小夜子と帝国の黒い至宝 1
前世は悔いの多い人生だった。
だから今世では思うままに生きるために、思いつく限りの力を手に入れたのだ。しかし、なかなか今世も小夜子の思う通りにはいかない。
何故なら行く先々で数々の出会いがあり、その人々がそれぞれの想いで小夜子と関わってくるからだ。
人と関り合う限り、人生はままならないものなのである。
「Sランクの件は断ったでしょ!」
司教がコルネリア大公国から小夜子のSランク認定の為にやって来るなど寝耳に水だった。
「そうだな。だから私は誓って何の話も進めていない。この件に関しては先方が勝手に帝都までやって来たのだ。パズルカ司教はレオナルド大司教から預かった手紙をお前に渡したいそうだ。何か心当たりはないのか」
「手紙?」
レオナルド大司教は、コルネリア大公国のラスボスでライアンの友達だ。
小夜子は逃げる様にライアン達と別れたので、小夜子と大司教は直接挨拶もしていないのだが。
「薬の礼状だそうだ」
「あっ」
小夜子は思い出した。
小夜子はライアン達との別れ際にシンシアに黄角の欠片を渡したのだった。小指の先ほどの小さな欠片で、小夜子としてはライアンへの軽いサービスのつもりだった。
「何やら心当たりがあるようだが、パズルカ司教は帝都の中央協会で長年司教を務められたお方だ。10年ほど前に大公国にお下がりになったのだが、こちらとしても丁重に対応をしたい。司教は少し体調を崩されているそうで、できればサヨコには教会まで訪ねて来て欲しいそうだ」
「パズルカ司教はすでに70歳を越えられたのではなかったでしょうか。すくなくとも私の父よりは年上だったはずだ」
その年で長旅をするなど、なんと無茶をする爺なのだ。
「わかったわよ。手紙をもらいに行ってくるわ」
「サヨコ、Sランクの推挙に関しては国としても望む所なのだが。お前の国への貢献は大きいぞ。気が変わったらいつでも言ってくれ」
「変わらないってば」
小夜子がブレずに断れば、皇弟は楽しそうに喉で笑っている。
機嫌をいつの間にか持ち直した笑顔の皇弟と別れ、小夜子達はスチュアート邸に戻った。
帝都ゴールドブリッジの中央教会は、スチュアート邸とそう離れてはいなかった。
司教に会うために先触れを出し、皇弟と会ってから3日後に小夜子は中央協会に向かった。
「スチュアート家も商会も新年を迎える時と夏に寄進をするんだ。こちらも用事があったから丁度良かったよ」
今日はパーシーが小夜子に付き添い、教会まで一緒にやって来ていた。
帝都の中央協会は純白の大聖堂で、外観も素晴らしいが礼拝堂のステンドグラスも非常に美しく見応えがあった。計算された色鮮やかな光の乱反射に小夜子はしばし見惚れた。その間にパーシーは礼拝堂で祈りを捧げ、それから礼拝堂の隣室で寄進の受け渡しを先に済ます。
先触れは出しておいたので、その後は聖職者の案内に従って小夜子とパーシーはパズルカ司教が待つ応接室へと移動した。
通された部屋には、立派な白髭を蓄えた老人が待っていた。たっぷりとした純白のガウンと白髭に埋もれながらソファに座っているその人物がパズルカ司教だった。
「パズルカ司教にお目通り叶いましたこと、大変光栄に存じます。パーシー・スチュアートと申します。」
パーシーが挨拶をすると、パズルカ司教はニコニコと笑いながら手招きをする。
「な、なにか・・」
戸惑いながらパーシーが近づくと、もう少し近くへと更に手招きをする。身を屈めてかなり司教の上半身へ近づいたところで、司教はパーシーの頭をおもむろに撫で始めた。
「・・・・」
司教の行動を止める訳にもいかず、パーシーは身を固めて司教の好きに撫でられ続けた。
「善哉、善哉。良い行いは聖ハイデンもご覧になっている。良い行いはその肉体に良い魂を宿す。そのまま清き魂を持ち続けなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
美しいブロンドの巻き毛を好き放題にかき混ぜられてから、パーシーは司教から解放された。パーシーの撫でつけていた髪は、フワフワの鳥の巣のようになってしまった。それはそれで可愛らしいと小夜子は思うのだが、パーシーは頬を染めながらしきりに髪を後ろに撫でつけ直している。司教は少し変わった人物のようだ。
「やあ、君が冒険者のサヨコかな」
「そうよ」
司教が笑うと笑い皺がぐっと深くなり、目は弓なりの一本線になってしまう。
「私はコルネリアから来たパズルカ・ヘイスティングズだ。やっと君に会えたなあ。まずは一緒におやつでも食べて交流を深めようじゃないか」
