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第32話 彼女の居場所、僕の決意

「リタが、家出をいたしました」


「はぁ!?」


 日暮れ時に蔵にあらわれたレルダの説明は、トージの想定の外にあった。


「家出って、リタさんは大丈夫なんですか!? このへんには野犬もいるそうじゃないですか?」


「ロッシがついておりますので、ご安心ください」


「ロッシ君が一緒なのか、よかったぁ」


 ほっと胸をなで下ろすトージ。

 一流の狩人であるロッシが一緒なら、危険は無いだろうとトージは考えた。


「それで、家出の理由は。やっぱり蔵での仕事のことでしょうか」


「ご想像のとおりです。きつく言い過ぎてしまいまして……ロッシにも叱られました」


 レルダが説明するところによれば、蔵での作業を終えたリタは、自宅に帰るなり、ふたたび母レルダに直談判をしたのだという。

 自分たち蔵人に仕事ができないせいで、トージの負担が大きすぎ、今日は危うく大怪我をするところだった。

 このまま自分が役に立たないせいで、トージが体調を崩し倒れたら? 危うく殺しかけた罪を許してもらったばかりか、仕事までもらい、分不相応な量の米粉を受け取っている恩をどう考えるのか。一刻も早く蔵に泊まり込めるようになり、トージの負担を軽減できる職人になるのが恩返しだ……というのがリタの主張だった。

 恩を仇で返すのが母の教えなのか、とまで言い放ったそうだ。


「しまったなあ……」


 自分の失態がリタの暴走を招いたと知り、手のひらで顔を覆うトージ。


「ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。ですが私も家の当主として、娘をああいった環境に置くことを認めるわけにはいかなかったのです」


「わかります、なにせ僕も同じ意見ですから」


 リタを賀茂篠酒造敷地内のワンルームアパートに住まわせるのは危ない。

 安全上認められないというのが、レルダと同じくトージの出した結論だった。


「私がきわめて強く拒絶しましたので、あの子も腹を立てまして、家を出てしまったのです。まったく……自慢の娘ですが、頑固なところは私に似てしまいました」


 そう言って深いため息をつくレルダ。


「トージ様、なんとか娘の願いを叶えてやることはできませんでしょうか」


「なるほど……」


 うーん、と(うな)りながら、トージは言葉を継いでいく。


「リタさんに過激な行動を取らせてしまった責任は僕にあると思っています。だからなんとかしたいのですが、そうですねえ……」


 トージは酒蔵内に、リタを受け入れられる場所がないかどうかを考える。

 農具庫や車庫は論外だ。人が住む環境では無い。

 米蔵や貯蔵庫に人を住ませるのはよろしくない。

 醸造棟に併設されている食堂や休憩室は……蔵人全員が出入りする場所だからNG。

 そうなると残るのは……


「あの建物は事務所ですが、二階は僕の自宅になっています。あちらでしたら部屋はあるのですが、問題は鍵がないんですよ」


「鍵、ですか?」


「ええ、もちろん事務所の入り口には鍵がかかるんですが、なんせ自宅なので、中に入るとどの部屋にも鍵がありません。つまり男である僕と部屋こそ違うのですが、部屋の入り口に鍵がないので、その気になれば自由に侵入できちゃうわけです。これは鍵のかかるアパート以上によろしくないですよねえ」


「なるほど……」


 レルダはしばらく考え込んでいたが、


「トージ様、そちらでしたら、当家としては問題ございません」

「はい?」


 間抜けなリアクションを返すトージ。


「いや、年上の男とひとつ屋根の下ですよ? 完全にアウトだと思うのですが」

「トージ様のことは信用しておりますので」

「はぁ」


 ふたりの大人の視線が交錯する。


(これはあれか、当然自制できるよな社長だもんなってことか? 雇い主の地位をタテに傷物にしたら、村人一同黙っちゃいねえぞと)

(トージ様であれば、あの子が悲しむような無体な抱き方はなされないでしょう)


 大きなすれ違いをそのままにして、沈黙の時間が終わりを告げた。


「わかりました。レルダさんの許可が出るのであればそうしましょう。リタさんのところに案内していただけますか?」


 トージはそう伝えながら立ち上がった。


(僕も……決断しなきゃな。これからも日本酒を造って生きていくために、協力してくれる皆の信頼に応えるために、まず僕自身が変わらなくちゃいけないんだ)


