帝都ゴールドブリッジ 4
ずるずると帝都の滞在期間が延びていた小夜子であったが、ある朝早く、ジェイムズに呼び出された。
惰眠を貪る事を至福とする小夜子を、普段であればスチュアート家の面々は好きにさせてくれるのだが、その日に限ってはエリザベスの侍女が小夜子を起こしに来た。
ジェイムズが待っていると言うので、顔だけは洗っていつものスッピン黒づくめスタイルでジェイムズの待つサロンへと小夜子は向かった。
「サヨコ、朝早くに起こして済まないね。まずはコーヒーか紅茶はいかがかな」
「・・・コーヒー」
ジェイムズの対面に小夜子が座ると、執事が小夜子の前にコーヒーを置きジェイムズの後ろに下がった。
コーヒーを飲みながら小夜子が眠気を覚まそうとしていると、向かいでジェイムズが微かに眉間に皺を寄せていた。
「ジェイムズ、どうかした?」
まだぼんやりとした表情のまま尋ねてくる小夜子に、ジェイムズはフッと笑う。
「サヨコ、今朝の朝刊なんだが、まあ見てくれるかな」
ジェイムズは小夜子の前に新聞を置いた。
小夜子は目の前の新聞を取り、おもむろに広げる。それを見た小夜子の両手に思わず力が入り、執事がアイロンをかけた皺ひとつない新聞が無残な事となった。
しばらく新聞を見ていた小夜子は、ばさりと新聞をテーブルの上に戻すと、椅子の背もたれに体を預けた。
「サヨコ、この記事に心当たりはあるかな?」
「・・・ある」
新聞の一面記事にはホオズキダイオウイカをホールドし、空中で感電させている小夜子が写っている。引きの写真では小さな小夜子と大きなイカとの対比が表され、寄りの写真には小夜子の顔がはっきり写っている。1匹目のダイオウイカから船員達を助けている最中の場面で、現場に指示を飛ばして雄々しく叫んでいる小夜子の顔がアップで掲載されているのだ。
見出しは「現代に蘇る偉大なる魔法使い 軍港を救う」と踊っていた。
さらに裏の二面には、ベルトレイクダムの写真が掲載されていた。
ベルトレイクでの事は時間も経ちすっかり忘れていたのだが、なんと現場に新聞社のカメラマンと記者が居たらしいのだ。
二面には「魔法使い 巨大ダムの崩壊を防ぎ人々を救う」と大きく見出しが出ている。
写真は宙に浮いた小夜子がベルトレイクダムに手を翳している場面と、観光施設から人々を救い出し宙を飛んで運搬している場面、瓦礫の山となった観光施設に手を翳し、宙に浮かんだ小夜子が修復をしている途中の瓦礫が飛び交う場面、最後に修復したダムに勢いよく注水して大量の水を戻している小夜子も写っている。
「全部撮られてるじゃない」
ベルトレイクでの小夜子のやらかしの全てが写真に収められ、全てが新聞に掲載されていた。写真と合わせてその現場に居合わせた人々のインタビューも掲載されている。軍港で救出された男性のインタビューの他、二面には長年患っていた持病まで治癒魔法で治った男性のロングインタビューが載っている。
「新聞社では魔法使いの行方を追っているそうで、情報提供を呼び掛けている。この新聞が帝都と近隣の街で今朝配られている。辺境になると1週間とか1カ月遅れになる。帝国で1番の発行部数を誇る新聞社だ。どれほどの人数がこの新聞を目にする事か」
「うわー・・・」
軍港に行った日の翌日から小夜子はスチュアート家に引き籠っていた。その間、多分新聞社は小夜子の行方を追っていたのだろうから、幸いと言えば幸いだったが。
「それと、サヨコに呼び出しがかかってしまった」
ジェイムズがそっと小夜子に手紙を差し出してきた。
裏を返せば真っ青な蝋印が押されている。
「皇弟殿下の印だ」
「うわあー・・・」
前回の呼び出し状は帝国国防整備部門から出された物だった。結果としては皇弟の呼び出し状と変わらない物ではあったが、今回は更に直接的な皇弟からの招待状だった。
小夜子は再びソファの背もたれに倒れ込んだ。
