小夜子と帝国の黒い至宝 4
スチュアート家に王宮から小夜子宛の書状が届いた。
バラと剣を背負った獅子の真っ赤な封蝋はヴァンデール帝国皇帝からの書状だった。皇弟から依頼されていた条約締結の立ち合いの依頼であった。
立場としては冒険者の小夜子が望まれているので、ドレス姿ではなく黒づくめのいつもの冒険者スタイルで小夜子も支度をする。
4度目になる王宮には迎えの車も断り、小夜子は転移で出向く事とした。
まずは皇弟の元を訪ねるようにとの指示に、小夜子はスチュアート邸から一息に皇弟の執務室へと飛んだ。
「皇弟、おはよう」
小夜子が皇弟の執務室に飛ぶと、皇弟の前で話をしていた男が軽く飛び上がった。
「おはよう、サヨコ」
小夜子は居合わせた男に構わず、勝手に応接セットのソファに座る。何度か顔を合わせている侍従も黙って小夜子に薫り高いコーヒーを出してくれる。飛び上がった男は話を切り上げて、皇弟に一礼後退室していった。
「話し中に悪かったわね」
小夜子は一応言葉ばかりの謝罪をして、コーヒーを口にする。
「いや、構わない。今日はよく来てくれた。基本は条約締結の際に帝国側に居てくれるだけでいい。ゴウ国側がお前に何の用事があるのか、そこは相手の出方次第でこちらも考える。だが、サヨコが嫌だと思う事は拒否してくれて良い」
「それで良いの?」
「ああ、我が帝国はサヨコとスチュアート家との友諠に今回浅ましくも便乗させてもらう。スチュアート家が帝都にある限り、小夜子の庇護が受けられるなら、国としてスチュアート家にも報いねばならんな」
「スチュアート家はこれまで通りでいいって」
この話も何度も上がっているのだが、金も地位もあるスチュアート家は更に爵位を上げるとなると公爵家しかないのだ。
「公爵家は面倒で嫌だってジェイムズは言ってたわよ」
本当は、ジェイムズはもっと歯に衣を着せていたのだが、小夜子が伝えるとこのような事になる。
小夜子の対面に移動した皇弟は喉で笑いながらコーヒーを口に付けた。
「相手を喜ばせるにはまず、相手を知らねばならない。当たり前の事であるのに、この年になって私はやっとそれを理解した。スチュアート家が嫌がる押し付けはしない」
「そうしてあげて」
小夜子がコーヒーを飲む様を、皇弟は頬杖を付き無言で眺めている。
「・・・サヨコは、ライアン・スチュアートとはどのように知り合ったのだろうか」
「マルキアで出会った日にアップルパイをくれたの。美味しかったわ」
「そうか、それから?」
「それだけ」
頬杖を付いたまま皇弟は目を閉じる。
「サヨコは、花は何が好きだろうか」
「ええ・・?強いて言えば、薔薇は普通に奇麗だと思うけど。皇弟の執務室にもいつも薔薇が飾られてるわね。好きなの?」
「薔薇は国花だからな。花は好きでも嫌いでもない」
「何それ」
人に花の話題を振っておいて自分は花に興味が無いとは。まあ強いて言わねば好きな花が出てこない小夜子も花にはそれほど興味ないのだが。
思わず小夜子が笑えば、皇弟も目元を緩めながらコーヒーを口に運ぶ。
紆余曲折あったが、何かと顔を合わせる機会のある小夜子と皇弟は雑談が出来る位には関係改善がされた。
他愛無い話をしている内に侍従が時間を告げ、小夜子と皇弟は条約締結を行う宮殿の大広間へと向かった。
大広間へと正面入り口から皇弟が足を踏み入れれば中央の赤絨毯を挟んで右に帝国側、左にゴウ国側の者達が分かれている。広間の正面扉から奥に進むにつれて身分が高くなるようで、小夜子は皇弟の後ろに続いて中央の赤絨毯を奥へと進んでいく。
