第十六話 指導
食事を終えた二人は便々と畳の上で横になり、疲労の溜まった身体を休めていた。修羅狩りにとって、こうした休息は滅多にできることではない。惰眠を貪っているようにも見えるが、これも次の任務に向けての大事な充電時間なのだ。
「刃、ちょっと聞いてもいいですか?」
暇を持て余した詩音は、隣で横になる刃に質問を投げ掛けた。
「……なんだ? 蕎麦の茹で方か?」
「違います。真面目に聞いて欲しいです」
詩音の真剣な態度を察し、刃は身体を起こした。
「どうした?」
「刃は昼夜の護衛で、いつ休んでいるのですか?」
真面目な質問を受けた刃は、間を置かずに答えた。
「契約期間で唯一休息ができるのは夜間だ。契約者が寝静まると、目を閉じて少しでも体力を恢復させる。目を閉じながら周囲の気配に神経を集中させるのだ」
「それで休息ができるのですか……?」
「休息しつつ周囲を警戒する術を身に付けなければ、護衛は到底務まらぬ。隠密に長けた殺し屋も仰山おる故、これは修羅狩りにとって必須の技術だ。……神都で忍者の来襲がなかったことは幸運だったようだのう……」
欲しい答えが返ってきたので、詩音は刃の助言を真摯に受け止めた。
「……なるほど。勉強になります。ちょっとやってみます」
夜間の護衛を想定して、詩音は目を閉じた。暗闇の中で侵入者を察知できるように気を集中させ、すぐ動けるよう腰の太刀に手を掛ける。更には得意である聴覚を総動員し、僅かな気配も見逃さないよう精神を研ぎ澄ませた。
「そうだ……もっと集中をせねば、刺客の気配を気取ることはできぬ。己の存在を消すつもりでやってみよ。明鏡止水の心で、森羅万象と一体になるのだ!」
「森羅万象……? どういうことですか? よくわかりませんが……」
「己の心で感じ取れ。真の集中とは、神霊の声を聞くことだ!」
刃の意味不明な教授を、詩音は理解ができなかった。
「は、はぁ……。刃って天才肌なのですね。天才は教えるのが下手だと聞いたことがあります。もっと具体的に言って欲しいです……」
「な、なんだと……?」
敷衍して説明しようと思ったが、刃は上手く言葉にできなかった。刃は慣れと感覚で熟しているため、その手法を詩音に理解させる方法が思い浮かばない。
「師に向かって教えるのが下手とは何事か! お主の理解力の問題だろう!」
刃は詩音の首を腕で抱えて、頭に拳をグリグリと押し付けた。
「い、痛いです! 放してください!」
「ははっ! 可愛い奴め!」
刃には自然と笑みが零れていた。詩音の教えを乞う姿勢が嬉しかったのだ。
詩音は練者である刃から、修羅狩りとしての技術を学ぼうとしている。
刃も詩音の意志を汲み取り、彼女の技量を向上させようと奮起した。
「詩音、聞け。修羅狩りだった父上に教わった教訓を教示する!」
「はい! お願いします!」
「良い返事だ。心して聞くといい。修羅狩りの心得、『其之壱――修羅狩りはいかなる時も契約を全うすべし』。『其之弐――己が命を擲って契約者を護るべし』。『其之参――契約を反故にした修羅狩り、命を以て償うべし』。『其之肆――」
「――ピュイイイイー!」
「うわっ! な、何ですか!?」
刃が得意げに披露していた高説を遮り、鳴き声と共に窓から鳩が飛び込んできた。鳩は迷うことなく刃の肩に留まり、己の存在を主張するかのように翼を広げている。鳩の足首に括られている文を取り外し、刃は内容を確認した。
「依頼は……《地種》か。少し遠いな……」
「それは……何ですか?」
「依頼書だ。こいつは修羅狩り直通の鳩鷹。鳩であるが、なぜか甲高い声で鳴く」
「へぇ……こうして依頼書が届けられるのですか……?」
「そういうことだ。わしほどの者になれば、このように暇を持て余すことは少ない。各国から依頼が舞い込んでくるからのう。もしも分身の術でも使えたら、どれほどの仕事が熟せるのかと日々嘆くばかりだ」
そう呟いてから、刃は詩音の質問に隠された不可解な点を見付けた。
刃は怪訝そうに詩音の顔を覗き込み、事実を究明するべく質問をする。
「……お主、もしかして依頼書の存在を知らぬのか? 詩音はどうやって、神都と契約を結んだのだ?」
鳩鷹の嘴を指で撫でながら、詩音は刃の問いに答えた。
「わたしは直接神都へ赴き、契約に向けて城門を叩きました。快くわたしを受け入れてくださった佳光様には感謝しています!」
「直談判か……力技だのう……」
「他にも五十ほどの国へ足を運びましたが、どこも門前払いでした……」
「五十……? お主、正気か……? 行動力は誰よりもありそうだ……」
あまりに強引な手法に驚かされ、刃は一歩引いてしまった。だが自身も初めはそうであったなと、刃は思い出していた。
所属先の幕府が滅びたため、修羅狩りとして初の契約をすることには苦労する。
肉親が修羅狩りであった刃は幸運なことに幕府に連なる家系の依頼を受けることができたが、素性のわからない者を雇うには実力の高さの他にも越えなければならない壁があまりにも高いといえるだろう。幕府の後ろ盾がない以上、修羅狩りを名乗る者は一個人でしかないのだから。そうした理由があって、ここまで閉塞的な日輪の中で他人を信用して命を預けることは尋常ではない覚悟がいることなのだ。
とは言え修羅狩り稼業を成立させるためには、誰かが他人を信用しなければ始まらない。詩音の言う通り、鷲見に雇われたことは幸運が重なった結果であろう。
依頼書に返答を記入すると、刃は鳩鷹の足首に文を括り直した。鳩鷹は自ら文の固定を確認すると、迷うことなく颯爽と飛び去っていった。
修羅狩りがどこにいようと、鳩鷹は位置を探し当てる。間違っても、依頼主に修羅狩りの居所が知られることはない。
「依頼を受けるのですか?」
「無論だ。わしの力を……修羅狩りの力を必要としてくれる者がいる。日輪再興への大いなる一歩だ。遣り甲斐があるのう」
「契約期間によっては、しばらく会えないかもしれませんね……」
「そうだな。寂しいか?」
「……はい、少し。……わたしにも依頼が来るでしょうか」
詩音が心配する気持ちは刃にも理解できる。実際に詩音は五十の国に断られ、誰からも信用されないという苦汁を嘗めてきたのだ。
それでも詩音の打診を断った者の判断を責めることはできない。見知らぬ強者とは、他者にとって殺し屋に近しい恐怖の対象なのだから。
だが一度修羅狩りとしての実績を作れば、他国から依頼が来る可能性が高い。修羅狩りの勧奨は、鳩鷹が独自で上手くやっていると聞いたことがある。
修羅狩りは常に引く手数多であり、全国で奪い合いが発生している。修羅狩り稼業の途方途轍もない難度の高さに、成り手不足が著しいのだ。
表情を曇らせる詩音の肩に手を置き、刃は別れの挨拶を済ませた。
「心配するな。気長に待っておれ。必ずお主にも依頼が来る。留守は任せたぞ」
「はい、お気を付けて!」
詩音に寝具の置き場を伝え、刃は家の外へ出た。既に日は落ちているが、地種までの距離を考えると深更の内に向かう必要があるだろう。
刃は地種に向けて地を蹴り、逸足の脚で駆け出した。




