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第33話 麹と米で酒母をつくる

画像付き投稿です。

「おはようございます、トージさん」

「おはよう、リタ。今日は久しぶりに晴れたね」

「そうですね。蒸しはトージさんにお任せして、洗濯をしたほうがいいでしょうか」

「頼むよ、だいぶ溜まっちゃってるからね」


 事務所二階の居住スペースで、それぞれの部屋を出たトージとリタが、朝の挨拶と簡単な打ち合わせをすませる。

 リタがトージの両親の部屋に泊まり込むようになってから、もう一ヶ月以上が経過していた。当初は朝に顔を合わせると気恥ずかしさに困っていた二人だったが、このころにはすっかり慣れて、もう家族のような接し方になっている。


 そのあいだもトージたちは米を蒸し、麹を生やし、酒を仕込んでいたが、そのペースはトージが当初計画していたものよりも、少しゆるやかになっていた。

 このままのペースで作業を続けたら体力的に持たないと判断したトージが、今年の作業予定を全面的に組み替えたのだ。

 このペースでは貯蔵していたすべての米を酒に仕込むことができないので、トージはここまでやってきたような手作業での仕込みを減らし、酒造用の機械を使って大規模に仕込む量を増やそうと考えている。


 この1ヶ月間、変わったことは他にもあった。

 うわばみブラザーズのひとり、モジャの家が、長雨と老朽化のコンボで破損してしまったのである。

 こうなると蔵の仕事どころではない。モジャの家では一族総出で自宅の修繕を行うことになり、しばらくモジャは酒蔵に来ることができなかったのだ。


(今日はようやくモジャが出てこれるんだよな。ほかのみんなと経験面で大分差がついちゃったから、すこしでも取り戻せるようにしてあげないと)

 

 そんなことを考えながら、トージは今日の作業計画に微調整を加えていた。


――――――――――◇――――――――――


 昼食後の賀茂篠酒造。トージと蔵人たちの姿は会議室にあった。


「さて、今日ここからやるのは「酒母工程(しゅぼこうてい)」という作業だ。モジャは今日がはじめてだから、しっかり聞いてくれ。みんなはもう何度も見ていると思うけど、いい復習の機会だと思ってなんでも質問してほしい」


「いやぁ、迷惑かけてすまねえだ」


「気にすることはないよ。さあ、最初に酒造りの基本についておさらいしよう。酒造りというのは、酵母という生き物が、甘い物を食べて酒を吐き出すのを見守る作業だ。なので、酒を吐き出す酵母を増やす必要がある。この“酵母を増やす工程”のことを、酒母工程(しゅぼこうてい)と呼んでるんだ」


 ホワイトボードに「酒母工程」という字を書くトージ。


「酒母……お酒の母ちゃんだべか」


「そうそう。モジャもだいぶ神聖語が読めるようになってきたじゃないか」


「仕事をしにきたら、司祭様の言葉を教わるとは思ってなかったべ」


 トージの母国語である日本語(漢字ひらがな混淆(こんこう)文)が、この世界では「神聖語」という、聖典の言葉であることをリタから聞かされたトージは、作業の合間をぬって蔵人たちに日本語の読み書きを教えていた。トージの両親が大事に保管していた、小学校の国語の教科書が役に立ったことは言うまでもなかろう。


「ともかく、酒母というのは酵母がぎっしり詰まった液のことだ。これに水と米を与えて酒を増やすので、“酒を産む母”って意味で酒母って呼ぶんだね」


 ひとしきり語り終えると、トージは手元の箱から、親指くらいのサイズの小さな茶色いガラス瓶を取り出した。いわゆるアンプルと呼ばれるものだ。


「その酵母だけど、この瓶のなかに入っている。具体的には200億匹」


「億……?」


 蔵人たちが一様に首をかしげる。


「えーっとね、万はわかるよね。万が万集まると億になる。それの200倍が200億」


「ものすごい数ですね……そんなにいても足りないんですか?」


「うん、全然足りないね。だからもっと増やさないといけない。具体的にはこれをさらに5万倍から10万倍くらいの量に増やす必要がある。」


「10万倍……?」


 つまるところ2000兆匹ということになる。

 普段なじみのないスケールの数字に、蔵人たちは理解が追いついていない。


「だから酵母にひたすら糖を食べさせて満腹になってもらって、子孫をぽこぽこと産んでもらいたいんだ。んで、酵母に食べさせる糖をたくさん作るために、米を食べて糖を作る麹が必要だったんだね」


「トージ様が“麹は牧草”って言ってたのは、そういう意味なんだべな」


「それで、ちょっと話は変わるけど……そうだな。このあいだノッポが腐った酒を飲んだとき、吐いたよね?」


「トージ様ちょくちょくその話だしてくるだな……」


 以前、リタの家の庭でトージの実験酒を飲んでしまったノッポが、ばつが悪そうに首をすくめる。


「ごめんごめん。そのときさ、吐いただろ。酸っぱくなかったかい?」


「あー……たしかに酸っぱかっただな」


「その酸っぱいのは"胃液”っていって、食べたものを分解するために胃袋が出しているものなんだ。これと同じように、コウジカビは米を分解するために、酵素っていうものを吐き出して、米にぶっかける習性がある。つまりこうだ」


挿絵(By みてみん)

 トージは、手早くホワイトボードに図を描いていく。


「酵素は、米のデンプンを細かく刻んで糖に変えて、コウジカビが吸収できるようにするんだ。この酵素ってやつは使い減りがなくて、適温で放っておけばひたすらデンプンを糖に変え続けてくれるんだよ。みんな水飴って知ってるよね? あれも、麦のデンプンを酵素で分解して作ってるんだ」


