1.黒歴史(アナベル)
よろしくお願いします。
黒歴史――。
誰にも大なり小なりあると思います。もちろん私、アナベル・エヴァンズ伯爵令嬢にもあります。
あれは十歳になったばかりの頃、一週間前に婚約した相手との顔合わせで起こった出来事です。
相手の男の子は同じ年でサラサラの金髪に愛らしい顔をしたまるで天使のような男の子だと聞かされていました。父親同士が友人で彼の家が負債を抱え、援助を申し出た際に婚約の話が決まったそうです。私は領地で過ごしていたので彼にも彼のご家族にも会ったことはありませんが、私の両親は王都に行くたびに彼らにあっていたそうです。彼は挨拶がきちんと出来ていつもニコニコ笑顔で素直な子だと両親からは高評価だったのです。ゆえにとてもいい縁組だと喜んでいました。私は彼に会うのがとても楽しみでした。
そして当日。目の前には聞いていた通り、いやそれ以上に可愛らしい男の子がいました。それはもう少女と見まごうほど可憐です。天使が本当にいた! 私の婚約者が素敵すぎます。興奮して鼻血をふきそう。テンションが爆上がりです! 喜びに笑顔になったその瞬間――。
「お前すごいブス! そばかすがいっぱいで顔が汚いし髪はもじゃもじゃで変! 父上、こんな女と婚約なんて嫌です!」
天使様の桃色の唇からは悪魔のような言葉が飛び出し私の心をずたずたにしたのです。
「うわ――――ん!!」
春の花が咲き誇る顔合わせの場所となったお庭は泣き叫ぶ私のせいで地獄絵図と化しました。
私は彼に言われるまで自分は可愛いと信じていました。それは仕方がないと思うのです。
父と母は「私の可愛い天使ちゃん」と溺愛し、兄は「僕の可愛い妖精さん」とシスコン気味です。そばかすももじゃもじゃのくせ毛も可愛い可愛いと言われ続けチャームポイントだと思っていたのです。領民も「お嬢様は可愛い」と手放しで誉めてくれます。それはそうですよね。領主の娘を「ブスだ」と言う恐れしらずな人はいないでしょう。
これは初めて会った何の忖度もない彼だから言えた真実なのです。(いや、仮にも婚約者なのだから配慮するべきなのでしょうが、良くも悪しくも馬鹿正直な子供だったのでしょう)私は十歳にして現実を知り、そして自信を失ったのです。
「私は見苦しい女だからキラキラしい王都に行ってはいけないのだわ!」
家庭教師をつけてもらい領地で勉強に励み煌びやかな王都に近づくことを拒否しました。
私に甘い家族はそれを許してくれましたので、オレンジ畑が広がる広大な領地で暮らすうちに徐々に心の痛みは和らいでいきました。それでも時々、彼の言葉を思い出しては居た堪れなくなり突然「わ――!!」と叫び、庭を走り出すことがありました。ときにはオレンジ畑の中も走り回ります。そうすると心が落ち着くのです。気分爽快!
色々な人が慰めてくれましたが真に受けてはならぬと私は自分の心を諫めました。
そんなある日、教えてくれた人がいたのです! 何もしないままの『可愛い』は容易く存在しないことを。確かに生まれたときから美の女神様から愛されている人もいるでしょう。そう、あの婚約者のように。でもそうでない人も多いのです。そしてその人たちは日々、努力を重ね研究し美を手に入れているのです。要は怠けものには反論の余地なし! といったところです。
それに気づいてから私なりに努力を始めました。そばかすを減らすために日焼けに注意し、しっとりクリームを塗りました。髪にも艶の出るオイルをつけ優しいブラッシングを心掛けました。幸い成長と共にくせ毛は柔らかいものになりお手入れさえ欠かさなければそれなりにお洒落感が出るようになったのです。お年頃の時期に差し掛かるときにはスタイルに気を付けていずれ必須になる社交界デビューに備えたのです。(太っては駄目!)
