第9話 お酒はオトナになってから
トージの基準から見て未成年に酒が配られていることを認識し、いまさらながら未成年飲酒の阻止に動き始めたトージ。
だが結論から言うと、その努力は実を結んでいるとは言い難かった。
「20歳未満?……女神教会の記録を見ればわかるかもしれんが……」
「リタよりも年上か、年下か、ということなら、わかると思いますが……」
「20歳になるまで飲んじゃだめ? じゃあ俺は20歳だよ」
このように、大部分の村人は、自身の年齢も把握していないのである。
人間の年齢を正確に記録しているのは女神教という宗教の教会くらいなので、村人の年齢を把握するすべがないのが実情だった。
ここで「女神教ってなんだよ」とならず、事実をそのまま受け止めてスルーしてしまうのが、トージの長所であり短所でもある。
ともあれトージは、必死で宴の会場を回り、若者に声をかけては年齢を確認し、20歳未満には酒を止めてもらって、かわりに甘酒を勧めるという地道な活動を続けていた。
……それが、混乱の原因となった。
トージは未成年飲酒を止めようとするあまり、酒樽から離れてしまったのだ。
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「すみませんトージさん、私では手に負えなくて」
「そんなこと気にしないで。それでどんな状況?」
「家にも戻らず、地べたで眠り始めてしまって……」
リタに呼ばれて駆けつけると、トージが持ってきた酒樽のまわりは、乱雑きわまる状況になっていた。
酒樽のところには3人の男が陣取って、パカパカと日本酒をあおっている。
その外周には十数名の男女が転がり、いびきをかいたりぐったりしたり、まるで築地のマグロ市にトラックが突っ込んだような惨状であった。
「みなさん元気に騒いでいたのに、急に眠りだしてしまって……」
「うん、お酒って、飲み過ぎるとそうなるんだよ」
トージは手早く、眠っている人たちの状態を確認していく。
「うん。危険な状態の人はいないみたいだ。リタさん、飲み水ってあるかな」
「うーん……生水しか用意できそうにありません」
「それじゃあ水じゃなくてもいいや。ミルクとか汁物料理とか、起きている人には飲ませてあげて。寝ている人は、体をあおむけじゃなくて横にしてあげて。こういうふうに」
トージは寝ている人を、右肩を下に向けた横寝のポーズに変えていく。
酒に酔った人を仰向けやうつぶせに寝かせておくと、嘔吐物で窒息してしまう恐れがある。横向きに寝ていれば窒息のリスクは非常に小さくなるのだ。
水分をとらせるのは、アルコールの分解を促進するためである。
人間は血中に溶け出したアルコールを、肝臓で分解して無害化する。このときアルコール分解の化学反応で、体内の水分が消費されるのだ。
水こそ、二日酔いの最大の特効薬である。
「すみません、そこのお三方も手伝ってくれませんか? あと、村長さんは?」
そう声をかけると、ワイワイと日本酒を楽しんでいた三人組が振り返った。
「お、ニホンシュの兄さん、呼んだべか?」
「うわ、なんだよみんな寝ちまっただか、どうりで静かなわけだべ」
「村長なら、家に戻って寝てるはずだなや」
「そうですか、って、ひしゃくから直接飲んじゃだめですよ!」
「いっけね」
細身の男性が、そう言ってひしゃくを蓋の上に戻す。
(だいぶ飲んだろうに顔色ひとつ変わってない。うわばみかな?)
わが国では大酒飲みのことを「うわばみ」と呼ぶ。うわばみとは大蛇のことで、獲物を丸呑みにしてしまう生態から、大酒飲みの通称となった。
トージは脳内でひそかに、彼らに「うわばみブラザーズ」と名付けていた。
「トージさん、ミルクと汁物料理、持ってきました」
リタは鍋と樽を順番に地面に置くと、酔って寝ている人たちを起こし、汁を飲ませて介抱しはじめた。
「こんなところで寝たら風邪を引きますよ、はい、汁を飲んでください、楽になるそうですから。こぼさないように……はい、もう一杯飲みますか?」
(本当に、甲斐甲斐しくて働き者で、良い子だなぁ)
トージはリタの働きぶりに眼を細める。
うわばみブラザーズは、リタが声を掛けても起きない村人を、家の寝所に輸送する係だ。相当飲んでいるはずなのに、その足取りにはまるで乱れがない。
(みなさんだけに任せてはいられない。僕も働こう)
トージは寝ている人たちの介抱に加わる。
そこに寝ているのは……焦げ茶色の髪、緑色の服。
そして三日月のようにしゃくれたアゴ。馬車商人のオラシオであった。
「オラシオさん、起きてください、風邪を引きますよ」
「……ん……なんだ……?」
「目が覚めましたか? ずいぶん飲まれたみたいですね」
「……トージさんか!!」
オラシオはガバッと起き上がり、トージの両肩をつかむ。
「……売れ! 売ってくれ!!」
「米ですか? ですからそれは明日相談しましょうと……」
「米じゃねぇよニホンシュだよ! ……ぐおっ」
酔っている状態で大声を出したせいか、額を抑えてうずくまるオラシオ。
「あんたの米はすごかったが……悪く聞かねぇでくれよ、あくまで“むちゃくちゃ旨い米”でしかねぇ」
オラシオは、リタが差し出した山羊のミルクを一気に飲み干し、話を続ける。
「だがこのニホンシュってのはなんだ。旨いのはいいとして、飲むと幸せな気分になる飲み物なんて、見たことも聞いたこともねぇ。これは絶対にすげえ商品になるぞ」
オラシオは真剣な目をトージに向け、指を突きつけてくる。
「そうですか。当主として冥利に尽きますが、お酒くらいどこにでもあるでしょう? ビールとかウイスキーとか」
「ビール? ウイスキー? そんな飲み物聞いたこともないな」
「……ないんですか?」
「ない。母なる女神に誓って、ないとも」
(ウイスキーはともかく、ビールがないってどういうことだ?)
