7話 見習い少女はドアを開ける
何事もなく白い山を降りきった白髪少女は、ソリを腕に抱えて緑色の山を登っていた。
登山は慣れっこであり、彼女の家に向かうのはもう十回は超えている。迷う素振りを一切みせず、余裕を残して決められたルートを歩いて行った。
陽の光は木の枝が遮ってくれるが、それでも当たるは当たる。先ほどまでの寒さに耐えていた身体だったら快適でも、しばらく経った現在では熱を上昇させるものでしかない。上着を脱ごうにも中は半袖、虫に刺されたくないのでこの暑さと汗を我慢していた。
ソリに乗りながら読んでいたページ、『命の定義』の内容を反芻し、自分なりに解釈を進めながら土を踏みしめる。
生き物らしい生き物に出会うことなく進み、いつしか森に似つかわしくない白衣少女のヘンテコな家が見えてきた。
……もうちょいマシなデザインはなかったのか。
そう思いながら、家を囲っている茂みの前でわざわざしゃがみ、その取り外し可能な偽物の茂みをずらして屈みながら通る。
これが白衣少女の予防措置である。
今回は遭わずに済んだが、この山にも熊や猪などの獣のみならず、超常生物が住み着いている。死ぬことはないが、せっかく作った家が壊されたら頭に来るものだし怪我もする。だから茂みから上には罠が張ってあるのだ。
一度ついうっかりして罠にかかったことがあるが、あの激痛はトラウマものだ。
こういう時に浮遊少女の能力が羨ましくなる。きっと自分の家に来た時と同様、悠々とここを超えたのだろう。
衣服を整え、土を払い、ソリはカバンに入りきらないので梯子に据え付けておいて、彼女の家に入るため短い梯子を登る。浮遊少女に振り回されてからはスリルにある程度馴染んでしまい、揺れる梯子を登るくらいでは不安でいっぱいになることはなかった。
片腕を離し、静かなチャイムを鳴らす。
(……出ないな)
二人とも何をやっているのだろう。白衣少女はともかく、浮遊少女は出てくれてもいいだろう。
鍵は開いているようだったので、仕方なく扉を押して入り、閉める。
何やらせわしない機械音が聴こえてきた。どうやら作業中らしい。
玄関はなく、土足で入るタイプの家。「邪魔するぜー!」と大声を張り上げ、二人を詮索する白髪少女。
それにしても、ここもう少し片付けてはどうか。これではどこに何があるか把握しきれないと思うのだが……。
ごちゃごちゃとした部品と道具で溢れかえった部屋をうろうろとしながら、聞こえてくる機械音を辿る。
すると――
「おや見習いくん、遅かったね」
「……なんでお前が挟まってんの?」
そこには、全身を十一号(パクパクくん、全てを食らいし花びら)に挟まれた浮遊少女がいた。首から胴体が隠れて顔しか見えない。お前助ける側だろ。なに助けられる側になってんだ。
「いやぁ、彼女がパクパクされているのを見て楽しそうだったもので、救出した後に試しに食われてみたんだよ。するとどうだ――これすごくいい……」
「……つまりは助けなくていいんだな?」
「うん……助けるな……私に構わずあの子の下へ……」
「とりあえず天国行きそうなくらい幸せだってことは伝わった」
丸い眼はふにゃふにゃなカーブを描き、満面の笑みである。そんなに安息できるのか。日々安息できる布団を求めている黒猫少女に紹介したいものだ。
「……あれ? でもおかしくね? なんで挟まれてんだよ。下の花びらが地面と認識されて浮くはずだろ?」
彼女の浮遊能力は名前の通りどこにでも、あらゆるものをすり抜けてでも浮遊できるというものだが、弱点といえば弱点はある。
それは、地面に着くことができないことだった。常に浮いてるのは意図的ではなく、能力の関係上そうなってしまうのだ。
「ああ、微妙に浮いてるよ。下の空気と上の花びらに挟まれているところさ。だからか力加減が絶妙だ」
「ふーん、見た目じゃわかんねぇけど……ん」
相槌を打つと、後ろから猛スピードで何かが駆けつけてきた――言わずもがな、彼女である。
白衣少女は、開口一番にこう叫んだ。
「喜べ少年! いや少女だったか。とにかく――そこの好奇心抜群の一般庶民から事情は全て聞いた!」
「お、もしかして足跡測定器あった?」
止まった際にズサァァと床を擦る音さえ聞こえてくるほどの速さでこちらに来た白衣少女。白髪少女は期待するように問いかける。
「いや、ない」
しかし、そうきっぱりと答えられてしまった。
「だが安心しろ。今作っている最中だ。もうすぐ仕上げに入る――それより聞いたぞ! 貴様、何でも私の崇高なる思想に近づこうと、『抽象的な人類の進歩を数字的に測るためにも、まずは人類の足跡を計測しその大きさと形状を測ろうと足跡測定器を発明している』と予想したらしいな!」
「あ、ああ……外れてたみたいだがな」
なぜか知らないがやけにテンションが高い不遜少女。後退りたいが、彼女から発せられる圧がそうさせてくれない。
彼女の場合、制作中ではこれくらいに昂ることはよくあることなのでそう珍しいことではないのだが、大抵は無機物の方に注ぐのであって人に向けることはなかった。何が彼女をそうさせるのか。
こうも昂った人間を相手にするのは苦手だ。浮遊少女に助けを求めようとチラ見するも――まるでマッサージを受けているかのように顔を緩めて、心ここにあらずという状態になっていた。あの様子では何を言っても耳に入ってこないだろう。
「素晴らしい……素晴らしいよっ! いつか辿り着いていただろうが、今の今までその発想はなかった! おかげで私の創作意欲は満ち満ちているよ!」
「そ、そうか。良かったな」
「うむ。貴様もよく私を感銘させるだけの意見を述べたものだ。少しは私に近づいてきただろう」
「えぇ……マジで?」
「残念そうにするな! もっと喜べ!」
そんな喧噪が辺りに響く中――誰も気づかなかったが、浮遊少女はがっくりと面持ちを真下に落としていた。その眼は大きく見開いている。ガン開きである。
――そんな、馬鹿な……私より先に彼女の思想を理解した、だと……?
その衝撃的で悔しい事実に、心の中で拳を握りしめる浮遊少女。
くっ……さすがはサンタクロースの弟子……侮れない……。
一方的にライバル視する浮遊少女はそっちのけで、白衣少女は発散できたのかテンションを鎮め、片目を閉じて話を進める。
「ま、何はともあれそれくらいの機械ならお茶の子さいさいだ。ただ――君たちにはこれからやってもらうことがある。なに、簡単なことだ」
「やること?」
――つまりは、事件の真相を追う第一歩目。最初の小さな冒険。
白衣少女は、彼女らを見据えてそれを告げた。
「靴探しだ」