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第8話 日本酒と甘酒

日曜日3回目の投稿です。

 近年の酒造業界は、若返りが進んでいる。一般企業に就職した酒蔵の息子が、脱サラして家業を継ぐパターンが多いのだが……そのなかでも、20代の若社長というのは珍しい存在だった。

 そのせいもあって、トージは日本酒バーや酒販店が主催する日本酒イベントに、ゲストとして招待されることが多かった。こういったイベントは、酒蔵にとって、消費者の生の声を聞くことができる貴重な機会であり、積極的に参加していた。要はこの男、イベント慣れしているのである。

 トージは村の謝肉祭においても、いつものようにお酒の飲み方をアドバイスしながら、飲んだ人の感想や好みを聞いて回っていたのだった。


「トージさん、お疲れさまです」


「ニホンシュ、評判いいみたいだな!」


 あらわれたのは、銀髪の少女リタと、赤毛の弟ロッシ、そして赤毛の妹ルーティだ。ルーティは木製のコップを、リタとロッシは酒升を持っている。

 リタとロッシは、顔をほんのりと朱色に染め、ほろ酔い気分のようだ。


「ふたりとも、もう飲んでもらえたみたいだね、どうだった?」


「とても美味しかったです、その……」


 リタはそう言い、青緑色の瞳を閉じる。


「香りをかぐと、青いうちに摘み取った林檎のような、華やかな果実の香りがふんわりとただよってきました。それを楽しみながら、この“マス”を口に運びましたが……ほんのりとした甘さと、軽やかな酸っぱさが飛び込んできて、それを豊かなうま味が支えていて……たとえるものが思いつかないのですけれど、近いものを探すと……樹の上で赤黒くなるまで完熟させたトマトをかじっているようでした」


「うんうん、それで?」


「しばらくすると花のような香りも感じられるようになってきました。口の中で味と香りを楽しんでいたら、口の中が、ぽかぽかと暖かくなってきたんです。びっくりして、口の中のニホンシュを全部飲み込んでしまったら、のども暖かくなってきたんです」


「うん、そうだね。酒には血の巡りをよくする性質があるから」


「そうなのですか……そうして気がついたら、いつのまにか口のなかから甘みが抜けていて、かすかな酸味と、青リンゴの香りだけが残っていました」


 そう語り終えると、リタはゆっくりと青緑色の目を開けた。


「トマトだったら味がいつまでも口の中に残るのに……ニホンシュって不思議な飲み物なんですね。とっても美味しかったのに、すぐになくなってしまったので、いま2杯目をいただいてきたところなんです」


 リタの感想を聞いて、トージの目は輝いていた。

 トージのポリシーは「うんちくは飲んだ後」。

 つまり相手が酒を味わったのなら、うんちく語りを止める理由がない。


「うん、美味しく飲んでもらっているようでなにより! それにしても素晴らしく鋭い味覚だね? はじめて飲んだのにそこまで細かくわかる人はそうそういないよ。日本酒の世界ではね、口の中に嫌な後味を残さず、すぅっと味を消すお酒のことを“キレのいい酒”って呼ぶんだ。味がすぐに消えてくれるから、どんな料理とも相性が良くって、旨い酒に対するほめ言葉のひとつなんだよ。それから酸味についてはウチの蔵がこだわってるところでね、適度な酸ってやつは酒のうま味を引き締めてくれる。ただあんまり強くしすぎると日本酒本来の味を殺してしまうから、いかに嫌味のない旨い酸を作るかが勝負所なんだ」


「嫌味、ですか。果実も熟しすぎると嫌な味が出ますよね」


「まさにそれさ! 少量なら風味の良さにつながる成分も、多すぎると味を損なってしまう。バランスが大事なんだよ!」


 ましてや、リタは鋭敏な味覚を持ち、家族にうまい料理を作ることにこだわりを持つ少女である。

 例えるならばふたりは、同じマイナーなアニメ作品を愛する同志であり……


「姉ちゃん、ふたりの世界はそのくらいにしてくれねーかな……賛美歌でも聴いてる気分になってくるぜ」


 趣味が合わない相手には、まるで理解されないのであった。


「「ごめんなさい……」」


 ともあれ、リタの味覚の鋭敏さには、目を見張るものがある。

 初体験の日本酒の感想など、ロッシ君のような形になるのが当たり前なのだ。

 近年のアメリカの研究によれば、アメリカ人のなかには、ほかの人よりも圧倒的に味覚が鋭い人が全人口の25%の割合でいて、彼らのことを「スーパーテイスター」と呼んでいるそうだ。

 トージが見るに、リタの味覚は酒蔵の当主たるトージと同等か、あるいはそれ以上に敏感かもしれない。たかだか25%どころのレベルではない……あえて名付けるなら「ウルトラテイスター」とでも称するべきではないだろうか。


