離宮の小夜子 2
「馬鹿!馬鹿!サヨコの馬鹿!」
「エリザベス、ごめんってば」
久しぶりに訪れたスチュアート邸のサロンで、小夜子はずっとエリザベスに怒られていた。
「あんな、居なくなり方をして!もう何年も会えなくなるんだって、おもっ、うっ・・、ううー!」
エリザベスは小夜子の膝に突っ伏して泣いたり怒ったり忙しい。侯爵令嬢にあるまじき取り乱しようだが、ルシアンは傍で困ったように見守るだけだ。ロレーヌも笑っているだけで、娘に好きなようにさせている。
今日小夜子がスチュアート邸に出向いたのは、まだ帝国に滞在している事と、春ごろにコルネリアに向かう事の報告のためだ。ちなみにジェイムズとパーシーは仕事で不在のため、スチュアート家の女性陣とお茶会をしながらの近況報告となった。
「ごめんね。あの時はどうなるかまだ分からなかったから。状況によってはあの夜の内にコルネリアに飛ぶつもりだったのよ」
「サヨコさんは今、皇弟殿下の離宮にいるのね」
「そうなの」
「サヨコさんが自分で望んで、殿下の御傍にいるのね?」
「うん、まあ」
小夜子の意思を確認して、ロレーヌは満足げに頷いた。
「それなら良いのです。社会的地位も類まれなる能力も持つサヨコさんは、殿下や陛下にすら無理を強いられる事は無いと分かっていたのだけど、サヨコさんが殿下の想いを受け入れてくれたのならこれほど喜ばしい事は無いわ」
「あの・・、色々お騒がせしたわね」
少し照れた様子の小夜子に、ロレーヌは口元を綻ばせた。
これまでアレクシスとのやり取りは、スチュアート家が窓口になり全て対応していてくれたのだ。事務的な書簡のやり取りだったのが、毎日の花やら菓子に変わっていく過程も全て知られている。随分人前でドタバタしてしまったものだと、その頃を思い返せば小夜子の頬も熱くなる。
「サヨコ、物語みたいで素敵だったわ!皇弟殿下から毎日贈り物が届くなんて、帝国中の女性が憧れるわ・・・」
先ほどまで怒りながら泣いていたエリザベスは、今度は小夜子の膝の上で頬杖をつき、うっとりと頬を染める。
「友達にサヨコと殿下の事を話してもいい?」
「あー、いいけど。あんまり大げさにしないでよ?」
「分かったわ!」
あまり効力がありそうにない注意を、一応小夜子はエリザベスにしておく。
それからは茶と菓子を楽しみながら、黙って国を出て行かない等いくつかエリザベスに約束をさせられながら、スチュアート邸での報告のお茶会は終わった。
アレクシスがやっと通常の執務につくようになり、表面上は普段通りの落ち着きを取り戻した頃、皇帝と皇后から小夜子とアレクシスは私的な茶会に招かれた。
「やあ、やっと会えたなサヨコ。アレックスが君を離宮に隠してしまい、なかなか私達にも会わせてくれなかったのだ」
今日もキラキラと麗しい皇帝の隣には、皇帝と並んで遜色無く美しい皇后が微笑みを湛えて席に着いている。
皇族の居住区、王宮の奥深くの皇族のみ立ち入りが許される奥庭の東屋で小夜子とアレクシスは皇帝夫婦と向かい合っていた。
「別に隠していた訳ではないが」
皇后はクスクスと口元を押さえて笑っている。
「サヨコ様、初めまして。ヘンリーの妻のクラウディアですわ。以後お見知りおきを」
「よろしく。サヨコで良いわよ」
4人のお茶会は和やかに始まった。
「サヨコ、アレックスをよろしく頼む。認定授与式の時から良い雰囲気だとは思っていたのだ。君たちが上手くいくとは、国としても、兄としても非常に喜ばしい。良かったなアレックス」
我が事のように喜ぶ皇帝を前に、アレクシスは居心地が悪そうに黙り込んでいる。
「アレクが私で良いならね」
「お前が良い」
皇帝には返事をしないアレクシスは、小夜子には即座に反応する。
「これは驚いた」
