王都ブラッドレー 5
今日は王都における小夜子の最後の社交、聖ハイデン教会の司教の招待を受け、小夜子とイーサン、アルフレッドは王都の中央協会に訪れていた。
案内された応接室で待っていると、ほどなく司教が聖女を伴って小夜子達の前に現れた。
「お姉さま?」
小夜子に気付いた聖女が、パッと駆け出しソファーに座っている小夜子に飛びついた。
「やっと来て下さったのね!司教様にお願いして良かった!」
「ははは、アリア様。よろしゅうございましたな。本日はようこそお越しくださいました。バトラー伯爵には日頃より教会の運営にご協力頂き、感謝しておりますよ」
司教は取り立てて特徴もない、灰色の髪の中肉中背の男だった。聖女が小夜子に会えて喜ぶ様を微笑んで見守っている。
「セレステ司教、本日は私の同席をお許しくださりありがとうございます。セレステ司教からのお招きについて弟より聞き及びまして、この度は私が仲介役を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」
「伯爵もお忙しいでしょうに、お付き合いいただき申し訳ありません。なに、アリア様たっての強い希望なのです。イーサン卿のお連れの方に是非もう一度会いたいということでしてな」
「そうでしたか。しかしこのご様子では、聖女様の無聊をお慰めする役からは、とうとう我が弟はお役御免といった所でしょうか」
「ははは、イーサン卿にはこれまで何度もアリア様のお相手をして頂いたそうで、感謝をしていますよ」
そう言ってアルフレッドは司教と笑い合う。
司教が登場した時に、アルフレッドとイーサンはソファーから立ち上がったが、聖女に飛び付かれてしまったため、小夜子はソファーに座ったまま聖女を抱きとめている。
まずは司教とアルフレッドの挨拶が終わり、全員が腰を降ろした。礼に則り挨拶を交わす男達を余所に、聖女と小夜子の会話は既に始まっていた。
「お姉さま、今日から私と教会で暮らしましょう!」
「暮らさないわ」
「来月は王都の豊穣祭があるの!お姉さまも一緒に聖女のお務めしましょうね!」
「しないわ」
「・・・・申し訳ありません。イーサンの連れのサヨコと申します。彼女は冒険者でして、礼儀が足りぬ所は寛大な御心でご容赦頂ければと思います」
事前にイーサンと小夜子から事情は聴いていたが、遠慮のない小夜子の聖女への返しにアルフレッドは内心肝を冷やす。公爵や王妃と違い教会とは主従の関係ではない為、必要があれば直答もよしと事前に小夜子と打ち合せをしていたのだが、アルフレッドは直答の許可を既に後悔し始めていた。
「いえいえ、かまいませんとも。冒険者殿、お名前でお呼びしても?」
「ご勝手に」
「それではサヨコ様。アリア様から伺いましたが、あなたは治癒と清浄の魔法を操るとか。光魔法の適性を持つ者はどの国にいようとその全員が幼い頃から教会に手厚く保護され、聖女教育が施されるのです。サヨコ様、女だてらに冒険者として身を立てるために、いかほどの苦労をされた事でしょう。幼いあなたを救い出す事が出来ず、聖ハイデン教会を代表して謝罪いたします。しかし、どうかご安心ください。これからはサヨコ様の御身柄は責任をもって私がお守りしましょう」
「・・・何を言っているのか、意味が分からないのだけど?」
「この世界において、聖女を守る事は教会の使命です。聖女が見つかれば、そのお身柄は速やかにその教区の教会に保護されます。誰一人、例外はありません。もちろん、あなた様も」
「・・・ふーん?」
強引な司教の言い分に、小夜子の声音がワントーン低くなる。
「セレステ司教、サヨコは大人しく教会におさまるような者ではありません。年端のいかぬ者ならともかく、サヨコは自分の考えで既に独り立ちしています。本人も望むならともかく片方のみの考えでは、保護目的と言われても上手くいくものではありますまい」
小夜子の不穏な様子にアルフレッドはすかさず司教を諭す。
「教会が聖女を保護するとか好きにすればいいけど、私を巻き込まないで欲しいわね。私は聖女じゃないし、冒険者稼業が性に合ってるわ。そもそも、聖女は処女性が大事にされるもんじゃないの?私は男も酒も我慢するつもりはないし、教会の中に押し込められて大人しくしているなんて絶対に御免だわ」
小夜子の挑発にセレステ司教は薄く笑みを浮かべた。
