旅は道連れ王都まで 1
グレーデンを発って、小夜子とイーサンはその日の夕方にはファリンという小さな町に辿り着いた。
馬車で二日かかるという行程だったが、小夜子がバギーを最速で飛ばした結果だった。
知り合ったばかりの男と二人きりでの野営は回避したい。小夜子をどうにか出来る男などいるわけがないが、気分の問題だ。
イーサンはあのアレンが小夜子に付けた監視役だ。同行についての了承はしたが、小夜子はイーサンと慣れ合う気は全くなかった。
ファリンはポート町が一回り大きくなった程度の町だった。町を見回しても歩いているのは一般の住民達で、貴族御用達の宿は期待できなさそうだ。小夜子はこの町ではコンテハウスを使用する事に決めた。
ファリンの中でも一番の上宿の前に来ると、小夜子は足を止めた。
「それじゃ、また明日の朝に。私は自分の部屋で寝るわ」
宿の前でイーサンと別れようとする小夜子に、イーサンは首を傾げる。
「サヨコはこの町、初めてじゃなかった?」
「そうよ」
「それなのに自分の部屋があるの?」
「私は色んな物を持ち歩いているの。今日乗って来た乗り物だって私の収納から出したでしょ」
「そうだったね。君の部屋を見せてもらってもいい?」
「構わないけど・・・。どこかに使っていい空き地はあるかしら」
案内役を買って出るだけあって、イーサンはファリンのような小さな町の事もよく知っていた。イーサンが話を通してくれた道具屋の裏手に、小夜子はコンテナハウスを出した。
「話には聞いていたけど、君の空間魔法は凄まじいね」
「そう?じゃ、明日迎えに来て」
「わかった。おやすみ、サヨコ」
「・・・おやすみ」
小夜子は一貫してイーサンに対して素っ気無い態度でいるのだが、何が楽しいのかイーサンはいつも笑顔だ。
にこやかに手を振るイーサンの前で、小夜子はコンテナハウスのドアを締めた。
イーサンがどんな指示を受けているのか知らないが、納得できない事には全力で抵抗してやる。そのために小夜子は何でもできる力を手に入れたのだから。
イーサンが自分に不利益をもたらすなら、その時はあの色男を一発殴ってこの国を出よう。小夜子は改めて今後の方針を固め、後は飲んで食べてシャワーを浴びて寝た。
翌朝、小夜子が食後のコーヒーを飲み終わった頃にイーサンがやって来た。
「おはよう、サヨコ。今日は何するの?」
小夜子の監視役であろうSランク冒険者は、今日も爽やかに笑顔を振りまいてくる。イーサンのアイコン色は今日も変わらず穏やかな緑色なのだが、アレンの紐付きなせいで胡散臭く見えて仕方がない。
「・・・ティティエさんって、知ってる?」
何はともあれ、石像探しだ。
幼女から解放された時、やっと小夜子はこの世界に腰を据えて生活する事を考えられるのだ。目の前の胡散臭い男でも使える物は使おうではないか。
結果、ファリンではイーサンの案内で3つの石像を探し出すことが出来た。
イーサンは風雨に晒された石像が瞬く間に修復されていくのを、目を丸くして見ていた。
「ほんとにサヨコは多才だよねえ」
「まあね」
イーサンは小夜子の能力を目の当たりにしても、一応驚きはするがすぐに落ち着きを取り戻す。小夜子が能力を使う度に大仰に驚かれる事が無くて、イーサンのこの点だけは煩わしくなくてよい。
女神の加護は+が13個となった。ランクには運共々変化がない。
これまでのパターンだと一つ所に2週間も居ると新たな不運に見舞われていたのだが、今回グレーデンを出発する際には幼女が夢に現れなかった。行く先々で土地自体に鑑定魔法を放ちまくったが、今の所災害などの予兆もない。
ちょくちょく夢に出てこられても鬱陶しいが、幼女の音沙汰がなさすぎても不気味だ。
石像修復の進捗も良く分からない。イーサンとの距離感も気持ち悪い。
何だか鬱々としてしまうのが、自分でも嫌だ。
「イーサン!飲むわよ!」
「喜んで」
まだ日も高い昼下がりに唐突に小夜子に誘われ、イーサンは面白そうに余裕の笑みを返す。
「そのニヤ付いた顔がムカつくわ。腹割って全部吐いてもらうわよ!」
「顔は生まれつきだし、別に隠し立てしている事は無いんだけどなあ。俺もファリンは久しぶりなんだ。とっておきのいい店を紹介するよ」
昼下がりの繁華街を進んだ先、路地裏の半地下の店に小夜子は案内された。