「本当に」
麗しい皇帝夫婦は2人顔を見合わせている。
「このようなアレクシス様、初めて見ますわ。孤高の黒の至宝とまで言われたお方ですのに」
「氷の皇子の心を溶かす者がとうとう現れてくれたのだな」
色々な二つ名が飛び出し小夜子が隣のアレクシスを見ると、アレクシスは片手で顔を覆って黙っている。
「黒の至宝は良く聞くけど髪が黒いから?瞳も光彩が奇麗だけど」
黙り込んでいるアレクシスに変わり、皇帝はアレクシスの二つ名について小夜子に喜んで話して聞かせた。
ヴァンデール帝国は、元々は5つの小国が寄り集まって出来た国だった。初代皇帝となった小国の長の血筋を皇族筋とし、その他の小国の長が帝国の4公爵家となったのが帝国の始まりだ。そして初代皇帝が立ってよりずっと、その4公爵家から皇室へと皇帝の妃が送り出されて皇族の血が受け継がれてきた。
ヴァンデール帝国の初代皇帝は5つの小国を1つに束ねた建国の雄であったわけだが、その皇帝は堂々たる体躯で黒髪黒目を持ち、淡い色彩が特徴の帝国民の中では異彩を放っていた。その容姿は黒髪黒目の偉丈夫であったとされる聖ハイデンの再来だと言われた。
初代皇帝以降、その黒髪黒目の色彩は時折ヴァンデール皇族に現れるようになり、公爵家はその色彩を受け継ぐ皇子や皇女の誕生を望み何人もの公爵家の姫を皇室に送り出し続けた。
アレクシスは待望の黒の皇子だったという訳だ。
「待望の皇室の黒の至宝だった上に、アレックスは若くしてまるで軍神のような戦の才があった」
ニコニコと機嫌よく皇帝はアレクシスの話を続ける。弟の事が大好きな兄が弟の自慢を続ける横で、弟が照れて居心地悪そうにしている様子は、普通に仲の良い兄弟でしかない。
皇帝の隣で皇后も堪え切れずに笑っているがいつもの事なのだろう。
帝国が待ち望んだ黒の至宝、アレクシスだった訳だが、アレクシスは黒の色彩を持ち合わせただけでなく、10代半ばにして国軍を預かり指揮官の力を発揮する事となった。
先代皇帝が崩御し、現皇帝に代替わりした際に内乱が勃発したのだ。
現皇帝ヘンリーとアレクシスは異母兄弟なのだが、アレクシスの母の実家、4公爵家の1つであるタウンゼント公爵家が皇室に対して武力蜂起したのだ。目的はヘンリーからアレクシスへの帝位移譲だった。
それは今から15年程前の話で、5年間内乱で国は荒れた。
アレクシスは自分の母親の実家を討つべく、帝国軍を率いて齢15歳にして軍の最高司令官として立った。
まさかヘンリーではなくアレクシスが軍の総大将になるとは思わず、アレクシスを皇帝に擁立しようとしたタウンゼント公爵家は既に計画の破綻を理解していたが、皇室に対して振り上げた拳を簡単に降ろす事は出来なかった。
それから5年にわたりタウンゼント公爵家は抗戦を続けたが、容赦なく手足をもぐように公爵家の力を削いでいくアレクシスを前に私兵の殆どを失い、10年前に国軍に降伏した。
公爵家の取り潰しは免れない所であったが、アレクシスの母の霊廟を含む僅かな領地のみの所有が認められ、タウンゼント公爵家の広大な領地は国の直轄地となった。そして名ばかりの公爵家として、傍系の一族の生まれたばかりの赤子と僅かな親族達は助命された。しかし公爵家当主とその家族達は、アレクシスの祖父母や伯父、伯母、その子供達であったのだが、アレクシスも立ち合いの元死刑となった。
元々は年頃の娘を前に僅かも心を動かさない事を氷の皇子と呼ばれていたのだが、自分の祖父母を顔色一つ変えず刑に処す様をもって冷酷な氷の皇子とも呼ばれるようになった。
「本当は、初代皇帝の生き写しと言われ、軍才もあるアレックスの方が皇帝には相応しかったと思うのだけど」
