ポイポイ人生
人生の岐路に立ったときは困難な道の方を選べ!という格言っていうか風潮みたいなのがあるでしょ? 僕はあれが嫌いだ。なんでわざわざ辛く苦しい道を行かなければならないのか。いや、何か明確なリターンがあるならいいよ? でも、見通しも立たないのに、迷ったら、はい!困難な方の道!っつって、ドMですか?って感じだ。自分を律して自分の心身を鍛えるのはすばらしいことだと思うけど、それは自分自身の意思でやるから納得感があるんであって、困難な道の方を選べ!って、他人に道を決めつけられたくない。誰だよと思う。『困難な』の定義も曖昧だ。さっきの話じゃないが、リターンが明らかに存在するんだったらそもそもそれは本当に困難な道ですか?って問いたいし、真に困難な道ってのは先行きもわからない闇夜の茨道じゃないだろうか? そしてそんな道には誰も進まない。誰かに進むよう強要するべきでもない。
僕は高三になってから毎日、放課後、教室に残って受験勉強をしている。夕方になり警備員さんが見回りに来たら帰るようにしている。塾へは行かない。大半の生徒は学校を終えると今度は塾で勉強を始めるが、僕は教室で自習でいい。わざわざ学校から塾へ移動するのが面倒臭いし、カリキュラムが定められているのも鬱陶しい。自由にやりたい。
教室で居残り自習をしているのは僕だけじゃない。他にも何人かいるし、たぶん図書室とかでやっている生徒もいる。塾が絶対ってわけではない。で、僕は一人で黙々とやるタイプだったんだけど、三年四組の教室にはもう一人、黙々とやる女子がいて、その小川斗子っていう子が、他の居残りグループが全員下校してしまって僕と二人きりになったとき、「お菓子食べる?」と話しかけてきてくれて、僕は恋に落ちてしまう。
「いいの?」と僕は一応確認する。
「いいよ」と小川さんは控えめに笑っている。「休憩も必要だよ。浦司くん、顔も上げずにずっと勉強してるから」
「……ずっと俺のこと見てたの?」
「ふふ。見てないけど。見てないけど、ずっと顔も上げずに勉強してる雰囲気があるからさ」
「はは。そっか」たしかに僕はいったん集中するとなかなか途切れない。姿勢も変えない。「お菓子ありがとう」
「クッキー、食べれる?」
もちろん市販のクッキーだ。「食べれるけど……うわー、クッキーなんて何年ぶりに食べるだろう」
「あんまり食べない?お菓子」
「クッキーは食べないかも。食べれるけど」僕は小川さんが持ってきてくれたクッキーをいただく。「ありがとう」
「ううん」
小川さんは自分の座席に戻っていく。
不思議なもので、これだけで僕は小川さんが好きになる。クッキーをもらっただけじゃんって言われそうだけど、そのときの空気感、小川さんの佇まい、それから僕の気分とか……いろいろな条件が重なって僕は恋に落ちたんじゃないだろうか。だってたしかに、女子からクッキーをもらっただけで僕は勘違いなんてしない。
小川さんは明るくて目立つ女子ではないけれど、静かすぎて目立たないということもなく、クラスでは平均的な立ち位置に思える。体は少し小さめで、顔もちっちゃくて丸い。放課後は眼鏡をかけていて、その眼鏡のレンズ部分も丸っこいもんだから、なんかとにかく異様に丸いって印象がある。でも実際は手足なんかには余分な肉がついておらず細く、丸いのは顔周りだけだ。可愛いかどうかの話だと、僕は今まで特に注目していなかったが、見れば見るほどに整った顔立ちをしていて、さりげない可愛さを隠し持っているって感じだった。好きになったからそう見えるだけなのかもしれないけども。
しかし、こんな高三にもなって受験勉強を頑張らないといけない段階に差し掛かって僕は何を恋なんてしているんだろう。そんな楽しいことをしている場合じゃないし、受験が終わったら卒業で、僕と小川さんは別々の大学へ行って離れ離れになる。仮に付き合うとしても、今これから親愛を深めていこうとする動きは、受験勉強の妨げになりすぎて仕方がない。恋愛の心地よさに囚われたら、勉強なんてしたくなくなってしまうかもしれない。僕はどうすればいい? 高校生活も残り一年を切っているんだし、この恋心はスルーでいいか。小川さんにも迷惑をかけたくない。
そう思っていたのに、九月、学校祭が終わったあとも僕は居残り自習をしていて、小川さんも同様だったので、僕は小川さんに告白してしまう。
「ねえ、小川さん」
小休止の時間で、小川さんは僕の方を向いている。「なあに?」