ドアを開けると、カウンターの向こうで作業していた店主が顔を上げる。
「開店前にゴメン。エールとあり合わせでいいよ」
店主はイーサンの頼みに軽く頷いて、また作業に戻った。
店内は昼でも半地下のせいか薄暗く、僅かに日差しを受けて磨き込まれたテーブルや椅子が飴色に輪郭を光らせていた。窓際のテーブル席に小夜子とイーサンは座った。ほどなくして運ばれてきたエールで乾杯する。
「あんたとのろくでもない出会いと不本意な旅路に乾杯」
「ひどいなあ」
乱暴に木のジョッキをぶつけ、小夜子はエールを呷った。
「おっ・・おいしい!!」
「あはは!」
一杯目を勢いよく飲み干して思わず小夜子は唸った。温めのどっしりとした黒ビールは、こくと苦みのバランスが素晴らしかった。感動に打ち震える小夜子を見ながらイーサンは楽し気に笑う。
「ここの店主が店の裏に小さい醸造所を持っててね。この町でしかこの黒エールは出回らないんだ。で、この腸詰と一緒にもう一杯エールをどうぞ」
「腸詰うっま・・・!ここの店主、天才なんじゃないの!」
胡椒が効いた粗びき肉の腸詰と黒ビールは、交互に口に運ぶのを止められなくなりそうで危険極まりなかった。
「それから、この干しイチジクとスライスしたハードチーズを一緒に食べる」
「そんな、そんなの・・・このエールに合うじゃないの!」
「・・・姉ちゃん、ジャイアントバイソンの黒エール煮だ」
最高の料理と酒に身悶えする小夜子に、店主がそっと裏メニューの煮込みを出す。
「あああ、そんなの美味しいに決まってる!」
小夜子はどうしてイーサンを飲みに誘ったのか、すっかり頭から飛んでしまった。
今この酒と料理を全身全霊で楽しまずして、何が人生か!小夜子の下がっていたテンションが急上昇する。
小夜子はオーレイとポート町以外では自室以外で飲むことを自制していた。何故なら、良い店で飲んだら深酒を我慢する自信が無かったからだ。
しかし今日はあくまでも鬱屈した状況を打破するための話し合いだった。酒を飲んで飲ませて、膝突き合わせて話し合いをするつもりだったのに。
グレーデンで我慢し続けた反動もあり、旨すぎる料理と酒と、雰囲気の良い店の解放感で小夜子の箍は簡単に外れてしまった。
「イーサン!今日は浴びるほど飲むわよ!!」
「あっはっは。サヨコは楽しいね」
そして浴びる程と宣言した割に、6杯目のジョッキを空にした小夜子は気を失うように寝落ちした。
「えー・・・」
目の前ですやすやと眠る小夜子を前に、さすがのイーサンも唖然としていた。
これは酒が弱すぎるだろう。ザルを通り越して枠レベルの高ランク冒険者達に比べれば、小夜子の限界の酒量のなんと可愛らしい事か。
外を見ればやっと夕暮れ時になった頃で、飲み屋の開店時間にはまだ遠い。飲み始めて2時間も経っていなかった。
驚きを過ぎれば、再び笑いが込み上げてくる。
「はは、サヨコは意外性の塊だ。本当に見ていて飽きないねえ」
イーサンが手を伸ばし、艶やかな黒髪をさらりと撫でても小夜子は目を覚ます気配が無い。
イーサンは会計を済ませると、そっと小夜子を抱き上げてコンテナハウスに連れ帰った。
体温の高い、硬い体を抱きしめていた小夜子の意識はゆっくりと浮上していく。
「うん・・・?ノエル?」
「ひどいなあ。俺を抱きしめながら他の男の名前を呼ぶなんて」
「・・・・・」
目覚めれば、小夜子は両手両足でイーサンを締め上げ、縦四方固めを完璧にきめていた。
「おはようサヨコ。寝技外してくれる?そろそろトイレ行きたいんだけど」
「・・・おはよう、イーサン」
寝ながらかけていた固め技を解くと、イーサンは教えてもいないのに勝手にトイレに消えた。
昨日のエールは美味しかった。料理も最高だった。昼日中から飲み始めて、6杯を数えた所で記憶はない。もしかしなくてもイーサンが小夜子をこの部屋まで送り届けてくれたのだろう。
「凄い設備だね、最新の技術を集めた王都の迎賓館よりも先進的だ」
その先進的な設備を特に困りもせず使い、イーサンが戻ってきた。
「世話になったわね、イーサン。昨日もご馳走様」
「満足してもらえてよかったよ」
「どうぞ座って。コーヒー位ご馳走するわ」