「兄上、馬鹿な事を言わないで下さい。兄上の治世となってから帝国は見違えるほど近代的に、豊かになりました。国の安定は大きな国力増強へと繋がっています。その恩恵である豊かな暮らしを辺境の国民に至るまで享受しているのです。国民は兄上を賢帝と称えています。俺も兄上の事が誇らしい。戦の才など今の帝国には不要です。私は兄上の治世を、兄上と共に支えていく事が望みです」
「私の人生最大の幸運は、愛しい皇后、皇妃達と子供達が居る事、そして愛しい弟が居る事。家族に恵まれた事だね。皇族として、皇帝として、これほどの幸せを持つ者は他に居ないだろう」
「あなた達、本当に仲が良いわねえ」
小夜子がこれまで知り合った貴族家は、ガルダン王国のバトラー家といい帝国のスチュアート家といい、非常に家族仲が良かったがそれは少数派なのだ。
家門を存続させ、血筋を残すために、高位貴族になるほど親子の情を排除し、親も子も一族の為に役割を担うのが普通だ。血を繋ぐのが最大の仕事ともいえる皇族であれば情など二の次三の次となるのが普通だろう。
しかし現帝国皇室は驚くほどの仲の良さであるようだ。周囲が何と言おうとも兄弟の仲に亀裂を入れる事は出来なかったし、皇后、皇妃達も皇帝を支えて仲良くやっている事が窺える。
「・・・・私も、兄上が私の兄上で居てくださること、嬉しく思います」
アレクシスの発言に皇帝は驚きに目を瞠り、皇后は口元を両手で押さえた。ちなみに小夜子もアレクシスが兄に素直に好意を伝える様に内心身悶えしているが、皇后と同じく口元を押さえるだけでどうにか耐えた。
「アレックス。愛しい弟よ。今日はお前に驚かされてばかりだな」
少し頬が色づいた皇帝が微笑む様は一枚の美しい絵画のようで、距離を置き控えている侍従や侍女達からも微かにため息を零す音が聞こえるほどだった。
「私はこの年になって学んだのです。大切な相手には言葉を尽くさないといけない。私の人生の大きな幸運は、兄上が居てくださる事とサヨコに出会えた事です」
「どの姫にも靡かなかった氷の皇子がとうとう生涯の伴侶に出会えたのだね。お前の事だ、妃に迎えるのだろう?」
「そう望んでいます」
皇帝に応えながらもアレクシスはジッと小夜子を見つめてくる。
この辺りは既に散々2人で話し合っている。これからも2人で話し合いは続けていくが、小夜子から今この場で説明する気はなかった。
皇族達は美しい家族愛を展開しているのだが、それとは別に皇族達の傍に侍る者達のアイコン色が先ほどからなんとも賑やかだった。
安定して緑色でいる者は殆どなく、大抵が黄色の警戒色である。皇族達と小夜子との会話に注意深く耳を澄まし、黄色から赤へと感情を忙しく行き来させている者も数人いる。
目の前の皇帝と皇后は穏やかに安定した緑色を示してくれているのはありがたいと思うが、人が増えれば様々な立場と思惑が交錯するだろう事は想定内だ。小夜子はどう思われようが相手が直接危害を加えてくるまでは取り合わない事に決めている。
「サヨコ、クロイワヤギの事も感謝する。代々皇帝が受け継いでいくマントは、大切に補修を繰り返しているが100年以上も前の物だ。そろそろ維持するのも限界かと思っていたのだ。今回新しい毛皮が手に入った事でしっかりと手入れをする事が出来る。我が息子へ皇帝のマントを無事に引き継げる事を嬉しく思う」
皇帝がマルキアギルドへ卸したクロイワヤギについて話し出した。
「ああ、ガルダン王国で機会があって沢山狩ってきたのよ。3匹で足りた?もっと出す?」
小夜子の気軽な申し出に、さすがの皇帝も笑みを浮かべたまま固まった。
「サヨコの手元にはまだクロイワヤギがあるのだろうか」
「まあね」
皇帝はしばし考えた後に首を振った。
「過ぎたるは要らぬ混乱を招きそうだ。唯一の国宝であるから代々の皇帝が引き継いでいく意味もある。だが何かあればサヨコを頼ってもよいだろうか」
