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【5】悪役令嬢ウォルフラム・フィルム・ストロングホールドの食い倒れ帰郷(海雀撃鳥)

 晩秋、雨、山の街道。

 西の辺境へと続く道は人の行き交いも少なく、隊商を狙う盗賊の類もいない。ただ紅く色づいた山河だけがある。


 その道沿い、木の下に停められた幌馬車のそばで、野営する令嬢ひとりと騎士ひとり。


「しみったれた雨だこと」

「お貴族様ならこういうとき、風情のある詩でも詠むもんですよ」

「黙らっしゃい。雨に風情なんぞ感じる奴はたいてい屋根の下ですわ」


 沸かした雨水で大雑把に淹れた茶を啜りながら、ウォルフラム・フィルム・ストロングホールド辺境伯令嬢が言い捨てた。

 齢は18、精悍な顔つき、堂々たる長身。腰まで伸びた濡羽の髪が湿気を含んで重く揺れる。


「3年も王都の学園にいれば大人しくなるかと思いましたが、お変わりないようで」

「シャムシェルこそ、相変わらず歳のわりに落ち着きがありませんわね」

「若々しいって言ってくださいな」


 焚火のそば、使い込まれた鎧に身を包んだダークエルフが笑う。

 腰には長剣と矢筒、手には妖精弓(エルヴンボウ)。名はシャムシェル・ジャヒード。年若く見えるがストロングホールド家の古株騎士であり、ウォルフラムの幼少期からの世話係である。


「そも、娘の出迎えがシャムシェルひとりだなんて思いませんでしたわ。辺境伯家(うち)がここまで貧乏だったとは」

「しゃーないでしょ。こないだ蛮族共と一戦やらかして、領地は復興に大忙しです。豪華な馬車隊なんて組む余裕ないない」

「ひどくやられましたの?」

「なぁに、相手は百倍ひどい目に遭わせました――にしても、舐めた話ですよねぇ」


 夕食の堅パンの包みを開けながら、シャムシェルが思い出したように呟いた。


「婚約破棄だなんてさ」


 ◇


 平民上がりの準男爵令嬢を見初めた第一王子、夜会にて堂々の婚約破棄宣言。


 物語の中ならば、よくある話ではある。しかし自分の婚約者がそれを実行しようとは、先月までのウォルフラムは夢にも思っていなかった。相手方の準男爵令嬢とは因縁はおろか、ろくに顔を合わせたこともない。


 当然、王都の貴族界隈は荒れ放題。

 王子の非常識を責める者、「逆にウォルフラム嬢の側にとんでもない非があったのでは」と勘ぐる者。針のむしろの準男爵家。逆境にますます恋の炎を燃やす王子と準男爵令嬢。どっちもどっちも、ボヤボヤしてたら後ろからバッサリといった有様である。


 騒動はたちまち西の辺境まで届き、ウォルフラムはストロングホールド家当主たる父から、ひとまず領地に戻って話を聞かせるように命ぜられた。


 もとより潔白の身、望むところである。領に戻って事情を話せば、たちまちストロングホールド家は相応の抗議をするだろう。蛮族が棲む森との国境を預かる重鎮貴族の抗議、王家であろうと無視はできまい。


 かくして出迎えのシャムシェルとふたり、辺境を目指す旅が始まったのだった。



「相変わらず()ったいですわね、これ。鎧に使ったらどうかしら」


 ウォルフラムが鉄板のような堅パンをガキガキと噛み締めながら言った。

 念入りに押し固めながら二度焼きしたパンの原料は、小麦粉・塩・水の三種のみ。バターだの砂糖だのといった保存の妨げになる要素は一切含まれていない。ストロングホールド家は質実剛健の貴族であった。


「王都暮らしで食べ方忘れてないでしょうね。無理に噛んだら歯ぁ欠けますよ」

「知ってますわ。……あーあ、味気ないこと。先月は寮のシェフが腕によりをかけて作った鬱血(エトフェ)鴨のソテーを頂いておりましたのに」

「ワガママ言わない。領地に戻れば鴨なんざいくらでも食べられるでしょ」

「その領地までの距離が問題なんですわ。片道でひと月かかりますのよ」


 ウォルフラムは堅パンを噛み砕くのを諦め、手元の茶に浸した。本来はこのように柔らかくして食べるものだ。


「にしても、パンとお茶だけでは物足りませんわね。せめてスープとかないのかしら」

仔牛ニカワ(ヴィール・グルー)ならありますよ」


 シャムシェルが荷物から平べったい缶を取り、その中に入っていたゴムのような茶色いかけらをいくつか、湯の沸いた小鍋の中に放り込んだ。牛肉の煮汁をゼリー状になるまで煮詰めて乾燥させた携帯出汁(ブロス)の一種である。味は可もなく不可もない。


