◆そして、七日目
ようやく七日目に戻ってきました
結局、朝の仕込みが始まるギリギリまで粘り、皆が納得するスフレ風チーズケーキが完成した。
皆、目の下に隈ができていたが、やり切った感に快哉をあげる。
出来たうちの一切れは、もちろん冷温庫に入れた。
そうして朝のドタバタが片付き、さあ、これから昼の準備をとなった頃、マヌエルが現れた。
またまっすぐ冷温庫に向かうと、扉を開ける。てっきり小人に繋がってスフレ風チーズケーキがなくなっているのかと思いきや、それはまだそこにあったらしい。
マヌエルが呆れた声で呟いた。
「またお菓子を入れたのか」
「当然だ、小人の助言のお陰で、お菓子が完成したんだからな」
「その小人ってのは……まあいい。お菓子と一緒にこれも入れるぞ」
マヌエルが数枚の紙をケーキが乗るお皿の下に挟み込んだ。
「なんだそれは?」
「こちらの事情を絵で描いてある。少し文字も加えたから、また返事が来るかもしれない」
「絵って……マヌエルが描いたのか?」
「いや、旦那様に朝一番で絵のうまい使用人を紹介してもらった」
随分と仕事が早いと思っていたら、マヌエルは俺たちのせいだと言う。
「そもそもオレも旦那様も、向こうと意思疎通をするという発想がなかったからな。旦那様もそれが可能ならと、便宜を図ってくださった」
「そうなのか?」
当たり前のように、小人とやり取りができるつもりでいた自分たちとは、かなり感覚が違うようだ。
「その件で話が聞きたい。旦那様の許可はとっているから、少し時間をくれ」
言うなりマヌエルは料理長の所に向かい、話をつけると、旦那様のところへと俺を連れ出した。
普段は一切入ることのない旦那様の部屋。
見るからに高そうな、細かな細工の調度類が置かれており、身動きするのも緊張する。常に清潔を心がけているとはいえ、料理人の服で訪れるには場違いだ。
昼の一番厨房が忙しい時間に抜けているという罪悪感もあったが、正直厨房の喧騒の中に戻りたくなる。
旦那様は、一度隠居されたとはいえ、長年シュタールベルク家の当主として、伯爵として働いてこられた。頭には白いものが目立つし、顔や手にも皺が目立つ。
細身だが、お肉も揚げ物も食される健啖家。歯も丈夫なのだろう。硬めの、歯応えの良いものを好まれる方だ。
「旦那様、彼がヨハンです」
マヌエルが俺を紹介する。急いで帽子を取り、頭を下げる。
「君がマヌエルに召喚魔術を使わせ、異世界と会話しようとした料理人か」
面白がるような笑い含みの声に、俺はつい顔を上げた。
少し人の悪そうな笑みを浮かべた旦那様と、目が合う。
「この歳で、こんな面白いことに出会うとはな」
頭を上げるよう手で示され。
俺は姿勢を正す。
「先日のベリーとチョコレートのお菓子は、美味だった。名前は決めたのか?」
「あ、い、いえ。小人の方では呼び名があると思うのですが、わかりません」
くつくつと笑う旦那様。
なにか変なことをいっただろうか?
「それは向こうの世界の呼び名だろう。この世界では君が最初に作ったのだから、名付けをしたいとは思わないのかね?」
そんな発想は全く無かった。
急にそんなことを聞かれても、特に自分で名付けたいという想いはない。
答えあぐねる自分に怒ることもなく、旦那様が重ねて問うた。
「お菓子の名前の候補はあるかね?」
名前……候補……。
ぐるぐると頭が空回りするが、パッと一つ案が浮かんで、俺はそれに飛びついた。
「いえ、はい、あの……お許しいただけるなら、『アンネリーゼ』と。アンネリーゼ様の為に作ってものですから」
旦那様が急に高らかに笑った。
驚いて、撤回しようとすると。それを制するように手を前に出される。
「いや、自分の名前ではなく、娘の名前にするとは思わなかった。良いだろう。あの菓子の名前は『アンネリーゼ』だ」
「ありがとうございます」
「君は人が良いと言われるだろう?」
特に、そんなことは言われたことがない。
いや、前に一度、マヌエルに言われたか。
「ピンと来ぬかな?だが、その君の人の良さが周りを巻き込むのだろうな」
自分もマヌエルも、小人も、まんまと巻き込まれたわ。
そう愉快そうに笑う旦那様。
巻き込んだと言われると恐れ多いが、言われてみればそうなのかもしれないと思い直す。
「申し訳ございません」
「いやいや、君の騒動に巻き込まれてみるのも面白い。アンネリーゼもその方が笑顔が増えるだろう」
旦那様が笑いを収めると、するりと顎髭を撫でた。
「さて、今後についてだが。引き続き異世界とは意思疎通を試してみてくれ。まずはお菓子の話題で良い。可能なら向こうの世界の様子も聞きたい」
俺としても、願ったり叶ったりだった。
躊躇いなく頷くと、旦那様はマヌエルにも目を向ける。
「マヌエルは言語の翻訳を頼む。あとは、外交官が使う翻訳の魔導具があっただろう。あれの応用で意思疎通が可能か検討してみてくれ」
「わかりました」
「少しだが、この件にも予算を回そう。経費で必要なものがあれば、言ってくれ」
予想外の話に目を丸くする俺に構わず、旦那様は話を続ける。
「今の話は料理長にも伝えて、彼にも君に協力するよう指示しておく。他にも屋敷の者で、協力が必要であれば言うと良い」
「……そんなにしていただいて良いのですか?」
自分に都合の良い話ばかりで、俺はかえって戸惑ってしまう。
俺の言葉に、旦那様は俺を見据えた。
心の奥底を覗き込むような視線に、じっとりと冷や汗が滲んでくる。
「私もマヌエルも、異世界と聞いてこちらにとって脅威になるものを想像していた。意思疎通などもっての外、同じ価値観を持たない人ではないもの。相手から奪うことは考えたが、請うことは最初から考えなかったのだよ」
脅威。
奪う。
そんなことは、本当に考えたこともなかった。
自分とは認識の差があるかもしれないとは思っていたが、ここまで違うものだったとは。
「だが、君は違う。異世界のものを小人と称して敬意を払い、礼をし、助言を請うた。それに小人が答えたのなら、君の考えのほうが合っていたのだろう。ならばもう少し、異世界とやらの様子を覗いてみたいとは思わないかね?」
「はい、それは……思います」
頷く俺に、旦那様は満足そうに笑った。
「では決まりだ。君の仕事は小人と親睦を深め、可能なら向こうの世界の様子を聞き出すこと。それが有益なものであればなお良い」
わかりましたと返すと、老伯爵は目を輝かせて微笑んだ。
「年甲斐もないが……わくわくしないか?ヨハン」
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