第十三話 和睦
険しい山を越え、沢の下流まで辿り着いた二人は河川敷を歩いていた。刃は自宅に向かって歩を進めているが、どういうわけかいつまでも詩音はついてくる。
「……詩音、いつまでついてくる? お主の家はどこだ?」
「わたし……家がないのです……」
「そうか……わしの家に来るか?」
「……いいのですか? ありがとうございます。本当に助かります」
「そんなことなら、先に言ってくれればよかろうものを……」
雇われた修羅狩りは契約者の領地に住まうこととなるが、彼らとて永久に契約があるわけではない。野良となった時のためにも、帰る場所がなくてはならないのだ。着の身着の儘で生きる詩音を案じて、刃は自宅へ連れて帰ることにした。
そうと決まれば、刃は詩音のことを知りたい欲望に駆られていた。
詩音とは過去に一度対戦したのみで、実は素性をよく知らない。先ほども詩音のことを現役の殺し屋であると疑い、腕尽くで捩じ伏せたところなのだ。
ちょうど会話の種もなくなってきたところで、話題としても丁度いい。
「詩音、お主について、もっとよく知りたい。色々と聞いてもよいか? 何、尋問をしようってわけじゃない」
「ええ、何でも聞いてください。後ろめたいことは何一つありませんから」
現在は誰でも修羅狩りを名乗れる時代であるため、領主は慎重にならざるを得ない。間違っても、自国を破滅に導く兇徒を招き入れるわけにはいかないからだ。
元殺し屋である詩音だが、彼女は既に鷲見との契約に至っている。そこには弛まぬ努力があったのだろうと推察できる。
事前情報として個人を信用されなければ、契約は到底成り立たないのだから。
刃はとりあえず、当たり障りのないところから聞くことにした。
「修羅狩りを始めて、どれくらいになる?」
「神都の鷲見が初めてです。鷲見が新米のわたしとの契約に踏み切ったのは、恐らく鷲見の国勢が頽廃していたからだと思います……。お陰で働くことができましたが、十全な成果を上げられたとは言えませんね……」
詩音は神都での失態を思い返し、悄然と項垂れている。初任務があの惨状では、心の傷も深いことだろう。早速地雷を踏んでしまったと、刃は軌道修正を試みた。
「そう自分を卑下するな。初の任務にしては、よくできておったぞ。犠牲が出た以上、褒めるだけに留めることはできぬが……そうして人間は強くなっていくのだ。お主の今後の働きが、日輪を照らすこととなろう」
「はい……頑張ります……」
やはり詩音は、神都での事変で心を痛めているようだ。
無理もない。あれほどの動乱で平然としていられる者はいない。
しかし、修羅狩りはこういった場面に立ち会うことがある。
中には一度の失態で心を砕かれ、辞めてしまう者もいることだろう。
現代の修羅狩りは独立不羈。誰かに強制されるものではなく、誰にでもできることではない。自ら命を差し出し、抗い、苦難を乗り越えていかなければならない。
常に戦いに身を置き、常に危険に曝され、生涯を通じて勝ち続けなければならない。相応の覚悟を要求され、決して常人に務まる稼業ではない。
それに、修羅狩りとは金策でやるものではないのだ。この世で護衛を請け負うなど、実際は時間と労力に対する対価が全く見合っていないのだから。
修羅狩りを名乗ることは、まさに狂気の沙汰であるといえよう。
彼らは世界平和などと、常軌を逸した夢を掲げる狂った人種なのだ。だが自ら狂うことができる者がいなければ、天下泰平への道は永久に開かれない。
詩音は低賃金ながら、意欲的に職務を遂行していた。契約者を護り抜いた詩音は尊敬に値する。これは慰めではなく事実だ。詩音の修羅狩りへの転向を、刃は心から喜んでいた。過去に戦った時から見込みがあると思っていたのだ。
刃は再び気を取り直して、詩音に対する賞賛を送った。
「侠気こそが修羅狩りの意義だというのに、報酬を下げてまで契約をする者は少ないと聞く。己を安売りすることを善しとするわけではないが、お主は偉いぞ!」
「……ありがとうございます」
刃が彼女の志を嘉すると、暗い表情だった詩音の口角が微かに上がった。
その心境の変化にホッとしながら、刃は続いて聞いておきたい事柄を質問する。
「言いたくなければ答えずともよいが、詩音はどうして殺し屋をやっていたのだ? お主を見ていると、殺しに手を染める輩だとはどうしても思えんのだ」
切り込んだ刃の質問に少し目を瞬かせたが、詩音は淀みなく答えた。
「わたしは孤児です。両親の記憶はありません。物心がついた時には、殺し屋が運営する施設で育てられていました」
当時の記憶が辛いものなのか、詩音は胸元の襟をギュッと握っている。
少しの間を置いて、詩音は言葉を続けた。
「拾われたのが殺し屋だというのは不運でした……。ですが、殺し屋が育ててくれなければこうして生きられてはいません。殺しの所業を容認することはできませんが、彼らには感謝しています」
「そうか……お主も、この戦乱の犠牲者なのだな。立派に大きくなったものだ」
「はい……。どうして、殺しを稼業とする者が存在してしまうのでしょうか?」
詩音の質問に刃は空を見上げ、厳しい世相に歎声を漏らした。
「現代には殺生を取り締まる機関がない故、殺し屋の需要が絶えることはないだろう。他国を攻落するには、殺し屋を雇うのが手っ取り早いからのう……。度し難いが、殺し屋が増えることは現在の日輪では摂理だといえるだろうな。……だが殺し屋の存在を認めてしまうと日輪に未来はない。殺し屋と修羅狩りによる鼬ごっこを続けていては、いつになっても犠牲者は増すばかりなのだ……」
「規範を作るためにも、日輪を束ねる者の存在が必要なのですね」
「それしかあるまい。現在のような無政府状態では、和平など実現するはずがない。各地の領主がやっている〝自治〟などという当座凌ぎではなく、日輪には絶対的な権力を持つ統治者が必要なのだ。国同士が好き勝手に潰し合いをしておる場合ではない。手を取り合い、皆が仲良くせねばならぬ。理想論だと断じる者もおるだろうが、理想なくして和平は有り得んのだ!」
刃の言葉には感情が乗せられ、無意識に語気が強くなっていた。
刃に宿る意志の強さを感じ取り、詩音は拳を握って大きく頷いた。




