4.幸せな敗北(ウイリアム)
フォーゲル侯爵家では広大な土地を持て余していた。父がオレンジ栽培に興味を持ち、すでに大規模なオレンジ栽培で成功しているエヴァンズ伯爵に助力を求めた。伯爵は大らかな人で業務提携をした上でノウハウを伝授してくれた。私は次期侯爵として徹底的に学びたいと頭を下げ、伯爵領のオレンジ畑の下働きをさせてもらった。やはり実際に体験することは大事だ。問題点なども肌で感じることが出来る。
エヴァンズ伯爵子息アーサーとはその前から学園で親友として過ごしていた。エヴァンズ領地での滞在中は家族のように過ごさせてもらった。
夫妻の娘アナベルはまさに秘蔵っ子として大切にされていた。婚約者以外には不愛想なアーサーがメロメロで妹を可愛がる。ちょっと不気味だ。
私がエヴァンズ領に行く少し前にアナベルは婚約者の暴言で婚約を解消したそうだ。相手もまだ十歳なので未熟なのは仕方がないのかもしれないが、アナベルは自信を失い自分は不器量だと信じ込んでいた。そんなことはないのに見ていて可哀想になるほどだ。
とびっきりの美人ではないが愛らしいそばかすにふわもこな髪が子犬のモフモフのようで何とも撫でたくなる。ちょこちょこと畑を走り回って手伝いをする姿は元気な子犬そのものだ。アナベルはよくしゃべりよく食べる。そして素直で優しく大らかでいい子だと思う。私は一人っ子だから妹はいいなあと思っていた。だからその元婚約者の話を聞いた時には腹が立った。そしてアナベルに自信を取り戻してほしくて、可愛いと構い倒した。少女の自尊心を取り戻してあげたかった。
「ウイル。好き。私と結婚して下さい」
十歳のアナベルにプロポーズをされてしまった……。まさかそうなるとは!
政略で幼いときから婚約することはあるけれどこの場合は当てはまらない。アナベルは好きだがそういう気持ちではないんだよなあ。
「アナベルは十歳だ。まだ婚約者を決めるのは早いよ。そうだな。十八歳になってもまだ私のことが好きだったら考えるよ」
「考えるだけじゃダメ。結婚するって約束して! お願いお願いお願い!!」
「あはははは――。アナベルには敵わないな。じゃあ、十八歳になっても気持ちが変わらなかったら婚約しよう」
「約束ね!」
その頃には、私よりもっといい男を見つけて恋をしているかもしれない。
私は爵位を継ぐ準備とオレンジ畑の栽培を軌道に乗せるのに必死で、恋愛ごとはスルーしていた。家には釣書がわんさか来たが特に惹かれる令嬢もいなかった。そして爵位を継ぎ領地経営を完全に引き継ぐと多忙を極めた。
エヴァンズ伯爵領には定期的に畑の相談事で顔を出していた。その度にアナベルが大歓迎をしてくれる。彼女への贈り物が本や縫いぐるみから花や髪飾りになりアナベルの成長を感じるようになる。会うたびに少女が綻ぶように女性へと変わっていく姿は胸を衝く。それなのに私に向ける笑顔はいつだって無垢なまま。
「ウイル。愛してる!」
「ウイル。結婚して!」
「ウイル。好き好き!」
時間が経っても変わらないどころか会うたびに熱烈に求愛されては、降参するしかない。いつしかアナベルを好きになっていた。私の完敗だ。それに悲しいことがあって傷ついても、前向きに考え行動するその逞しい姿は惚れ惚れする。一途な思いに絆されたのもあるが、何よりもその心根が一番好きだと思った。
気持ちが固まりエヴァンズ伯爵に正式に求婚の許可をもらいに行ったが諸手を挙げて賛成をしてもらえた。アナベルはすっかり美しい淑女になっていた。そうなると今度は私の方が誰かに彼女を見初められ奪われるのではないかと不安になる。このときになってもっと早く自分の気持ちに向き合うべきだったと反省した。早々にプロポーズをする決意を固めた。
アナベルの十八歳の誕生日。アーサー曰く彼女は私にプロポーズをしようと張り切っているらしい。散々彼女に思いを伝えられていたがずっとはぐらかして来た。今までは自分の気持ちがはっきりしなかったからだ。でも自覚した今、さすがに求婚は私からしたい。百八本の薔薇を用意し身なりを完璧に整え彼女のもとへ向かった。
アナベルは淡いピンクのドレスで可愛らしく着飾り緊張した面持ちで私を迎え入れた。だが、緊張しているのは私も同じだ。年上らしくそれを隠しながらアナベルに愛を告げ求婚をした。こればかりは断られないと分かっていても緊張した。
「アナベル嬢。あなたが好きだ。どうか私と結婚して下さい」
「は……はい! ぜひぃ~」
ちょっとまぬけな声の返事がアナベルらしくていい。私は心の中でホッとしながら彼女にハンカチを差し出した。アナベルは号泣しながら喜んでいる。美しい淑女と思いきや昔のままのアナベルになんだか幸せな気持ちになった。
社交界のデビューのエスコートは私がしたかったが、伯爵にデビューのエスコートだけは譲らないと最初から言われていたので諦めていた。運悪く急な仕事が入り夜会には遅れてしまった。
ちなみに伯爵は「ウイリアム。自分の娘ができたらその時は私の気持ちがわかるはずだ!」とふんぞり返っていた。苦笑いで頷いておいたが、確かに自分の娘が出来たら私がエスコートしたい。もっともだと頷き納得した。
会場に到着するとアンダーソン伯爵子息が図々しくアナベルに話しかけていたが、とっくに婚約を解消していたことを知らなかったらしい。彼を追い払い婚約者としてダンスを三曲ほど踊り存分に楽しんだ。念のため正式にアンダーソン伯爵家には抗議をしておいたので、今後子息が近寄ることはないだろう。
私たちは一年後の結婚式に向けて着々と準備を進めている。
「ウイル。ウエディングケーキにはオレンジを使いましょう! 真っ白なクリームにオレンジを飾るのよ!」
「いいね。今度試作品を作らせよう」
「ねえ、ウイル。大好き!」
「私も好きだよ。ベル」
ドレスよりもケーキについて真剣に悩む姿がなんともアナベルらしい。
きっと私たちの披露宴は賑やかで楽しいものになるだろう。
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