途中でゴウ国側に使節団のワンを含めた信号トリオが並んでおり、小夜子に土下座をしていた。それに構わず通り過ぎて一番奥へ皇弟が、その手前に小夜子が並び立つ。小夜子の隣には先ほど皇弟の執務室にいた男がおり、小夜子に黙礼をする。聞けばその男は帝国宰相であるらしく、皇弟の隣に立つべき人物だったが、今回はゴウ国から小夜子が立ち合い指名を受けているため小夜子が宰相より上の立ち位置となるそうだ。
小夜子と皇弟が帝国側に並んだ後、左右後背の扉が開き、この度の条約締結においての両国の最高責任者が会場に入場した。
帝国の最高責任者はもちろんヴァンデール帝国皇帝となる。
ヴァンデール帝国の皇帝は輝くハニーブロンドの長髪と煌めくエメラルドの瞳を持つ美しい男だった。金糸銀糸で装飾された煌びやかな純白の軍服に身を包んだ皇帝は、漆黒のマントをたなびかせ颯爽と歩いてくる。美しい光沢を見せるあのマントがクロイワヤギのマントなのだろう。皇帝の見た目は若々しく、皇弟の方が兄と見紛うほどである。皇帝はちらりと小夜子を目にとめ、小夜子に小さく笑顔を見せた。第一印象は皇弟の数倍良い皇帝であった。
対して、ゴウ国の最高責任者は、金銀の刺繍がされた濃紫の長衣を翻しながらヴァンデール帝国皇帝の前まで悠々と歩を進めてきた。
小夜子はその男に見覚えがあった。港では、男はもっと簡素な服を身に付けていたが長衣の色は同じく紫だった。
男の方も小夜子を認めて笑みを深めた。
両国の条約の締結と調印式は時間通りに始まり恙なく終わった。
条約締結にやって来た紫の長衣の男はゴウ国の王太子だった。
使節団に紛れて帝国までやって来て、使節団は王宮に送り込みながら自身は何をしていたのかと思うが、王族という物は呼吸をするように本心を隠し周囲を欺く生き物なのだろう。
無事両国の和平条約は締結されたが、小夜子はまだ王宮に留まっていた。
ゴウ国の王太子が小夜子との対話を望んだからだ。条約締結式の顔見せだけで事が足りたと思いたかった小夜子だったが、ゴウ国側がそれで満足してくれなかったので仕方がない。
別室が用意され、小夜子はゴウ国の使者達と面談する事となった。
その茶会には帝国側からは皇弟が参加する事となった。
ゴウ国の使者達の中には、ワン達を含め小夜子が護衛を請け負いゴウ国に送り届けた者達がチラホラと居る。その総勢10人ほどが応接室のソファに座る小夜子の前に額づく勢いで代わる代わる挨拶をし、挨拶が終わった者から静かに退室していった。
残されたのはテーブルについている小夜子と皇弟、その対面に座る王太子、そして護衛達のみとなった。
「ゴウ国からの挨拶はこれで終わりでいいのかしら?」
「ああ。これからの時間は私と是非交流を深めて欲しいな、サヨコ」
ゴウ国の王太子、ゴウ・シンユーは片時も目を離さずに小夜子を熱く見つめ続けている。
「失礼。シンユー殿はいつサヨコと知り合われたのかな?」
「この人、使節団に紛れて帝国に来てたのよ。港のダイオウイカ騒ぎの時も居たし、もちろんゴウ国の使節団を私が送っていった時も船に乗っていたでしょうね」
小夜子に出会った時期をバラされても王太子は悪びれる様子もなく笑っている。
「私の息抜きのお忍び旅行だよ。帝国には誓って他意は無かった。王太子の重責から逃れたくなる時もあるんだ。アレクシス殿ならわかってくれるだろう?」
「無事に和平条約が結ばれて幸いだった。今回だけはそういう事にしておこうか」
「お目こぼし感謝するよ」
皇弟の言葉に軽やかに笑いながら王太子シンユーは皇弟に礼を言う。今日が初対面の2人であるが、シンユーは非常に陽気で社交的な王太子で、迫力のある美丈夫の皇弟に対しても全く物おじせずに会話を楽しんでいる。