「悪いなールーティ。俺たちだけ飲んじゃってさ。こいつはオトナ用なんだ」


「ふーんだ。こっちの“アマザケ”のほうが甘くておいしいもーん。コドモ用だから、ロッシ兄ちゃんは飲んじゃいけないんだよー」


「なんだ? 米の粥かと思ったら甘いのかよ。俺にも一口くれって」


「だーめー。イジワル兄ちゃんにはあげないもーん!」


「オトナは飲むな、とは言ってなかっただろー!?」


 ふたりは、トージとリタの周りでぐるぐると追いかけっこを始めてしまう。

 升から酒をこぼさないように動いているロッシ君は、コップの中身をだいぶ減らしているルーティちゃんに追いつけないようだ。

 ルーティちゃんのコップの中に入っている甘酒は、おにぎりを作る前に蔵で仕込んできた、トージお手製のものである。


 日本酒の原料のひとつ、米にコウジカビを植え付けて作った「(こうじ)」を、水と混ぜて数時間熟成させたものが「甘酒」だ。

 甘“酒”という名前で呼ばれてはいるが、アルコール濃度が1%未満のため、法律上、酒ではない。


 甘酒は、ブドウ糖やオリゴ糖などの糖分に加え、ビタミンB群と多種のアミノ酸を含んでいるため、近年では「飲む点滴」などとも呼ばれる栄養抜群の飲み物である。

 江戸時代には、暑さでバテやすい夏場に、体力を回復させる栄養補給ドリンクとして甘酒が行商されていたとか、庶民の健康を守るために幕府が甘酒の価格統制を行っていたという実績もある。

 トージとしては、発育不良気味な村の子供たちに、この甘酒ですこしでも栄養を取ってもらおうという狙いがあった。


 しかもトージの甘酒は加熱殺菌をしていないので、蛋白質・脂質・デンプンなどを有益な栄養成分に分解する“酵素”が30種類以上、活性化した状態で含まれている。

 祭りで食べた贅沢な食事も、しっかり消化吸収されて血肉になるはずである。


「……まったくもう、ロッシったらいつまで子供みたいなことを……」


 あいも変わらずルーティを追い回しているロッシに、リタがあきれたようにつぶやく。

 ……その瞬間、トージの体が電撃に打たれたようにピタリと止まった。



(こど……も……?)



 トージの首が、油の切れた機械のようにぎしぎしと動き、リタの顔を見る。


「……ときにリタさん、質問があるのだけど……」


「はい、なんでしょうか」


「あのさ、キミとロッシ君って……何歳だったっけ?」


「昨日お話ししませんでしたっけ? 私が16歳、ロッシが15歳になります」


お酒はハタチに(・・・・・・・)なってから(・・・・・)ーっ!?」


 トージが顔を青ざめさせながら叫ぶ。

 未成年に酒を飲ませる、それは酒を持ち込んだトージの大失態であった。


 日本には「未成年者飲酒禁止法」という法律があり、満20歳未満の者がアルコール飲料を飲むことが禁じられている。

 さらに、未成年者に酒を“飲ませる”ことも犯罪であり、未成年者が飲酒しないよう適切な措置をとらなかった、責任者やその法人……つまりこの場合でいえば「株式会社賀茂篠酒造」は処罰されてしまう。

 これは、酒類についてのもうひとつの法律「酒税法」にある、「酒類販売業免許の取消要件」に該当する……つまりこの事実が処罰されれば、賀茂篠酒造は酒をお客様に直接売ることができなくなってしまうのである。


 もちろんトージがあわてているのは「違法だから」だけではない。

 アルコールは、子供の脳の成長と、性機能の成長に有害なのである。

 一回や二回の飲酒で、ただちにそのような害があるわけではないが、だからといって許容できるようなものでもない。


「……あのさぁ……僕、“お酒を飲んで良いのは大人だけ”って説明したよね? なんでリタさんとロッシ君もお酒を飲んじゃってるの?」


「だって、大人は飲んでいいんだろ?」


「子供じゃないか! 15歳だろ!?」


「トージさん……この村で男は12歳、女は……初潮が来たら大人として認めめられるんです」


「文化がちがーう!?」


 頭をかかえたまま天を仰ぐトージ。


「そもそも20歳以上の人なんて、村の半分もいないはずです。だいたい20歳になる前に、病気で亡くなってしまいますから……」


「なん……だって……!?」


 次々と明かされる衝撃の現実に、トージの脳みそはオーバーフロー寸前だ。

 しかし、そんななかでもトージの脳は、酒蔵の当主の義務を果たせと叫ぶ。


「リタさん、ロッシ君、日本酒を飲むのはそこまでにしてほしい。申し訳ないけど時間が惜しい、理由はあとで説明させてほしいんだ」


「ええーっ!? さっき注いだばっかりなんだぜ?」


「たのむ! このとおりだ! かならず埋め合わせはするから!」


「おいおいおい、なにやってんだよトージさん!」


 燕尾服の膝下を土で汚しながら、村の地面に正座し、頭を下げて頼み込むトージに、ロッシ君が仰天する。


「ロッシ、トージさんがここまでおっしゃってるんです」


「もったいないって思っただけだって、逆らったりしねーよ」


「ありがとう! 本当にごめんね、ふたりとも!」


 トージはふたりから日本酒の入った升を受け取ると、みずから招いてしまった未成年飲酒の蔓延を食い止めるために動き出した。

 飲酒の年齢制限は、各国の文化と密接に関係があり、国ごとにさまざまな法律があります。

 今後のお話でそのあたりにも触れていくことになりますので、お付き合いください。


 平日は毎日20時台の1回更新の予定です。

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