「小川さんの第一志望ってどこなの?」
「宇羽大学だよ。知ってる?」
「知ってるよ」国立大学としては中堅クラスだ。
「そこが無理そうだったら、芯中大学か上亥大学か。できれば宇羽大学に行きたいんだけど」
「そっか」僕の志望校の範囲とは少しも被っていない。やはり。卒業後に僕達がいっしょになる道ってのは存在していないわけだ。それを確認するための質問だったのに、なのに僕は「小川さんのこと好きなんだけど」とけっきょく告白してしまう。
「え?」と小川さんは呆ける。「何の話? わたしがどうしたって?」
「いや、俺、小川さんが好きだなあって」
「ええ? ふふ、わたしも好きだよ?浦司くんのことは」
「付き合う?」
「あ、そ、そういう話!?」と小川さんはメチャクチャ驚いている。高三の秋に付き合う付き合わないの話をされるだなんて思ってもみなかったんだろう。「わ、わたしなんかと付き合いたいの? 変わってるね……。なんで……?」
「いや、可愛いし。いっしょにいても全然変な空気にならないし、落ち着く」
「…………」小川さんは僕をじっと眺めながらしばらく考え、お、これは行けるかも?と僕に期待をさせてから「付き合うのは無理でしょ」と言う。
「無理か」
「勉強、しなくちゃいけないし」
「まあね」
「付き合ったら、たぶん、勉強が疎かになっちゃうと思うし。それはまずいでしょ?」
「まずい」
どの大学へ進むかはもしかしたら一生を左右するかもしれない問題だ。高校時代の恋愛は一生を左右なんてしない。どうせすぐ別れる。天秤にかければ答えは簡単に出る。
「もうちょっと早く言ってくれたらよかったのに」と小川さんは困り笑いをしながら言う。
「高二とかんときに?」
「そう」
高二で付き合い始めたとしてもけっきょく受験勉強の妨げにはなるし、けっきょく卒業したら別れるんじゃない?と思うけど言わずに「好きになったのがごく最近だったからなあ」とだけ言う。
「そうなんだ?」
「うん。で、気持ちを抱え込んでるとそれはそれで勉強が手につかないから、一応告白させてもらったんだ。ごめんね? 小川さんの心を乱すような真似して」
「あ、ううん、いいよ」と小川さんは首を振る。「告白自体は嬉しかったから」
と言っていたのに、翌日から小川さんは教室で自習をしなくなる。たぶん僕を避けて図書室へ移ったんだろう。別に構わない。告白は失敗していて、僕と小川さんの未来に先はないってことが既に明白になっているから今さらショックでもなんでもない。僕は平常心で勉強を続ける。
ウチの高校は模試の結果を集計して独自のランキングにして貼り出すから、学年で誰がどのくらい勉強できるのかがよくわかる。
十月の模試の結果が出たあと、もう二度と喋りかけてこないだろうと思っていた小川さんが息を弾ませながら僕に言う。
「浦司くんって、ものすごく頭いいんだね! 全然知らなかった……」
今回は英国社の三教科四科目で一番だったから、たしかにインパクトはあったかもしれない。
「頭はよくないよ。ただ勉強してるだけ」
この返しもウザいかな?と思うけど、でも他の返し方を思いつけない。どう返してもウザくなりそうで困る。
けれど小川さんは気にしていない様子で、まさか僕がここまでやれるとは夢にも思わなかったのか、興奮している。
「これ、最乃宮大学とか鷹座大学とか狙えるんじゃない? 浦司くんの第一志望はどこなの?」
「喜門大学とかかなあ」
僕が答えると、小川さんは目を細める。喜門大学も国内では五番目か六番目くらいの国立大学なので悪くはない。
「……喜門大学で何判定なの?今」
「B判定だよ」
「もったいないよ」と言われる。「もっとやれるよ、浦司くんなら」
「もったいないって言われてもなあ。別に喜門大学でいいんだけど。篠間大学とかでもいいし。比較的実家から近い」
「それなら鷹座大学の方が近いでしょ?」
「鷹座大学は別格でしょ。偏差値が高すぎるよ」
「浦司くんなら勉強続けてたら絶対行けるって」
「理系は苦手だし」
「苦手って言って、理数も五番以内だったじゃない」
「あはは。小川さん、よくチェックしてるな」僕は可笑しくて笑ってしまう。
小川さんは少しうつむく。「それは……まあ、告白してきてくれた人だし、ついチェックしちゃうよ」
「やっぱ意識させちゃってるか。ごめん」
「や、わたしが勝手にしてるだけだから」
「…………」
「放課後も、勝手にいなくなってごめんね。わたし今、図書室の方で勉強してるんだ」
