第3話 精霊術
土曜日は3話更新です。朝、20時台、23時台に投下します。
本話は土曜日1回目の投稿です。
カーニバル当日。
トージは、ひさびさに自分の愛車ではなく、父の4WDの運転席に座って、リタの家を目指していた。
トージにとってこの車は、今は亡き両親とスキーに行くときに使った車、という印象がある。実際にはそれから1回代替わりしているのだが。
愛車を使わなかった理由は複雑ではない。賀茂篠の蔵からリタの家まで下るルートには、かろうじて車が一台通れそうな空間はあったが、木の根や大石が飛び出していて、いつものセダンではとても越えられそうになかったのだ。
トージがリタの家の近くに4WDを止めると、エンジン音を聞きつけて、リタの家族たちが家の外に出迎えにきた。
「ピカピカの馬車だー!」
「あれ? 馬が引いてないぜ。もしかして魔法の馬車か?」
「ふたりとも、そういうことを言いふらしたらいけませんよ。いいかしら?」
「わかってるって」「は~い!」
わいわいと騒がしい家族の前で、4WDのドアが開き、トージが降りてくる。
「おまたせしましたー!」
「わぁ……!」
トージの格好を見て、リタが、家族が、息を飲む。
お祭り男であるトージの服装は、気合いが入っていた。
足下はピカピカに磨き上げられた革靴。漆黒の燕尾服で全身を包み、そのなかからのぞく白のワイシャツと白い蝶ネクタイ。
友人の結婚式にあわせて調達し「完全に服に着られている」「20年遅い七五三」「本日の仮装大賞」と大不評、ある意味大好評だったものだ。
本日はさらに、町内会の隠し芸で使ったシルクハットと白手袋、胸元の白いハンカチに加え、さらには真っ赤なバタフライマスクで目元を隠している。
腰元では燕尾服のテールが風にはためき、いつ月にかわってお仕置きされても恥ずかしい格好であった。
(この怪しさ、まさに突っ込み必至! やはり祭りにはヨゴレがいないとね!)
カーニバルといえばパレード、パレードといえば仮装。
手の込んだ衣装の準備はないが、トージは手元にある範囲で、最大限ウケの狙える格好をコーディネイトしてきたわけである。
問題は……この世界に住むリタたちにとって、トージの服装は仮装でもネタでもなく、お城の舞踏会に出席する異国の貴族にしか見えないことであった。
「……リタ、【わかっていますね】?」
「はい、お母さん。けっして不用意に口にしたりはいたしません」
リタたちは、トージのことを「この国に流れてきた異国の貴族が、故あって身分を隠している」と疑っていたが、たったいまそれを確信したのである。
そしてトージの態度から、自分の身分が広く知れ渡ることを望んでいないと忖度し、ごく一部の人だけに事情を知らせたうえで、あくまで貴族ではないカモスィノ家のトージ様として扱うことを取り決めていたのだった。
無論、トージはそれを知るよしもないし、興味がないので気付くこともないであろう。彼の頭のなかは、カーニバルと、日本酒のお披露目で一杯なのだ。
トージはリタの弟ロッシの手を借りて、車に積んできた荷物を台車に積み替え、車のキーをロックする。
リタの家族も、リタと母レルダのふたりがかりで鉄の鍋を持ってきた。動物系の香ばしい匂いが漂い、トージの胃袋を刺激する。
「おお、今日もおいしそうな匂いがするね、朝食抜きの胃袋には効くよ」
「お口に合うといいのですけど……」
リタの表情に不安よりも照れが強く見られるのは、昨日の晩餐でトージが彼女の料理をべた褒めしたからか、それとも匙の一件か。
「トージ様、こちらは準備が整いました」
「それでは行きましょう! いざ、カーニバル!」
「いざー!」
「「いえーい!」」
リタの妹ルーティとハイタッチし、トージは街の広場へ歩き始めた。
――――――――――◇――――――――――
リタたちの家は、村の北側の外れにある。
村の中央にある広場までは、おおむね10分ほどの道のりということだった。
「カーニバルなのに、みんなは仮装とかしないんだね」
「仮装、ですか?」
トージの問いかけに、リタが不思議そうに返事をする。
「カーニバルといえば、仮装でサンバでジャネイロじゃないか! みんながどんな格好になるのか楽しみにしてたんだけど」
「トージさんの国ではそうなのですか? こちらではそういうことはしませんね、カーニバルって古い言葉ですけど、意味は“謝肉祭”ですし」
「謝肉祭……?」
「はい! 良いお肉ができたことを母なる女神に感謝するお祭りです♪」
「そ、そうなの……? じゃあ、僕のこの格好は……」
「? とってもご立派だと思いますよ?」
(……ウケてない……だと……!?)
