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真夏の日差しが照りつける中、長袖姿でいると、とても暑苦しい。早く夏休みになれば、家に籠る時間が増えて、半袖でいられる時間が増えるのに。
あまりに暑いので、目の前にある駄菓子屋に入る事にした。この駄菓子屋は、何十年も前からお婆さんが一人で経営している。
店内に入ると、数人の子供達が何を選ぶかではしゃいでいた。
「うまい棒は欠かせないよね」
「高いけど、フエラムネ欲しい」
「奮発して、ブタメンいこうぜ!」
店主のお婆さんは、その様子を嬉しそうに眺めている。好都合だ。
素早い動きで、飴玉を掴み取る。スナック菓子は音が鳴るから狙わない。ポッケに入れて、様子を伺う。誰もこちらを気にしていない。
「やっぱり、マシュマロは外せないよ」
「さきいかもね」
チョコ棒を三本掴んで、長袖の内側に隠す。扇風機は付いているものの、暑さで少し溶けている感触がした。
平然とした表情で、駄菓子屋を出る。慌てて行動していると、怪しまれる。
「また、いらっしゃい」
ここのお婆さんは、子供を疑わない。もしかしたら気付いているのに、見逃しているのかもしれないが。
誰もいない公園で、ブランコを漕ぎながら、戦利品の飴玉を舐める。いちご味の塊が、舌を転がり回って美味しい。考え無しに、鼻歌を流していた。
「ふんふんふーん、ふんふんふーん、理由を知ったー」
はて、これは何の歌だろう。聞いたことがあるから、歌っているのだが、中々思い出せない。
もやもやしながら、ブランコを漕いでいると、公園に顔馴染みのおじさんが来た。
「ホームレスさん、こんにちは」
「おう、嬢ちゃん」
薄汚れた服を着て、ビニール袋を手に提げているおじさんは、水道の蛇口を捻った。その水で、モジャモジャの髪の毛と髭を洗う。
「あー、気持ちいいな」
満面の笑みを浮かべながら、フケやアカを洗い落とすと、体をぶるぶる震わせて、水を飛ばした。
「ホームレスさんって、犬みたい」
「そうかなぁ」
首を傾げてはいるけれど、嬉しそうに、微笑んでいる。
ホームレスさんと初めて会ったのは、一年以上前の寒い日だった。いつものように、母が男の人を連れて帰っていたので、家を出て、公園のベンチに座っていた。日が暮れていて、冷たい風が葉を落とした木々を揺らしていた。
辺りは暗く、人気が全くなかった。耳が凍えて痛かったので、服をすっぽり頭に被った。その時の私の姿は、ちっこい妖怪に見えただろう。
「だいじょぶか?」
外側から、突然話し掛けられた。服から顔を出すと、目の前にはコンビニの袋を下げた、ヨレヨレの服とボロボロのニット帽を被っている人がいる。
「嬢ちゃん、大丈夫?」
返事をしない私に、おじさんは再度尋ねて来た。
「大丈夫」
素っ気ない返事をした。
「いやいや、とても大丈夫には見えねえよ」
おじさんは、そう言って私の隣に座った。
「嬢ちゃん、親は」
「いるっちゃ、いる」
「まあ、訳ありか…」
あご髭をボリボリ掻いて、ふーむと言った。おじさんは、公園に設置してある、消えかけの街灯をぼんやり見つめていた。それは、何ヶ月も前から点滅を繰り返していた。
「どうして、黙って座っているの」
おじさんは、きょとんとした顔つきで、こちらを見つめてきた。
「え、駄目か?」
「別に…」
おじさんは、再び街灯を眺め始めた。もしかしたら、意味のある行為なのかもしれない、そう考えて私もそれを真似ることにした。
隣に人がいることで、風がほんの少しだけ弱まった。
二十分ほど経った頃だろうか、おじさんが立ち上がった。結局、私には街灯を見続ける理由が分からなかった。
「嬢ちゃん、行く所、あるのか?」
母が男の人を連れて来たら、三時間は帰らない様に決めていた。まだ一時間も過ぎていなかった。
「特に…」
「じゃあ、俺に付いて来な。焚き火に当たらせてやるよ」
そう言って、おじさんは公園を出て行った。取り敢えず、それに付いて行くことにした。
「おじさん、名前は?」
「名前か、とうの昔に捨てちまった」
歩きながら、目を細めて、遠くを見つめていた。
「名前無いの?じゃあ、おじさんは誰?」