「具は」

「ストロングホールド領名産の岩塩でございます」

「なんとミニマルで趣深い料理ですこと」

「照れるなぁ」

「皮肉よ」


 鍋の中身に塩を放り込むシャムシェルを見ながら、ウォルフラムは深い溜め息をついた。

 このダークエルフは護衛としては素晴らしく頼りになるが、旅の従者としては大雑把すぎる。当主である父もそうだが、貴族としての品というものが――。



「――お嬢様、静かに」


 突然、シャムシェルが声のトーンを下げた。

 ウォルフラムが何よ、と問い返そうとした瞬間には、ダークエルフの騎士は座った姿勢からバネ仕掛けのごとくジャンプし、空中で短弓に矢をつがえていた。


「チェスト妖精弓(エルヴンボウ)!」


 雷鳴じみた鬨の声とともに、放たれた矢が風を切った。

 10馬身ほど離れた草むらに斜め上から着弾。がさがさと何かが暴れる音。ウォルフラムが素早く身を翻して馬車の影に隠れ、周囲の様子を窺う。


「賊?」

「いえ、獣です。そう大きくなかった、ハクビシンかな」

「タヌキかアライグマかも」


 シャムシェルは長剣を抜き、矢を撃ち込んだ草むらに用心深く近寄った。

 それから剣先でガサガサと茂みを掻き分け、毛むくじゃらの塊をひとつ引っ張り出した。ダークエルフが振り返り、得意げな表情でウォルフラムにそれを見せつける。


 やや面長で、ずんぐりとした体型の、辺境にはいない四足獣だった。全体がモフモフした褐色の毛皮で覆われており、目の周りは黒い。シャムシェルの放った矢は獣の首筋に命中し、頸椎を貫いて即死させていた。


「ずいぶん丸々太ったイタチですね」

「アナグマよ」


 呆れ顔で言い捨て、ウォルフラムはシャムシェルの手からアナグマを取り上げた。そのまま馬車の荷から引っ張り出したロープを用い、流れるような手際で木の枝から逆さに吊り下げる。


「あれ、ご自分で料理されるんですか? 鹿も倒せないインドア派なのに」

「旅の無聊の慰めに、手の込んだものが食べたいの。シャムシェルには期待できませんわ」

「しかし、さすがにお嬢様に獣の腑分けをさせるわけには……」

「つべこべ言わずにナイフをお寄越し」

「まぁ本人がいいならいいか。どーぞ」


 ウォルフラムはナイフを受け取ると、袖をまくり、獲物の喉を躊躇なく横に切り裂いた。


 ◇


 ストロングホールド家は質実剛健の貴族であった。

 旧き森の、旧き掟に生きる蛮族(エルフ)と長年渡り合い、彼らの文化やノウハウを吸収しながら生き延びてきた家であった。故に、男子は16になるとひとりで山中に入り、ナイフ1本でひと月生き抜いて初めて一人前と認められる。


 ウォルフラムは一族の例外として、子煩悩な両親に蝶よ花よと育てられた文化系令嬢(インドア派)である。ひとりでは鹿も狩れない惰弱な現代っ子である。だが、それでも小型哺乳類の解体程度は容易いことだった。


「8つの頃、こうしてふたりでピクニックに出たことがあったわよね」

「ああ、こないだ(・・・・)の。覚えてますよ。あたしがウサギを捕まえて」

「可愛がろうと手を伸ばした私の前で首をへし折った。忘れもしませんわ。あなたのせいでしばらくお肉が食べられなくて、お父様に怒られたのよ」

「あはは! ウサギ、美味しいから喜ぶかと思ったんですけどねぇ」

「そのサービス精神は今日にこそ発揮しなさいよ」


 ふたりは雨よけのマントを被り、焚き火の前に向かい合う形で座り込んでいた。その手は休むことなく野草やキノコを選り分けている。


 アップライトタイム、コモンセージ、ヤマドリタケ(キングボレスツ)。アナグマの血抜きを待つ間、そこらで摘んできたものだ。ウォルフラムは魔法学園の中庭を飾るバラ園が好きだったが、実のところ、知っている植物の大半はハーブやキノコの類であった。