「これまでの長い間、幾人もの聖女様のお世話をいたしました。時にはそのような世俗の欲に悩む聖女様に寄り添う事もありました。聖女様の望みを叶える事も我々教会の使命なのですから」
口元は笑みの形を取っているが、司教の灰色の瞳はベールの中の小夜子をひたと見つめている。
ザっと小夜子の全身に鳥肌が立った。
司教が突然に垣間見せた、教会の奥深くの生々しい話にアルフレッドもイーサンも咄嗟に言葉が出ない。聖女だけがこの場の空気を理解せず、小夜子に機嫌よく抱き着いたままでいる。
「どうやって寄り添ったのかなんて、想像したくもないわ」
「あくまでも、聖女のご要望があればですよ」
司教の目線に嫌悪を覚え、反射的に小夜子は立ち上がった。
聖女が小夜子の勢いに驚いて、黒いレースを咄嗟に掴んでソファーに転がる。小夜子と司教を隔てていた黒いベールが取り払われた。
小夜子の素顔が司教の前に晒された。
「ほう」
司教の口から感嘆の声が漏れた。
どうせ黒いベールで隠すというのに、バトラー家の使用人達は今日も小夜子に力の入った化粧を施していた。
「なんと美しい・・・。そしてその漆黒の髪と瞳は、まるで聖ハイデンの色を纏いし伝説の聖女ではないか」
これまで感情を感じさせなかった司教の頬が、小夜子を前に僅かに上気した。それを見た小夜子は最早限界だった。
「イーサン!!もう無理!!!」
小夜子が叫ぶと同時にイーサンは黒いベールですっぽりと小夜子を包んだ。
「セレステ司教、サヨコは急に体調が悪くなったようです。本日はこれにて。無礼をお許しください」
イーサンは司教に告げると、次の瞬間教会の応接室から小夜子もろとも姿を消した。
「・・・・・」
後には司教とアルフレッド、アルフレッドの隣でソファに転がったままの聖女だけが残された。
「セレステ司教、これはとんだ御無礼を。我が愚弟は貴族社会からいささか距離がございまして。礼儀もわきまえずお恥ずかしい限りです。弟も、その連れのサヨコも、冒険者としては一流の腕を持っておりますが、神聖な教会に立ち入るには場違いであった様でございます。所詮は礼儀を知らぬ成らず者どもでございますな」
「いやなに、お加減を崩されたならば仕方がありません。また是非、近いうちにサヨコ様とお会いできればと思いますよ」
笑顔のアルフレッドに司教も笑顔で応える。
「ねえ、お姉さまのお綺麗なお顔をベールで隠してはもったいないわ。今度はベールを被らないで来て頂きたいの」
聖女は無邪気にアルフレッドに頼みごとをする。
「聖女様、王都は夏の盛りを過ぎたとはいえ、まだまだ羽虫が多うございます。ご婦人にはベールを被って頂くと虫除けになりますゆえ。どうやら教会でもまだまだ虫除けが必要なようです」
「そうなの?」
聖女は小首を傾げてから司教の側に戻り、司教に纏わりつきながら別の話をし始める。
アルフレッドは司教と穏やかに別れの挨拶を交わし、教会を後にした。
小夜子の4つの招待状は本日をもって全て消化できた。
「羽虫程度なら良かったのだが、得体のしれない毒虫であったかもな」
最後の1つが尾を引かなければよいがと、アルフレッドの気は重くなった。
バトラー邸に戻れば、ジェーンが途方に暮れた様子でアルフレッドの帰りを待っていた。
「アルフレッド、教会で何があったのです」
聞けば、イーサンは小夜子を抱きかかえたまま屋敷の玄関ホールに突然転移して帰宅し、それから小夜子と共に自室に引き籠ってしまったそうなのだ。
イーサンの部屋には鍵が掛けられ、部屋は静まり返っている。外からは中の様子は窺い知れない状況との事だった。
「母上、お騒がせして申し訳ありません。司教との挨拶は済みました。イーサンと小夜子の事は放っておいて構いません。腹が減れば出てくるでしょう。夕食後に少し打ち合せをよろしいでしょうか」
「挨拶が済んだのなら良かったけれど・・・」
長男の落ち着いた様子に、ジェーンも少しホッとする。
結局は夕食にも小夜子とイーサンは顔を出さなかったが、食後にサロンにて、アルフレッドとジェーンは2人と顔を合わせる事になった。
「サヨコ、落ち着いたのか」
「ええ!しっかり口直しをしたから大丈夫よ」
アルフレッドが小夜子に尋ねると、小夜子が元気よく答える。
「よかったわ」
「それは何よりだ」
その小夜子の隣でイーサンがうっすら頬を上気させていたが、アルフレッドとジェーンは見なかった事にする。