「サヨコ、君にまた会えて嬉しいよ。私はあれから君の雄姿が目に焼き付いて離れないんだ。君はなんと勇ましく、美しいのだろう。君の命の躍動が私には輝いて見えたよ。サヨコ、私は君が欲しい」
「はあ?」
シンユーは陽気で物怖じせず、非常に直情的な男だった。
「君が私と共にゴウ国に来てくれるなら、きっと私の人生は退屈とは無縁の素晴らしいものになるだろう。君と一緒ならどんな困難もきっと乗り越えられる。サヨコ、一生君を大切にする。君が望むものは全て与えよう。私と一緒にゴウ国に来て欲しい」
「断る」
対して、小夜子は本能と反射で魔獣とも人ともやり合ってきた。直情的な気質なら負けていない。シーユウに対する小夜子の感情は気に食わないの一言だった。
「いったい何が足りない?私は容姿もそれなりに優れていると思うし、ゴウ国の王太子だ。地位も名誉も富も、君が望む物を何でも私なら用意できる」
「金と地位があって顔と体の良い男なんて、私の隣にも居るわよ。私が望む物は全て自分で手に入れるからご心配なく。男の庇護を受けて男の言いなりになる人生なんて私はごめんだわ」
「見目をお前に褒めてもらえたのは初めてかもしれんな。光栄なことだ」
小夜子とシーユウのやり取りを止めもせずに聞いていた皇弟は、自分を引き合いに出されても気分を害すことも無くゆったりと紅茶を楽しんでいる。
「アレクシス殿は随分と余裕だな。私がサヨコをゴウ国に連れて行っても構わないのかな」
「余裕なわけでは無いが、私は貴殿よりも多少はサヨコの事を知っている。少なくとも今、サヨコはゴウ国に行かないと分かっているだけだ」
それきり皇弟は口を閉ざした。
シーユウは金、宝飾品、妃の身分と手を変え品を変え小夜子の気を引こうとするが小夜子が食いつく事は無かった。
「もうそろそろ話を終わりにしてもいいかしら?」
話に飽きた小夜子はだいぶ機嫌が悪くなっていた。小夜子の一段低くなった声に、さすがにシーユウもそれ以上の言葉を重ねられず黙る。
「あんたにはしっかりと理解してもらいたい事がある」
小夜子はソファの肘掛の上で頬杖を付き、シーユウをじっと見据える。ただそれだけで、シーユウは椅子に縫い留められたように身動ぎ一つできなくなった。
「私がこの席に着いたのは帝国に頼まれたからよ。あくまでも今回の条約締結を強固にする為にね。帝都には私が守りたいものがある。だから私も帝国とゴウ国との和平を望んでいるの。ゴウ国が大人しくしている限りは私もゴウ国に手は出さない。けれども、もしゴウ国が帝国に、帝都に手を出すなら私が相手になるわ。その時は、あんたが絶賛してくれた私の武勇を、ゴウ国本土で存分に振るってあげようじゃないの。その時は国民の被害が最小限になる様に、ゴウ国の王城で破壊の限りを尽くすわ。私がゴウ国の物になる事は無いし、帝国がゴウ国の物になる事もない。帝国には私が居る。だからあんた達は妙な気は起こさない事ね。帰ったらゴウ国の王によく言っといて」
小夜子が一息に言い終えてシーユウから目線を外した時、シーユウの体も自由を取り戻した。無意識に呼吸すらも止めていたようで、呼吸の乱れを悟られないようにシーユウは静かに深呼吸を繰り返す。顔の汗を止める訓練をしていたおかげで、涼し気な顔は保たれていたが、背中には小夜子の圧を受けて冷や汗が噴き出していた。
「ははは。サヨコ、そんなに脅かさないでくれ。帝国には喧嘩をするために来たわけじゃない。ゴウ国と帝国は今日この日に友好国となったんだ。サヨコとも是非仲良くさせてもらいたいと思っただけだ。しかし、しつこくしてサヨコに嫌われてはいけないな。私はそろそろこれで失礼する。アレクシス殿、今後ともよろしく頼む。帰国までの数日、帝都を楽しませてもらおう」