魔法で室内のクリーニングはしているが、ポート町で子供達に部屋を片付けて貰って以来コンテナハウスの中は雑然としてきている。どうにかここだけは整然としているミニキッチンで小夜子は湯を沸かす。
イーサンはミニキッチン脇のカウンターに腰かけ、興味深そうに小夜子の手元を見つめる。
小夜子はドリッパーにポットからのんびりお湯を注ぐ作業が好きだ。時間に追われて殺伐としていた頃と比べて、ゆったりとした時間が過ごせていると強く実感できるからだ。抽出の終わったコーヒーを二つのマグカップに注ぎ、一つをイーサンの前に置く。
「おいしい」
「それは良かった」
2人はキッチンを挟んでしばらく、それぞれぼんやりとコーヒーを飲んだ。
「この部屋というか、家は、ガルダン王国では見かけないね」
「でしょうね」
「サヨコの驚くべき魔法も気になるけど、庶民とは思えない綺麗な所作や振る舞いも気になる。この部屋の文化度の高さと洗練された様式はすごい。今まで見たことも無い家具や道具ばかりだよ。君はいったい何者?」
「それを探るようにアレンに命令されてるの?それともあんたの顔と体で私を落とせとでも言われた?」
「あはは、両方指示はされてるけどね」
あっさりとイーサンは白状した。
まあ、グレーデンの腹黒将軍閣下のやりそうな事で、小夜子の中でも想定内だ。
「けど、俺はアレンが警戒するほど君が危険だとは思えないんだよね。まあ俺とアレンじゃ立場や責任が違い過ぎるんだけど。君は鏡みたいな人なんじゃないかなって思って。害意を持って接すれば、相応の報いを受けるし、誠意を持って接すれば誠意を返してくれるんじゃないかなあ」
「どうかしらね」
「少なくとも、知り合ったばかりの子供に見返りも求めず大金を渡す悪人はいないと俺は思うよ」
「好きに思ってくれればいいけど、あんたのお友達のアレンの事は信用してない。だからアレンの紐つきのあんたも信用しない」
「アレンの紐付きは事実だからなあ。でも約束するよ、俺が君に積極的に害を成すことはしない」
「別に約束もいらない。私に手を出すならきっちりやり返すだけだから好きにすればいいわ。どうせこの国にいる間だけの付き合いだもの」
「ありがとう。好きにさせてもらうよ」
嬉しそうに笑うイーサンを、コーヒーを飲みながら小夜子は眺める。
本当に顔と体は良い男だ。
見栄えのいい男に痛い目に遭わされ続けた小夜子は、いい男全般に偏見がある。簡単に言えば、色々と拗らせた面倒くさい女になっている自覚はある。
小夜子の過去の経験と、小夜子とイーサンの出会い方がとにかく悪かった。
「はあ、いい男といい恋愛がしたいわ・・・」
「ここにお勧めのいい男がいるんだけど?」
イーサンを無視して小夜子はコーヒーを飲み干した。
翌日に持ち越しになったが、イーサンに対して言いたい事を小夜子は言った。
害意は持たれていないとは言え、小夜子の利益とイーサンの利益が一致しているとは限らない。いつか敵対する事もあるかもしれない。
だが、現時点では全てが可能性の問題だ。起こるか分からない事を心配し続けても仕方がない。問題が起こったらその時考えよう。大抵の事は小夜子の魔法と腕力でどうにかなるのだから。
小夜子はイーサンに対して警戒する事をやめた。
「イーサン、私がやりたい事は二つあるの。一つはおかっぱ女神の石像修復。ファリンでの活動は終わったわ。もう一つは資金集め。将来的には良い場所に自分の拠点を持って、使用人に傅かれて暮らすのが私の目標なの」
「自分で稼ぐんだ。金持ちと結婚して旦那に養ってもらうって考えはないの?」
「信頼できる金持ちに出会えたらいいけどね。基本的に私は男性不信なの。自分の生活基盤は自分で作るわ」
「そうなんだ」
「で、ファリンで金稼ぎ出来る?出来ないなら次の町に行くわ」
「うーん、ファリンはギルド自体が無いしね。それなら次のグランシールまで行ってみよう。グランシールには冒険者ギルドと商業ギルドがあるから、稼げる金額も大きいと思うよ」
話はまとまり、小夜子とイーサンはファリンに長居せずにグランシールを目指す事となった。
ファリンからグランシールまでは馬車で10日間。バギーを飛ばしても6日はかかる。
初日の野営で小夜子はイーサンにロッジ型テントを出してやったのだが、
「俺、料理得意だよ。台所の使い方教えてよ」
とイーサンは申し出た。