「キノコの貴重なタンパク源(きちょたん)はどうします?」

「名産の岩塩とやらで虫抜きしなさい」

「えー、塩もタダじゃないんだけどなぁ」


 シャムシェルが桶に溜めた水に塩を溶かし、キノコをポチャポチャと放り込む。


 天然物のキノコは基本的に虫の温床であり、特にハエの幼虫が多い。

 食べたところで然程の害はないため、父やシャムシェルは面倒がって虫ごと茹でてしまうが、文明を愛する令嬢的には完全にNG、アウト・オブ・デリカシーである。故に濃い塩水に漬けて「虫抜き」を行う。こうすると命の危機を感じた虫がキノコから這い出てくるのだ。


「こちらもそろそろね。捌いていきましょう」


 シャムシェルが塩をケチっていないか監視しながら、ウォルフラムは血の抜けきったアナグマを木から下ろし、本格的な解体に移った。


「毛は剥ぐんで? 焼くんで?」

「抜くわ。……創湯(クリエイトウォーター)


 手をかざして唱えると、虚空から湯気立つ熱湯が生じ、死んだアナグマに降り注いだ。


「へぇ、湯沸かし魔法。さすが質実剛健、ストロングホールドの娘でいらっしゃる」

「実用目的で覚えたわけじゃありませんわよ」


 然り、魔法学園で習った水流魔法(ウォーターマジック)である。清潔で奥ゆかしいイメージのある水の魔法は、王都の貴族令嬢の間では人気の嗜みだ。


 具体的には噴水などの近くでこれ見よがしに水を操り、意中の男子の前で「水をまとう清らかな私」を演出するのに使う。

 数年前は火炎魔法(ファイアマジック)による「情熱的な私」がトレンドだったが、ある令嬢が自らの縦ロールに火をつけて不本意なファイアーダンスを披露する面白ハプニングを起こし、禁止令が出た。以来、魔法学園はウォルフラムのような水属性令嬢の一強状態であった。


「濡れたらガリガリかと思っていたけれど、案外食べでがありそうね」


 だが、それも過去の栄光。今のウォルフラムは優雅とは程遠い野外に在りて、ちょろちょろと湯をかけながらアナグマの体毛を引き抜いていた。

 こうして湯をかけると毛穴が開き、毛が簡単に抜ける。表面のダニや汚れも落ちる。毛皮を利用できなくなるデメリットはあるが、なんといっても衛生的、イン・トゥ・デリカシーである。


 かくして全身の毛を抜き終え、残った産毛を焚火で燃やすと、露出した地肌は生牡蠣を思わせる白さ。皮下に脂肪をたっぷりと蓄え、ぷりっぷりのとぅるんとぅるんであった。冬の寒さと飢えに備えるべく、秋の恵みを貪り喰らった結果である。


「脂が乗ってますね。イタチよりはハクビシンに似てるな」

「ええ。これを仕留めたのはお手柄ですわ、褒めてつかわします」


 腹を縦に裂き、肛門周りの肉をくり抜き、足先と首を切断。上下を切断された消化管をずるりと引きずり出す。ウォルフラムは顔色ひとつ変えず内臓を置き、枝肉となったアナグマを桶に溜めた冷水に浸した。


「シャムシェル、胃と腸を裏返して洗ってちょうだい。念入りに」

「仰せのままに」

「終わったら焼き台もお願い。十字架(クロス)型のやつよ」

「ローストの準備ですね。まったく人使いの荒いお方だこと」

「私は令嬢で、あなたは我が家に剣を捧げた騎士。ゆめゆめ忘れないことね」


 面倒な消化管の処理をシャムシェルに丸投げし、残りの臓物の処理にかかる。

 肺、肝臓、心臓、腎臓、脾臓。いずれもややクセのある部位だが、臭み消しのハーブを使えば美味しく食べられる。丁寧に薄皮や筋を除き、一口大にカットし、水に漬けて血を抜く。