「そうなんですか」

「トージ、よくしってる」


 大地の大精霊であるテルテルが、満足げにうなずいた。


「さて、ここで基本に立ち戻って欲しいんだけど、僕らが欲しいのは酵母のエサになる糖であって、コウジを際限なく増やしたいわけじゃない。ぶっちゃけると酵素をたくさん分泌してもらった時点でコウジの役目は終わってるんだ。だからこうしてやる」


挿絵(By みてみん)

「コウジを眠らせて、糖を食べないようにするだな」


「そういうこと。具体的には麹を水に放り込んで混ぜるんだ。麹は水の中ではほとんど増えないからね。そしてその水の中に蒸した米を放り込んで温めると、水のなかに溶け出した酵素が、蒸米を分解してどんどん甘くしていく。そうしたらこれ、酵母の出番だ」


 トージは蔵人たちのほうに酵母のアンプルを突き出した後、ホワイトボードをさらに書き換えていく。


挿絵(By みてみん)


「あれまー、コウジが作った糖分が、酵母に横取りされてるでねえか」


「ははは、麹にはちょっと申し訳ないね。ただこうやって酵母に糖をたくさん食べさせれば、酵母は倍々ゲームでどんどん増えて、さっき言ったように5万倍や10万倍に増えてくれるんだ。ただね、この図にはちょっと問題があってね」


「問題? どういうこと?」


 家畜の世話の仕事があるため、酒蔵にはスポット参戦になっているロッシが質問を投げかける。


「いやあね、デンプンや糖は、酵母以外の小さな生き物“雑菌”たちの好物でもあるんだよ。雑菌が繁殖すると、酵母が縄張り争いに負けて増えられなくなってしまうし、ノッポが飲んだ失敗酒ほどじゃないけどマズい酒になってしまう。しかも雑菌ってやつは米や麹にくっついてるから混入を防ぐこともできない」


「なるほどね、羊と豚が食われて狼が残るようなもんだな。あいつらマズいし、食べるところ少ないし最悪だ」


「逆に、タンクの中が酵母でみっちりと埋まっていれば、雑菌は繁殖することができないんだ。だから酵母以外の細菌を増やさず、酵母だけを増やす必要がある」


「そんなことできるべか?」


「できるんだなあ。ここからは実際に作業をしながら説明していこう!」


――――――――――◇――――――――――


 トージと蔵人たちは、エアカーテンという装置で全身のホコリを落とし、マスクを付けて、冷房のよく効いた二階の酒母室(しゅぼしつ)に入る。


「うひぃ、冷蔵庫と同じくれえ寒いだな」


 この部屋にはじめて入ったモジャが思わず身を震わせる。室温は5度。外気温よりも10度も低い。

 部屋の中にはドラム缶くらいの大きさのタンクがいくつも並んでいる。

 トージはそのひとつの前に立ち、タンクの中を指さした。

 タンクの中には乳白色の液体が入っている。


「こいつは水麹といってね、昨日枯らした麹を、冷水に入れて朝からほっといたやつだ。水の中には麹が吐き出した酵素がたくさん溶け出しているはずだよ。さあ、ここに冷ました蒸し米を流し込もう」


「「へい、トージ様!」」


 ノッポとギョロメが、プラスチック製の大タライに満載された蒸し米を、ぼとりぼとりとタンクの中に加えていく。

 トージは毛の無いデッキブラシのような道具「(かい)」を操り、冷えて固まった蒸し米を、水麹のなかでばらばらにほぐしはじめた。


「テルテル、暖気樽(だきだる)、氷水で」


「ん」


 一声かけて室外に出たテルテルは、直径40cmの巨大なステンレス水筒に、大きな取っ手が付いたような道具を持ってきた。


「これは暖気樽(だきだる)といってね、酒母を冷やしたり温めたりするときに使うんだ。今回は中に氷水を入れて、気温に近いところまで冷やすよ」


 食べるには固すぎるくらいの蒸米が投入されたタンクの中身は、ほぐれた米粒と浸る程度の水麹で、お湯をケチったお茶漬けのような状態になっている。トージはそこに氷水が入った暖気樽を挿入し、ぐるぐるとかき混ぜることで、蒸米で温まったタンク内を急冷していく。

 しばらく混ぜると、タンクの横に表示されているデジタル温度計の数値が降下していき、外気温とほぼ同じ6度を指した。


「よし、そろそろいいかな。そしたら、こいつを溶かして最初の工程はおしまいだ」


 トージはそう言うと、棚から薬を包むような紙包みを取り出し、そのなかの粉末をサラーっとタンクの中に入れ、櫂で軽くかき混ぜた。


「あれ? トージ様、いま何入れたべ? 酵母じゃねえだか?」


「こいつはね、硝石(しょうせき)ってやつだよ」


「硝石!? トージさん、それ、鉄砲の火薬に使うやつじゃん!」


 本業が狩人であるロッシが、驚愕の表情でトージを指さす。


「なんでそんなもの入れるんだって顔だね? いいとも、会議室に戻って説明しよう。ここからが日本酒造りの面白いところなんだ!」


 リタやノッポなど、事情を知っている蔵人たちは、やれやれという表情でトージたちのやりとりを見ている。

 モジャとロッシを心理的に置いてけぼりにしたまま、トージはウキウキ顔で酒母室の扉を開くのだった。

シューボー3分クッキング。

酒母工程は普通にやると1ヶ月近くかかるので、早送りするためにこのような形をとりました。

硝石は、現実の酒造りでも添加が認められている副原料です。

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