3.さようなら黒歴史(アナベル)
私は十歳の時に婚約者と顔合わせをして一目惚れをしました。ところが秒で失恋しました。呆気なさすぎます。
しかもそばかすとくせ毛を馬鹿にされました。悲しいです。私はそれを今まで気にしたことがなかったのです。日焼けもなんのそのと領地を駆け回っておりました。領地には広大なオレンジ畑があり私はその手伝いが大好きだったのです。日焼けはそばかすに良くないと聞き大いに反省しました。失恋以降は顔に日焼け止めを塗りさらにタオルを巻いて手伝いを継続しました。
ある日、農園を手伝いたいとウイルという六歳年上の青年が来たのです。彼は兄の親友でもありました。ウイルのご実家がオレンジ栽培に参入したいと勉強に励んでいます。畑に出て土に触れ虫をやっつけ汗まみれで働く姿は貴族には見えません。だからてっきり下級貴族の次男か三男または商人の子息だと思っていました。まさか侯爵子息、しかも嫡男だとは想像もできません。
私たちは一緒に畑に出るうちにすっかり仲良くなりました。
「そんな酷いことを言うなんて紳士とは思えないな。アナベルは可愛いよ」
彼は優しく慰めてくれます。でも鵜呑みにはしませんわ。
「ウイル。もうお世辞はうんざりなの! 私は真実を知ってしまったのよ」
「本当に可愛いのになあ。くるくる働いて偉いよ」
「だってお手伝いは楽しいのですもの」
それからもウイルは毎日可愛いと言ってくれました。もう、嘘でもいいや、信じちゃおう! となったのは仕方がないと思います。そして好きになってしまうのは当然でしょう? というわけで――。
「ウイル。好き。私と結婚して下さい」
思い立ったが吉日。私はすぐさまプロポーズをしました。私は自分がブスだと知っています。それでも将来は幸せな結婚をしたいと思っています。諦められません。その為には私を可愛いと言ってくれる人をつかまえるのが重要なのです。もうお世辞でもいい。ウイルには乙女をその気にさせた責任を取ってもらいましょう。ハロルドへの失恋なんてそっちのけでウイルに求婚しましたが――。
「アナベルは十歳だ。まだ婚約者を決めるのは早いよ。そうだな。十八歳になってもまだ私のことが好きだったら考えるよ」
「考えるだけじゃダメ。結婚するって約束して! お願いお願いお願い!!」
押して押して押しまくります。十六歳のウイルにとって私がまだ子供にしかみえないのは理解していますが、チャンスは逃さずに手に入れなければ後悔します。
「あはははは――。アナベルには敵わないな。じゃあ、十八歳になっても気持ちが変わらなかったら婚約しよう」
私の懇願にウイルは観念したようです。この気持ちは何年経っても変わらない自信があります。言質を取りましたよ。
「約束ね!」
約束を取り付けホッとしましたが私としたことがムードのないプロポーズをしてしまいました。オレンジ畑のど真ん中でみんなに見られての求婚はまったくもってお洒落じゃなかったのです。私はどれだけ焦っていたのでしょう。そもそも私は田舎で育ったせいかお洒落には疎くムードもへったくれも理解していません。さらに身分とかも全く考えていませんでした。短慮が過ぎる求婚だったと反省しております、が後悔はしておりません。結果オーライ! 両親は苦笑いで見ていました。お兄様は「頑張れよ」と笑いながら応援してくれました。
ウイルは二年後には王都に帰ってしまいましたが、私たちは手紙のやり取りを続けました。彼は筆まめで手紙をくれます。私が毎週二通送るのに対し月に二通はお返事をくれます。はしたなくも「お返事待っているね!」と毎回書いているので催促しているも同然でしたが、多忙な中誠実に対応して下さいました。内容はオレンジ畑のことばかりですが……。それでも私にとっては嬉しいことでした。
さらには休暇の度に会いに来てくれました……まあ、私にというよりも農園の経営についてお父様に助言を求めてなのですが。ウイルのお父様は体が弱くウイルに爵位を継がせて領地で療養することになっていたそうです。ウイルのお父様と私のお父様は事業提携がきっかけで仲が良くなり喜んで力添えをしていました。
私たちは歳の離れた友人かつ畑での仕事仲間でしたが、私的には正式な文書を交わしていないだけの婚約者同然の婚約者未満だと思っていました。だからあと一押しで婚約者になれるはず! と信じております。
