見合い結婚に夢を見る
手紙が来た。
友人が結婚した旨を伝える簡略なものだった。国境を越えなければ会えないから、結婚式にも呼ばれなかったのだと思う。
自分自身、手紙をもらうまで存在すら忘れていたような友人だった。昔はそれなりに仲がよかったけれど、今では年に一度、社交辞令のような手紙を交わすだけの友人。
絵に描いたような恋愛結婚を果たしたと手紙に書いてあった。元々情熱的な人だ。見合いなぞまっぴらごめんと吐き捨てていたあの頃のまま、結婚もしたのに違いない。
「いいなあ」
ふう、とため息をついて、私はおやつのクッキーをかじった。クッキー自体は甘さが控えられていて、そのせいか少し苦く感じた。
「私も一番好きな人と結婚してみたい」
横で一緒に休憩をとっていたメイドたちが私の独り言を聞きとがめる。
「そうなると、先に離婚をしなければなりませんね」
「若様には否がございませんから、若奥様は慰謝料をいただけませんよ」
「慰謝料もなしに離婚だなんて、若奥様バツイチになるだけでなんの利点もないじゃないですか」
口々に言うことはもっともで、私も結婚早まったかなあと思わないでもない。
私はかの友人が嫌った見合い、しかも結婚式当日まで顔を合わせたことのない相手と結婚した。愛のない、なさすぎる結婚。でも条件はこの上なくよかった。見目も悪くない同年代のしっかりした地位の貴族の男。生活の安定を考えるなら、豪商の出とはいえ庶民の私には過ぎるくらいの相手だ。
「若様の失態を待つとなると、それはもう気を長くお待ちにならないと」
「隙のない方ですからねぇ。私、あの方が眠ってらっしゃるところを見たことがないわ。朝起こしに伺ってもいつも身支度を整えられた後で」
「あら、私もよ」
「そういえば、ないわね」
私だってない。相手の忙しさを理由にできるだけ生活時間帯もずらしているせいもあり、ここ一週間は顔も合わせていない。
一番好きな人との結婚。夢のまた夢。
今離婚したところで、一番好きな人との結婚など叶うことはない。
私の好きだった人、彼が既婚者だということは最初から分かっていたことだ。その上まれに見る愛妻家。略奪という選択肢すら許されなかった完全な片恋だった。あの恋は、まだ思い出すのもつらい。
あの人への思いを振り切ろうと思い、決めた結婚。
私の両親は見合いで、それでも仲のいい夫婦だったから、結婚して生まれる愛もあるだろうと、特に悲観してもいなかった。
なのにあの男ときたら。
式が終わって最初の夫婦の会話、いや会話とすら言えない。私は返事もしなかった。あれはただの一方的な言葉。思い出すだけではらわたが煮えくり返る。
「私の子でないと分かる子さえ産まなければ、あとは好きにすればいい」
つまるところ、こちらも好きにするからへまさえしなければ浮気だろうがなんだろうが好きにすればいいというのだ。最初からお前のことなど愛するつもりもないと宣言されたようなもの。
おもわず、平手で頬をはたいた。それだけで勘弁したのは、間違いだったと今は思う。もっとこっぴどく、グーで三発くらい食らわせて股間を蹴り上げてやればよかった。
この言葉を公共の場で発してくれたなら、丁度いい言質がとれ、慰謝料ガッポリの離婚が出来たのに、運悪く、そのときは使用人の一人も近くにいなかった。
一番でなくても、ちゃんと好き合って結婚したなら、あんな言葉を投げつけられることもなかったのに。
「もう、やめやめ。あんな不愉快な男の話なんて、聞いてるだけでおやつが不味くなるわ!」
手元に残ったクッキーを一気に口に放り込んだ、その時、
「その割りによく食べるな」
憎らしい声が背後から聞こえて、むせた。
隣のメイドが慌てて差し出した紅茶で飲み込み、ことなきを得る。
「なんっ、なんでここに? 仕事は、仕事はどうしたのよ。今は城にいるはずじゃ・・・・・」
振り向きもせずに言い立てる。できる限り顔も見たくはない。
「休みをいただいた。どうも仕事をしすぎたようだ」
ふうとため息をつく。その軽そうな息が、私を押しつぶしそうになる。「できるなら仕事をしていたかった、妻のいる家になど、帰って来たくはなかった」と言われているようで。
