表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/8

第四話 日清戦争

第四話です。

今回は主に戦争パートかな?

1882年に壬午軍乱、1884年には甲申政変という二度のクーデターが朝鮮内で発生した。

理由は国内改革をめぐって、親日派と親清派の抗争が激化したためであった。

これに対して日清両国が介入したのだが、このままでは軍事衝突もありえなかったために、1885年に天津条約を結んだ。

条約内容は、互いに朝鮮から軍を撤退させるのと、今後出兵する際には相互に通告することである。

その後、互いに朝鮮から軍隊を撤退させたものの、日本は清との戦争に備えることとなった。

特に明治帝は、


「戦争に備えておけ、必ずあの国とはぶつかるだろうよ。」


と、言い残している。

実際のところ、この言葉は現実となった、、、




1890年代の朝鮮では、日本の経済進出が進んでいたのと、物価の高騰、さらには地方官の搾取などにより、農村経済を疲弊させていた。そのため1894年、全琫準を指導者に、民生改善と欧米(プラス日本も)の侵出阻止を求める農民反乱、いわゆる甲午農民戦争が発生した。

これにより、まさかの農民軍が全羅道首都(日本で例えると首都圏に隣接する静岡と山梨みたいなポジション)の全州を占領する事態になった。

この事態に対し、ようやく朝鮮政府は、清への援兵を決め、清軍が朝鮮に入った。 日本へ”通達無し“に、である。


清の派兵を確認した日本は、先年に締結された天津条約に基づいて、日本人居留民保護と権益の防衛を目的に兵力派遣を決定。

また戦争に備えて初めて大本営を設置した。

しかし出兵し、朝鮮に着いたのはいいものの、すでに鎮圧が完了しており、朝鮮政府は日清両軍の速やかな撤兵を求めた。

だが明治帝、そして日本政府は、


「ここで帰ったら全部無駄だよなぁ。」


「では、いっそのこと朝鮮の内政改革をしてはいかがでしょうか? 陛下。」


「それだ!」


日本政府は朝鮮の内乱はまだ完全には収まっていないと主張して、安全保障のための内政改革の必要性を唱え、日清共同による朝鮮内政改革案を清国に提示した。が、清国政府はこれを拒絶した上で日清双方の同時撤兵を提案した。

これを受けた日本政府は猛反発。朝鮮内政改革の単独決行を宣言して、清国政府に最初の絶交書を送った。

また、それと同時に日本の追加部隊が朝鮮半島に派遣され、6月末には清国兵力が約4000名、日本兵力約8000名の駐留部隊がソウル周辺、並びに半島北部の日本権益地帯に集結した。


この状況に合わせて1894年6月に日本は軍の統帥機関、いわゆる大本営を初めて設置。

いざ戦争になった時に備え、念入りに準備を進めていた、、、


7月、朝鮮内政改革を要求する日本と、日清両国の同時撤兵を主張する清国と朝鮮の間では、いまだ交渉が続いていた。しかし、交渉は決裂。

そのため日本は2回目の絶交書を清国側へ通達した。

また、日本はイギリスとの外交交渉を続けており、7月16日に日英通商航海条約を結ぶことに成功し、念願であった不平等条約の一部改正を果たした。

事実、日本は清国に攻め込む際、イギリスの介入を恐れていたのだが、これによってイギリスの中立的立場を確認したのである。

そのため翌日の17日、明治帝の気合いの入った、


「さあ、始めるぞ!」


の言葉で清国との開戦が決定された。

当時、朝鮮王宮を支配していた高宗から朝鮮独立の意志確認を確認した日本政府は、清国の追放を依頼させた。

大義名分を得た日本は、7月25日に清国との間で豊島沖海戦が勃発し、日本艦隊が勝利。

さらにその数日後には朝鮮に駐留中の部隊が攻撃を受け、戦闘が各所で発生。その後、日本軍は交戦した清国駐留部隊を駆逐しソウル周辺を勢力下に置いた。

そうして戦争がすでに勃発していると判断した両国は8月1日、双方に対して宣戦布告をした。



戦争勃発時、欧米列強は当初清国が勝利すると考えていた。

なにせ当時の日本は開国したての小国であり、さらには相手の清国は多くの冊封国を失っていたものの、それでも未だ強大な国力を維持しており、その潜在的力量を「眠れる獅子」と例えられるほどの国であり、清国の勝利は確実だと思われていた。

しかし、眠れる獅子は姿を見せることはなかった。

小国が牙を剥いたからである、、、



開戦後、日本は朝鮮に日朝攻守同盟を結ばせた。

これは、朝鮮を日本側に参戦させ、補給や戦闘を支援してもらうために締結された条約であった。

実際、この条約に基づいて朝鮮軍が実際に戦地へ赴いて戦闘に参加している。

そして、朝鮮の自立という建前ができた日本は、半島を駆け巡り、清国本土へ進軍した。


特に成歓の戦いや平壌の戦いでは、日本軍の練度が高かったこともあるが、清国軍は指揮系統が一本化されていない事や、日本など列強から見ると旧式の装備を使用していたこともなどもあり、ほぼ一方的にやられ、挙げ句の果てには各個撃破される羽目にあっている。(余談だが、日本軍の一部部隊は装備の更新が間に合わず、清国軍と同程度の装備を使用していた)

