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第七話 対露戦に向けた軍拡

第七話です。

当分3日休日後4日投稿が続きそうです。


何やら軍拡が激しさを増しているようです、、、

米西戦争にてアメリカとスペインがどんちゃん騒ぎを起こしている頃、日本政府では、南下政策によって満州地域に進出してきていたロシアに対して不信感を(あら)わにしていた。


御前会議、、、


「、、、であるから、陸戦に備えて陸軍省としては陸軍の拡充をすべきと!」


「いいや、島国たる日本には海軍こそ重要では!」



『御前会議』

それは国家の緊急の重大問題において、天皇出席をもとに、元老、主要閣僚、軍首脳が集まって行われた合同会議である。一応臨時で開催されていたのだが、明治帝の時代は特に回数が多く、定期的に開催されていた。

今回の会議で話されていた内容は、対ロシアとの戦争に備えて軍備拡大について話し合われていたのだが、陸軍と海軍で熾烈な言い争いが勃発していた。全ては予算を少しでも手に入れるためである。


「はあ、もうそういうのいいから。

要するにまとめて軍備拡大すればいいんだろ? それが望みか?」


「!?」


明治帝の発言に財政(おかね)を握る政府官僚に緊張が走り、陸海軍の会議参加者たちの顔は少し喜びが漏れていた。

政府側はすかさず待ったをかける。


「陛下。それをすると財政的に問題がですね、」


「大丈夫だ。追加の資金は国庫からでは無く、「例」の皇室資産から出そう。必要な出費だろう。ただし、結果は出してくれよ!」


「例」の資金とは、朝鮮半島と御前会議頃から始まっていたアラスカの金である。

一応、政府と皇室の機密資金として運用されており、それを密かに充てたのである。


御前会議の結果、陸海軍の参加者たちはホクホク顔で会議を終え、政府側は冷え切った顔をして会議を後にしている。

なお、陸海軍にはしっかりとした成果を出すように明治帝から釘を刺されたそう、、、




そうして会議後、陸軍と海軍では拡充が始まることとなった。


まず陸軍側では、有坂成章を中心に新型のボルトアクション小銃の開発(のちの三十年式歩兵銃)、欧州各国からの野砲の輸入が積極的に行われ、各部隊に新型兵器、武器が配備されていくこととなった。

特に、機関銃の国産化が急ピッチで行われることになり、ホチキス社製の重機関銃を6.5ミリ弾(上記のライフルと同規格)使用に改めたタイプをライセンス生産し、各部隊に野戦砲と並べて配備された。(フランスとは仲が良くなかったものの、武器の輸出は積極的に行われていた。さすがは商人である。)

これは、明治帝が機関銃の威力に魅了されたことと、ロシア戦における機関銃の制圧力を見越した物である。

この機関銃メインのドクトリンは、現在に至るまで日本陸軍に受け継がれている。


そして、対ロシア戦を意識して、日清戦争で獲得した遼東半島に存在していた旅順要塞を近代化。この要塞は、対ロシア戦で絶大な力を発揮することとなる、、、



そして海軍は、新たに富士型戦艦をベースに新型戦艦を建造、しようとしたが、国内にある戦艦が建造可能な造船所はすでに埋まっており、友好国であるイギリスに4隻発注。対ロシア戦にて旗艦を務める三笠を含める敷島型戦艦であった。

また、国内では新たに佐世保に海軍工廠が作られ、さらには民間の造船所である長崎造船所が完成。これにより、戦艦クラスを建造可能な工廠、造船所は計4ヶ所となっていた。

では、ここで一体なんの艦艇が建造されていたかというと、2ヶ所(横須賀、佐世保)では富士型の3、4番艦を。(3番艦肥前、4番艦石見)

長崎造船所、というか各民間造船会社には大量の巡洋艦(防護)が発注されていたのである。

アラスカやハワイ、台湾など、数多くの島々、領土を持っていた日本にとって、海上(シーレーン)防衛は最重要事項であり、その防衛用艦艇として巡洋艦が大量建造されたのである。

筑摩型防護巡洋艦(建造数20隻)など、戦争終結までに計27隻が就役している。

話が脱線したため元に戻るが、残っていた呉海軍工廠では、とあるいわくつきの艦が建造されていた。


薩摩型戦艦

45口径30センチ砲を中心線に連装四基配置され、世界で初めて2万トンを超えた戦艦である。

そう、後の弩級戦艦である。


薩摩型戦艦 同型艦 薩摩、安芸

常備排水量:20000トン

最高速力:20ノット

航続距離:6000浬

兵装:

アームストロング社製30.5cm連装砲 4基

アームストロング社製15.2cm単装速射砲 12基

その他小口径砲多数


である。

この艦には明治帝が深く関わっており、


「2隻分の火力を一隻にまとめられるか?」


という言葉をそのまま詰め込んだ艦となっている。

設計、武装はイギリスであり、この情報はすぐに本国に伝わったようで、ドレッドノートという弩級戦艦をイギリスは建造している。(薩摩、ドレッドノート共に建造開始は1903年)

ただし、主砲配置は艦橋前に一番、艦橋と第一煙突の後ろに二番、第二煙突と後部艦橋の後ろに三番、一段甲板が下がって四番となっている。

このため全面には2門のみ指向可能と欠点はあったものの、横を向ければいいじゃないかとこの配置となった。

また、戦前には金銭的な面から1番艦のみ建造が政府から許可され、明治帝はこの判断に駄々をこねた。

まあ戦前の当初は一隻のみ建造するということは最後になっても変わらなかったが。


そうして軍備を拡大している時、ある事件が起こる。

義和団事件から始まる日露戦争の勃発である、、、

海軍の運用法、保有艦艇などはイギリスが元となっています。

植民地多いから巡洋艦は必須な模様、、、


次回、日露戦争上

26日23時頃投稿予定。


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