第十七話 意欲
刃に依頼の文を送ったのは、地種の領主――狐坂道明。つい二箇月前に前領主を打ち倒した新興勢力である。
勢力を興す時には新たに築城をすることが一般的だが、狐坂軍は乗っ取った城を改修して再利用する方針を取ったようだ。
朽ちた城を修繕する者が、城壁沿いに黒山の人集りを形成している。資材や技術者が大きく不足していることが影響し、新築を建てる余裕などないのだろう。
刃は城門を潜り、応接間へと案内されていた。座敷の中央に欅調の座卓があり、なんだか妙に凝った内装をした部屋である。
畳の上に敷かれた座布団の上に腰を掛けると、刃は大きく息を吸って溢れ出る気勢を昂らせていた。
『契約解除の打診があった際には、次の修羅狩りを見るまでは滞在しよう』――だとか、『如何なる理由であろうとも、領地から遠く離れた遠方への外出はやめさせよう』――だとか、反省を活かして様々な遣りようを考えていた。
神都では色々あったが、修羅狩りの威信に賭けて同じ轍を踏んではならない。
刃が遣る気を漲らせていると、ドタドタと廊下を駆ける音が聞こえてくる。
慌ただしい足音は応接間の前で止まり、向かって右側の戸が乱暴に開かれた。同時に顔を出した若い男は刃を見るなり、宝物を見付けたように目を輝かせている。
「お待たせ! よく来てくれたね、仔猫ちゃん」
「……こ……仔猫!? 何を言うか! わしは刃だ!」
「刃君のような、可愛い修羅狩りと契約ができるなんて嬉しいな!」
「か、可愛い……だと?」
何を言い出すのかと思えば、男は揶揄うように軽口を叩いてきた。
男は刃の向かいに座り、屈託のない笑顔をみせている。
「僕は狐坂道明。この地種の地を統べる者だ。よろしく!」
「よ、よろしくのう……」
彼が影武者である可能性が頭を過っていたが、刃は即座に否定した。
日輪の現状では、影武者を立てることは常套手段だ。影武者を護らせ、修羅狩りが信用を勝ち取った時に本性を明かす――なんてことが屡々行われている。駆け出しの修羅狩りが本物か否かを判断するために、これは妥当な手法だといえよう。
だが刃は歴七年の熟練者であり、その勇名は日輪中に轟いているはずである。
試されているとなると、刃にとっては不愉快極まりないことだ。
ところが目の前の男、影武者にしては我が強すぎる。領主らしからぬ異質な雰囲気を纏い、どう見ても国を背負う者だとは思えない。しかしそういった解釈の合わない特徴が、逆に彼を領主だと決定付ける材料となっていた。
道明は中性的な容姿を持ち、肌艶がよく目鼻立ちが整っている。幼さを醸し出す挙措から察するに、刃とそう変わらない年齢であると思われる。
ここまで若い領主は珍しく、刃はじっと道明を熟視していた。
「刃君……? どうかしたかい?」
「……道明よ、お主、いくつだ?」
「僕は今年で十八になる。刃君は?」
「わしは十六だ」
「十六歳か、いいね。僕と結婚してくれないか?」
「けっ……結婚!? わ、わしに結婚なぞ、まだ早いわ!」
「ははっ、冗談だよ。刃君は可愛いな」
「何だ……こ奴は……」
まだ挨拶を交わして間もないが、刃は既に疲れていた。言葉を掛けると茶化して返ってくるため、道明の巧みな言葉の勢いに刃は圧倒されている。
刃は異性に対しての免疫がない。他人に揶揄われたことさえ経験がない刃にとって、彼はこれまでに関わったことのない種類の人物だった。
初対面でここまで苦手意識を持った人物は目の前の男が初めてであるが、こんなふざけた男を今後は護ることとなるのだ。契約を結ぶ以上は、責務を全うしなければならない。頭が痛いが、これも日輪のためだと刃は己を奮い立たせた。
――少し経って、豪華な料理が運ばれてきた。
二人は食事を楽しみながら歓談し、契約内容を詰めた。
「報酬の話をしようか。月に五十貨鈔でどうかな?」
道明の言葉を聞き、刃は淀みなく動いていた箸を止めた。
「……ん? 五十と言ったのか? それは多いな。報酬は二十貨鈔でよい。こんなご時世に、そんな大金を受け取れぬ」
「これって大金なのかな? 命を預けるんだから、幾ら支払っても足りないぐらいだよ。領主にとって、修羅狩りは神様も同然なのだから!」
「そう言ってもらえるのは有難い。だが、わしには無用だ。その金を領民に還元してやってくれ。わしが言えた柄ではないがのう」
「そうか、わかった。今日は月初めだから、日割りなしで月末に支払うよ!」
「かたじけない」
道明は修羅狩りの仕事を理解し、労ってくれた。播宗と神都の事変で傷心だった刃は、胸の痛みが少し和らいだ気がした。
◇
食事が終わると、刃は領内を案内された。
城下町を含め、ほとんどの箇所が修繕中であった。まさにこれから、国を機能させる準備を整えていくところだろう。領地を取り囲む防塁は無残にも破壊されており、修繕の手が回っていない。このような状態では隣国にとって格好の餌食であり、修羅狩りがいなくては容易に滅ぼされてしまう危険な状態である。
修羅狩りとしての力量が試される。刃の不用意な優しさ、詰めの甘さが命取りとなり、播宗、神都は酷い目に遭ってきたのだ。侵入者を無傷で帰すなど、生易しいことをしている場合ではないのかもしれない。
佐越の領主から聞いた話だが、彼の地ではここのところ五年以上は殺し屋の襲撃がないそうだ。担当の修羅狩りがあまりに残虐非道で、誰にも手出しができなくなっているという。これこそが理想の形であり、修羅狩りの目指すところなのだ。
刃自身も己の枷を外し、敵を殺める必要が出てくるかもしれない。自分はどこまで残酷になれるだろうかと、自問自答してみたが答えは出なかった。
殺生のない世界を目指すために敵を殺めなければならないなんて、どこか間違っている気がしてならない。しかし幾度となく殺し屋と対峙してきたが、話し合いで解決できそうな輩はほとんどいなかった。
『殺し屋殺し』――それこそが修羅狩りたる所以である。
だが殺しを推奨するなど、殺し屋とどこが違うのだろうか。
もう幕府は存在しないのだから、かつての信条に縛られる必要はないだろう。しかし殺し屋を殺生せず、痛めつけて帰す行為にどれだけの効果があるだろうか。
誰よりも強い実力を持ちながら、刃は無力さを実感することがある。
『あくまで契約対象は個人だから』、『契約が切れたから』、『領主の指示に従ったから』――など、失態に対して規約に真っ当な言い訳は幾らでも思いつく。
だが稼業と言いつつも、修羅狩りは金を目当てにやっていることではない。
国を護り切れないなんて、修羅狩りとしての技量不足に他ならない。修羅狩り契約国が攻撃を受けるなど、そもそも絶対にあってはならないことなのだ。