「なんとなくわかってたよ」
「お互いに集中しづらいかなと思って。おんなじ空間にいたら」
「ううん。気を遣ってもらって申し訳ない」
「いや……」小川さんは話を戻す。「とにかく浦司くんは志望校のランクを上げなよ。ホントにもったいないから」
「別にいいよ」
喜門大学が鷹座大学に変わったところでそこまではっきりと明確に将来に影響するんだろうか?残り少しの如何ともしがたい偏差値を気張って上げる努力に見合うだけの。僕はそこが疑問だ。
「浦司くんにはすごい可能性があるのに」
「どこに行ったって変わんないよ、そんなに」
「いやいや、最乃宮と鷹座は別格だよ。浦司くん自身さっき言ってたじゃない。最乃宮大学出身です、鷹座大学出身です、っていうだけでもう全然違うよ」
「ふうむ」
たしかに名前としての格はある。僕が言いたいのは、その格に格以上のバリューがあるのか?ってことと、その格に自分自身がついていけるのか?ってことだ。
「やれるんだからやった方がいいよ。絶対に浦司くんのためになる」
「うーーん。そうだねえ」
僕が適当な相槌を打っていると、小川さんが切り込んでくる。「浦司くんが最乃宮か鷹座大学に合格したら、付き合ってあげる」
「は……?」僕はなんだか、無性にムッと来る。「何?それ」
「ご褒美」
「付き合ってあげるって、小川さんは別に俺のこと好きじゃないんでしょ? 付き合うって、何年付き合ってくれる予定でいんの? 一生付き合ってくれるの?」
「え……そんな具体的なとこ来る?」
「来るだろ。そんな交換条件おかしいし、小川さんがもし俺のことホントに好きなんだったら、俺が告白したときに付き合ってくれればよかったんだしさ。ホントに好きじゃないクセに、そんな、俺の尻を叩くためにそこまでの約束して、どれくらいの責任までを取るつもりでいるのさ」
「ご、ごめんなさい……」と小川さんはすぐ謝る。「浦司くんのこと、ホントにもったいないと思うから」
「全然。俺は喜門大学だとか篠間大学だとか、とにかく進学した場所で頑張るから、なんにももったいなくないよ」
小川さんは涙目になっていて、丸い眼鏡の奥に涙を溜めていて、僕はちょっと言い過ぎたかなと後悔するけれど、気持ちに偽りはない。小川さんはその場のノリでとりあえず言ったんだろうけど、そんなの現実的じゃないし、この間の僕の恋心は正真正銘本物だったのに、なんだかそれすらもバカにされた気分だった。
放課後の廊下での出来事で、僕が少し声を荒らげたときに誰も近くにいなくてよかったと思った。
そして、それからも僕はペースを変えずに勉強をする。行くつもりはないけど、志望校の欄に鷹座大学も加えてみるものの、模試で得られる判定はC止まりだ。いくら学校内で順位が上でも、鷹座大学を目指す奴らはそれ以上のバケモノで、僕はそいつらといっしょに四年間学びたくなんてないし、自分にふさわしい場所へ行かせていただく。
先生にも小川さんと似たようなことを言われたが、僕は志望校のランクを上げるつもりはないときっぱり断った。先生としてはよりランクの高い大学へ行ってほしいのだろうけど、僕がこういうスタンスなので、無念だろうがあきらめてもらう他ない。
小川さんとはときどき話す。というか、あのとき僕が泣かせたみたいでバツが悪いから、なんとなく機嫌を取っておきたいというか、僕はもう怒ってませんよアピールを時折したいのだった。それでもやっぱり以前のように打ち解けた自然な感じではなく、なんか、なんだか少しぎこちないようなきらいがある。僕の方も、もう小川さんに恋心は抱いていなかった。
冬が来て、共通テストを皮切りに私立大学の試験があり、国立大学の試験があり、大勢が決する。僕は喜門大学に落ちる。マジか。西の私立大学の最高峰、紫蝶大学には受かるが、僕はそこも蹴って鷹座立旗大学へ進むことにする。
高三の冬も大詰めで、進学先が確定したためもう登校してきていない生徒もたくさんいるんだけど、僕がなんとなくぶらりと学校へ足を運ぶと偶然にも小川さんと鉢合わせる。小川さんは宇羽大学の前期日程に落ちており、今現在は上亥大学の後期日程へ向けて最後の追い込みをしている。
僕が鷹座立旗大学へ進むんだと報告すると、小川さんは愕然とする。「どこ?立旗大学って」
「立旗大学は立旗大学だよ」と僕は笑う。「鷹座の私立大学」
「紫蝶大学には行かないの?」
「行かないよ」
僕がそう言うと、小川さんは泣く。メッチャ号泣する。
