小夜子と帝国の黒い至宝 6
「駄目に決まっているだろう」
ゴウ国との和平条約が締結され、数日後のスチュアート邸での午後のお茶の時間だった。
今日は珍しくスチュアート家全員が自宅に居り、全員の前には小ぶりの上品なアップルパイにバニラアイスが添えられて置かれている。
このアップルパイは皇弟から小夜子宛に届けられたものだ。
ゴウ国と帝国の和平条約が締結された日の翌日から、毎朝皇弟より小夜子へ届け物がされるようになった。
いつも小夜子にお茶を出してくれるベテラン侍従が、小夜子にサーモンピンクとオレンジを基調としたバラの花束を持ってきたのが最初の届け物だった。小夜子とて、僅かに花を愛でる心を持っている。2回目までは笑顔で受け取ったが、3回目には少し考えて小夜子に付き添っていたスチュアート家の侍女にポンと皇弟からの花束を手渡した。小夜子の部屋は十分花が飾られているので別の場所に飾っていいという小夜子の言い分に、皇弟の侍従とスチュアート家の侍女は顔色を失った。硬直する侍従に侍女がすかさず耳打ちをした。小夜子は菓子が好きだと言う侍女の話を受け、次の日からは小夜子に様々な菓子が届けられるようになったのだった。
届けに来るのはベテラン侍従の他に無表情のジム、赤面しているカリンの場合もある。ちなみに菓子はアップルパイの頻度が高めである。
「殿下と陛下がサヨコの推挙を望んでおられるのだ。スチュアート家が皇族方を押しのけてSランカー推挙の名誉を手にする事など有り得ない。臣下として出来る訳がない」
「そんなもの?」
「そうだ。絶対にだ」
ジェイムズの言葉にその妻も子供達も真面目な顔をして頷くのだった。
パズルカの発言に皇弟は異議を唱えなかったので、スチュアート家からの推挙でも構わない物なのかと思ったのだが、当のスチュアート家にとってはとても引き受けられない話だったようだ。
「わかったわ」
素直に小夜子がジェイムズの話を聞き入れれば、厳しい顔を見せたジェイムズもいつもの表情に戻る。やれやれと他のスチュアート家の面々も紅茶とアップルパイに手を伸ばし始めた。
「サヨコさんはアップルパイが好きなのかしら?」
「まあ普通に好きだけど」
ロレーヌの質問にそう答える小夜子だが、特別に好きな訳でもない。
「なんか、ごめんね。お菓子が毎日届くから、みんなにも食べるの手伝ってもらってるけど、もう要らないって皇弟に断ろうか?」
「・・・サヨコが迷惑なら断るのも止めないが、私達に気を使って断る必要は全く無い」
ジェイムズの言葉に再びロレーヌと子供達は真剣な顔で頷く。
「まあ食べきれなかったら、使用人達に手伝ってもらったらいいわよね」
「サヨコ、みんなに分けてあげても良いけど、必ず一口は食べてあげてね!」
「うん。受け取るからには食べるけど」
突然赤面するエリザベスを横目で見ながら、小夜子はアップルパイを口に運ぶ。ゴロゴロと入った果肉は歯ごたえが残されており、その下のスポンジには程よく洋酒がしみ込んでいて美味しい。
「なんだか、考えさせられる。身分がどうあれ、手に入れたい物があったら誰でも努力しなきゃならないんだ」
「そうだぞパーシー。私はロレーヌの心が私に留まり続けるように、毎日努力を重ねている」
「あなたったら、子供の前で恥ずかしいわ」
「私は仕事に生きるわ!」
家族仲の良いスチュアート家のお茶の時間はこうして賑やかに過ぎていく。
スチュアート家からの推挙を断られた小夜子は、アップルパイを食べながら物思いに耽るのだった。
小夜子が皇弟に依頼した解体作業は1カ月ほどで無事に終了した。
ジャイアントモールの骨格2体分は帝国が買い取る事となった。20メートル級を骨格標本として国立博物館に展示するという。50メートル級は素材の研究をしながら有効活用を検討するそうだ。その他のワイバーン、ヒクイドリ、巨大魚介類等も、軍部や各商会からの買取希望が上がっているという事で、小夜子は自分が楽しむ分と知り合いに配る分の肉を確保して、他は全て希望者に売り払う事にした。ハンターギルドに頼んでいた魚介類も小夜子が処理しきれない分は売る事にして、売買窓口は冒険者ギルドが請け負ってくれることとなった。
