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結局プール事件から、一度も登校しないまま、夏休みへと突入した。頬が腫れていたので、母の命令で治るまでは学校にも、外にも行けなかった。
その代わり、母は必要最低限の食事は与えてくれた。だから、私にとっては、プラマイプラスである。
今日は久しぶりの外出だ。商店街に行って、食べ物を食べるつもりだ。昨夜、酔っ払って帰った母の財布から千円抜き取った。ばれたらやばいが、どうせ気付かないだろう。
夏の日差しが容赦なく照りつける。長袖の下は汗まみれである。
田舎ということもあって、この街の商店街は古臭い。流行りのショッピングモールに客を吸い取られている。良い点としては、地元密着型で、おまけがたくさん付いて来る、値引きしてくれる点が挙げられる。
商店街の入り口に到着して、気分が高揚する。最初目に付いたのは、和菓子屋だ。あまぁーい香りが手招きをしている。ガラスで覆われている商品棚に顔を近づける。おはぎ百円、饅頭二百円、羊羹三百円、どれも美味しそうだ。
「お嬢ちゃん、お使いかね?」
店頭にいるお婆ちゃんが話しかけてきた。
「ううん、自分用」
「そうかい。何が好き?」
「甘いの」
「ほほう。そうさな、甘いのが嫌いな人はいねえ」
顔を皺くちゃにして笑っている。
「どれがおすすめなの?」
「どれも、と言いたいが、うちのおはぎは絶品。一個食べてみな」
ガラスウィンドを開けて、トングでおはぎを一つプラスチック容器に入れた。
「ほれ、食べてみなさい」
渡されたおはぎは、とても大きかった。一口齧ると、餡子の甘さに驚いた。ここ最近ろくな物を食べていなかったので、上質な餡子は身体中が喜んだ。
「美味しい」
その一言で十分だ。お婆ちゃんも、にかっと笑っている。
「これ五個頂戴、他のはまたの機会で良いや」
「はい、五個ね」
新しいプラスチック容器に五個おはぎを入れ、それを紙袋で包んで、渡してくれた。
「三百円です」
手を伸ばして来る。
「お婆ちゃん、一個百円だよ」
「良いの、おまけよ」
やはりお婆ちゃんはにんまり笑っている。
「ありがとう」
千円を渡して、七百円をお釣りでもらう。
「ああ、それと。これくじ券」
ふと思い出して、レジの横から券を取り出す。
「何、これ?」
「うちの商店街の50周年記念で、今くじ引きをやっているんだって。五百円で一回」
「でも私三百円しか払っていない」
「良いの、良いの。貰えるものは貰っちゃいなさい」
強引に押し付けられる形で、くじ券をもらった。
「電気屋の青田さんの前で、くじはやっているからね」
和菓子屋を離れて、商店街の中をぶらぶら歩く。七百円まだある。今日は人生最高の日かもしれない。唐揚げも捨てがたいし、豚カツも好きだ。想像するだけで、お腹が鳴って来る。決めた、唐揚げにしよう。
揚げ物屋に寄ると威勢の良い、おじさんが客を呼び込んでいた。
「うちの唐揚げは、本当に美味しい、おやつにも、夕飯にも最高だ。さあ、奥さんどうですか!」
大人気で、四人ほど並んでいた。その列に加わる。すぐ前に並んでいる四十代くらいの女の人が、私に関心を寄せた。
「お使い?」
「ううん、自分用」
お婆ちゃんに言った内容と、一言一句違えず伝えた。
「そうなの。ここの唐揚げ、美味しいからね」
「それは良かった」
「うちの七歳の子なんてね、ここの唐揚げじゃないと嫌だって、駄々こねるの」
女の人は、困った感じで言っているが、顔は笑っている。
「駄々こねるって?」
「食べないって、言ったり、酷い時は床に寝っ転がったりして、本当に困るわぁ」
「殴れば良いじゃん」
女の人はきょとんとしている。聞こえなかったのかな。
「殴れば、そんな生意気なことしなくなる」
もう一度丁寧に、教えてあげた。
「な、何を言っているの!」
血相変えて、私から顔を背けた。自分から話し掛けてきておいて、勝手に話を終わらせられた。
女の人は、早く自分の番が来ないかとそわそわし始めた。ようやく先頭に立つと、素早く注文、会計をして、唐揚げを受け取ると、さっさと店を離れていった。その間、一度も私のことを見ようとはしなかった。
「お嬢ちゃん、唐揚げ何個欲しい!」
「七百円分、頂戴」