「ふ、な、な、なん、で、浦司くんは、っく、う、そういう、もったいないことばっかり、するの?」
「別にもったいなくなんかないよ」
「国立の後期も受けないんでしょ?」
「うん」もう力が抜けてしまった。
「ううう、ふ、っく、な、なんで自分の可能性を狭めるようなことばっかり、ふ、す、するのさ」
「狭まらないよ」
「紫蝶を蹴るなんて、バカだよ」
「紫蝶大学に行ったからって、立旗大学より将来の可能性が広がるかっていったら、そうとは限らないでしょ。立旗には立旗でしか出会えない出来事がきっとあるだろうし、一概に可能性が減るってもんじゃないよ」
「…………」
「俺は自分が頑張りたいと思える場所で頑張るよ。紫蝶なんて、息苦しそうだ」
「……立旗大学には何があるの?」
「さあ? 去年まで女子大だったらしいよ。今年から男女共学になるから、なんか面白そうでしょ?」
別に冗談で言っているわけではないのだが、小川さんはより激しく、うわーんと泣く。僕がムカつくっていうのもあるのかもしれない。いろんな可能性を持っているらしい僕が、その可能性をポイポイ排出投棄しながら進んでいっているように見えて、気に入らないのかもしれない。もったいないと思う反面、憎らしいのだ、きっと。じゃなきゃ泣いたりしないだろ、普通。
自分次第だ、と思う。紫蝶に行こうが立旗に行こうが、そこで努力しなければけっきょくどうにもならない。進学先のランクが直接的に将来を支えてくれるってもんではない。どの大学へ進むかは一生に関わる問題かもしれないけれど、僕はランク・偏差値などの話はしてない。
人生の岐路に立ったときは困難な道の方を選べ!っていうお言葉を参考にするなら、僕の選択はどうだ? 紫蝶大学への道が困難か、立旗大学への道が困難か。もしも紫蝶に格があると仮定した場合、就活は有利になるだろうから、一切の加護がない立旗の方が最終的には辛くて苦しいんじゃないか? 僕はそうは思わないけれど。しかし、とにかくひとつ言えるのは、他人に何かを指図してくる言葉なんてクソってことぐらいだ。ちょっと大きいことを言ったり、エスプリを利かせたりして本人が気持ちよくなっているだけのクソな言葉だ。聞く必要なんてない。
泣き止んだ小川さんが「まあ、頑張って」と雑に応援してくれる。
「小川さんも、後期、もうひと踏ん張りだよ」
「ありがとう」
「国立の後期日程なんてもうアレかもしれないけど、わかんないところとかあったら連絡してくれてもいいよ。教えられたら教えるし。俺でよければ」
「うん、ありがとう。でももう、大丈夫」
「そっか」
「たぶんこれでお別れかな、浦司くんとは」平淡につぶやく小川さん。「もう会うこともなさそう」
「なんだよ?それ。寂しいな」
「思ってないクセに」と笑われる。「去年まで女子大だったってことは、二年生から四年生までは全員女子ってことか」
「ああ、立旗大学のこと? そうなるね」
「浦司くん、意外と女好き?」
「いや、男子はみんな女好きでしょ」
「頭いいのに」
「関係ないよ」
「ふふ。あのね? あ、やっぱりいいや」
小川さんは言いかけて、やめる。
「はは。なに?」
「やっぱいい」
「なんだよ。気になるじゃん。最後に謎を残して去らないで」
「ふふふ。あのね? だいぶ前に、浦司くんが鷹座大学に合格したら付き合ってあげるって言ったでしょ?わたし」
「うん。言ってたね」
「あれね? 浦司くんはすぐに『じゃあ目指す』って言ってくれると思ってて、それを言ってくれたらその場で付き合いたかったの、わたし」
「んん? ふうん? あれ? 小川さん、俺のこと好きじゃないよね?別に」
「好きだったよ、あのときは」
「…………」過去形か。だったらいいんだ。「それは残念だったな。俺が思い通りの反応をしなくて」
「ふふ。残念」小川さんも笑っているし、それでいい。僕はもう小川さんにそういう興味はない。だから「でも紫蝶大学にすら行ってくれなかったから、あきらめもついたよ」と冗談で言われても何も思わない。冗談じゃなく本音かもしれないが、それでも何も思わない。小川さんはそういう格を気にする子で、きっと僕とは合わない。
春からは立旗大学での生活が始まる。立旗大学は喜門大学にも紫蝶大学にも遥かに劣るランクだけれど、立旗大学には立旗大学の可能性があり、それはきっと他の大学で必ずしも得られるものじゃないだろうし、今から楽しみでしょうがない。