「内臓は串焼きにでもしますか」

「ふたりで分けるには少ないわよ。スープにしましょう」


 ウォルフラムが答えた。

 動物組織は焼くと縮む。ましてアナグマ1匹分の臓物では、食べられる量は高が知れている。

 となれば、調理法は汁物に限る。栄養を余さず摂取できるし、身体も温まるからだ。「野外食は初手スープ安定」とは父の教えである。


「おや、あたしのことまで考えて。知らないうちに大きくなられましたねぇ」

「泣いて感謝なさい。この出汁(ブロス)使いますわよ」


 ウォルフラムは所在なく煮えていた具無しスープを火から下ろした。

 そこに湯通しした臓物、虫抜きを終えたキノコ、臭み消しのセージとタイム。塩と出汁のみの殺風景なスープに山の幸を次々放り込み、アクを掬いながら煮る。似た動物であるタヌキの肉はカプチーノか何かのようにアクが出るが、アナグマはさほどでもなかった。


「うーん……悪くはないけど、もう一味欲しいわね」

 

 できたスープをひとさじ味見し、ウォルフラムが言った。野趣と呼べる範囲内ではあるが、臓物からくる獣臭がわずかに残っている。


「十分美味しそうじゃないですか? 何が足りないんです」

「文明、高級感……そうだわ、いい物があった」


 ウォルフラムが立ち上がって馬車の荷を漁り、王都から持ち帰った私物の中から、小樽をひとつ抱え上げた。

 樽の蓋にはナイフを握る乙女を模した、凝った意匠の焼き印がひとつ。木栓を抜くと、小気味良い音が響き、(こな)れた酒精(アルコール)の香りが漂う。シャムシェルが目を見開いて背筋を伸ばし、褐色の長耳をピクリと動かした。


「ヘモレッジ家の焼葡萄酒(ブランデー)? 王家御用達じゃないですか。どうやって?」

「王都を出る時、仲良くしていた王子殿下付きのコックが横なが……譲ってくれましたの」

「さすがお嬢様! 分けてくれたらご当主様には内緒にしときますよ。いっぺん国一番のブランデーを飲んでみたいと思ってたんです」

「そう。それは何よりね」


 ウォルフラムが深い琥珀色のブランデーをコップに注ぎ、反対の手で鍋の取っ手を握った。


「聞いた話だけど、ご馳走を作る時はこう使うんですって」

「え? ……ちょっと待って、まさか料理に使う気ですか? 王家御用達のお酒を!?」

「あら、分けてほしいんでしょう?」


 ウォルフラムは躊躇なくコップを傾け、煮えたスープにブランデーをふりかけた。たちまち熱でアルコールが飛び、醸した葡萄の上品な香りが立ち上がる。


「アアアーッ!? なんてことを!」

「あはははは! これぞ贅沢というものですわね!」


 この世の終わりのようなシャムシェルの叫び声を聞きながら、ウォルフラムは心底愉快そうに高笑いを上げた。


 次に、冷やしていたアナグマの枝肉を水から上げ、清潔な布で水気をよく拭う。

 それから表面にブランデーを塗り、刻んだタイムと岩塩を擦り込む。今夜のメインディッシュ、枝肉を丸ごと使ったローストの下準備である。


「あたしのブランデー……琥珀色のヤツ……」

「また分けてあげるからガタガタ言わない。焼き台は?」

「はい、ここに」

 

 シャムシェルの手には縦木3本、横木2本を格子状に縛った構造物があった。

 ストロングホールド領では一般的な、十字架型の焼き台である。もとは蛮族(エルフ)から伝わってきた調理法で、これに獲物を磔にして、火にかざして焼くのだ。


 年に一度行われる収穫祭では、この十字架が街の広場に数十と林立し、ローストされた牛や豚があらゆる住民に振舞われる。絵面は完全にヤバい因習村のそれだが、ウォルフラムにとっては懐かしき故郷の風景だった。


「設置はあたしがやりますよ、力仕事ですから」

「責任重大ですわよ」

「目の前に肉と十字架(クロス)があらば、父祖に誓って手は抜きません」

「なら良し。はい、よろしく」


 シャムシェルはアナグマを受け取ると、慣れた手つきでその四肢を横木に縛り付けた。

 十字架(クロス)を熾火の上で斜めに立て、さらに長い枝を2本使って三脚めいた形に固定。熱源との距離を見極めながら、慎重に位置を調整する。


 当初の適当さが嘘のように、その表情は真剣そのものだった。

 ダークエルフは基本的にざっくばらんな生き物だが、『焚火でローストを作る』となると目の色が変わる。彼らにとって丸焼きとは祝いの席で供する神聖な料理であり、一度始めておいて手を抜くような虚無(シャバ)い真似は許されないのだ。


