第一話 護衛
第二次戦国時代の異名を取る混沌の時代。日輪と呼ばれる茫洋な島国では、至るところで凄惨な戦が繰り広げられている。
かつては劉円宗近が天下を統一し、幕府を開いたことで戦国時代は終焉を迎えた。平和を愛する劉円に反旗を翻す者などいるはずもなく、彼ら一族が織り成す政権は長きに渡り君臨し、日輪に安寧を齎し続けていた――。
しかし、開幕百十余年。栄華を極めた幕府は倒幕に追い込まれることとなる。
天下人――劉円一族が何者かの凶行によって暗殺されてしまったのだ。一時は幕を下ろした戦国時代であったが、この事変は日輪を再び乱世へと陥れた。
倒幕を嚆矢として始まった兵乱の世は歪な様相を呈している。かつての戦国時代とは異なり、大規模な合戦が行われることはない。自国の軍勢を温存し、殺し屋を雇って敵将を討ち取ることが侵攻に於ける常套手段となっていた。
腕に自信のある者は猫も杓子も殺しを稼業とし、各地の領主に雇われた。剣豪、妖術師、更には魑魅魍魎でさえ殺しを請け負う始末。
殺し屋の暗躍により、名を揚げることは死に直結した。台頭する将領は標的となり、あっさりと命を散らせていく。
こうして、世の勢力は陸続と入れ替わっていった。
そんな血で血を洗う戦渦に抗う者がいる。
要人の護衛を生業とし、契約者を狙う殺し屋を易々と屠り去る。
その無双たる力に、人々は畏敬の念を込めて彼らをこう呼んだ――。
《修羅狩り》――と。
◇
誰もが殺し屋の脅威に怯える中、僻陬でひっそりと存続している国がある。
日輪の南端に位置する深い山峡の国――《播宗》。肥沃な平野を有する土地柄、農業が盛んである。
士農工商で分けられていた身分制度が崩壊しても尚、農業が人類の繁栄に必要であることに変わりはない。播宗の領主――田鍋昭は一次産業に注力し、下人に農地を与えた。食糧の確保も儘ならない国が多い中で、播宗は自給自足の体制を構築し、慎ましくも安定して国家を存続させている。
播宗は農業にほとんどの人員を注いでおり、国防を担う強力な軍隊を持たない。
それでも尚、播宗城は築城から三十五年が経過している。倒幕以降も国が健在であるのは極めて稀なことである。
丑三つ時。播宗は殺し屋の襲撃を受けた。
人間は誰しも、睡眠という生理現象には抗えない。無防備を曝してしまう深夜の襲撃は暗殺の基本であり、単純明快かつ効果的な手口である。
現われた殺し屋は、涅色の装束を纏う五名の忍。領民が寝静まった頃合いを見計らい、彼らは隠密の極意を遺憾なく発揮していた。
しかし現代に於いて、夜半の襲撃は常に想定されていることである。播宗も例に漏れず、夜の警備を怠るはずもなく対処に応じていた。
だが殺し屋にとっても、当然ながら夜警の厳しさを熟知している。力押しで事を為せるよう己を鍛え上げ、領主についての前情報を綿密に調べ上げている。
忍はあらゆる忍術を駆使して、目標を討つべく城内を駆け回った。播宗の家臣は忍の動きを捉えることができず、領主の目前まで侵入を許してしまっていた。
あわや大惨事であったが、来襲した忍は床に倒れて気絶している。ある者の働きによって、領主を手に掛けられる前に忍を打ち倒すことができたのだ。
荒れ果てた寝室の中で、領主の田鍋は打ち震えている。
「また刺客……。もう、こんな生活は懲り懲りだ……」
泣き言を呟く田鍋の傍らには、彼を護衛する小さな人影があった。
肌と瞳を除けば全身が黒一色。まるで夜のような装束に身を纏う、端正な容姿を持つ少女だ。殺し屋の来襲など意にも介さず、ゆったりと落ち着き払っている。
「お主が播宗の領主である以上、避けては通れぬことだ。奥御殿まで潜入されるとは、なかなかの手練れだったのう。わしの敵ではないが」
忍を討った少女は一言の苦言を放ち、脇差の刀身を腰の鞘に納めた。
その刀身に返り血はない。蹲う忍にも一切の出血がなく、首には鈍器で殴られたような青痣が確認できる。なんと少女は、峰打ちの一刀で忍を叩き伏せたのだ。
腰まで掛かる少女の艶やかな黒髪は、戦闘の直後だというのに全く乱れがない。
「さぁ、その忍の者にとどめを刺してくれ」
田鍋の要求に対して、黒髪の少女は首を横に振った。
「……何度も言うが、わしは殺生をせぬ。こ奴は領外の茂みにでも放り投げておくが、それでよいな?」
少女がそう告げると、田鍋は壁に拳を突きつけて声を荒らげた。
「あなたが刺客を殺さないから私は狙われ続けるのだ! 修羅狩りと契約をしているというのに命を狙われるなんておかしいだろう!」
怒気が込められた田鍋の異論を聞き、黒髪の少女は頭を掻いて嘆息を洩らした。
「わしの遣り方が気に食わぬと言うのなら、他の者にでも護衛を頼めばよかろう。わしは主義を変えぬ。……それから、わしとの契約も残すところ後一週間だ。どうする? 延長はやめておくか?」
「そ、それは……」
田鍋は頭を抱えて返答に困っているが、選択肢はないも同然である。
「……あなたの手腕を信用している。だが、契約のことは考えさせてくれ」
「承知した。もしよければ、わしの知る強者を紹介してやるぞ?」
思いがけない提案を聞き、田鍋は少女の肩を勢いよく掴んだ。
「――ほ、本当か!? お願いする! 早速、明日にでも会わせてくれ!」
先ほどまでの憂い顔とは打って変わり、その表情は希望に満ちて輝いている。
田鍋の即答には一切の迷いがみられず、少女の心は少し傷付いていた。
「決断が早い……もうわしと契約を延長する気はないようだのう。もっと悩んでから決めてくれてもよいのではないか……? わしが嫌いになったのか……?」
少女の呟くような質問に対して、田鍋からの返答はなかった。彼は既に布団に潜り込み、安心したように瞑目している。
少女の名は――黒斬刃。齢十六。修羅狩りである。