イーサンは秘蔵のウィスキーで小夜子にハイボールを振舞い、ヒクイドリを使って小夜子念願の唐揚げを小夜子が満足するまで作ってやった。ミニキッチンのカウンターに小夜子が座っていると、向かいから揚げたての唐揚げが無限に出てくる。いつの間に仕込んだのかキュウリとミニトマトのピクルスもそっと出される。頼みもしないのに丁度よい量のペペロンチーノも出てきた。
「最高でしかないんだけど!」
最高の酒と料理に理性を失った小夜子は容易くイーサンの前で酔いつぶれ、イーサンは文句も言わず小夜子を介抱し、ベッドに寝かしつけてくれた。
イーサンのミニキッチンの後片付けも完璧だった。
小夜子はイーサンにミニキッチンを明け渡し、移動中の食事は全てイーサンの手料理となった。
「部屋、片付けてもいい?」
というイーサンの言葉に、つい小夜子は部屋の掃除もイーサンに任せた。
乱雑に散らかりつつあった室内が、程よく整頓されていく。イーサンはマメな男で、水回りも綺麗に磨き上げていく。
「すごい・・・」
まるでチェックイン直後のホテル並みの部屋の美しさに、小夜子も感動の声を上げた。
イーサンがコンテナハウスで過ごす時間はどんどん増えていく。
コンテナハウスの完璧なハウスキーパーと化したイーサンを強く追い出す事も出来ず、グランシールに到着する前日の朝には小夜子はイーサンの腕の中で目覚めていた。
嫌な事にはキッパリNOと言えるのだが、さほど嫌ではない事に関しては押しに弱い部分がある小夜子だった。
「男性不信っていう割に隙があるサヨコは可愛いねえ」
「言っとくけど!絶対に貢いだりしないからね!!」
後ろから抱きしめてキスの雨を降らすイーサンに小夜子は吠えるが、イーサンには毛を逆立てて精一杯威嚇してくる子猫にしか見えない。
「ははは、逆に貢がせてもらいたいくらいだけど。一生遊んで暮らしても使い切れないほどに、金はもう稼いであるんだ」
「顔も体も良くて金まで持ってる男なんて、この世に存在するはずない!」
「うーん、その辺りの不信が根強いんだねえ」
イーサンは小夜子をくるりと腕の中で回して向かい合わせになると、目を合わせて微笑む。
「もう一つ約束するよ。君に金銭を要求する事は絶対にしない。これで、少しは俺を信用してくれる?小夜子は深く考えずに俺を利用したらいいんだよ」
「これはイーサンの任務の一環だものね」
「任務の一環を越えてしまいそうで、困っている」
小夜子の頬を撫でながらそんな事を言うイーサンを小夜子はキッと睨むが、イーサンはそんな小夜子を前にやに下がるばかりだ。
イーサンの手管に精一杯虚勢を張って抵抗する小夜子を見て、イーサンは気分の高揚を覚えていた。抵抗する事自体が男として強く意識しているとイーサンに伝えているも同然なのだが、それに小夜子は気付いていない。
「サヨコは可愛いね」
半ば本心からの言葉をイーサンが小夜子に伝えると、小夜子はイーサンの二の腕をバチンと引っ叩いてくる。拳で樹木を粉砕するとアレンから聞いているので、痛いが小夜子は十分に手加減をしている。
怒ったポーズを取ってはいるが、かといって小夜子はイーサンの腕の中から抜け出さずに大人しく収まっているのだ。これは可愛いすぎるだろう。
ファリンで何か吹っ切れたのか、小夜子が引いていた一線が無くなったのは感じていた。
世話を焼けば素直に受け入れ、イーサンの料理には目を輝かせて口にする。
そんな小夜子は単純に可愛いらしかった。
異端の能力にも驚かされはするが、それよりも小夜子という人間の輝くような溌溂さは見ていて気分がよかった。
任務でもあるが、年下の同業者の面倒をこれからも見ていくつもりだった。
だから、小夜子の体に触れてしまった衝動に自分でも驚いた。そして小夜子に拒絶されなかった時、イーサンの内に湧き上がったのは明確な歓喜だった。
「サヨコが可愛すぎて困る」
これも半ば本心からの言葉だ。
「誰にでも言うんでしょ」
「サヨコにだけだよ」
可愛くとがった唇を軽く食めば、イーサンを受け入れる様に小夜子がうっすらと口を開く。イーサンは思うままに小夜子を味わった。
まだ出会って一週間ほどしか経っていないというのに、可愛らしく抵抗し続ける小夜子を上回る速さで、自分が小夜子に嵌っていくのをイーサンは感じていた。