ふと周囲を見回すと、メイドたちの姿が見えなくなっていた。主人夫婦の久々の時間を邪魔しないという配慮なのだろうが、私にとっては迷惑でしかない。
空気が、重い。
「休暇になったのだったら、愛人の元にでも伺えばよろしいのに。普段仕事でかまってあげられないんでしょう」
「あいにく、かまわないで愛想を尽かすような愛人はいないもので」
皮肉を皮肉で返される。そんな自分の分もわきまえていないような女など、相手にしないというのか。
「妻よりも愛人のほうが、自分を理解している」とでも言いたいのだろうか。
ついぎりりと歯を食いしばる。こらえなければ泣いてしまいそうだった。
私は背後にいる自分の夫を振り向くことすらできない。どんな目で見られているのか、知るのが怖かった。愛人よりも下に置かれ、ただの家にいる道具としか見られていない、その視線を正面から受け止める勇気がなかった。
これから先の人生をこの男と過ごさなければならないことを考えると、知らずに体が震える。
恐ろしかった。
自分はこれから先、浮気をするのだろうか。夫ではない男性との間に子どもをつくったとして、その子どもを夫は可愛がるのだろうか。夫が外に作った子どもを家に入れるとき、私はその子を可愛がれるだろうか。
冷たい家庭。この家庭で描く未来は、呪われているようにしか思えない。
そんな未来が実現する前に、とっとと別れたほうがいいのではないか。傷がつく、よからぬ噂がたつ。
でも、希望を持てない未来がくるのをじっと待っていろというの。
私はテーブルに両肘をついた。両手に顔を埋める。
もう、嫌だ。背後に立つ男の気配も、この家も、今肘をついているテーブルも、慣れない全てが私を追い詰める。
好きな人と結婚したと、胸を張って言える、幸せそうな友人の笑顔が脳裏に浮かんだ。
どうして、私は、ここにいるの?
「出ていく・・・・」
背後の男がまたため息をついた。面倒な嫁をもらったとでも思っているのだろう。私は一気に啖呵を切る。顔は手に埋めたまま。
「出て行くわ、もううんざり。離縁状は実家に送ってください・・・・別れましょう」
最後の一言を言ったとき、涙が出た。手で拭い去っても、また流れてくる。
悲しかった。
かつて、好きだった人が手に入らなかったことが。
今、将来を誓い合った相手でさえ、自分を欠片も愛してくれないことが。
その努力すら初めから否定されたことが。
結婚なんて、男なんて、いらないと思った。うんざりだ。出家して、一生何にも惑わされない生活を送ろう。
手紙をくれた恋愛結婚をした友人のことを思う。見合い結婚の両親のことを思う。うらやましい。でも、私には、どちらも手に入らなかった。これから先、見つかる保証もない。それまでにこんな嫌な思いを何度も繰り返すくらいなら、手に入らないものとあきらめたほうがいい。
あんまりにも涙があふれるものだから、手でぬぐうことをあきらめた。ぼとぼととテーブルクロスに染みをつくっていく。
不意に目の前にハンカチが差し出された。みっともなさに見かねたらしい、夫の右手つきだ。
私はハンカチを奪い取り、顔をぬぐい、鼻までかんだ。少しだけ、すっきりした。
「そんなに離婚したいのか」
「ええ、したいわ、今すぐにね」
「なぜ?」
「耐えられないからよ。愛がないもの。無意味だわ」
男は首をひねっている。本当に困りきっているという顔だった。
「そんなこと、はじめから分かっていたじゃないか」
そうね、そうよね。はじめから愛人がいて、私のことなんてなんとも思ってないあなたにとったらそうかもね。
「私は結婚してからでも、少しでも好きになれたらって思ってたのよ。あなたには愛人がいるし、一方通行だったみたいだけど」
「君だって愛人はいるだろう」
当たり前のように言う。これだから貴族は倫理観が信じられない。貴族にとっての夫婦がそういうものだと聞いたことはあるが、清廉潔白な私まで不倫を疑われなければならないのか。
結婚してこの方、男性とご飯すら一緒に食べていない。旦那とすら食べていない。いつだって私は使用人たちと愚痴を言いながら、寂しさを我慢してきた。
「いないわよ」
「は?」