「サヨコ、まずはバトラー家の為にあちこちに出向いてくれた事を感謝する。気が進まないのに、君が社交に尽力してくれた事は理解しているつもりだ」
「でも、最後はちょっと、どうしても我慢できなかったわ」
「サヨコ、頑張ったよ。今日を入れて4か所も回ったんだ。偉かったね」
イーサンは自分にピッタリと身を寄せる小夜子の頭をそっと撫でる。
落ち着いたと言いながらも、イーサンから片時も離れようとしない小夜子を見るのは初めてで、よっぽど今日の出来事にショックを受けたのかとジェーンは心配になる。
「サヨコ、大丈夫なの。そんなに怖い目にあったのかしら」
「大丈夫、今、イーサンを充電してる所だから」
ジェーンに言われて何かを思い出したのか、ブルっと身震いをして小夜子はイーサンにギュッとしがみ付いた。
「おい、これは大丈夫なのか、イーサン」
「正直、俺もこんな小夜子は初めて見るけど、しばらくは一緒に居た方がいいかなあ。小夜子、本当に嫌な目に遭わせてしまって、ごめんね」
「イーサンが途中で連れ出してくれたから、いいの。怖かったんじゃないのよ。とにかく気持ち悪いだけ。ゴキブリが一杯蠢いているのを見ちゃった時位の気色悪さだったわ」
小夜子の説明に、イーサンとアルフレッドはそうかと納得する。
凄まじい生理的嫌悪に晒されて、さすがの小夜子も平然として居られなかったらしい。
一向に自分から離れようとしない小夜子の頭を、労わりを込めてイーサンは撫で続ける。
小夜子は好きにさせておき、アルフレッドはジェーンに教会であった事を説明した。
「まあ・・・司教様が、そのような・・・」
話を聞いたジェーンは青ざめた。
「教会に対しては用心が必要だと思う。サヨコはもう近づかない方が良いだろう」
「それは俺も同意する。あの司教様って、ここ最近王都に来た?俺は初めて顔を見るけど」
「確か昨年の冬に王都の教会へ着任された筈だ。私も新年の寄進の際に顔を合わせる位だったが」
「あんなサイコ野郎、二度と会いたくないわ。あの幼い聖女に司教が手を出してなきゃいいけどね」
小夜子の言葉に3人が黙り込む。
今、王都教会で聖女認定されている少女を3人は思い浮かべていた。
「すでに教会に取り込まれている聖女はもうどうしようもない。これからは君が無理やりに教会に攫われない様に気を付けていかねば。今日の司教の様子を思い返すと、君への興味の示し方が尋常ではなかった」
アルフレッドの心配に、小夜子が少し笑う。
「ふふ、私が攫われたって、私がそこに居たいって思わなければ、誰も私を閉じ込める事なんか出来ないわ。魔法を封じられたら鎖を引き千切って壁を壊して逃げてやるし。状態異常は全て無効になるから私には薬も効かない」
「それはそうだろうけどね・・・」
イーサンは小夜子の黒絹の髪を撫でながら考え込む。
王妃は小夜子に好意的だった。しかし、国王が小夜子に何を言い出すかは分からない。
教会は小夜子を手に入れようと動き始めるだろう。
国内の貴族はブライトランド公爵が押さえてくれると期待したいが、欲に目が眩んだ者は容易く自分を見失うものだ。
褒賞授与式は、若く美しく類稀なる力を持つ小夜子を狙う者達がひしめく場になるだろう。
「イーサン、サヨコ。褒賞授与が終わったらすぐに王都を発つといい。王都は、お前達には煩わしい事が多すぎるだろう。離れていても元気でいてくれたら、それでいい」
アルフレッドの言葉にジェーンも穏やかな顔で頷いている。
「ありがとう、兄上、母上」
無事に王都を離れられれば、それに越した事はない。
それから褒賞授与の案内が来るまでの数日間は、何事もなく穏やかに過ぎていった。
とうとうバトラー家に王城より褒賞授与式の案内が届いた。
褒賞を授与されるのはイーサンと小夜子だ。大型魔獣の脅威から王都を守った事に対して、2人にこの度褒賞金が与えられるとの事だった。
バトラー家の馬車に小夜子とイーサン、アルフレッドが乗り込み、王城へと向かう。
待機室でしばらく待たされた後、アルフレッドとも別れて小夜子とイーサンは案内に従って授与式の会場へとたどり着いた。小夜子とイーサンの前で巨大な両開きの扉が衛兵によって押し開けられていく。
「サヨコ、王都では色々我慢させてごめん。今日は一切遠慮はいらないよ。自分の思うまま
に振舞って欲しい」
「でも、いいの?」
「もちろん。サヨコ、君はいつだって自由なんだ」
イーサンの笑顔が常にも増して目に眩しい。
手を差し伸べるイーサンの後ろには、煌びやかな王城の大広間が広がっていった。
