神降ろし
意識がある。
今、自分がどのような状況にあるのかゆっくりと確かめてみる。
手の感覚は、指先まである。足の感覚も同じく。
手足に軽く力を入れれば、硬い床の感触。後頭部の下にも硬い感触を感じる。
小夜子は案外しっかりと感じる体の感覚を頼りに、そっと両目を開けてみた。
小夜子が目を開ければ、辺りは一面真っ白な世界だった。
うーん、と小夜子は再び目を閉じる。
自分は果たして生きているのか、死んでいるのか。
状況的には死んでしまったかのようだが、体の感覚はしっかりしている。体の下の硬い床の寝心地の悪さも感じる事が出来るのだ。
「どうしてですか!どうしてあなたは生きているのですか?!」
判断に悩んでいた小夜子だったが、聞き覚えのある声に飛び起きた。
声の方向に構えると、小夜子の体から神力を全て奪い取り、復活した女神が小夜子を驚愕の表情で見ていた。
女神の存在を確認後、小夜子はサッと自分の体を見下ろした。
両手両足、指の10本まで揃っている。目鼻、口、耳もひと揃えある。欠けている部位は無い。身に付けていた黒のパンツとパーカーも元通りになっていた。
小夜子は五体満足で女神同様完全復活していた。
そして問題の、大聖堂地下遺跡にて恐慌を来たす原因となった小夜子の恐怖心であるが、先ほど女神に感じた動けなくなるほどの恐怖を今は全く感じないのだ。
「その体は!その漲る神力は一体何なのですか?!」
一体どうしてなのかと小夜子が内心首を傾げていると、逆に恐慌を来している女神が小夜子の変化に大騒ぎをしている。
漲る神力と言われても良く分からず、小夜子は自分のステータスを確認した。そして思わず笑ってしまった。
無効となっていたスキルは、その全てが復活している。HPとMPも∞の表記に戻っている。女神が神力を全て吸い取ってしまったからか、晴れて小夜子から女神ティティエの加護は消えて無くなっていた。そして最下部に新たなスキルが現れていた。
それはアリーと同じ、聖ハイデンの加護だった。
「あっはっはっはっは!」
小夜子は一笑いすると、体を解す様に両手両足を伸ばし、ストレッチを始めた。
「な、何を笑っているのです。気でも触れたのですか」
「女神ティティエ、悪いわねぇ」
ニヤリと笑う小夜子を前に、女神ティティエは顔を蒼褪めさせ後ずさりした。
「私、聖ハイデンに鞍替えするわ」
「!!」
女神は踵を返し、駆け出した。
しかし辺り一面は真っ白い空間が果て無く続くばかり。何処が出口で何処が入口かも分からない。
「ねえー!何処に行くのー?」
「ひっ、ひいいぃ!!」
小夜子がゆったりと女神を追いかけ始める。女神ティティエは白いロングドレスに足をもつれさせながら懸命に走り出した。走る女神を歩く小夜子が追い詰める。不思議と女神は小夜子から遠ざかる事が出来ず、小夜子との距離はどんどん縮まっていくのだ。
「この真っ白い空間は、神の領域って所なのかしら。私がいつも女神に夢で会う場所もこんな感じだったものね。さて、この領域は誰のホームなのかしらねえー?」
「はあ、はあっ・・・!」
女神ティティエは苦しそうに息を切らしながら懸命に小夜子から距離を取ろうとしている。女神が苦しんでいる時点で女神のホームグランドでは有り得ない。
「状況的に聖ハイデンが力を貸してくれてるんだろうけど」
女神が望んでこの場に来たわけでもないだろう。無理やりに相手の領域に引きずり込まれている時点で、神同士の力の差は歴然なのだ。
「きゃああああ!!!」
小夜子が前方をのたのたと走る女神の手首を掴めば、女神は絹を裂くような悲鳴を上げた。
「お前、さっきなんて言った?私の可愛いアリーをどうするって?しかも、イーサンまで好きに使おうとしたわね?」
「ヒッ・・、ヒィッ・・・」
小夜子は再び女神に思い切り拳を振るった。
殴って、殴って、殴って、殴った。
コルネリア大聖堂、地下遺跡での一幕と同じ事が繰り返され、破れた女神の皮膚からはヘドロのような粘液やら、砕けたガラスのような光の欠片が零れ落ちた。その度に女神は人の形からかけ離れていった。
「ごめ、なさっ・・!ゆるして、ゆる」
「許さん!!」
蠢くヘドロ色の塊になり、最早口も利けなくなった女神に馬乗りになった小夜子は、塊が消滅するまでドコドコと拳を振るい続けた。
ドンと拳を白い床に打ち付け小夜子が拳を引けば、真っ白い床の上にはヘドロの染み1つ残っていなかった。
女神は見る限り消滅してしまったようだった。
「・・・さてと」
小夜子は立ち上がり、見渡す限りの白い空間を見回した。