そう言って笑うパズルカ司教の両頬は桃色に輝いているが、血色が良すぎはしないか。
小夜子が司教を鑑定すると、健康状態に心疾患の表記があった。
小夜子は断りもなく司教に治癒魔法をかける。
「ほう」
驚きに司教が声を漏らす。
やわらかい緑の発光が収まり、魔法にそよいでいたクルクルの白髭もふんわりと司教の胸元に着地した。
「まったく、最近知り合う爺さん達は揃いも揃ってみんな心臓を悪くしているんだから!」
「まあ、年を取ったら大抵みんな心臓を悪くするものだよ」
治癒魔法は初めて見たパーシーだったが、小夜子なら何でもあるのだろうと小夜子の非常識さにはすっかり麻痺している。
大きく目を見開いた司教は、皺の向こうから緑の瞳が覗いていた。司教は自分の体を確かめる様にそうっと胸を中心に触っていく。
小夜子は司教の健康状態から病の一切が消えた事を確認してパーシーの隣に座った。
「サヨコ、確認だが。今のは治癒魔法かな?」
「そうよ」
小夜子の返事に、ソファに埋もれる様に司教は身を沈めた。
「ううん・・・。コルネリア大聖堂の筆頭聖女よりもはるかに強い聖魔法じゃないか。これはいったい、どうしたものか」
「どうもしないでいいわ。私は聖女になる気はないの。冒険者の身が性に合ってる。ガルダン王国の生臭坊主みたいに無理やり教会に押し込めるってんなら、大暴れしてやるわよ」
「そんな事、するものか」
ガルダン王国の名前を聞くと、再び司教の瞼がクワと勢いよく持ち上がった。
「ガルダン王国の生臭坊主とは、元ブラッドレー教区司教のドミニクの事かな。あの者は、教会の威信を大いに貶める恥ずべき行いをした。ガルダン王城内で騒ぎを起こし、その他にも聖女の扱いにも問題があった。ドミニクはコルネリアに呼び戻された上に辺境の教会で、無期限で下働きをする事となった。大司教から慈悲が与えられ破門だけは免れたんだ。罪は許されないが人を許すのが聖ハイデンの教えだからね。非常に腹立たしいが、まだドミニクは教会の所属なのだよ」
「ふうーん。あの司教、破門の焼き印は消えたの?」
「・・・サヨコ。何故焼き印の事を?」
「だって、私があいつに焼き印を押したから」
司教の垂れ下がった瞼が驚きにまたも大きく持ち上がる。パーシーもサヨコの隣で口が開いてしまった。パズルカがドミニクの焼き印を認識していた事からも、ガルダン王都教会の聖女はドミニクの焼き印を消しきれなかったのだろう。
「私、あの騒ぎの場に居たのよ。あの司教、子供を盾にして私に焼き印を押し付けて来たからお返ししてやったの。自業自得でしょ。それとも私、教会に罰せられたりする?」
一応聞いてみたものの、聖ハイデン教の信徒でもない小夜子は教会から罰を言い渡されようが相手にする気もないのだが。
「そんなバカな。君を罰するなど私の名に誓ってしない。ガルダン王国からもドミニクの非道への抗議は届いていたが、それだけだよ。お茶を楽しみながら聞く話ではないかもしれないが、その時何があったのか詳しく教えてくれないだろうか」
それから小夜子は司教の用意したパンケーキとクリームとイチゴの可愛らしいトライフルを楽しみながら、あの日ガルダン王国であった事を司教とパーシーに話して聞かせた。
司教とパーシーはすっかり食欲を無くして、スプーンを下に置いている。
「はあ・・・。そんな事が。ガルダン王国は聖ハイデン教会がいくつかあるが、国内の移動に車も使えないし、本部の目がなかなか行き届かないのだよ。しかし、ガルダン王国内の教会へ1度監査を入れるべきかな」
パズルカ司教は話を聞き終わって、まるで空気が抜けたかのようにゆったりとしたガウンに更に深く埋もれてしまった。
「特別王都が変だったのかもしれないけどね。辺境の教会には親切な聖職者もいたわよ」
「ガルダン王国って、なんか独特だね」
パーシーに言わせればこの一言に尽きるらしい。
ガルダン王国は貴族に対して庶民の身分は著しく低い。この庶民の中には、農民、職人、商人、冒険者等が含まれる。商人の中でも貴族相手の大店の主人は一般庶民の上に位置付けられる。貴族を相手にする商会等が、庶民に対し自らが貴族の様に振舞う場合もあった。
その貴族達と同等、若しくはそれ以上に権力を持っていたのが王都の中央協会だった。司教のドミニクは王でさえも自分に従わせようとしていた。そして王も周囲の貴族もそれに歯向かえなかった。そして王族と貴族の更に下に置かれていたのが冒険者ギルドだった。その状況が健全だったのかと言えば、パズルカ司教が顔を顰めている様子からも違ったのだと知れる。