トージはようやく違和感を感じるが、その思考はオラシオに中断させられてしまう。
「ともかく! 俺ァこいつを売ってもらうまで村を出ねぇぞ。……おっと、なにもあんたが飲む分まで買い占めようってわけじゃねぇ。この樽1個ぶんだけでも……」
「いえ、ウチは酒造りが生業ですからね。酒なら売るほどありますよ」
「本当か!!」
険しかったオラシオの表情は一瞬で笑顔に変わり、彼はトージの手を両手で握りしめてぶんぶんと振り回す。
「売るほどとはありがてぇ! トージさん、明日の商談楽しみにしてるぜ!!」
オラシオはそう言い、逗留しているのであろう村長の家へ入っていった。
トージが手を振って見送り終わると、燕尾服の上着をひっぱられる感触。
「リタさん、どうしたの?」
「あの……トージさん、そろそろ帰りませんか」
「どうかしたの?……顔が真っ赤だけど」
リタの白い頬が真っ赤に染まっている。
もう酒は飲んでいないはずだが……。
リタは無言のまま、横の方をチョイチョイと指差す。そこでは一組の恋人が、口づけを交わしながら、お互いの体をまさぐりあっていた。
どうやら酒の力が、恋人たちを大胆にしてしまったようだった。
あたりを見回せば、女の子を物陰に連れ込もうとしたらしい男が、女の子の反撃を喰らって地面に伸びたところだった。
別の場所でも物陰に向かう男女……こちらは女性もまんざらではなさそう。
(お幸せに~)
心の中で手を振ってから、トージはリタのほうに向き直る。
「それじゃあ、帰ろうか」
「……はい」
真っ赤な顔を伏せながらトージの服をつまむリタを送り届け、トージも蔵へ帰還した。
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祭りの翌朝。
トージとリタは、宴が行われた広場に着いていた。
鍋に台車に菰樽など、置きっぱなしにしてしまったものを回収するためである。
「あれ? 村長さん?」
「そのようですね」
ゲジゲジマユゲのミゲル村長が、酒樽の前に座り込んでいた。
その眉毛は逆ハの字につり上がっている。
「かなりお怒りのようですね……」
「たぶん、僕のせいだな」
心当たりは、ありすぎるほどある。
酒量の制御を放り出したせいで、二日酔いに苦しんでいる人もいるだろう。
皆が酒に夢中になったせいで、できなくなった儀式もあったかもしれない。
「うん、ちょっと怒られてくるよ」
「私も行きます、トージさん」
トージとリタは連れだって村長の前に歩み寄り、揃って頭を下げた。
「すみません、村長。昨日は日本酒のせいで、とんでもないことに……」
「トージ殿」
「はい」
謝罪をさえぎるような問いかけに、トージの背に緊張が走る。
村長は眉毛を怒らせたまま、トージに質問する。
「次はいつ飲める」
「………………は?」
「次はいつ飲めるんだ」
村長の視線は樽に固定されている。何を「飲む」のかは明らかだ。
予想していなかった質問に、トージはあっけにとられてしまう。
「ええっとですね……この日本酒は売り物として造っていますので、しょっちゅうタダで振る舞うことはできません」
それを聞いた村長の眉毛が、逆ハの字から、弱々しいハの字に変わる。
しょんぼりといった面持ちだ。
「ただ、もちろんですが、正当な価格で販売することはできます」
弱々しかった眉毛に力が戻り、片眉がピンと上がる。
興味アリ、といった感じだろうか?
「それから、今回のようなお祭りや、どなたかの結婚式などでは、今後も僕から振る舞わせていただきますよ」
眉毛が綺麗なアーチ状に変わる。
今度の動きは誤解のしようがない。満面の笑顔だ。顔の表情は同じだが。
「あの……怒っていたのではないのですか?」
「怒っていたとも。明日また飲むつもりだったのに、空っぽなのだからな」
コンコン、と、ひしゃくで樽の底を叩く村長。
「次の祭りでもぜひ頼むぞ、トージ殿。あなたのような人を我が村民に迎えることができて、実に幸せに思う」
それは、トージの行いが、一夜にして村に受け入れられた瞬間だった。
――――――――――◇――――――――――
村長と別れ、樽や鍋を回収して、リタとトージは帰路につく。
「よかったですね、トージさん」
「ああ……何事もなくてよかったよ。それに、日本酒を拒まれずにすんだのが、なによりも嬉しかったな」
「トージさんは、日本酒が好きなんですね」
「……そりゃあね。子供のころから、酒を造ることだけ考えて生きてきたんだ。もう僕にとって、酒造りは人生みたいなものだよ」
トージは、日本酒のお披露目をやりきれた充実感に満たされる一方で……
(しかし……村人どころか商人も酒を知らないって、どうなってるんだ?)
自分の置かれたおかしな状況に、ようやく深い疑問を持ち始めたのだった。