんでん返しになっていたようだ。そんな構造があるとは、現在に至るまで知らなかったことである。夢か幻か。いずれにせよ、ここで惚けている場合ではない。
「くそっ、刺客か! 道明、わしが行くまで待っておれ! 絶対に死なせぬ!」
現在地がわからない以上、天井を斬って脱出する他に道はない。
大きく膝を曲げ、刃は跳躍の姿勢を取った。
「――!? な、なんだ!?」
飛び立とうとしたのも束の間、刃の足首に冷やりとした何かが触れた。足元に目を向けると、人の形をした何者かが刃の足首をがっしりと掴んでいる。
その正体を探るべくじっくりと目を凝らしたが、面容を拝むことができない。なんとその者には、首そのものがなかったのである。
「物の怪か……。なぜ、城の地下に……?」
「――僕が雇った殺し屋さ」
「――!?」
刃は脊髄反射で振り向き、声の出所を見据えた。
地下の中二階の見張り窓から、道明がこちらを見下ろしている。
「道明……? 無事か……よかった!」
刃の安堵を他所に、道明は合図をするように手を挙げた。
すると周囲から、夥しい数の物の怪が姿を現した。瞬く間に場は瘴気で満たされていき、蠢動する異形の化物が刃に鋭い殺意を向けている。
「刃君、残念ながら物の怪は妖刀でなければ斬れない。君の持つ錆びた脇差では傷を付けることもできまい」
「……道明、何を言っている?」
どうも様子がおかしい。道明は何かに取り憑かれたように顔を歪めている。
「まだ状況が理解できないのか? 君はここで死ぬんだ。修羅狩り」
「…………え?」
刃は思考が停滞して固まった。そして、これは夢だと結論付けた。
修羅狩りとしたことが眠ってしまったようだ。なんと不甲斐ないことか。
だとすれば、この幻覚を打ち破る方法を考えなければならない。
刃は現実逃避に意識を割き、周囲の状況が見えなくなっていた。
そろりと背後から近付く影に気付けないほどに。
「――くっ!」
肩に激痛を感じて振り返ると、物の怪が刃の背にしがみついていた。物の怪の爪が肌に食い込み、吹き出す血液が衣服を赤に染め上げていく。
鋭利な爪が皮膚を裂く感触。肉体の損傷による痛覚。これは夢ではない。
痛みによって強制的に現実に引き戻され、刃の幻想は水泡に帰した。
「道明……どうして……?」
「まさかとは思うが、本気にしたというのか? 領主であるこの僕が、君のような乳臭いガキと婚姻しようなどと……」
ここまで言われても刃は現状を受け入れられず、これが道明の戯れである可能性を捨て切ることができなかった。
「う、嘘だ……嘘だと言え! いつものように笑ってみせよ!」
だが道明の弁舌は変わることなく辛辣で、刃は衝撃の事実を突き付けられる。
「残念ながら嘘ではない! 君は僕に付きっきりだったから知る由もないだろうが、隣国五国は既に堕とした。皆殺しだよ。仕方がなかった、彼らは奴隷となることを拒んだのだ。もう有力な殺し屋との人脈も潤沢にある。後は遠方へ侵攻し、蹂躙するのみだ。この世は力が全てなのだ!」
「道明……」
刃は悄然と立ち尽くした。視界が薄っすらと暈けてくる。
「尾鷹の民の生活を……保障すると言っていたのは嘘か……」
大勢の人の死と、道明の裏切り。脳が受け入れることを拒否している。
「どうして……どうしてわしを殺す? わしが気に入らぬならば、契約を解除すればよかろう?」
刃の縋るような声に対し、態度を豹変させた道明は泰然と答える。
「君が人を殺すことを忌避するからだ。僕の政治にはそぐわない。他国と契約されても面倒だ。殺したほうが手っ取り早い。ガキとの恋愛ごっこには疲れたよ」
「そうか……わしを好いてくれたのではなかったのだな……。全て偽りか……」
刃は胸に手を当てて、ギュッと拳を握った。
「わしは……お主のことが好きであったぞ。地種では楽しい日々を過ごさせてもらった。もし恋人がいれば、こんな感じなのかと……。毎日、柄にもなくウキウキしておったのだ……」
刃は零れた涙を指で払い、腰の脇差を抜き放った。少女の怒りに呼応するように、刃の身体から黒の妖気が漏れ出していく。
「残念だ。狐坂道明。修羅狩りとは何者か、篤と見せてやろう」