その甲斐もあって私の十八歳の社交界デビューのときには貴族令嬢としてはなかなか見られる容姿になれたと自負しております。ブスからそこそこになれたはずです!
私はお父様にエスコートをしてもらい夜会にいざ出陣……いえ、出席しました。
「私の天使は今日も可憐だな!」
私をスマートにエスコートをして下さる上機嫌なお父様の言葉は話半分……いえ、四分の一で聞いておきます。親馬鹿……愛情あってこその言葉に心から感謝しています。とはいえ真にはうけません。私は学習したのです。身内の誉め言葉はまるっと信じてはいけないことを! それにより恥をかくのは自分自身ですからね。
本日お母様はお義姉様と生まれたばかりの孫が風邪を引いて心配だと王都のお屋敷でお留守番です。お兄様は仕事で遅れて夜会に出席することになっています。
私はお父様とウキウキ初ダンスを踊りました。とても楽しかったですが緊張し過ぎて疲れてしまいました。
「私ここで休んでいてもいいかしら?」
周りには年の近い令嬢が休憩しています。
「分かった。私は挨拶をして来るから絶対に知らない人について行っては駄目だぞ」
知らない人って……私はもう十八歳ですよ?
「はい。分かりましたわ」
心配症のお父様を見送り椅子でまったりと果実水を口にします。少し離れたところで同年代の子息たちがこちらを見ながらヒソヒソと話をしています。周辺にどなたか意中の人がいるのかもしれません。
「ふわふわの髪が可愛いな」
「真っ白な肌が輝いてるよ」
「スタイル抜群だな」
誰のことかしら? 令嬢たちもどこかそわそわしています。まあ、私には関係ありませんが。すると一人の男性がこちらに向かってきます。あら、ご令嬢をダンスにでも誘うのかしら? その子息はなぜかこちらに真っ直ぐ歩いて来て私に微笑みかけます。
(ウゲッ!)
ちょっと心の声が下品でしたわ。でもそれも仕方がないと思うの。だって目の前にいる男性は以前私をブスと認識させた張本人、ハロルド・アンダーソン伯爵子息なのですから! 今更何の用なの。あっちに行って。シッシッ!
私は目を逸らしました。だって黒歴史が、忘れたい黒歴史が蘇ってくるのですもの。張本人がこっちに来るぅ――!!
「美しいレディ。どうか私と踊ってください」
(気持ち悪い!)この人に一目ぼれした十歳の自分を殴りたいかもですわ。
自分に酔いしれ(ナルシストに違いない)私が断るはずがないと手を差し出してきました。レディって私が誰か気付いていないのかしら? 断る作法ってあったかしら。手袋を投げつける? あれは決闘ね。えーと……。
「オコトワリシマス」
「ええっ?!」
なぜ驚くのかしら?
「……」
「ああ、なるほど。照れているのですね? 大丈夫です。私がしっかりエスコートしますから。さあ、レディ。手を」
違います! ポジティブ過ぎです! 彼は自分に都合のいい思考をお持ちのようです。困ったちゃんというか迷惑ちゃんだわ。
「あなたと踊る理由がないのでお断りします」
私ははっきりと伝えました。
「……アナベル。生意気にも婚約者からのダンスを断るのか? 私に恥をかかせるなよ」
「え……」
逆切れですか? しかもアンダーソン伯爵子息は私がかつての婚約者アナベルだと気付いて誘ったようですが……それこそ、なぜ???
私たちの婚約はたった一週間で解消されています。顔合わせの一週間前に婚約し顔合わせてすぐに解消したのです。恥をかかすなとおっしゃいますが、そもそもあなたが私に声をかけなければかくはずのない恥でしたわよ? 自業自得だとおもいます。その覚悟がないのなら誘わないで下さいまし。
婚約解消を彼が知らない、わけないですよね。何と言ったらいいのかと思案したその時――。
「ベル。遅くなってすまない」
低くて優しく素敵な声。私の愛する婚約者が来てくれました!