序章 修羅狩りの少女
「いたぞ! 逃がすな!」
亭午の畦道を進む馬車が、凶器を携えた者どもに囲まれた。その数――三十名。
突然の襲撃に馭者は腰を抜かし、投げ出されるようにして馬上から転げ落ちた。
木造りの馬車は凶漢に進路を阻まれ、否応なしに動きを止められている。
馬車が逃げ場を失うと、取り囲む者の中で一際身体の大きな男が前へ出た。
男は六尺を超える上背があり、羆と見紛う身体の分厚さは常人のそれではない。
領袖と思しき大男は馭者に見向きもせず、馬車の中をじっと見据えている。
「この地を治める領主と見受ける! 出てこい! 恨みはないが死んでもらう!」
男が声を張り上げたことで、集団は一斉に鬨の声を上げた。
今日も楽な仕事であったと、男は嘲るように口角を吊り上げている。そうして目標を仕留めるべく腰の太刀を抜き放ち、男が馬車に近付いた時だった――。
「――――!」
男の背後で構えていた一団が次々に倒れていく。
気が付けば、立っているのは馬車に近付いた大男のみとなっていた。
「――な、何が起きた!? お、お前ら……どうしたというのだ!?」
「…………」
狼狽する大男のすぐ傍を、小柄な少女が音もなく横切った。
「なっ……!」
少女を見た男は驚動し、たたらを踏んで後退した。一体どこから出てきたというのか、突如として現れた少女からは一切の気配を感じなかったのだ。
妖しげな少女は馬車の前に立ち、見上げんばかりの巨漢に正対する。
「白昼堂々の襲撃とは……お主、さてはド素人だな? その様子では、わしのことも存じ上げてはおらぬようだのう」
呆れるように発せられた少女の声は澄んでいた。
背格好は見るからに子どもだが、身に纏う殺気は尋常ではない。
少女が放つ深紅の双眸に睨まれ、男は足が竦んで動けなかった。
「何だ……お前は……?」
「わしは――〝修羅狩り〟。この馬車には指一本たりとも触れさせぬ」
「――――!」
少女の正体を知った男は、無意識の内に総毛立つ感覚に襲われていた。自身の命が間もなく終わるであろうことを悟ったのだ。
呼吸がなかなか整わない男はそのまま腰を抜かして後方へ倒れ、迷うことなく得物を捨てて許しを請うた。
「も、申し訳ございません! 命だけはお助けください! よもや修羅狩り様と契約をしていようとは、いざ知らず――」
「安心しろ。誰一人として殺してはおらぬ。命が惜しければ答えろ。お主、ただの野盗か? それとも殺し屋か? 目的は何だ? 誰から依頼を受けたのだ?」
土下座の姿勢で蹲う男の前で少女は片膝を突き、脅すように詰問を始める。
「そ、それは……」
男は顔面蒼白になり、怯え上がって身体を震わせた。額からは冷や汗が滴り落ち、蛇に睨まれた蛙の如く縮み上がっている。
「そこに転がっている者どもを殺せば白状するか? よし、見ていろ。順に首を落としてやる。いつまで口を閉ざしていられるかのう」
口を噤んで動かない男に対して、少女は更に尋問を続ける。腰から脇差を抜き放ち、先般に気絶させた者の首に刀身の切っ先を当てた。
「因みに、最後の仕上げはお主だ。死ぬ前に口を割れ。よいな?」
少女は脇差を大きく振り上げ、倒れている人間の首を目掛けて力強く叩きつけた。あまりの衝撃に土埃が舞い、地表は刀傷では有り得ないほどに抉れている。
「ひいぃぃ!」
「…………」
少女は斬撃を対象から外しており、人質となった者は無事である。
しかし男は仲間の安否を気に掛けることなく、ただただ降参の意を示し続けている。恐怖のあまり震え上がるのみで、変わらずに額を地面に擦り付けている。
他人を屈服させるのに、仲間の命を手玉に取ることは有効な手法である。だが少女の威喝を前にしても、男が口を割ることはなかった。
この手の輩は鍛え抜かれた猛者か、もしくは状況がみえない馬鹿のどちらか。この男は恐らく後者であり、仲間や自分が命を落とそうとも迎合しないことだろう。
これ以上の拷問は無駄だと判断し、少女は脇差を鞘に納めた。
「……言わぬか。真面目な奴だのう。お主は殺し屋から足を洗え。どう考えても向いておらぬわ。お仲間を連れて疾く消えよ」
「は、はいぃぃ! しっ、失礼しました!」
少女が殺気を緩めると、男は尻に帆を掛けて去っていった。
逃げた男の取り巻きは見捨てられ、気絶したまま放置されている。
思わぬ行動に驚かされ、流石の少女も開いた口が塞がらなかった。
「……薄情な奴だのう」
昂奮していた馬匹は、少女の姿を見て落ち着きを取り戻している。
しかし事態が収束しても尚、怖気付いた馭者は足が震えて動けない。
その様子を見た少女は馭者を気遣い、優しく肩を貸して鞍に座らせた。
「わしが付いておる。何も危険はない」
「……はい、ありがとうございます」
騒ぎが落ち着くと、馬車の中から細身の若君が姿を現した。
「流石のお手並みですね」
讃辞を受けた少女は、表情を変えることなく若君のほうへ向き直る。
「当然だ。それにしても、あんな素人が殺し屋をやっておるなんて世も末だのう」
背後に転がる集団を見て、少女は小さく溜息を吐いた。
若君も同様に肩を落とし、憂いを帯びた目で刺客の山を見詰めている。
「幕府が滅びてからというもの、明日を生きられる保証のない世界となってしまいました。この混沌とした時代――乱世の平定には、修羅狩りの存在を欠くことはできません。天下統一のために、どうかこれからもお力をお貸しください」
「天下統一……か。お主の生き様をわしに見せてみよ。契約が続く限り、お主の命を保証する。わしが身命を賭して護り抜く!」
そう高らかに宣言してから、少女は馬車の荷台の上に飛び乗った。
横になって茫然と空を見上げると、穏やかな晴天の中を雲が泳いでいる。何事もなかったかのように風の流れに身を任せ、飛び石のようにぽつぽつと。
明日の天気はどんな具合だろうか。雹か霰か、それとも雷か。この世の空模様は千変万化に移ろい、何人たりとも予測することは叶わない。
「明日も晴れるといいのう……」
少女はボソッと呟いた。果たすべき己が使命を噛み締めるように。
だが一抹の不安もない。いつ何時であろうと、少女の前に雨は降らない。進む先を燦爛と照らし、如何なる嵐をも寄せ付けない。
少女を乗せた馬車は陽光の差すほうへ、ゆっくりと進んでいった――。