第5話 本気のおにぎり
土曜日3回目の投稿です。予定より早めて投下。
時間をさかのぼり、昨日、リタの家から帰宅した後。
トージは謝肉祭で提供する料理を何にするべきか頭を悩ませていた。
なにせ村人は100人近くいるらしい。スーパーに買い物に行けない以上、100人に提供できる食材というものが、賀茂篠の蔵にはまるで存在しなかったのだ。
有り余っているのは、賀茂篠の水田で育てた自家用のコシヒカリ新米のみ。
そこでトージは、この米を最大限に生かす料理を提供することにした。
(やはり、にぎり飯しかないな。それも、全身全霊を込めた究極のにぎり飯だ)
総合的に見れば、トージの料理の腕前は人並み程度だろう。
だが彼は酒蔵の当主である。米を扱って人並みでは許されない。
実際、トージが地元の祭りで用意してくるおにぎりは、知る人ぞ知る人気の品で、専門店よりうまいと評判だったりするのだ。
まずトージが取り出したのは、直径40cmもある巨大な羽釜である。最大で7升、10.5kgの米を一気に炊きあげることができる。
米研ぎと炊飯用の水は、酒の仕込み水を使用する。雑味がなく、米粒に素直に浸みこむ仕込み水は、米のうま味を最大限に引き出す賀茂篠の生命線だ。
一升の米をざるにあけ、桶に溜めた仕込み水にざるごと投入し、数秒で手早く表面の「米ぬか」を洗い落としてざるごと引き揚げる。いつまでも水に浸していると、水に溶けた米ぬかの成分が米粒に吸収され、匂いが移ってしまう。
次に、ぬかが溶けた水をどけて、別の水桶にざるを入れて、米粒の表面を傷つけないように優しく研いでいく。
一升ずつ6回に分けて米を洗ったら、次は米に水を吸わせる「吸水」だ。
このとき「できるだけ温度の低い水」を吸わせることが重要。米粒の中心まで均等に水が染みこむため、ふっくらとした炊きあがりになる。家庭では水を減らしてその分“氷”を入れることでも代用できる。
1時間半かけてじっくり水を吸わせたら、いよいよ炊飯だ。
(ここまできたら、あとは普通に炊けば極上の飯になる……
でも、今回は「おにぎり」だからな。
運んでいるあいだに冷めてしまうし、
冷めてもウマい炊き方をしなくちゃだめだ)
そのために、ふたつの秘密兵器を使用する。「備長炭」と「蜂蜜」である。
まず、煮沸消毒した備長炭を米の上に置く。備長炭からじんわりと溶け出すミネラルが、米に深い味わいを与えてくれる。
今回は関係ないが、備長炭には悪臭を吸着する効果があるため、古い米を炊くときや、電気炊飯器で炊いた米を保温するときにも有効となる。
次に蜂蜜。
米2合につき蜂蜜小さじ1、今回は米7升なので合計175ccを釜に投入する。
蜂蜜には、人間の唾液にも含まれている、アミラーゼという酵素が入っている。これが米のデンプンを糖に変え、甘みとうま味とモチモチ感を高める。
また、蜂蜜の糖分が米粒の表面にコーティングされることで、米粒の保水性が高まり、冷めても乾かず硬くならないのだ。
下ごしらえが済んだので、いよいよ炊飯となる。
曾祖父の代から伝わるかまどに薪を入れ、火を付ける。
薪の特性上、はじめは火力が弱いが、しだいに薪全体に火が回る。そうしたらどんどんと新しい薪を入れて火力を一気に上げていく。
10~15分で沸騰がはじまり、釜の蓋がコトコトと浮き上がる。
釜のなかでは突沸現象が起き、大量の気泡が蓋を押し上げている。
「かまどから薪を引き抜いて、ギリギリ吹きこぼれない弱火に……! こぼしたぶんだけうま味が減るぞ、慎重に!!」
飯のうまさは、この「蓋の重みによる高圧下で釜が沸騰し、米粒が対流している時間」をどれだけ維持できるかで決まると言ってもいい。
少量しか炊かない場合、釜の水があっという間に蒸発してしまうため、熱が米粒に十分伝わらず、もそもそとした食感になってしまいやすい。
羽釜による大容量一挙炊きは、沸騰による水分減少ペースが遅く、うまさの面においても大正義なのである。
弱火にして15分前後で、水分が減り、蒸気の発生量が少なくなってくる。
そうしたらかまどの中に稲藁を突っ込んで、火力を瞬間的に超強火にする。これには、釜の中に残っている不要な水分を飛ばしてしまう効果がある。
藁はすぐに燃え尽きるので、かまどの中からすべての薪を取り出し、15分待機する。「蒸らし工程」である。
絶対に蓋を取ってはいけない!
