王都ブラッドレー 7
「剣を収めよ!!」
その声はそれほど大きくもないのに不思議と広間中に良く響いた。
「静まれ!道を開けろ!!」
その声は不思議と広間の群衆と衛兵達を従わせる力があった。
左右に分かれる群衆の間を颯爽と小夜子達に向かって歩いてくるのは、額から滝のような汗を流したブラッドレー冒険者ギルドマスターのランバートだった。
「ギルドマスター、もう少し早く来て頂いても良かったですよ」
「ははは、許せ。効果的な登場のタイミングを狙っていたのでな」
軽口をイーサンと叩きながら近づいてくるランバートを小夜子は結界の内に通した。
いつも涼し気な佇まいのランバートが汗だくになっている様に、イーサンの頭が自然と下がる。
「ランバート卿、ご無理をさせてしまいました」
「なに、お前のこれまでのギルドへの貢献にやっと報いる事が出来る。状況はバトラー家の危機と言った所か?全く残念ながら、イーサン・バトラーの想定通りの展開じゃないか。さてさて、サヨコはすっかり呆れているようだが、せめてイーサンにまで愛想を尽かされないように久しぶりにギルマスらしい仕事をするか」
ランバートは小気味良く笑うと、迷いない足取りで小夜子達から離れ王の前に進み出た。
「冒険者ギルド自由憲章に則り、ブラッドレーギルド、グランシールギルド、バートグレイプギルドが名乗りを上げガルダン王国へ警告を発す!!」
広間中の注目を集めながら、ランバートは凛と声を張り上げた。
ランバートは懐から真っ白な片手に収まる程の冊子を取り出し、ガルダン王の前に掲げた。その冊子の表紙には金で冒険者ギルドの紋章が箔押しされていた。
「Sランク冒険者は性別、人種、身分の区別なく全世界に属する。いずれの国も、いずれの宗教も、Sランク冒険者の合意を得ずにその権威を主張する事は出来ない。国と宗教はSランク冒険者の自由と尊厳を損なう事なかれ。国と宗教はSランク冒険者の自由と尊厳を奪う事を目的とし、その一族へ危害を与うる事なかれ。以上の2項において、ガルダン王国において逸脱の疑いあり。警告の後、状況の改善が無い場合、または冒険者より訴えがあった場合、または警告自体が聞き入れられない場合は該当地域より全冒険者ギルド支所の引き上げを即座に実行する。ガルダン王国はこの警告を如何とする!」
ランバートの朗々と響く声は広間の隅にまで届き、急展開の事態に広間にいる人々はガルダン王の答えの行方を、息を殺して見守っていた。
「・・・・警告を受け入れる」
「ガルダン王国の申し出を冒険者ギルドは受け入れる。ガルダン王国は逸脱行為、あるいは逸脱疑いのある行為を即刻改められよ」
騒ぎの最中沈黙を貫いていたガルダン王は、冒険者ギルドの糾弾を前にようやく応えを返した。
王の答えを受けて近衛兵達も次々と剣を収めて所定の位置に戻っていく。どうにか騒ぎが収束したとみて、小夜子も守護結界を解いた。
「王よ、此度の事、誠にご英断にございました。私は王都冒険者ギルドマスターを拝命しておりますが、ガルダン王国に生まれ育った王国を愛する臣の1人でもあります。忠誠を誓う臣の中には耳に痛い事を申す者もおりましょうが、どうか真の忠臣が誰なのかを曇りなき眼で見定めて頂ければと思います。耳触りの良い事を囀る者が忠臣とは限りません。その事、お心に留め置いて頂ければ幸いにございます。そしてどうか、王国に身命を賭して仕える忠臣に正しく報いて下さいますよう、重ねてお願い申し上げます」
「うむ、覚えておこう」
ランバートが態度を改めて、一臣下としてガルダン王の前に跪けば王の態度も和らいだものとなった。
「イーサン子爵。此度の事は臣達が我を思う余りの勇み足であった。許せよ」
「はっ」
イーサンが短く答え、ランバートの隣に跪けばガルダン王は満足そうに頷いた。
「冒険者サヨコよ、此度の件は些細な行き違いであったな。許せよ」
「うっせーわ、バーカ!!」
和解のムードが漂う中、小夜子はその空気をぶった切った。
王城の広間が再び凍り付く。
「この卑怯者が!ハッキリ口に出さずに家臣を煽って誘導させるのが、ものすっごく根性悪いわ!!イーサンを良くも吊るし上げてくれたわね!イーサンが許しても私が許さない!自分が直接指示していないなんて言い逃れするんじゃねえわ!!今の騒ぎを全部臣下の所為にするわけ?臣下が勝手にやった事だって?!国王として、人の上に立つ者として格好悪いったらないわ!!あんた達、こんな卑怯な王の下で一生働き続けるの?!」