「帰国までゆるりと過ごされよ。あと数回催しもある。滞在の間、両国の交流を深めさせてもらいたい」
結果として小夜子との交渉が決裂したシーユウだが、来た時と同じくにこやかに退室していった。
来賓室へと戻るシーユウは汗に濡れる衣を厭わしく思いながらも、口元には笑みを浮かべたまま宮殿の廊下を進む。シーユウには2人の護衛が付き従っていた。
「あの小娘、我らが王子になんたる態度。少し懲らしめますか」
「阿保が」
シーユウに付き従う護衛がシーユウの耳元で囁くが、シーユウは護衛を黙らせる。
「山猫と侮って近づけば、喉元を食い破られて死ぬぞ。あれは、見た目は可愛らしいが獰猛な大老虎だ。俺は最初に下手を打った。今日俺は、あの大老虎に軽蔑されて嫌われただろう。だが怒りを買うより数倍マシだ。いやはや、恐ろしい目に遭った。過ぎたる興味は身を亡ぼすとはこの事だな。俺はあの大老虎には今後絶対に近づかんぞ」
今頃になってシーユウのこめかみから顎に冷や汗が伝い、鮮やかな長衣にポツリと染みを作った。
どんな場面でも常に泰然自若としているゴウ国の王太子が、今冷や汗で顔を濡らしている。そのようなシーユウを初めて見た護衛は、それからは口を開くことも無く主に付き従った。
それからゴウ国の使節団は王太子以下、粛々と外交行事に参加し、型通りに帝国と交流を深め、再び2週間の航路を取りゴウ国に帰っていった。
小夜子が王太子の滞在中にゴウ国の使節団に声を掛けられる事は二度となかった。
シーユウの退室後、応接室には小夜子と皇弟、ジムとカリンと侍従達が残された。
「・・・感謝する」
「何が?」
残りのケーキに手を伸ばしていた小夜子は皇弟の言葉に首を傾げた。
「スチュアート家の為とはわかっているが、正直ああまで帝国の肩を持ってくれるとは思わなかった。嬉しく思う」
「ああ、ゴウ国からしたら帝都も帝国も区別付かないでしょ。スチュアート家は沿岸にも領地を持っているっていうから、戦争になったら真っ先に危ないしね。それに帝国の人達はみんな親切で優しい。だから帝国の人達がこのまま変わらずに暮らしていけたら良いなって思っているわよ」
「そうか」
そう言いながら皇弟は自分の手付かずのケーキを小夜子に差し出す。
「いいの?」
「ああ、私は甘い物は苦手だ」
「じゃあ遠慮なく」
皇弟の侍従がさっと小夜子に新しいコーヒーを用意する。
「私、後は適当に帰るから、皇弟も仕事に戻ったら?」
「ゴウ国の滞在中は外交が優先だ。今日の予定は全て終わった」
「ふーん」
それから小夜子がケーキを食べる様子を皇弟が見守るという、不思議な時間が流れていった。
「・・・殿下。そういえば、孤児院の照明の取り付け工事が始まったと報告が上がっております」
ジムの言葉に小夜子がケーキから顔を上げた。
「照明って、私があげた畜光石の事?」
「そうそう!サヨコちゃんの光る石!どんな風に使われるのか、興味ない?良かったら見に行ってみない?」
小夜子達の背後に控えていたカリンが前のめりに提案してくる。
小夜子の今日の予定はもう特に無い。午前中からの条約の締結式と、シーユウとの面談も終わり、時刻は昼に差し掛かっていた。
「殿下。教会にはパズルカ司教もご滞在中です。孤児院の視察も兼ねて中央協会に立ち寄られてはいかがでしょう」
しばしの思案の後、皇弟は小夜子に提案した。
「サヨコ、お前から寄付された畜光石だ。良かったら施工現場を見に行くか?私もしばらく教会には足を向けていなかったので丁度いい」
「いいわよ。今日の用事は片付いたし」
小夜子は孤児院と教会への同行を承諾した。
その後皇弟のベテラン侍従から是非にと誘われ、小夜子は皇弟と昼食を取り、皇弟と一緒に教会に向かう事となった。