 誰にも明かしたことのない、小さな秘密を胸に秘めながら。


――――――――――◇――――――――――


 レルダに連れられて坂を下りたトージがやってきたのは、村の家畜小屋だった。

 干し草の上に座り込んでうつむき、ときどき背を震わせているリタ。

 リタの弟ロッシは、そんな姉の隣に立ち、周囲に目を配りながら姉に言葉をかけているようだった。


「私が行くと、こじれますので」と、レルダに送り出されたトージが近づいていくと、ロッシが気づき「あ、トージさん」と声をあげる。

 それに反応して顔をあげたリタの目元は赤らんでおり、銀色の前髪は、涙に濡れて額と顔に張り付いていた。

 美しい青緑の瞳が驚きの色に染まる。


「どうして……トージさん、疲れているのに」


「はは。みんなのおかげでたっぷり寝れたから、ピンピンだよ」


 そうトージは空元気を張ってみせる。


「さっきレルダさんが蔵に来てさ。だいたい話は聞かせてもらったよ」


 トージがそう伝えると、リタの表情は一層の驚きにあふれ。

 目尻からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


「ちょっ、いまのに泣く要素あった!?」


 あわてるトージに、リタはひくひくと泣きじゃくりながら必死に答える。


「だって、私たちの家の問題なのに……! トージさんを、私が、お手伝いしたいのに……! それなのに、お役に立つどころか迷惑をかけて! あまりに情けなくて……!!」


「迷惑をかけたのは僕のほうだよ」

「そんなことありません! 気休めはやめてください!!」

「いや、気休めやなぐさめじゃない。これは、僕の問題なんだ」


 トージは真剣な表情で、座り込むリタの前に片膝を突いて目線を合わせる。


「僕はこの世界で酒を造ると決めたんだ。君には伝えたよね」


「はい、この耳で聞きました」


「でもね、甘かった。僕は、酒造りならなんでもできる一人前の職人だとうぬぼれていた。労働力さえいれば、良い酒を造れると思い上がっていたんだ」


「トージさん?」


「蔵人頭の源さんや、征さん、太郎さん、僕よりもずっと経験豊富な蔵人のみんなが補助輪みたいにサポートしてくれたから、僕はコケることなく良い日本酒を造れていたんだ。その助け無しで実際にやってみたらあのザマさ。いまのいままで、そんなことにも気づいていなかった。僕は、自分自身の傲慢さが許せないっ……!!」


 トージがギリッと歯を食いしばる音が、ロッシの耳にも届いた。

 両目からあふれ出した涙を一筋こぼしながら、トージは続ける。


「そんな半人前の僕が、先輩蔵人の助けなしで酒を造ると決めたとき、目の前に全力で酒造りを学びたいと言ってくれる人がいる。そんなときに僕がすべきことは何か? 受け入れ体制がないから無理だよな、なんて責任回避の逃げじゃ無い」


 右の拳を白くなるまでギュッと握りながら、トージは叫んだ。


「その人と一緒に酒造りができるように、一緒に成長していけるように、あらゆる手段で受け入れ体制を整え、反対する人を説得することなんだ!! それ以外にすることはないっ!!」


 まくしたてるトージの姿に、リタは泣くのも忘れて呆然としている。

 トージはツナギの袖でごしごしと涙をぬぐうと、ゆっくりと立ち上がり、リタに右手を差し出しながら、憑き物が落ちたような落ち着いた声でこう言った。 


「ついてきてくれるかな。

 アルバイトでも、臨時雇いの人足でもなく。

 リタ。君を、僕の賀茂篠酒造に正式に迎え入れたいんだ。頼む」


 誘われるようにトージの手を取る姉の姿を、ロッシは生涯忘れなかった。

 後日、ロッシはこう語ったことがあった。

 トージさんが姉ちゃんを“リタさん”って呼ばなくなったのは、

 あの、やたらと夕陽が赤い日だったな、と。


――――――――――◇――――――――――


 そのすぐ後、トージとリタの姿は事務所二階の廊下にあった。


「リタに使って欲しいのは、この部屋なんだ」


 トージが引き戸を開けると、そこは寝室だった。

 いくつものタンスが並び、三面鏡のついた化粧台もある。

 部屋の奥には、ふたつの枕が並ぶ、ひとりで使うには明らかに大きすぎるベッド。

 目の前の情景を理解できなかったリタが、ひとつの推測にたどりつく。


(ふたつの枕と大きなベッド……もしかして、夜のお供(・・・・)をする、と……?)


 リタの真っ白な肌が羞恥で桃色に染まり始めるが……


「ここはね、両親が生前に使っていた部屋なんだ」 


 トージの言葉に、リタの頭は一気に氷点下まで冷まされた。

 はっとしてリタが部屋を見回すと、開いたままの本、化粧台に置かれた口紅……

 奇妙に生活感がある(・・・・・・・・・)ことに、リタはようやく気がついた。


「トージさんのご両親が亡くなったのは、6年前でしたよね」


「うん。なんだか実感がね、なくてさ」


 部屋をゆっくりと見渡すトージの横顔を、リタがのぞき見る。

 その表情はとてもはかなげで、今にも消えてしまいそうに感じられた。


「最期の日の、そのままの状態にしてあったんだ。いつかひょっこり帰ってくるんじゃないか、片付けちゃったら叶わなくなるんじゃないか、ってね……未練だよね」


「……私たちも、父を失っていますから。半分ですが、わかります」


「そっか。そうだよね」


 トージはそう返すと、フっと一息ついて、歩き出す。


「でもね、もうやめようと決めた」


 ベッドのサイドテーブルに広げられていた本を閉じ、棚に戻す。


「両親もさ、きっと喜んでくれると思うんだ」


 化粧台の口紅にフタをし、引き出しにしまう。


「こんな素敵な子が、僕といっしょに本気で酒造りをしてくれるぜって」


 両開きのカーテンを大きく開ける。


「そう、伝えるからさ」


 窓の外には、大きな三日月が輝き、賀茂篠の水田を照らしていた。


「……どうして……」

「ん?」


 トージが振り返ると、リタの青緑色の瞳には、ふたたび大粒の涙が浮かんでいた。


「どうしてトージさんは、そこまで私のことを信用してくれるのですか?

 ご両親の思い出の部屋を、赤の他人の私に使わせるなんて」

「真剣だからだよ」


 間髪入れずにトージはそう答える。


「アイツらも相当頑張ってるけどさ。リタは本当に酒造りを学ぼうと、わからないことにも必死で食らいついているよね。目線が鋭すぎて、ホワイトボードに穴があくんじゃないかと思ったよ」


 そう言ってクスリと笑うトージ。


「僕が信じるのはその瞳さ。

 何事も見逃すまいと研ぎ澄まされている、

 君の瞳を信じている」


 その言葉を聞いた瞬間、リタの背筋に(いかずち)が走った。


(トージ様のお父様、お母様。お部屋をお借りします。私は全身全霊で、トージさんのお役に立つことを、母なる女神に誓います!)


 リタの密かな誓いは、深まってゆく冬の夜空へと吸い込まれていった。

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