結果、小夜子は帝国でもう一財産築く事となった。魔獣の買い取り額の他に帝国からのダム修繕に絡む謝礼金、ゴウ国との外交に絡む謝礼金などが入ったようで、ギルドの帝国口座だけで2億は軽く超えている。いつか使う事もあるだろうと、しばらく小夜子の個人資産は眠らせておくことにした。
今日は解体作業場として用意した氷のドームの取り壊しの為に、小夜子は帝都郊外に訪れていた。取り壊しには皇弟も立ち会うという事で現地で落ち合う事となった。
ドームの中は一時、ジャイアントモールの分割作業のために大きな足場も組まれていたが、その資材は今日までにすべて撤去されている。最初に設置されていた観客席ももちろんもう無い。
氷は小夜子が魔法で溶けないように維持させていた物だ。その質量は膨大で、この場で全て溶かしては人為的な土砂災害が起きるだろう。
小夜子はドームを一瞬で収納ボックスにしまった。
「いつもの事ながら驚かされるが、あれほどの質量の氷も収納可能なのか?」
「私の収納の容量は無限なのよ。ちょっと海に捨ててくるから。後は解散で良いわよ」
無限という小夜子の言葉にしばらく動きが止まった皇弟だったが、気持ちを切り替える様に頭を一振りする。
「・・・いや、私も最後まで確認させてもらう」
皇弟が小夜子に同行する事を望んだ為、急遽同行者が選抜され、転移で小夜子達は海に向かう事となった。皇弟の送迎車に皇帝と護衛、世話役の侍従と運転手を乗せて小夜子は車を沿岸の集落まで転移させた。
突然現れた黒塗りの大型高級車に、偶然居合わせた沿岸集落の住民達は驚いたが、その隣に見知った小夜子が立っている事で落ち着きを取り戻す。
「みんな、ちょっとお邪魔するわよ」
小夜子の挨拶に笑って応えていた住民達だったが、高級車から降り立った人物に文字通り飛び上がって地面に平伏してしまった。
「今日は非公式の訪問である。礼儀などは気にせず普段通りに過ごすように」
ジムが住民達にそう告げると、住民達はおずおずと頭をあげ始める。辺境の国民でも新聞で美しい皇族達の写真は何度も見た事がある。上目遣いでそうっと盗み見る相手は、一般国民が生涯で1度でも対面する事は叶わないだろう雲上人、帝国の黒の至宝と呼ばれる皇弟だった。
普段通りに過ごせと言われても、動き出す事も出来ずに平伏したまま固まる住民達の姿を見て、小夜子はさっさと用事を済ます事にした。
「沖合いに捨てるから大丈夫だと思うけど、一応海岸からは離れていてよ?」
「わかった」
「魔獣の血と内臓も捨てていいかしら。持っていても使い道が無いし」
それにも皇弟は了承する。ワイバーンの血と内臓は、一応竜種の物なので全て買い手がついたが、ジャイアントモールの大量の血液と内臓はさすがに買い手がつかなかったのだ。
海岸からは50メートルほどの距離を置き、皇弟は護衛に守られている。
それを確認してから小夜子は一気に沖合まで飛んだ。
そして、高さ70メートル、直径が100メートルを優に超す巨大な氷のドームを小夜子は海に投げ捨てた。10メートル程度の高さからそっと海に沈める様にしたのでそれほど水柱は上がらない。氷のドームの処分はこれで完了だ。続いて魔獣の血液と内臓の処分だ。これも静かに海に投げ捨てていくだけだ。大量の血液を延々と海に放流し、更に巨大な内臓を海に投げ捨てていく。するとすぐさま小魚たちが血液に群がってきた。その小魚を狙ってどんどんと大きな魚が集まって来る。その魚の大きさはあっという間に5メートル級、10メートル級に到達する。