痛烈な小夜子の批判を受け、ガルダン王は怒るより以前に生まれて初めて罵声を浴びた衝撃に思考が停止していた。
さすがダグラスは真っ直ぐ小夜子を見返してきたが、王の左右に侍る直臣達の内の数名程は目線をうろうろとさ迷わせている。
「あんたは王としての器が小さすぎるわ。あんたの嫌らしい感情は透けて周りに丸見えなのよ。底の浅いヨイショに騙される底の浅い王は、おべっかを使うだけの無能な臣下を側に置いて城の奥に引っ込んでな。私は、この国の人達は嫌いじゃないけど、この国の体制が嫌い。女を下に見る男共が嫌い。身分と職種で人を上に見たり下に見たりするこの国が嫌い。庶民の困窮には救いの手を伸ばさずに、貴族だけがお綺麗な世界で生きているこの国が大嫌いだわ!!」
小夜子の糾弾の声は鞭のように、ガルダン王とその傍らに侍る直臣達を鋭く打ち据えたのだった。
「あと、王妃。あんたみたいな日和見の女も大っ嫌いだわ」
「!!」
小夜子の非難の矛先は次に王妃へ向かった。
「あんたみたいな女は自分に損が無い限りは親切で優しい態度を振りまくけど、いざとなればあっさり相手を切り捨てるのよね。私とイーサンが窮地に立っても全くもって他人事だったわね。自分の損得だけですり寄ったり手のひら返すような女はこっちから願い下げだわ」
「ひ、ひどいわ!」
王妃は扇で顔を隠した。
「ウソ泣きしなくていい、私には効かないから。クイーンリリーをガルダン王国に納める事は今後二度とない」
「そんな!困るわ!」
王妃は扇を取り落し、思わずその場に立ち上がった。
微笑みの仮面が剥がれ落ちた王妃を小夜子は呆れたように見上げる。
「あのさ、バカなの?この期に及んで何でクイーンリリーをあんたの為に私が取って来ると思えるの?あんたとは一生分かり合えないと思うわ」
「そんな・・・、そんな・・!」
今度は本当の涙を王妃は流し始めた。
「あ、クイーンリリーで思い出したけど!」
再び小夜子に目線を向けられ、白く燃え尽きていたガルダン王はビクリと体を揺らした。
「私の報奨金が白金貨5枚ってどういう事?!グランシールの商業ギルドはクイーンリリー1株に白金貨3枚出したわよ!マジふざけんな!!私はイーサンが倒したジャイアントモールよりも数倍大きい個体を2体も倒してんのよ!それなのに私よりもイーサンの報奨金が多いってどういう事よ!平民の冒険者ならこれで十分だろうって?!冒険者を馬鹿にするのも大概にしろ!こんなしみったれた国なんか二度と助けるものか!!」
「ご、ごめんね、サヨコ」
「あはは、イーサンに怒ってるんじゃないわよ。けち臭いガルダン王国と国王に腹立ててるだけだから」
これには思わず謝るイーサンに小夜子は朗らかに笑う。
小夜子はとりあえず言いたい事を全て言った。言ってしまった。
どうにかこの国の常識に収まるように小夜子なりに努力したのだが、これまでの反動が出たかのように結果大暴れしてしまった。
ガルダン王は白い顔のまま動かなくなり、その隣で王妃は泣き続けている。
冒険者ギルドの介入もあり、うかつに城の者達も動けないでいた。
「あはは、サヨコ、暴れたねえ。・・・でも、サヨコはやっぱりこうじゃないとね」
ゆっくりと手を広げるイーサンに身を委ねれば、思ったよりも力強く、小夜子はイーサンに抱きすくめられた。小夜子も応える様にイーサンの背中に手を回して、イーサンの存在を確かめる様に抱きしめ返す。小夜子はこの数カ月で慣れ親しんだ、安心できるイーサンの体温と鼓動に包まれた。
「サヨコ、顔見せて」
イーサンの腕の中で小夜子が顔を上げると、イーサンは小夜子の左頬をジッと見てからそっと唇を押し当てた。それから再びイーサンは小夜子をしっかりと抱きしめる。
「大丈夫なんだろうと思っていたけど、焼き印の時は血の気が引いた」
「心配させてごめん」
それからしばらくして、どちらともなく小夜子とイーサンは抱擁を解いた。
「イーサン。私、行くわね」
「・・・うん。この国は、サヨコには窮屈だったね」
小夜子は一緒に行こうとは言えなかった。
イーサンは行くなと言えなかった。
お互いの立場も違えば手に抱える物も違う。