「肉を焼くと解ってたら、もうちょい真面目に火を作ったんですけどね」


 シャムシェルは火の中から何本か薪を抜き取り、脇に積んであった別の薪を足した。

 肉を直火焼きにする上で、火はもっとも重要な要素のひとつである。発煙が多い針葉樹は肉を焼くのには向かない。水分の多い生木も同様。よく乾いた硬い木の枝を熾火になるまで燃やし、放射熱でじっくりと火を通せば、肉のタンパク質が熱反応して最高の香味が生まれる。


 ウォルフラムは頬杖をついた姿勢で、白い灰に覆われた熾火と、肉に集中するシャムシェルをぼうっと眺めていた。磔で炙られているアナグマ肉からじゅうじゅうと脂が滲み、肉の表面を流れている。


「……」

「……」


 無言。ただ雨が降り続く。野営地を囲う緞帳のごとく。


 あらかじめ小高い場所を選び、周辺に溝を掘ってあるため、寝床が水浸しになる心配はない。

 それでも何となく不安になって、ウォルフラムは周囲を見渡した。

 本を読むにはもう暗い。落ち葉の匂いと湿気をはらんだ風が、茂った木の葉の(ひさし)から落ちてくる雫が、ここが都市の外であることを知らしめてくる。


「心細いですか?」


 シャムシェルが注意深く火を調整しながら言った。


「無理しなくていいですよ。久々の野宿でしょう」

「退屈なだけよ。何か話しなさい」


 ウォルフラムが気丈に答えた。シャムシェルが炎と肉に視線を向けたまま頷いた。


「ストロングホールド領は変わらず不撓不屈。ご当主様も奥様も、お兄様方も元気です。一昨年から北の森を拓いて畑作ってたんで、村を焼かれた人らも飢え死にせずに冬を越せそう」

「素晴らしいことね」

「お嬢様はどうです? 念願の都会暮らしは」

「それは、まあ、楽しいわよ。……婚約話がこんなことになった今では、単に遊び呆けていたみたいで、慙愧の念に堪えませんけれど」


 冗談めかして言ったが、本心であった。


 そもそもウォルフラムが故郷を出て王都の学園に入ったのは、思う存分都会の文化に触れたいという彼女自身の意志もあったが、最大の目的は第一王子との政略結婚である。


 この縁談により、辺境伯家は王家との太いパイプを、王家はストロングホールド家が裏切らぬという安心を手に入れる。ウォルフラムは王都で好きなだけ観劇や文学を楽しめる。王子は口を開けて待っているだけで才媛と謳われるウォルフラムを妻にできる。


 誰ひとり損をしないはずの取引は、やんぬるかな、たった一夜で儚く崩れ去った。

 原因が自身の行いなら諦めもつくが、これが相手の心変わりというのだから始末に負えない。今思い出しても煮え湯を呑むような思いである。いらぬ波風を立てぬよう、つとめて奥ゆかしく振舞ったのが逆効果だったか。