こうして日本軍はおよそ二ヶ月で朝鮮半島を駆け上り、破竹の勢いで満州や遼東半島まで進撃することとなる。



一方で、海上においては豊島沖海戦で勝利後、高陞号事件などの問題を起こしたりと、踏んだり蹴ったりであったものの、清国の海上封鎖を行っていた。

そう、大規模な海戦が全くと言っていいほど起こっていなかったのである。

持久戦により、西洋列強の介入で講和に持ち込みたい李鴻章は、北洋艦隊の丁汝昌提督に対し、戦力温存を指示していた。これにより、北洋艦隊の殲滅を望んでいた日本の連合艦隊は、艦隊決戦の機会に中々恵まれなかったのである。


日本国内からは、税金の無駄遣いなどと海軍は揶揄(やゆ)されており、活躍しなければ海軍の地位が下がるのは明確であり、なおかつ戦争に間に合った戦艦富士、八島などの国産主力艦建造を支持(指示)したのが明治帝であったこともあり、早急な艦隊決戦が望まれていたのである。


陸戦において、日本軍は清国軍が立てこもる旅順要塞の攻略準備が進められていた頃、清国側は要塞防衛のため、増援として陸兵約4000人を輸送船5隻で旅順に送り込んだ。

そして、その陸兵上陸の支援として北洋艦隊は護衛任務のため駆り出されたが、何事もなく陸兵4000人を旅順要塞のある遼東半島の大狐山に送り込むことに成功する。

その後、北洋艦隊は久々の外洋航海だったため、大狐山沖合で訓練を実施していた。


日本側に北洋艦隊出撃の情報が入った際、連合艦隊は直ちに艦隊決戦を目指し、朝鮮に設置されていた仮根拠地から出撃した。

北洋艦隊出撃の報告を受けた際、連合艦隊の水兵(すいへい)士官(しかん)共々歓喜に包まれていたという。

そして北洋艦隊出撃から2日後のちょうど訓練中、両国の艦隊は水平線に煙が上がっているのを発見。双方共に艦隊を捕捉。

ここに日清戦争最初で最後の艦隊決戦である黄海海戦が勃発した。


日本側は戦艦「富士」「八島」を中核とした戦艦3隻、巡洋艦8隻、その他4隻の計15隻。

一方で清国側は戦艦「定遠」「鎮遠」を中核に戦艦2隻、巡洋艦10隻、その他1隻の計13隻と日本、清共に戦力は拮抗していた。


清国側の主力艦であった定遠型戦艦は、開戦当初東アジア最強の艦艇であり清国側の兵士たちは皆、海軍戦力では日本に対して圧倒的という自負があった。

しかし、いざ艦隊決戦の地である黄海で彼らは目撃した。

明らかに自分たちの戦艦よりも大型の船がいることに。


それが日本の誇る富士型戦艦である。

1882年に起工後、2隻は拡充されていた横浜海軍工廠と新たに新設されていた呉海軍工廠でおよそ10年という非常にスローペースで建造された。

というのも、建造できるドックはあったものの、武装などは国産化できていない状態で建造が開始されたため、イギリスやフランスからの輸入によって武装は賄われていたためである。

また、船体にあたってはイギリスの設計者を呼び建造案が作られたため、ロイヤル・サブリン級戦艦をベースに設計されたため、艦型は似たようなものとなっている。

こうして起工から10年後の1892年に両艦は進水。そして開戦後にようやく竣工したのである。

そのため国産戦艦建造の情報は開戦時はあまり流れておらず、唯一イギリスのみ30センチ砲などという巨砲購入を打診された際、もしかしたら国産艦を建造中ではと考えたそう。(ちなみに建造中は造船所に大きな屋根を付け、なおかつ屋根のない部分を隠すために棕櫚しゅろの葉で作ったむしろで目隠しをしていたそう。)


そうして黄海海戦時、日本側はその圧倒的な戦艦で無双し、海戦に勝利した、、、かった。

海戦自体には勝利したものの、結果はなんとも言えないものだあったのである。


日本側は清国側の艦艇よりも優速であったため、単縦陣で清国側の周りを疾走しながら砲撃していったのだが、この際命中した砲弾は、ほとんどが戦艦ではなく巡洋艦の砲弾であった。

開戦と同時に完成したため、練度不足が祟ったのである。

更には航海練習もほとんどしていなかったため、艦列から虎の子の2隻は離れてしまい、ほとんど一方的に清国の艦隊に打ち込まれる結果となってしまった。実際、艦隊の旗艦は巡洋艦の松島であり、当時の連合艦隊司令の伊東いとう) 祐亨すけゆき)は、