「俺はただのホームレスだ」
初めて聞く言葉だった。
「ホームレスさんって名前なの?」
おじさんは立ち止まり、私の顔を見て、ガハハと笑った。
「そうそう、俺の名前はホームレスだ」
何が面白いのか、理解できなかったけど、おじさんは愉快そうだった。
やがて、河川敷に着いた。川に架かっている橋の下をおじさんが指差した。
「あそこに、今日滞在する」
近くに寄ると、小さいテントとドラム缶が設置してあった。おじさんは、近くに落ちている木の枝や枯れ葉をドラム缶に詰めた。ぽっけからマッチの箱を取り出して、しゅぼぅと火を点けた。
火は勢いよく燃え上がった。おじさんと私は、消えない様に、絶えず燃えそうな物をドラム缶の中に放り込んだ。忙しなく動いたので、汗がたらりと流れ出た。
ぐるぐる、お腹が鳴った。冬休みで学校が休みだったので、当然給食も無かった。だから、朝から何も食べてなかった。
「嬢ちゃん、腹減ってるのか」
おじさんはビニール袋から、うまい棒を取り出して、渡してくれた。納豆味と書かれていた。
「良いの?」
「当たり前よ」
袋の端を破いた。中から粉が舞い散った。一口齧ってみた。
「美味しいか?」
おじさんは私の反応を気にしていた。
「美味しい」
ちょっぴり、嘘をついた。私は王道なコーン味が好きで、納豆味は変わり種だった。
「そうか、そうか」
おじさんは、子供の様にはしゃいでいた。
その日を境に、私はたまにホームレスさんと一緒に過ごす様になった。近所の大人達は私達を見ると、露骨に嫌そうな顔を浮かべる。
「最近アチいな」
隣に座るおじさんの服は、もう乾いている。
「地球温暖化の影響だって」
「なんだか、難しいことを知っているな」
「このまま地球が暑くなると、生物は住めなくなるらしいよ」
「それは大変だ。どうすれば良いの?」
「こまめに電気を消す様に、先生はそう言っていた。でもホームレスさん、家電持っていないでしょ」
「ああ、持っていない」
「なら、あまり関係ないね」
「仲間外れみたいで、寂しいな」
おじさんは、大粒の汗を手で拭きながら、嘆いた。
「あっ、そうだ。これあげる」
ポケットから飴玉を出した。チョコは既に食べ終えていた。
「良いのか!恩に着るよ。嬢ちゃんは優しいな」
みかん味の飴を口の中で転がして、おじさんは上機嫌だった。
ああ、ブランコで思い出せなかった歌の正体が分かった。給食の時に流れていたやつか。もやもやが晴れてすっきりした。
家に帰ると、母がこうべを垂れて、壁に寄りかかっていた。お酒の匂いがぷんぷんする。
「ああ、生きていたのね」
半開きの目で、こちらを見ている。特に言いたいことも無いので、黙って見つめ返す。
「なんか言えよ!」
床に転がっていた空き缶を、投げつけてきた。
「お…おかえりなさい」
殴られたくないので、命令に従った。母は言うことを聞かないと、すぐ手が出る人間だ。殴られることは怖い。毎回、拳が飛んで来る時に目を瞑ってしまうので、暗闇の中で衝撃を受ける。何百回と殴られても、慣れることはない。
その場に居たくなかったので、自分の部屋へ行く。自分の部屋といっても、大層なものではない。ただの押入れだ。
木の扉を開ける。古い作りで、接地面が摩耗している為、がたがただ。
体を屈めて、中へと入る。手足を伸ばせるようなスペースはない。扉を閉めると、外からの光が遮断される。
真っ暗闇な押入れの中、体を横にして考える。
私は欠陥品だ。ろくでなしの母親から手違いで産まれて、死んでいるも同然に生きている。同年代の子が、日々喜び、怒り、悲しみを世界へ向けて発信しているのに対して、私は無でしかない。
クラスメート達を観察していると、全員が目をキラキラ輝かせている。人生に希望を持っている、体全体がそう主張している。どうして、生きることに意味を見出せるのか、私は不思議で仕方がない。
熱がこもってきたので、扉を開ける。外から光が入ってきて、密閉されていた空間を照らし出す。長袖のシャツを捲り、傷跡を撫でる。これにしたって、そうだ。普通の人は、自分に傷を付けて、生きていることを確かめない。
一生、苦しみを抱えて生きるしかない。もし、それに耐えられなければ、行き先は一つだけである。