ヴァンデール帝国は、身分制度はまだ残っているがガルダン王国ほどの貴族至上主義ではない。貴族であっても犯罪を起こせば軍に拘束され司法の元に罰せられる。今日初めて訪れたが、帝都の中央協会も適正な運営がなされていて国政に干渉する事などない。もちろん信徒を良いように虐げることも無い。
国と教会はお互いを敬い、国民を導く存在であろうとしている。
「ガルダン王国って、小夜子にとってどんな国?」
パーシーに問われて小夜子は少し考える。
「国の体制は嫌いだった。けど、付き合って楽しい人達も沢山いたわ。あとはね、温泉が最高よ」
「へえ、僕温泉は入った事ないよ」
「コルネリアには平地に温泉が湧いていて、広大な露天風呂があるのだよ。国民に人気の公衆浴場になっている」
「「へえー!」」
小夜子は元から礼儀作法を気にしていないが、頭をぐしゃぐしゃにされて心理的に垣根が低くなったのか、パーシーも随分司教に気安くなっていた。話の途中で元司教のドミニクと混同されて嫌だと言い出し、小夜子とパーシーは名前で呼ぶ事をパズルカに許された。
「あ、そうそう。忘れる所だった。サヨコ、大司教からの手紙だよ」
本題を忘れてもらっては困るが、思いの外会話が弾み、小夜子もお目付け役を仰せつかったパーシーすらも大司教の手紙を忘れかけていた。
美しい透かしの入った封筒を小夜子が開けると、中には便せん5枚にも及ぶ長文の手紙が入っていた。しかも大司教は非常に達筆で小夜子には読み辛く、パーシーが小夜子とパズルカの前で大司教の手紙を読みあげる事となった。
そしてパーシーが長文を読み終えて、小夜子はどうしたものかと悩む事となる。
手紙の内容は友人のライアンと再会させてくれた事への礼、黄角の礼、そして小夜子をSランク冒険者に推挙したいという物だった。
なんとパズルカは大司教の代理だったのだ。
ちなみにパズルカは帝国帝都に向けて出立する際、大司教から薬を2包渡されていた。胸が苦しくなったらすぐに飲むように言われていたが、パズルカは旅のお守りとして後生大事に持ち歩き、今日まで大切にしていた。明らかに黄角の薬包だったので、小夜子はすぐさまパズルカに1包飲ませた。
5枚にもおよぶ大司教の手紙の、その想いの重さに、パーシーも考え込んでしまっている。
パズルカはコルネリア大公国教会本部のNo.2で、レオナルド大司教の右腕とされる人物だった。しかも高齢且つ持病を抱えているパズルカを、それでも帝国帝都まで送り出した。レオナルド大司教の本気が伺えるというものだった。
「・・・サヨコ、これは断れないんじゃない?」
「サヨコ、私は是非教会からのSランク推挙を受けてもらいたい。サヨコは少し元気が良過ぎるが、良き魂をもつ良き冒険者だ」
「うううーん」
大司教もパズルカも一片の曇りもない善意からのSランク推挙である。
しかし、国とのしがらみが発生する事がどうしても嫌だと思ってしまう。やはりガルダン王国での出来事が尾を引いてしまっているのだ。
懊悩する小夜子を眺めていたパーシーは、小夜子が目から鱗が落ちるような事を言った。
「あのさ、やっぱりガルダン王国は変だよね?」
「え?」
「私もそう思う。ガルダン王国では国際ルールが軽んじられている。冒険者ギルドの立場が弱すぎる。貴族はもちろん、王族といえどもギルドの運営に口を出す権限はないのだよ。まあ、ガルダン王国の国政に不当に干渉していた教会の人間が偉そうに言えた事ではないがね」
更にパーシーの意見にパズルカも賛同したのだ。
「サヨコは、国に紐づけられたくないとか言ってたでしょ。比喩なのかと思っていたんだけど、ガルダン王国の話を聞いて驚いた。ガルダン王国ではSランク冒険者を臣下の様に扱う事がまかり通っていたんだね。でもそれはガルダン王国以外では通用しない。Sランク冒険者は国境を越えて世界に認められる英雄だよ。Sランク冒険者を推挙できるのはその国にとっての名誉。そして、推挙したからと言ってその国がSランカーを好きに出来るものじゃない。教会もSランク冒険者を下に見ていたみたいだし、ガルダン王国は本当に変な国だね」
「え・・・?そう?ガルダン王国が変なの?」
異世界で初めて降り立ったのがガルダン王国で、他国の知識もなく、比較対象もなかった。それゆえに小夜子はガルダン王国に対して好意を持つ事もなかったが、違和感も感じる事も無かった。
「サヨコ、一度冒険者ギルドにSランク冒険者について確認したらどうだろう。きっとサヨコの心配事は解決するはずだ。そうしたら、是非教会からの推挙を受けて欲しい」
小夜子はパズルカのSランク推挙の件を断る気満々だったのだが、思わぬ方向に話は転がっていく。
本当に人生はままならないものなのだ。