辛うじて床の認識は出来るが、何処が出口なのかさっぱり分からない。そもそも小夜子は今目覚めた状態なのか、本当は夢の中なのかすらわからない。
女神の声に反応して、思うがままにこの空間で動く事は出来たのだが、ここから抜け出すには果たしてどうしたらよいものか。
転移を試みたが、小夜子はこの空間から脱出する事は出来なかった。
小夜子は次に掌の上に直径1mほどの火の玉を出してみた。
この空間で火魔法は使えるようだ。
白い空間の果てがあるのか試すべく、小夜子は火の玉を思い切り前方に放った。
火の玉は勢いよく前方に飛んで行って見えなくなった。この白い世界には果てが無いのかと思った時だった。
『熱いっ!』
小夜子の頭の中に若々しい男の声が響いた。
『クックック』
小夜子が驚いて火の玉が飛んでいった方角を見ていると、別の男の声が脳内でクツクツと笑いを零す。
『これ、体もまだ本調子ではないのだ。これ以上暴れるのは止めないか』
3人目の男の声が聞こえ、小夜子はキョロキョロと辺りを見回す。
『上だ』
声に促され、小夜子は上を見るが白い空間が広がるばかりで目につく物は無い。
「何処よ?!」
聖ハイデンの力により謎の白空間に呼び込まれたのだと思っていたのだが、声の主ははたして味方なのか新手の敵なのか。
やっと数年がかりで女神との決着がついたのだ。早く愛しい家族達の元に帰りたいのに帰る手段が分からない。小夜子の苛立ちと焦燥が爆発しそうになる。
「早くここから出しなさいよ!」
小夜子は片手を挙げ、頭上に直径10mほどの炎の塊を作り出す。男達の内の1人は熱いと叫んでいた。何者が小夜子を見ているのか知らないが、火のダメージは与えられるらしい。
小夜子が思い切り上空に向けて火魔法を放とうとした時、小夜子の足元がぐらりと揺れた。
また地震かと、小夜子は火魔法をキャンセルし上空へ飛び上がろうとしたが、小夜子の頭上に突如白い壁が現れた。小夜子は激しく白い壁に激突したが、小夜子のスキルは全て復活しているので小夜子に衝突のダメージは無い。
『そのまま、じっとしておいで。せっかく作った新しい体が痛んでしまう』
男の声音は小夜子に優しく言い聞かすように柔らかい。
声の主は女神に1度壊された小夜子の体を新たに作ってくれたらしい。
四方八方が真っ白い空間で何が起きているのかもよく分からないが、こちらの身体を気遣う発言をする相手の言う事を小夜子は聞く事にした。
小夜子は大人しく白い床に腰を降ろす。
「夫達と娘が私の帰りを待ってるの。だから、早くここから出してちょうだい」
『良いとも、善良なる魂を持つ我が使徒よ。だが少しだけ、我々と話をしよう』
小夜子の周りを風が吹き荒れた。
『上だ』
今度はなんだと辺りを見回す小夜子に、もう一度男の声が掛かる。
小夜子は頭上を見てあっけに取られた。
なんと小夜子を、巨大な3人の男達が上から覗き込んでいたのだ。その大きさは、奈良の大仏どころの話ではない。小夜子が見上げる上空、空一杯に3方全てが男達の顔になっているのだ。
「でっか!」
それ以外の感想が出てこない小夜子だった。
『人の足の爪の上で、よくもまあ大暴れしてくれた。元気のいい事だ』
『ははは、強い輝きを持つ良き魂だね』
『まさか攻撃されるとは思いませんでした』
大暴れして仏に懲らしめられる何処ぞの物語の山猿でもあるまいが、小夜子は見下ろしてくる男の1人の掌の上に居るようだった。その掌も巨大すぎて、その全容が良く分からない程だ。
男の内の1人は黒獅子の鬣のような黒髪に漆黒の瞳を持つ美丈夫。もう一人は艶やかな銀髪を結い上げた優しい顔立ちの色男。最後の1人は波打つ豪奢な金髪に煌めく翡翠の瞳を持つ完璧な美を体現したかのような男。
三者三様の男達が面白そうに遥か高みから小夜子を見下ろしていたのだった。
黒髪黒目の男については、小夜子は至る所でその姿を目にした事がある。直近では婚姻式を済ませた帝国と王国の中央協会の祭壇の正面で、その堂々とした姿を象った全身像を見たばかりだ。
「聖ハイデン」
『いかにも』
『俺はイヴァン。ハイデン教の聖人の1人らしいよ』
『私はマティアス。同じくハイデン教の聖人の末席に名を連ねる者です』
ハイデンの後に、銀髪の男と金髪の男が続いた。
『さて、そなたからも質問があろうが』
「ちょっと待って!」
話始めた聖ハイデンを小夜子は止めた。
「デカすぎて話し辛いわ!あなた達、小さくなれない?」
小夜子の要求に一瞬黙った3人の男達は、その後楽しそうに笑い声をあげた。