「いないわよ、最初っから今まで一回だって!そもそも男性とお付き合いすらろくにしてないのに、そんな高度なことできるわけないでしょ!!」
逆ギレだ。悔しくて夫にだけは言うまいと思っていた男性経験まで口を滑らせてしまった。完全な失言。
「冗談だろう」
つぶやくように頭の上から降ってきた、呆れともとれる声に、私は羞恥で首まで真っ赤になる。決死の思いで告白したのに、冗談で済まされてしまった。一度収まった涙がまたあふれそうになる。下唇を跡がつくくらい、ぎゅっとかみ締めた。
もう耐えられないと思った。
「さようなら」
顔すら見ずにきびすを返して、ドアに向かう。荷物も何も持っていないが、そんなものあとで送ってもらえばいい。
とにかくこの男の前にいたくない一心だった。
腕をとられる。
「待て」
男の力はつよく、振りほどけない。
「お願いだ、少し待ってくれ」
お願い、そんな言葉、尊大なこの男が使えるのかと驚いた。
「君には好いた男がいるらしいじゃないか。相手は妻帯者。その相手のことを想って、私と結婚したのだと聞いていたが」
「そうよ」
「その男と続いているんじゃないのか」
予想もしなかった言葉に、私は少しの間、開いた口がふさがらなかった。理解が追いつくまでに数秒かかった。その間私はずっと口を開けっ放しにしていた。
「なんですって!?」
「違うのか?」
この男は私が不倫をして、あまつそれを隠すために結婚をするような人間だと思っていたのか。
「ひどい侮辱だわ。なに、貴族の世界ではそれがよくあることだとでも言うの?」
「よくあることではない。珍しくもないが」
「最低だわ、あなたは私だけじゃなく、あの人まで侮辱したのよ!」
あの人が不倫などするはずがない。そういうところも好きだった。叶わないのははじめから分かってた。
男は納得がいかないとばかりに声を上げる。
「それを最低だというのなら君だって同じだろう! 勝手に私にありもしない愛人をつくって」
自分の非と突きつけられて、かっとなる。ついでに男の胸を突き飛ばし、反動でその腕から逃れ出た。
「勘違い!? 勘違いですって? だってあなたさっきも愛人がいるって認めたじゃないの!!」
「認めた覚えはない」
「でも、確かに・・・!」
『休暇になったのだったら、愛人の元にでも伺えばよろしいのに。普段仕事でかまってあげられないんでしょう』
『あいにく、かまってやれないくらいで愛想を尽かすような愛人はいないもので』
「確かに・・・」
あれは、愛想を尽かさない愛人がいる、という意味ではなく、愛人そのものがいないからそう言ったの?
思い返してみれば、いつも愛人がいるように匂わせていた、と感じる言葉も、はっきりとそうだといっていなかった。
私に冷たい態度をとる、ということは、ほかに女がいて私と比べては、私のできなさを非難してのことだと思っていた。そんな影がちらりとも見えないのは、男が抜け目ないからだと。
「確かに・・・勘違いかも、しれないわ」
ほらみろ、と得意げな顔をしている、目の前の男をきっとにらみつける。
「わざとそんな思わせぶりなこと言ってたんでしょう!?」
「憎らしい口をきく」
その言葉で、収まっていた涙がまたぼろりとこぼれた。
「どうせっ、どうせ、私はかわいくないわよ」
涙声になって、最後は本当に聞き苦しい音にしかならなかった。
「かわいくないとは言っていないだろうが」
「同じことでしょう!」
涙とはなみずでぐしゃぐしゃに丸まったハンカチに、さらに顔を押し付けた。本当にひどい男、私のコンプレックスばかりを刺激する。
男が一歩近づく気配がした。
「あまり強くこすると赤くなる」
そういって、頭を抱きこまれた。
私は呆然となすがままにされていた。手から丸まったハンカチが落ちる。
「な、なによ。どうせ大した違いなんてないのよ。ただでさえ悪い顔がさらに悪くなるだけだわ」
「自分のこともそうやって悪く言うのか」
「そうよ! 悪い!?」
男の服に半分顔をうずめているせいで、声がくぐもっている。言いたいことが十分に伝わらないようで、もどかしかった。離れようとは思うのだが、シャツを通して伝わる人肌の温度に逆らえずにいた。あたたかい。こんな冷血漢にも暖かい血は通っていたのか。