その様を小夜子が上空から眺めていると、大きな水しぶきが上がった。小夜子の下には大きな口を開けた巨大な海洋生物の顔があった。小夜子はすぐさま大きな口を開ける海洋生物の顔面に風刃を放つ。その生物は上顎から顔の上半分を失い、海に落下していく。海に全て沈む前に小夜子はさっくりとその生物を収納ボックスに回収する。太刀魚の他にもマグロも泳いでいるので、大きい個体を狙って適当に収納ボックスにしまいこんでから小夜子は沿岸の皇弟達の元に戻った。
「ただいま。またストックが増えちゃったわ。みんな、太刀魚とマグロ要る?」
皇弟の前で迂闊に声を出せない住民達だが、その顔が喜びに輝いていた。
「じゃ、何匹か置いてくわね。時間も丁度いいし、これからみんなでお昼はバーベキューにしようか!」
小夜子からバーベキューと聞いて住民達から控えめながら歓声が上がった。小夜子は海辺の集落の住民達と何度かバーベキューをしているので、その美味しさと楽しさを覚えている住民達は大人も子供もソワソワし始める。
「無理強いはしないけど、皇弟も良かったら一緒に昼食をどう?お菓子のお礼をするわよ」
「ありがたくご馳走になろう」
ジムとカリン以外の護衛がまたも目を剥いているが、ジムが指揮を取り皇弟の昼食の準備を始める。車のトランクから簡易のテーブルと椅子、テーブルクロスなどを護衛達は出し始めた。バスケットに収められた陶器の皿とカトラリーまで出てくる。
皇弟の世話は護衛や侍従達に任せて、小夜子はバーベキュー大会の指揮を取りはじめた。
「みんな、手伝ってくれる?家にいる家族も呼んできたらいいわよ」
皇弟が車の傍の椅子に腰かけた事で、住民達もそれぞれに動き始めた。
集まった住民達は総勢30名ほど。それぞれが役割分担してバーベキューの準備をしていく。
ポート町で使ったバーベキューコンロを10台程浜辺に並べて、仮設の調理スペースでは集落の女性陣に食材を切り分けてもらい鉄串にどんどん刺してもらう。丁度解体の終わったタコ、イカ、太刀魚、ジャイアントモールの塊肉などを小夜子は惜しみなく提供する。ソースは3種類ほど出し、好みで各自使ってもらう事にする。
ちなみに小夜子を捕食しようと海上に飛び上がったのは巨大ウツボだった。鑑定ではウツボの肉も美味いらしいが、下処理が面倒そうなので味見はまた今度にする。
スチュアート家の食事に不満はないのだが、小夜子は最近B級グルメに飢えていた。
バーベキューコンロとは別に仮設の竈を作り、小夜子は奥様方に指示を出しながらヒクイドリの唐揚げも大量に作ってもらった。ニンニク醤油がベースの小夜子好みの唐揚げだ。
ビールサーバーも3つほど設置して、住民達にも自由に飲んでもらう。子供と女性達にはジャグに果実水を用意した。
「サヨコちゃん、任務中だから飲めない・・・」
恨めしそうなカリン以下、護衛達、運転手と侍従にはお土産に缶ビールを2箱持たせる事にした。
住民達は皇弟の存在を忘れてしまったかのように、すっかり浜辺のバーベキューに夢中となり、非常に楽しそうに飲み食いをしている。子供達も突然のお祭り騒ぎにテンションが上がり、コンロの近くで走り回るのを大人達が首根っこを掴んで止めている。鉄板で麺を炒める焼きそばも好評で、小夜子が1山出した麺があっという間に無くなっていった。
小夜子が皿とビールジョッキを両手に持ち、皇弟の所に行くと、皇弟は白い皿にジャイアントモールの肉とイカ、タコが薄くスライスされた上にバーベキューソースが回しかけられた物をフォークとナイフで口にしていた。皇弟の横ではベテラン侍従が簡易の作業台の上で皇弟が次に食べる肉をナイフで薄切りにしている。
「匂いとか大丈夫?食べられそう?」
「・・・悪くない。屋外で食事を取るのは、内乱の平定時に軍を動かした時以来だな」
「10年程前の事でございますね」
ベテラン侍従に給仕されながら、皇弟は食事を進めている。飲み物は赤ワインだ。
同席を促されたので、小夜子は遠慮なく皇弟のテーブルに自分の皿とジョッキを置いた。
「それは何だ」
「ヒクイドリの唐揚げ。好きなの」