「もう会う事はないと思ってたのに。招待要らないんだけど」
「・・・サヨコが望まないのならば、スチュアート家の総力をもって皇弟殿下に抗って見せるが」
「え、待って。大丈夫。ちょっと嫌だな位だから!」
ジェイムズが笑みを消して真剣な顔で言い出すので、小夜子は慌てて抗う気になっているジェイムズを止める。国に仕える貴族が皇弟に歯向かってはいけないだろう。何のしがらみも無い小夜子だから、王族を敬わず、ため口だって利けるのだ。
とにかく封蝋を外し、小夜子は手紙を開いてみる。
「・・・今後について相談したいんだって。今日の昼前に迎えを寄越すって」
「皇弟殿下と昼食をご一緒する事になるな」
「うわあー!」
小夜子はソファの上でゴロゴロと転がりながら、込みあがって来る感情をどうにか散らす。怒りか嫌悪か今の所その感情は判明しない。
「面倒臭いいぃー」
「行く気があるのなら、朝食後にエリザベスの侍女を付ける。ドレスアップをして行っておいで。それから、夕刻には必ず我が家に帰ってくるように。王宮に泊まるなんて話になったら、ルシアンを迎えに行かせて何があろうと君を我が家に連れ戻すぞ」
「その際はお迎えに上がります」
ジェイムズの後ろでスチュアート家敏腕執事のルシアンが一礼する。
「そんな大げさにしなくても大丈夫よ」
「ルシアン、これだよ」
ジェイムズが後ろを軽く振り返ってルシアンをみれば、ルシアンは困ったように眉尻を下げ小夜子に微笑む。
「相手は生涯独身を宣言している殿下だし、殿下の駆け引きがサヨコに通用するとも思えないが、サヨコが気付かぬ内に外堀を埋められる可能性は大いにある」
「ジェイムズは何の心配をしているの?」
「嫁入り前のサヨコの貞操と世間体だよ。父にも責任を持って面倒みる様に言われている」
「私、生娘じゃないけど」
これにはジェイムズも言葉が出ず、しばし固まった。
「・・・・僭越ながら、ご説明させていただきます。サヨコ様は大変お美しい。その異国の血を感じさせる繊細なお姿は、誰しもが心を惹きつけられます。それは皇族の方々であっても同じことでしょう。サヨコ様がたとえ人妻であろうとも、子を持つ母であろうとも、その輝きは損なわれるものではございません。サヨコ様に魅せられた者はなんとしてでもあなたを手に入れようとするでしょう。サヨコ様の人知を超えた魔法の力もさることながら、あなた様自身にも非常に価値がございます。皇族のどなたかがサヨコ様を気に入り、囲ってしまわれる事をジェイムズ様は危惧しておられるのです。王宮には皇帝陛下の後宮もございますゆえ」
機能停止したジェイムズの後ろから、ルシアンが大真面目な顔で小夜子を諭す。しかしその内容に小夜子はイマイチピンと来ない。ガルダン王国ではそこそこ男達にちょっかいを掛けられていた小夜子だが、帝国の美人の基準から小夜子はどうも外れているらしいのだ。
納得のいかない顔をしている小夜子にジェイムズも畳み掛ける。
「サヨコ、自覚をして危機感を持った方が良い。君は美しいんだ。今の格好であれば良い目くらましになるだろうが、スチュアート家に届いた招待状の指定時間が昼前だ。ランチを同席するドレスコードを守らせろという指示でもある。ドレスを身に付けた君の美しさといったら、我が家のパーシーもしばし呆けていた位だったからな」
「あら、そうだった?」
商売の事にしか興味のないパーシーの気を引けたのなら、少しは自信を持っても良いかもしれないと思う小夜子だった。
「しかし我が息子は意気地の無い事に、戦いの舞台に立つ事無くサヨコのビジネスパートナーを狙っているようだ。いつかサヨコが誰かに攫われてしまってもそれは自業自得だな」
「根っからの商売人のパーシーに認められるなら、私もそこそこ見られるのかしら?この国だと身長の所為か、女として見られていない気がしていたけど」