「十四個だね、じゃあおまけでもう一個」
手際良く、紙袋に十五個入れる。一つ一つが大きいので、持つのが大変そうだ。
「持てるかな?」
おじさんが心配そうに聞いて来る。
「大丈夫、持てる」
紙袋を持ち手が付いている、大きなビニール袋に入れてもらった。そこにおはぎの紙袋も入れて、一緒くたにした。これならば、両手を使って、一つの物を運べる。
「後、これくじ券ね」
これで、くじ券が二枚となる。
「ありがとうございました!」
威勢の良いおじさんの声を背に、歩いた。これ以上荷物を増やすのは嫌なので、くじ引きはまた今度の機会にする。
いつもの公園に着く頃には、喉がカラカラで、汗もびっしょりしていた。お腹も空いていたし、ここで休憩することにした。
水道の蛇口を捻り、ヌルい水を飲む。乾燥した粘膜に潤いが戻る。冷たくなくても、十分有難い。
日陰の場所でビニール袋から、おはぎと唐揚げを出す。箸も二セット付いている。おはぎは既に一つ食べているので、唐揚げを口に運ぶ。
熱々な衣を砕くと、中からじゅわりと肉汁が飛び出る。その旨味に目を見開いた。衣のサクサク具合と、肉の歯ごたえが絶妙にマッチしている。醤油が肉の中まで染み込んでいる所も、また良い。
二つ、三つ食べても美味しさは変わらない。全てが当たりだ。
そろそろおはぎを一つ挟むとするか。唐揚げの醤油味に慣れた下に、甘い餡子を投入したい。
箸で持ち上げて、半分がぶりと、かじりとる。粒々の甘い餡子と、米のモチモチ感が良い。口に残っている唐揚げの塩っ気が、餡子の甘さを引き立てている。
「お、嬢ちゃん、見ねえと思ったら、旨そうなもの食っているな」
おじさんは毎度の様に、水道で顔を洗ってから、私の隣へ座った。
「はい、ホームレスさんの分」
使っていない箸を渡した。
「こんな美味しそうな物もらっていいのか?」
口では遠慮しているが、お腹がぐーぐー鳴っている。
「良いの。はい」
おじさんは、箸をぎこちなさそうに扱って、おはぎをばくっと、口に放り込んだ。
「うんめーー!」
おじさんが美味しそうに食べるので、もう一個おはぎをあげた。
「嬢ちゃんは俺にとって、女神かもしれねえ」
「ありえないよ」
「いいや、そうだ」
「ない」
「ある」
おじさんは別れるまで、ずっと私のことを女神だと言った。その度に私は否定した。
家に帰り、今日の幸せな場面を思い返した。和菓子屋のお婆ちゃんも、揚げ物屋のおじさんも、おまけを付けてくれて、食べ物は美味しかった。また今度、母が酔っ払って帰った日には、財布からお金を抜き取ろう。
その晩は暑かったので、窓を全開にして畳で寝ていた。それでも暑くて、ようやく、うとうとして来たところで、母が家に帰って来た。
母は今日も違う男の人を連れ帰って来た。スキンヘッドで、ピアスを付けていて、半袖からは丸太の様に太い腕が生えていた。その腕には、龍のタトゥーが入っている。
「あんた、どっか行って」
母に言われずとも、この男の人とは近くに居たくなかった。目を合わさずに、玄関を飛び出ようとする。
「おい待て」
黙って横をすり抜けようとする私を、その男の人が引き止めた。
「痛い!」
思い切り爪を立てられている。
「挨拶無しとは失礼じゃねえか」
母が連れて来た人達の中で、多分この人は一番やばい。
「こ、こんばんは」
涙をぐっと我慢して、言葉を発した。恐怖で上手く声が出ない。母は、顔を強張らせている。
「タイミングが遅えし、小せえ!」
「こひゅっ」
脇腹に、強烈なボディーブローが飛んできた。母のそれとはレベルが違う。内臓が悲鳴を上げる。胃液を床に吐き散らした。
「汚ねえ、掃除しろ」
薄れる意識の中、ゴミ山からボロい服を取り出して、自分の吐瀉物を必死に拭く。
「おい、お前の教育はどうなっているんだよ」
男の怒りは母に飛び火した。
「や、知らない。あの子が悪い。私…ぎゃ」
母の顔面に男の拳が入った。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
土下座しながら、謝る母は涙を流している。もう一発お腹に蹴りを入れた後、男の人は興が削がれたのか、帰って行った。
ううう、と呻き声を上げながら泣いている母を横目に私は床を拭いた。