言いたい事を言い、やりたい事をやる。
小夜子は手始めにと、上半身をすっぽり覆う黒いベールを勢いよく剝ぎ取った。
「これ、預かっててくれる?」
ここまで案内してきた衛兵に黒いベールを放り投げると、小夜子は満面の笑顔でイーサンの手を取った。
そして小夜子はイーサンと共に絢爛豪華な王城の広間に足を踏み出した。
「ふふ!」
小夜子は思わず笑ってしまった。
中央の赤絨毯の両脇に褒賞授与式の参列者が立ち並んでいる。
小夜子とイーサンを見ながら参列者達はみな一様に笑顔を浮かべている。しかし、小夜子の索敵スキルには夥しい数の黄色と赤のアイコンが明滅している。この煌びやかな王城は想像通りの伏魔殿であるようだ。
晴れやかな笑顔の小夜子をエスコートし、イーサンはガルダン王の玉座の10メートルほど手前で止まり、跪く。
しかし、小夜子はイーサンの手を放して、跪くことなくガルダン王に対峙する。ガルダン王はライオンの鬣のように赤髪を逆立てた、筋骨隆々の大男だった。隣に座るエルメイン王妃は、穏やかな笑みを湛えたまま沈黙を守っている。
索敵スキルのアイコンはものすごい勢いで黄色から赤へ塗り替えられていく。
「頭が高い、王の御前であるぞ!」
玉座の左右に控える臣下の内の一人が小夜子に鋭く声を上げた。
しかし、小夜子はそれを無視して玉座に座る男を見上げたままだ。殺気立つ臣下達の列の中にダグラスも交じっており、こちらは面白そうに小夜子を見ながら不敵な笑みを浮かべていた。
「ふっ・・、ははは!」
ガルダン王はジッと小夜子を見据えた後、大声で笑いだした。
「よいよい。剛毅な事だな!此度の偉業を成すに相応しい剛の者ではないか。構わぬ、このまま始めよ」
王の一声により、褒賞授与式が始まった。
まずはイーサンの褒賞授与から行われる。
ガルダン王国の英雄であるイーサンの前には、城の衛兵が4人がかりで持ってきた宝物箱が置かれる。ゆっくりとイーサンに見せる様に開かれた宝物箱の中には、白金貨が十数枚の他に、宝飾品、宝剣など数点が収められていた。書状を持つ官吏がイーサンの前に立ち、その褒賞の内容について一つずつ読み上げていった。
「有難く、頂戴いたします」
イーサンがガルダン王に一礼すると同時に、宝物箱を空間魔法で瞬時に消してしまうと、広間からは感嘆の声が上がった。
続けて、官吏が書状を読みあげる。
「併せて、イーサン卿へ子爵位を授与する」
これには広間がどよめいた。
「・・・謹んでお受けいたします」
バトラー子爵の誕生に、広間からは多くの喜びの声が上がる。Sランク冒険者で数々の武勲を持つイーサン・バトラーがガルダン王国と更に強く結びつき、とうとう子爵家当主として立つことになったのだ。
物静かに跪くイーサンと対照的に、会場のざわめきはなかなか収まらなかった。
その様子を高見から満足そうにガルダン王も眺めていた。
イーサンへの賞賛の声が落ち着いてから、小夜子への褒賞も授与される。
小夜子の前には一人の衛兵が白木の小箱を持って立ち、小夜子にその中身を見せる。
中には白金貨が5枚入っていた。
官吏が褒賞品を読みあげてから、小夜子は無言で小箱の上に手を翳し白金貨のみを収納ボックスにしまう。
ピクリと反応したのは小箱を持っていた衛兵だけだった。
小夜子への褒賞品は以上となり、書状を持った官吏も衛兵も元の場所へ戻った。
ガルダン王の前には跪くイーサンと直立不動の小夜子が残された。
「サヨコとやら、此度の働きは見事であった」
「・・・・・」
「若く、見目も良い。イーサンに迫るほどの実力もあるとは大したものだ。しかし、女だてらに根無し草の冒険者を続けるにも苦労が多いだろう。どうだ、我の直臣として取り立ててやろう。その力、これからはこの国の為に存分に振るうがいい」
ガルダン王の発言に広間の参列者が大きくどよめいた。
イーサンの時のような歓喜に沸くどよめきではない。平民の冒険者を王自らが直臣へ取り立てるという話に、式典へ参列した貴族達の小夜子への妬み、嫉妬、憎悪が広間に渦巻き、索敵アイコンはほぼ赤一色へと塗り替えられていく。
「ガルダン王、それは困りますな」
その時、ざわめきが収まらない会場内で、小夜子が返事を返す前に貴賓席の一角から声が上がった。
聞き覚えのある声音に小夜子の両腕から首筋に鳥肌が走る。
イーサンは貴賓席に向かって小夜子を庇うように前に出た。