「うん。色々と小夜子の思い違いだな」
「心配ありがとう。大丈夫よ、ジェイムズ!」
段々と目も覚めて来た小夜子は、やる気を見せるかの如くジェイムズの前で拳を掌に打ち付けた。サロンにパンと小気味良い音が鳴り響く。
「私の意思を無視して誰も私を好きには出来ないわ。私は皇弟や皇帝をぶっ飛ばしてでも絶対にスチュアート家に帰って来るから、安心してちょうだい!」
「・・・よし、わかった。後の事はスチュアート家が総力を挙げてフォローをするから、何としてでも我が家に戻っておいで」
「任せておいて!」
しっかりと目が覚めた小夜子は良い返事を返すも、ジェイムズは未だ心配顔だ。
余計な心労をジェイムズにかけてしまったが、安心してもらいたい。囚われそうになったら、皇族を全員殴り飛ばして王宮を飛び出せばいいのだ。
なるようになる。やってしまったものは仕方がない。これを信条にしてきた小夜子だ。
今日の所は皇弟が奢ると言うのなら、タダ飯、タダ酒を楽しんで来ようと小夜子は気持ちを切り替えた。
双方の思い違いと温度差をそのままにサロンでの打ち合わせを終え、小夜子は王宮から迎えの車に乗り込み皇弟の呼び出しに応じたのだった。
案内の者に連れられて行った先は、豪華ではあるが普通の応接室と言った所だった。王宮に来るのは二度目となる小夜子だが、何処に何があるのかはさっぱり分からない。案内人任せのまま小夜子は王宮の中を進んできた。
扉の内側には近衛兵の制服に身を包んだジムが居て、小夜子に一つ頷き中に通す。
応接室の中には昼食会の準備がなされており、小夜子を呼び出した皇弟は既に席についていた。皇弟の後ろにはカリンが控えていてニッコリと小夜子に笑いかけてきた。
「お待たせしたかしら?」
「いや、急な呼び出しに応えてもらい感謝する」
小夜子はおやと、改めて皇弟を見る。
初対面時と比べて幾分愛想が良いのではないか。
索敵スキルで表示される皇弟のアイコンは相変わらずの警戒色、黄色である。しかし内心とは裏腹に小夜子に態度を変えて来た皇弟に対して、小夜子は気持ちを引き締めて昼食会の席に着いた。
とはいえ最初は料理を食べながら、世間話程度の会話がされる。
気の短い小夜子は、さっさと本題を言えと言いたくなるが今は目の前の料理に集中する事にする。宮廷料理をしっかりと完食した小夜子は、今度は食後のコーヒーに誘われ別室に皇弟と移動する。
食事をした応接室よりももう一回り小さなサロンに小夜子は通された。一回り小さいと言っても大きな窓があり、その窓から中庭に出られるようになっていて解放感がある。
侍従がテーブルに着いた皇弟と小夜子の分のコーヒーを置き、部屋を下がる。護衛であるジムとカリンはそのまま室内に残った。
ここからやっと今日の本題に入る事となった。
「前言を撤回させてもらう」
場所を移しての皇弟の開口一番がこれだった。
「サヨコ、お前には我が国の良薬に何としてもなってもらいたい」
「はあ?」
「サヨコには我が国の英雄になってもらう。わが国が推挙し、サヨコはSランク冒険者となり、帝国には大魔術士のサヨコありと国内外に知らしめる予定だ」
「はああー?!」
皇弟の悪びれも無い掌返しに、小夜子も早々に猫を脱ぐことにした。
「ふっざけんな!!英雄だの、Sランク冒険者だの、私がいつなるって言った?!さっさとこの国を出て行けって言ったのはお前だろうが!恥ずかしげもなく言う事コロコロ変えんじゃねーわ!」
小夜子は憤りを爆発させた。
これが他の近衛兵であれば銃を構えて小夜子と皇弟の間に割り込んでいる所だが、ジムもカリンもサヨコの啖呵は以前に1度見ている。1ヵ月以上寝食を共にして、小夜子が見境なく暴力を振るう事は無いと知っているので、小夜子がブチ切れても今は静観している2人だった。更に言えば、そりゃあ小夜子なら怒るだろうという2人の想定内の展開だった。室内では可哀想なベテラン侍従だけが、小夜子の剣幕に真っ青になって震えている。