今の小夜子とイーサンが一緒に居るためにはどちらかに我慢を強いる事になると、お互いが理解していた。だからこそ、もう一緒には居られないと2人は決めた。
「アルフレッド。このドレス、ジェーンに返さないとね」
「餞別だ。そのまま着ていくといい。貰ってくれたら母も喜ぶ」
「そう?ありがとう。ジェーンとグレースによろしくね」
小夜子とアルフレッドは笑顔でしっかりと握手を交わした。
それから小夜子は身を寄せて床に座り込んでいる幼子達の前に膝を付き、目線を合わせた。
「あなた達はどうしたい?元の場所に戻る?それとも私についてくる?」
「一緒に、いく」
子供達は顔を見合わせてから、大きい子供の方が答えた。
「そう、分かったわ。じゃあ、たくさんご飯が食べられるいい所に連れて行ってあげる。あなた達は、他に家族は居るの?」
聞けば病気の母親がいるという事だったので、小夜子は後で合流する事に決めた。
小夜子が子供達に腕を伸ばせば、子供達は躊躇いなく小夜子の首にそれぞれしがみ付いた。小夜子は難なく子供2人を抱き上げる。
自分で別れを決めたというのに、女々しくも子供達に羨望の目を向けそうになり、イーサンは表情を取り繕うのに多大な努力を要した。
「サヨコ!」
子供を両手に抱いた小夜子がイーサンを振り返る。
呼びかけたものの、イーサンの頭には気の利いた言葉の1つも浮かんでこない。
「・・・いつか、また!」
どうにか言葉を絞り出し、イーサンは笑顔を作る。
「ええ!いつか、またね」
小夜子はふんわりと、イーサンが以前に見惚れた笑顔を返した。
王都の城壁前で魔獣の討伐を願うイーサンに、自分の感情を押さえて応えてくれた小夜子の、慈愛の笑みだった。
その笑顔を最後に、小夜子は瞬く間にイーサンの前から姿を消した。
それから王城の事後処理はランバートやダグラスに任せ、イーサンとアルフレッドの2人は帰路についた。
しばらく馬車に揺られながら、イーサンもアルフレッドも無言の時間を過ごしていたが、アルフレッドは対面に座るイーサンの顔を見てフッと声を漏らした。
「馬鹿だな、イーサン。サヨコに付いて行っても良かったんだぞ」
笑いながらアルフレッドはイーサンの膝にハンカチを投げてやる。
イーサンはそれを広げ、両手で押さえて顔を覆った。
「今の俺だと、サヨコの弱みになる。・・・もう守られるだけじゃ、いやだ」
イーサンは顔を隠したまま鼻を啜っている。
Sランク冒険者でさえも隣に並び立てないとは。全くイーサンは大変な相手を望んでしまったものだ。アルフレッドは高みを目指すための弟の果てしない道のりの困難さを思えば、無責任に励ます事も出来なかった。
「風邪でも引いたかなあ・・・。鼻水が止まらない」
「そうかそうか。風邪を引いているかもしれないが、今夜はとことん付き合ってやろう。お前が狙っていた私の秘蔵のボトルをどれでも開けてやるぞ」
「うん・・・」
長兄の慰めを受けながら、イーサンは最後の小夜子の笑顔を思い浮かべていた。
小夜子に守られるのは、真綿に包まれたように心地よく、生まれて初めて知る幸せだった。
けれど、王都での小夜子に自分を曲げさせる状況の連続に、自分の力の無さを痛感し苦しかった。イーサンは、僅かな陰りもなく思うままに生きる小夜子と、この先の未来を共に歩みたいと願ってしまった。
あの無償の愛に溢れた小夜子の笑顔を向けられている限り、自分は対等な立場で小夜子の隣に立つことは出来ないと思った。けれど、何の憂いもなく小夜子と信頼関係を結び守られている立場の者達に対して、羨ましいという気持ちも今はまだ、どうしようもなく湧き上がってしまう。
イーサンは今日という日が来ることを何度も想像していた。けれども、小夜子との実際の別れは想像何倍も辛く、苦しい。
自分で決めた事ではあったが、イーサンはこれから長い間、小夜子との別れを後悔し続ける事になる。
そして、小夜子との間に大きな遺恨を残したガルダン王国も、今日の日の事を長く後悔する事となる。
それから、ガルダン王国王都での騒ぎから1カ月も過ぎた頃。
「さっむー!山を越えたら全然気候が違うわね」
小夜子はヴァンデール帝国辺境へ足を踏み入れていた。
お読みいただきありがとうございます。
閑話を挟んで、次からヴァンデール帝国編となります。