「ありゃあ、ただの置物だ。」

と言い残しているほど使い物にならなかったと言われている。

それでも重装甲のため、2隻とも大破、中破で済んだのは不幸中の幸いであった。

また、戦艦の方に砲撃が集中したお陰で主力の巡洋艦部隊は砲撃に集中でき、結果的に海戦は


ー日本側の被害ー

沈没艦なし

損傷、戦艦2隻

ー清国側の被害ー

沈没艦、巡洋艦5隻(座礁による損失含めて)

損傷、複数艦


であり、一応日本側の実質的な勝利となった。


その後、旅順港になんとか逃げのびた北洋艦隊の残存艦は、陸側から旅順を包囲、攻撃され、さらにそこから撤退し威海衛に逃げ込んだものの、水雷艇による攻撃と地上からの攻撃とにより結局、全軍降伏した。

その後、日本が制海権を完全に掌握した事によって、大陸へ増援を送り込むことが円滑になったこともあり以後、作戦行動が順調に進むようになっていき、陸軍は遼東半島全域、澎湖列島を占領。そしてさらに一部部隊が北京全面まで進撃。

これに恐れ慄いた清国政府は、ようやく日本との講話に参加。

1895年(明治28年)4月17日、山口県下関で日清講和条約が調印された。


講話の結果、日本は李氏朝鮮の独立を清国に認めさせ、事実上の衛星国とした。また台湾、澎湖諸島、海南島、遼東半島を割譲。他にも賠償金として2億両(現在の貨幣価値に直すとおよそ3億円)が支払われた他、日本に対する最恵国待遇も承認させることとなる。

このような屈辱的な条約を清国が呑んだ理由としては、明治天皇や政府関係者が、欧米列強による中国分割をしようと誘ったためでありこれにより諸外国が日本側に付いてしまい、清国側には列強に見放されてしまったのである。

ちなみに戦後、結局清国は列強の半植民地状態となるが、それはまた後の話、、、


かくして日清戦争は終結したのだが、台湾の現地住民との戦闘が起きた。なんとか台湾を平定したが、現地住民との間には亀裂が入り、今後政府はこの亀裂を修復するのに長い年月をかけることとなる。

また、日本は多くの移民(主にユダヤ人)を受け入れるようになるのは日清戦争が終わった後からである。その理由は、


「ユダヤ人と日本人は元々同じ民族らしいから、ユダヤ人は保護してあげないとね。(わたくし)寛大な心の持ち主だから。」


と言った明治大帝である。

なぜこのようなことを言ったかと言うと、、、




戦後すぐの閣僚会議、、、


「やっと戦争終わった、、、疲れた〜」


「お疲れ様です、陛下。まあ、特に陛下は何もしていませんがね、」


「それを言ってはならんよ。

あ、そう言えば忘れてたけど、世界中のユダヤ人を救おうと思うんだけど、いいよね!」


「、、、? はい?」


当時、欧米を中心にユダヤ人は迫害されており、それに心傷まれた明治帝はユダヤ人を保護することにしたのである。

というのは半分ぐらい本心であるが、実際は優秀な人材の確保と『ユダヤ人は先祖を同じとする人種』だというオカルトであった。

とはいえ明治帝の内心はどうでもよかったと言える。

この日本の行動に対し、世界各地に住むユダヤ人は日本を希望の国として目指すようになる。

また、各国も迫害していたユダヤ人が国から出ていくことに賛成であり、積極的に日本に送り込んだ。だが、初期の頃は金銭的な理由により、日本に行けないという人も多くおり、これに対して日本政府は各地のユダヤ人に対して、渡航費を用意するなど、金銭面でもサポートした。

もちろん当時の国会などでは何かと反論が多かったが、


「世界的に迫害されている民族を見て見ぬするつもりか!」


という国会演説により、ある程度は国民を納得させたのである。

また、元ハワイ王国の住民は移民が多いため、特に反発はせず、むしろ賛成していたりしていた。

ともかく、結果的にも多くの優秀な人材が入ったり、ユダヤ人迫害を減らしたと、現在では明治天皇は褒め称えられている。


そうした中、日清戦争の講和会議が終結した矢先、日本にとんでもない連絡が入る。


ロシア、ドイツ、フランスが遼東半島に関して干渉してきたのである、、、





ー余談ー

黄海海戦に参加したこの世界線の松島型防護巡洋艦は、当初32センチ砲を搭載予定であったが、富士型戦艦の建造が決定したため、他の巡洋艦と似たような武装に変更されています。そのため使い勝手は良かった模様。

作者は一応まだ生きています!!!

描き始めは遅いかもしれませんが、気長にお待ちいただけると幸いです。

あと前作はそのうち残りを投稿します。


次回は番外編です。

結構重要なところかな?


次回、閑話 明治帝と氷


閑話の後は三国干渉から始まります。


図々しいですがよろしければ評価とブックマークをよろしくお願いします!

何か内容で気になったことがあれば、随時感想でお知らせください!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