「いいや、悪くない」
くくっ、と抑えるように笑う声が頭上からした。
元夫の笑い声を初めて聞いた。顔を見てやろうと、少し体をよじり、男を見上げる。
普段の鉄面皮が少し、ほんの少しだけゆるんでいる。ああ、なんだ、この人ってかわいい顔してるじゃないの、と私は初めて発見した。
まじまじと見ていると男は困ったように額に手をあてた。
「君は私の気も知らないで」
その一言にまた熱くなりやすい私はかっとなる。気も知らないもなにも、こんなに徹底的に避けられていてどうやって知ることができるだろう。
「ええ考えたこともないわよ。あなたが夫婦として、最初に、言った言葉覚えてる? 『私の子でないと分かる子さえ産まなければ、あとは好きにすればいい』よ! あんなはなから信用されてないような言葉を聴いたら、そんな気もどっかに行ったわ。私に考えて欲しいと言うのなら、はっきり言ってみたらどうなの? あなた何を考えてるのよ!」
言いたいことを勢いよくぶちまけると、私は息が切れていた。
それでも、気迫で負けてはいけないと、にらみつけると、元夫もにらみ返してきた。見たことがない顔に思わずひるんだ。
「・・・好きだ」
「え?」
聞き間違いかと、聞き返した。
「私が君に惚れているといっているんだ」
「は?」
つい間の抜けた返事をしてしまう。それくらい、意外な言葉だった。
「なんで?」
こういう言い方もないと思うが、この男に惚れられるような行動もきっかけも思い至らなかったのだ。
男はらしくもなく、顔を赤らめてぼそぼそと声を続ける。
「なんでも何も、こういうことに理由などあるものか。君が他の男を好いていると思っていたから、言えなかっただけで。しかしだ。自分の妻に懸想して何が悪い」
「・・・・いつから?」
「覚えていない」
「でも仕事ばっかりで全然帰ってこないし」
「帰って誰もいなかったらと思うと、帰ろうという気になれなかった」
そんな気配、微塵もみせなかったくせ、苦し紛れのいいわけだわ、と思う。
でも、こんなに真摯に語る主人をはじめてみた。
気まずそうに真っ赤にした顔をそらしている。
「座って」
私の隣の席を指して、強引に座らせる。
今まで見上げていた目線が近くなる。
「私、あなたと結婚したのよ。貴族のことはよくわからないけど一般庶民にとって結婚っていったら一生一緒にいる約束のことなの。私、あの人じゃなくて、あなたと一生一緒にいるって決めたの」
そういえば私は、自分からこの人を愛そうとしたことがあったかしら。
この人に愛されないことを嘆くばかりで、最初に言われた距離をおく言葉に傷つくばかりで、この人を愛そうとしなかった。
だから、彼に好きだといわれても、返す言葉が見つからない。
私も好きといえたらよかったのに。
「考えたこともないから、好きとはまだいえないけど・・・・とりあえず離婚はやめにするわ」
夫はほっとした顔をした。
まさか「今まで嫌いだとしか思ったことがないの」とは言えなかった。
これからは努力をしよう。他の人を好きな私でも、好きだといってくれた伴侶を愛せるようになるように。
きっとそんなに時間はかからない。
「明日からは早く帰ってくる?」
正面から夫の黒い頭が私の肩口によせられる。
「ああ、今日で仕事に区切・・・」
言葉が途切れた。
不審に思って男を見ると、驚いたことに、男は私の肩に頭を預けたまま寝てしまっていた。
「ちょっと、ねえ」
揺さぶって起こそうとしても、肩からずり落ち、頭でも打ったらどうしようと思って強くはできない。
「・・・そんなに疲れてたのかしら」
珍しく言葉を荒げていたのも、それなら納得がいく。
さて、どうしたものか、この重い頭。と思案しながら、私はこぼれる笑みを消すことができないでいた。
ああそうだ、手紙を書こう、と思い立った。恋愛結婚をしたと手紙をくれた彼女に、見合いもそれほど悪くはなかったわ、と。
肩に感じるのは温かい体温。つられるように次第に眠くなる。
起こさないようにそっと夫を椅子に座らせ、ずれようとする肩を私の肩で支えて、そっと頭を寄せた。
様子をうかがっていたらしいメイドたちがブランケットを私たちにかけてくれる。
午後はゆっくりと過ぎていった。