「いいわよ」
今回皇室で手に入れたクロイワヤギは大切にマントの補修に使われるという。皇帝の象徴でもある希少な毛織物が何枚も作れるという状況も喜ばしい事ではないだろう。小夜子のクロイワヤギのストックの話はこの場限りの事とされた。
クロイワヤギの毛皮を皇帝から辞退された後、小夜子はちらりと隣の皇后を見る。
たおやかに微笑んでいる皇后は時折コホコホと軽い咳をしている。
「クラウディア?咳がつらそうだけど」
「申し訳ありません。移る病などではありませんわ。少し喉が弱く、昔から涼しくなると咳がでるのです。帝都は冬も暖かいので、昔に比べればだいぶ楽になりましたわ」
小夜子は皇后を鑑定して一つ頷き、皇后に断りなく治癒魔法をかけた。城の衛兵達が殺気立つが、アレクシスがそれを押さえる。
「危害を加える気なら、お茶会の最初に済ませているわよ」
小夜子がちらりと衛兵達を見やれば、衛兵達は顔色を悪くしながらも何かあれば動く姿勢のまま小夜子と対峙している。
「まあ断りなく治癒魔法をかけて悪かったわ。この国の皇帝と皇后だものね。これから気を付けるわ」
「・・・いいえ、サヨコ様。お礼申し上げます。喉の辛さがすっかりなくなってしまいました」
「それは良かった」
皇后は喘息を患っていた。これは体質的な物で完治も難しい。
小夜子も前世では喘息持ちだったのでその辛さは良く分かる。
「クラウディアの喘息は症状を押さえて上手く付き合っていくしかないわ。喉が乾燥しないようにこまめに水分を取ると良いわよ。蜂蜜には消炎作用もあるから、蜂蜜湯を飲めば喉の辛さも和らぐわ。それと、クラウディア。これからは紅茶とコーヒーは控えた方が良いわよ。カフェインはお腹の子に良くないわ」
皇帝と皇后は驚きに言葉を無くした。アレクシスは小夜子の行動に慣らされており、そうであったかと涼しい顔で紅茶を楽しんでいる。
「ま、まあ・・・。宮廷医からはまだ何も・・・。真でございましょうか」
「しっかりとその子はクラウディアとヴァンデールの名前を背負っているわよ。男女どちらか知りたい?」
「・・・それはこれからの楽しみに取っておこう」
皇帝は皇后を柔らかく抱き寄せて頬に口づけた。
それから皇帝は宮廷医を呼びに侍従を走らせ、皇后は侍女と共に一足先に部屋に戻ることとなった。
「皇帝、安定期に入るまでは負担を掛けさせずに大事にした方が良いわ。子供が居るんじゃ、これまでのように薬も飲めないでしょ」
「「!!」」
言うなり小夜子はテーブルの上に無造作に黄角をゴロリと出現させた。これには皇帝と一緒にアレクシスも目を剝いた。
「小指の先位で、コルネリアの大司教の心疾患も治ったみたいなのよねえ。完治した上にパズルカに分けてあげられる位に十分足りたみたいだったから、また同じ位でいいかな?万能薬みたいだから、クラウディアの喘息にも風邪をひいた時にも、体調不良全般に多分使えると思うわよ」
小夜子は何の準備もせずに手持ちのナイフで黄角を今にも削ろうとしている。
「まっ・・・!サヨコ、待て!宮廷医長を至急呼べ!!」
皇帝の珍しい大声に、周囲の者達にも緊張が走る。
すぐさま宮廷医長が衛兵に呼ばれ、息を切らせながら皇帝の元まで馳せ参じたが、黄角の大きな塊を見て高齢の宮廷医長は卒倒しかけた。
皇帝に軽く頬を張られて意識を取り戻した宮廷医長は、それからどうにか計量の道具を一揃え準備した。そして美しく整えられた皇族専用の庭園の中。伝説の万能薬クロイワヤギの黄角を削り取るという、生涯に一度きりであろう大役をどうにか務めたのだった。
結局皇帝は小指の先2つほどの黄角を買い取り、小夜子に1億ゴールド払う約束をした。