皇弟の後ろに控えているカリンが何とも悲しそうな顔をするので、ビールの他に唐揚げも手土産に付けてやる事とした。満面の笑みになったカリンは、顔に感情を出しすぎる事をジムに注意されている。
小夜子は唐揚げにかぶり付き、ビールジョッキを煽った。
「あーっ!!最高!!唐揚げとビールの組み合わせは至高だわ!!夏の浜辺で飲み食いするなんて、それだけで満点よね。美味しくない訳が無いわ!」
小夜子はジョッキを一気に空にすると、満足の咆哮をあげた。久しぶりの唐揚げと飲み慣れたビールは、小夜子の五臓六腑に沁み渡るようだった。
「それほどか」
「唐揚げとビールを楽しめないなんて、人生の半分を損していると思うわ。唐揚げとハイボールも捨てがたいけど」
「そうか、私も人生を損したくはないな。エミール、サヨコと同じものを」
ベテラン侍従が一礼して動き始める。
しばらくすると、もう一つの真っ白な皿に唐揚げが2つ、ワイングラスにビールが8分目程注がれた物が皇弟の前に置かれた。
小夜子的にはそれじゃない感が強かったが、ベテラン侍従の許容ラインがここだったのだろう。
皇弟はナイフとフォークで唐揚げを切り分け、一口食べる。唐揚げを飲み込んでから、皇弟はグラスのビールを一口飲んだ。
「うまい」
悪くないから旨いに皇弟の感想がランクアップしたので、小夜子もそれで良しとした。
「レモンを絞るとサッパリ食べられるのよ。これまた美味しいから」
準備の良い侍従のエミールはバスケットからレモンを取り出す。それからくし形に切り取ったレモンを扇形の絞り器に挟み、そっと皇弟の唐揚げにレモン果汁を振りかけた。その唐揚げを皇弟が口に運ぶ。
「これもまた味わい深い」
「お気に召して何よりだわ」
浜辺でバーベキューに参加して唐揚げとビールを飲み食いしても、皇弟は高貴な皇弟のままで小夜子はそれが可笑しかった。
「皇弟は庶民と食事をするなんて、初めてだったんじゃないの?」
「軍の指揮を取る時は平時と同じようにはいかない。一般兵と同じ場所で同じ食事を取る事もあった」
「皇弟って、橋とかダムを造る大臣じゃなかったの?」
「人手不足でな。軍の役職も兼務している」
「サヨコ、殿下は軍部の最高指揮官でもあらせられる。帝国内では将軍閣下としての認知が一般的だ」
後ろに控えているジムが補足する。
「帝国内はここ10年程落ち着いている。ゴウ国との緊張も緩和された。大将としての役目は終えたと言って良いだろう。これからは国の近代化を図り、有事にも対応できるように国力を上げる事に注力したいと考えている」
「そっか」
醤油を塗って焼いたダイオウイカを食べながら、小夜子は更にビールを煽る。
皇弟も唐揚げを更に所望し、ビールのグラスも取り換えられた。
皇弟はゆったりと食事を続けながら、笑顔弾ける住民達の様子も遠巻きに眺めている。その表情は柔らかく、孤児院の子供達を見る時と同じ顔をしていた。
「こうしてお前と食事を取るのは何度目になるかな。サヨコはいつでも思い切り良く食べてくれるが、所作が美しい。マナーをその場で使い分けていたのだな。ドレスを身に纏ったサヨコとの昼餐も良いが、今日のように唐揚げに齧りつき、ジョッキを煽る姿も見ていて気分が良い」
「ねえ、皇弟。私、帝国のSランク推挙を受けるわ」
「・・・・何?」
それきり言葉を失った皇弟を前に小夜子は楽し気に笑い、ジョッキに残るビールを飲み干した。
「さて、あんまり飲むと眠くなっちゃうからこの辺でやめとくわ。皇帝の食事は十分取れたかしら?ジム、あんた達をどこまで送ったらいい?王宮まで?」
「・・・予定が押している。王宮まで送ってもらえると助かる」
皇弟は絶句したまま、まだ言葉を発せずにいる。鉄面皮のジムですら動揺を隠しきれずにいて、カリンの口は案の定開きっぱなしになっている。衝撃が大きすぎたのか呆然としたままの皇帝は、とりあえず護衛達によりそのまま車の後部座席へと押し込められていた。
小夜子は後片付けを住民達に任せ、皇弟一行を王宮へと送った。