「件の準男爵令嬢ね。小さくて、たおやかで、花の蜜と甘いお菓子だけ食べて生きていそうな方だったわ。こんな獣の解体なんて、見ただけで卒倒してしまいそうな子」

「へぇ、お嬢様と気が合いそうですね」

「辺境の感覚で話の腰を折らないでちょうだい。……王子殿下がやらかしたとき、私になんて言ったと思います?」

「『僕は頭スッカラカンのアホです』」

「惜しいけど違うわ」


 ウォルフラムが深く息を吸いながら首を振った。


「『君の目当ては王家との繋がり、ならば僕でなくともいいはずだ。僕は王子である前に一人の個人として、心から愛した人と結ばれたい』よ」

「あはははは! ご当主様がその場にいなくてよかったですね、そいつ!」


 心底愉快そうに笑うシャムシェルの前で、ウォルフラムは重々しく溜め息をついた。取り繕っていた気丈さが解けたかのように、その表情は弱々しい。


「……私、婚約者の立場に甘んじていたのかしら。もっと殿下の気を引くようにしておけば、こんな騒ぎにはならなかったのかも。シャムシェルはどう思う?」

「何を仰るやら。あたしもご当主様も奥様も、お嬢様が悪いなんて思っちゃいませんよ」


 ダークエルフの騎士はあっけらかんと答えた。


「むしろ結婚する前に馬脚が見えてよかったじゃないですか。婚約者ほっぽって別の女に色目使うような男とくっつく方が不幸です」

「……うん」

「そんなことより明日のためのご飯です。やっほう」


 シャムシェルが大振りのナイフを抜いた。美しい飴色に焼き上がったアナグマの後ろ脚を切り取り、木皿に乗せて差し出した。


「さ、食べましょう。いい出来ですよ。いちおうナイフとフォークもありますけど」

「結構。こういう場で上品ぶるのは逆に下品ですわよ」


 ウォルフラムは魔法で出した湯で手を洗うと、手づかみで骨付きの肉にかじりついた。


 擦り込んだハーブとブランデーの香り、粒の残る岩塩。迸るさらりとした甘い脂。

 じっくりと焼き上げた皮は自らの脂で加熱され、揚げ菓子のごとく香ばしい。その下はシャクシャクした質感の脂肪、親鶏に似た歯応えのある肉、そこに骨から滲み出したスープ。紛れもない上等のジビエ料理の味だった。ウォルフラムの表情がほころぶ。


「さすが、王都の高級店で出せる味だわ。いつ騎士をクビになっても安心ね」

「でしょう?」


 シャムシェルは満足げに頷き、自らも肉を口に運んだ。


 ◇


 肉が一段落すると、ふたりは鍋から木椀にスープをよそい、堅パンを浸しながら食べた。

 栄養を蓄えた臓物類。風味よくシャキシャキとしたキノコ。刻みハーブが臓物の臭みを消し、ブランデーの豪奢な香りが華を添えている。そもそも果実酒を蒸留して作るブランデーが、果実類を喰って脂肪を蓄えた秋のアナグマと相性が悪かろうはずもない。


「いいわね、ブランデー。聞きかじりだったけれど悪くないわ」


 スープの具を堅パンで掬って食べながら、ウォルフラムがひとりでうんうんと頷いた。


「あたしは普通に飲む方がいいですけどね」

「まだ言うか。……ほら、酔っぱらうほど飲まないでよ」

「さすが、お嬢様は話がわかる」


 ウォルフラムが小樽を持ち上げ、シャムシェルのコップに琥珀色の火酒を注いだ。それから自分のコップにも注ぎ、揺らして香りを楽しむ。


「『うまい肉、うまい酒。人生を楽しむために、必要なものは全て揃った』。ダークエルフの格言です。――お嬢様と、哀れな王子殿下の未来に乾杯」

「けだし名言ですわね。……ま、確かにクヨクヨしていてもしょうがないわ。この際、王家からは支度金の代わりに慰謝料を踏んだくってやるとしましょう」

「その意気ですよ」


 令嬢と騎士はコップを打ち合せ、ともにブランデーに口をつけた。



 ◇



 翌朝、日の出前。天気は霧雨。

 昨日より随分と薄くなった雲の向こうには、朝日がランラリパラリパと輝いていた。


「今日も野宿?」

「したいんですか?」

「なわけないでしょう」


 ぬかるんだ街道を進む幌馬車の中で、ウォルフラムが日記を書きながら言った。


 昨晩、夜を明かした野営地は既にはるか後方。ウォルフラムが目を覚ましたのは、シャムシェルが焚火跡を片付け、食べ残したアナグマの骨などを埋めて処分した後のことだった。


「予定通りにいけば街で宿を取れます。なるべくお嬢様に野宿させないようにってご当主様からも言われてるんで」

「お父様にも人の心があったようで何よりですわね」


 御者席のシャムシェルからの返答に、令嬢が安堵の息をつく。


「街に着いたら、まずはお風呂ね。家や王都の友達に手紙も書かないと。どこの街?」

「海辺のドラウンドって街です。魚料理が美味しいですよ」

「私は文明的な生活がしたいだけで、別に食べ歩きがしたいわけじゃないのよ?」


 揺れる馬車の中、ウォルフラムは苦笑しながらも、日記の端に「魚料理」と書き込んだ。



(To be Continued)

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