当の皇弟は涼しい顔のまま怒れる小夜子を見つめ返した。
「別に恥ではないな。状況が変われば判断を変える。為政者として当然の事だ」
皇弟が小夜子の前に滑らせたのは、今朝ジェイムズから見せられた新聞だった。
「私はお前にこれ以上騒ぎを起こすなと言った筈だが」
会って2回目でお互いをお前呼ばわりし始める小夜子と皇弟だった。2人の関係は良好とは真逆にどうしても傾いていく。
「これは私の所為じゃないでしょ!何?それなら船員達を見殺しにすればよかった?!」
「時と場合によるがな。しかしまあ、済んだ事は仕方がない。お前は制御不能であるという事も良く分かった。皇弟の牽制と忠告など、お前には何の抑止力にもならないのだな。何をしでかすか分からないなら、かえってお前を手元に置いた方が良いと私は判断した」
「私は帝国民じゃない。私に指図すんな」
「もちろんタダでとは言わん。サヨコ、取引をしよう。お前が望む物を何でも用意してやろう」
「・・・何でも?」
皇弟の甘言に、うっかり小夜子は反応してしまった。
「殿下。サヨコは大きな屋敷で使用人に傅かれて暮らしたいと常々言っておりました」
「ジム!余計な事言わないでよ!!」
ジムがあっさりと小夜子を裏切り、主に情報を渡した。
「ほう、随分とささやかな願いだな。いずれかの領地か爵位か選ばせようかと思っていたのだが。私の使い道のない宝飾品も腐るほどあるぞ」
「領地も爵位もいらない。領民の生活を背負いたくないもの。私は自分さえよければそれでいいの。自分と、自分の手が届く周囲が幸せなら他はどうでもいいわ。宝飾品は私も使い道無いから要らない」
すると何が可笑しかったのか、皇弟は声を上げて笑った。
「よし、いいだろう。お前が欲している屋敷も、使用人も、最高級の物を用意してやろう。その代わり、お前の顔を帝国に貸してくれ」
「ちょっと待ってよ。私は帝国に永住する気は今のところないわよ。もうすぐ他国に行こうと思ってたし」
「お前は一瞬で行った事がある場所へ移動出来るのだろう?なら、我が国の屋敷は別邸にでもしたらいい。お前がいつでも使える様に、常に使用人を置いて手入れをしておいてやるし、掛かる費用は私が持ってやる」
使用人と屋敷の管理費を皇弟が持つと言い出した。
皇弟に対する感情はともかく、小夜子は純粋な損得を勘定し始める。土地家屋の購入は小夜子の資産的に、帝国でもガルダン王国でも問題ない。しかし、使用人に関しては、面接、採用、教育と人材を確保するためには金はともかく手間暇がかかる。信用のおける即戦力の使用人は、誰も手放したくないだろう。その非常に労力を有する人材確保を皇弟は代行してくれると言うのだ。
だがそれは、小夜子が皇弟の条件を飲めばの話だ。
「帝国が私に何をどこまで要求するかにもよる。私は屋敷を帝国に構えると決めていないし、Sランク冒険者になって国の良いようにこき使われる気も無い。契約内容を書面で提示して。条件が合えばヴァンデール帝国と契約する」
「良いだろう。契約書を作成する。完成したら、また昼食に招待させてもらおう」
「別に食事なしでいいわ」
「お前の美しいドレス姿もまた見せて欲しい」
小夜子は鼻で笑って席を立つ。
「お世辞を言われても、契約は内容次第よ。良い条件提示を待ってるわ」
小夜子は部屋のドアの前まで歩いていくと、ドアの内側を守っていたジムに軽く腹パンを食らわす。
「・・・っ」
頽れる事は堪え、ジムは腹を押さえながら前屈みになった。
「今度は気楽な店で美味しいエールを奢れ。それで許す」
「サ、サヨコちゃーん!いいお店、探しておくからー!」
皇弟の後ろから控えめな叫びをあげるカリンには後ろ手に手を振り、小夜子は王宮を後にした。