このとき釜の中では、米の粘りやうま味成分を大量に含んだ液体が、水蒸気とともに米に再吸収され、ふっくらとした食感を作っている最中なのだ。
ここで蓋を開けば、せっかくの米がパサパサになってしまう。
じっと待つこと15分。これで「蒸らし」が完了である。
「……どれだけ炊き慣れても、蓋を取る瞬間は緊張するなぁ……」
木製の重い蓋を取り外すと、ブワっと視界が白く染まる。圧倒的な量の水蒸気、そしてかぐわしい白米の香り。
湯気がやや収まった釜の中では、半透明の米粒がキラキラと光を反射しながら、垂直に整列している。米粒が活発に対流したときだけ見られる芸術だ。
大きなしゃもじで切るようにして飯を堀り、水分のムラをなくす「ほぐし」を終えたら、大量の飯を幅広の木桶3個に広げて、2つに蓋をし、開いた木桶から飯ひとかたまりを口に運ぶ。
米粒の弾力感、ほどよい粘り、噛みしめるごとに広がる甘み。
「……よし、首尾は上々だ!」
しゃもじを持った右手を、ぐっと握るトージ。
「ここまで来れば8割方成功してる。あとは仕上げるだけだな」
卓の上には、炊きたての飯を広げた桶と、氷水のボウル、3種類の具材、そして「霧吹き」が並べられている。
3種類の具材は、まず浅草の名店から取り寄せた海苔の佃煮。トージの朝食用のものだが、せっかくなので振る舞ってしまう。
鮭はごく普通の紅鮭だが、昔の塩鮭のように、焼くと塩が噴き出す辛塩仕立てだ。淡泊なにぎり飯にはよく合うだろう。
最後の梅干しは、トージのことを孫のように可愛がってくれた蔵人夫婦が漬けている自家製品のなかから、漬けて1年に満たない若いものをチョイスし、ひとつひとつ種を抜いたもの。
自分はトロトロの古漬けも好きだが、万人受けするのは、酸味豊かで果実らしいみずみずしさを持つ、若い梅干しだと思う。
これらの具材のうちひとつを飯に包み込み、おにぎりを仕上げていくのだ。
「よし、それじゃあ戦闘開始だ」
トージは服の両袖をまくりあげ、タオルをはちまきのように頭に固く巻きつけて作業を開始する。
まず手に取ったのは霧吹き。左の手のひらに2回スプレーし、その液体を右手のひらにも行き渡らせる。
この液体は「水塩」という。
能登半島産の天然塩を、濃度20%になるように仕込み水に溶かしたものだ。隠し味としてわずかに米酢も入れてある。
通常、塩味のおにぎりを握る場合、濡れた手に塩をつけて握ることが多い。
この方法は塩粒の食感を味わえる一方で、おにぎり表面への塩の付き方にムラができてしまうという弱点がある。
だが水塩を使えば、おにぎりの表面にまんべんなく塩味をつけることができ、味のわりに塩分摂取量も抑えることができるのだ。
隠し味の酢は微量で、味にはほぼ影響しない。だが酢には抗菌効果があり、また手にご飯がくっつきにくくしてくれるので、作業を手早く進められる。
飯桶から米を取る。分量は大きめの160g。秤がなくてもプラスマイナス3gにおさめる技術が、トージには備わっている。
飯の真ん中にくぼみを作り、具材を箸ではめ込んで飯で包む。箸を使うのは、飯の表面を具材の色で汚さず、白いままに保つためだ。
(表面をまとめ、中はふんわりと……)
飯粒と飯粒の間にある空間を潰さないように、表面だけにわずかな力をかけておにぎりをまとめあげる。
力を込めるのは3回。それ以上は飯が潰れてふんわり感が失われてしまう。
……軽く形を整えたら、1個目のおにぎりが完成。
最初の霧吹きから、ここまでわずか10秒。なだらかに整ったおにぎりの表面はつやつやと輝き、米粒の“美”をこれでもかとアピールしている。
「……板海苔は巻かない。あくまで米の白さと輝きで勝負といこう」
かぶりつけば、ほのかな塩味の後に口のなかで米粒がほどけ、米のうまさだけを純粋に味わえる。二口目からは歯が具材に届き、具材のうま味と米の甘みを最高の形で混ぜ合わせてくれるはずである。
水戻しした竹皮を仕切りとして置いたら、すぐに次に取りかかる。
竹皮は抗菌効果と通気性を備え、おにぎりの水分を適量に保ってくれる「呼吸する梱包材」である。
飯を包むにあたってこれ以上の素材は存在しない。裏庭の竹林で取り放題なので、惜しみなく使えるのも嬉しい。
10個握ったら氷水で手を冷やす。
トージは涼しい顔をして握っているが、目の前のご飯は炊きたてで、表面温度はまだまだ80℃はある。
普通の主婦なら間違いなく火傷してしまうところだが、トージの手の平は子供のころからの酒造りで熱に耐性がついており、高温にも低温にも耐えられるからこその早業といえる。
こうして炊きあがりから20分、トージは120個のにぎりめしを、炊きたてのまま「おにぎり」として仕上げることに成功したのであった。
「ひとりでこんなに握ったのは初めてだな! さあ、持って行こう!」
祭りに心を躍らせ、おにぎり作り成功の充実感いっぱいで蔵を出るトージ。
彼の脳内からは、破産管財人がどうだとか、周囲の様子がおかしいだとか、 そういう大事なことがすっぽり抜け落ちている。
めんどくさい現実から目をそらし、祭りを楽しむというトージの目的は、残念なことに見事に成功したといってよかった。
日曜日も3話更新です。朝、12時台、20時台に投下します。