私が十六歳になる頃にはウイルがウイリアム・フォーゲル侯爵様(ちょっと前に爵位を継いでいた)でご令嬢たちに大人気だと知り焦りました。それまで彼の出自を確かめなかったことは迂闊としか思えません。うっかりさんにもほどがある。でも兄の親友で両親も信頼していたので大丈夫だと思い込んでいました。
とにかくかろうじて身分はウイルに釣り合うことが分かり安堵しました。それでも私が十八歳になる前に誰かに取られてしまうのではと不安で昼間は眠れません。でも今はできることをするだけです。経営の勉強と淑女教育を必死に学び精進しました。
十八歳になったら絶対にプロポーズをするという思いは揺らぎません。日々自分を磨きました。主に外見を。ウイルは長身で凛々しく年々格好良くなっていきます。隣にブスがいては彼に恥をかかせてしまいます。幸い努力の甲斐があってそばかすは消え肌は雪のように白くなりました。オレンジを使ったヘアオイルも研究しそれを使用したらいい感じに髪がまとまっています。余談ですがこのオレンジヘアオイルは大人気で爆売れ中です。我が家も私の髪もこの上なく潤っております。努力は報われるものなのです。
それでもお兄様にはもしウイルに恋人が出来たら教えて欲しいと頼んでありました。それは相手を排除するためではなく、私が身を引くためです。なぜなら私はウイルに好きだと会うたびにお伝えしていますが、彼は可愛いとは言ってくれますが好きだとは言ってくれないのです。たぶん妹のような存在なのでしょう。だから彼が本気で好きな人が出来た時は諦めるつもりでいました。好きな人には幸せになって欲しい。出来れば自分が彼の隣に寄り添いたいけれど、世の中はそれほど都合よく出来ていないと知っています。黒歴史で学びましたから! そして心の自己保身のためにも常に最悪の覚悟は必要なのです。
幸い十八歳のその日までウイルの浮いた話はなかったのです。彼は仕事に打ち込んでいたようです。(神様、ありがとうございます)
私は十八歳の誕生日会にウイルを招待しました。もちろん家族の前でプロポーズをするためです。(ここまで来たら逃がすつもりはありません)
彼は正装で現れました。その男振りはとても素敵です!! しかもその手には大きな薔薇の花束を持っていました。ま、まさか、私に?! 百八本の薔薇の花束!!
「アナベル嬢。あなたが好きだ。どうか私と結婚して下さい」
「は……はい! ぜひぃ~」
なんですと!! これは……サプライズですね!!
プロポーズをするつもりでしたのにされてしまいました。大歓迎です! そして感極まった私は滂沱の涙を流しました。大洪水です。ついでに鼻水も。そして一緒に過去のハロルドの「ブス」の記憶も流れていきました。ウイルは楽しそうに私の顔を見ながらハンカチを差し出してくれました。求婚し続けたことは無駄にならなかったのです。ウイルが単に絆されてくれたのだとしても私は幸せなのだから。
最高の誕生日を迎えたその日のうちにウイルとの婚約は整っていました。
「あら? 早すぎません?」
ウイルはいい笑顔を浮かべています。ちょっと不穏なものがあるような、ないような。……ないはずです。
その夜、お兄様が教えてくれました。
「アナベル。おめでとう。ウイルも最初は妹としか思っていなかったんだけど、王都に戻って以降、時折領地に会いに来るとアナベルが綺麗になっていくから目が離せないと降参したぞ。毎回熱烈な告白をされれば意識するようになるものだ。結局、アナベルのことが好きになった今、他の男には絶対に渡したくないとさ! 粘り勝ちだな」
「う、うれしいぃ~。理由は何でもいいのです。ウイルと結婚できるのですもの」
「私は信頼できる男にアナベルを任せられて安心したぞ。あと、まあ、頑張れ。侯爵夫人!」
「あ……」
そうだ。ウイルの妻はフォーゲル侯爵夫人になるということです。領地に引きこもっていた私に社交が出来るか不安だわ(汗)
でも、ウイルが隣にいるからきっと大丈夫でしょう。
私は幸せを手にしたことで昔の黒歴史を無事に払拭することが出来ました。もうあの時のことを思い出しても叫ばないし走り出したりしませんとも! そんなこともあったかなくらいのちょっとほろ苦な思い出です。
「あ~。いい香り。むふふふ……」
思い出し笑いをしていたら侍女が引いています。それには気付かなかったふりをしました。
私はウイルからもらった薔薇の香りをかいで幸せに浸ったのでした――。