渾身のギャグを全力でスカされたトージは、失意にまみれながらわざとらしくトホホとつぶやいて、真っ赤なバタフライマスクをポケットに突っ込んだ。
「着て来ちゃったものは仕方がないか……それで、良いお肉ができた、ってことは、屠殺をするわけだよね」
「はい。昨日トージさんにのしかかってしまった豚も、ドングリを食べてよく太ってきています。もうすこし食べさせたら屠殺することになると思いますよ」
「食い物があるなら、もっとデカくしてから屠殺したいんだけどなー」
会話に入ってきたのは、リタの弟、ロッシ。
トージよりもゲンコツひとつぶん小柄な、赤毛のクセっ毛の15歳だ。
「森でドングリが実るのも、せいぜいあと2~3ヶ月だからな。それが過ぎると放牧しても大きくなるどころか、痩せてくばっかりなんだよ。春に生えてくる草は山羊と羊に喰わせたいしさー」
「食べ物がないならしょうがないな。でも遠くまで連れて行けば、食べ物が残ってる森もあったりしないの?」
トージの視界には、もうすぐ冬だというのに一面の緑の森が広がっている。
数日歩けば、まだまだ手つかずの場所はあるように思えた。
「できるならそうするんだけどな。こんどは人間のほうが参っちゃうのさ。川から離れるとろくな水もないから、水分は山羊の乳だけだろ? 煮炊きも厳しいし、乳と煎り麦だけで、4日5日とかマジで勘弁」
「放牧って大変なんだね」
弟のロッシ君による実感のこもった畜産トークに圧倒されるトージ。
動物とのつきあいといえば地元の猟友会に狩り出されるくらいで、畜産についての知識はほとんどない彼であった。
「はい、おしゃべりはここまでにしましょう。つきましたよ」
リタの母、レルダがそう言って足を止める。そこは村の広場だった。
即席のかまどが広場の中央にいくつも造られ、そのうち何個かには、すでに鍋が据え付けられている。リタとレルダは、そのうちひとつのかまどに、持ってきた鍋をセットした。
「トージ様の料理は、あとから火を入れたりはしないのですよね。それなら、先に村長にご挨拶に向かいましょう」
――――――――――◇――――――――――
しばらく後。トージとレルダは、リタたち姉弟が待つ広場に戻ってきた。
「トージさん、村長さんはどうでした?」
「うん、謝肉祭への参加も、料理と飲み物を出すことも、すんなり許していただいたよ。よそ者にも優しいんだね」
「トージ様のことは、昨日のうちに、村長にお話ししておきましたので」
「そうだったんですか、そいつは助かりました」
さきほどトージが面会してきた、ミゲルという名前の村長は、見た感じ40代中盤の壮年男性だった。茶色の短髪でがっしりとした体格、顔は角張ったしかめっ面。しかも表情がほとんど動かないのである。
最大の特徴は眉毛だった。トージの地元なら「ゲジゲジ眉毛」と呼ぶような極太の眉毛が、話題が変わるたびにピクピクとよく動くのである。リタなどは「村長さんの考えていることは、顔よりも眉毛を見たほうがよくわかります」などと言っていたほどだ。
ともあれ、晴れて謝肉祭への参加を許されたトージは、料理を乗せたお盆を台に据え、リタとともに村長の近くに座って謝肉祭の開演を待っているのだ。
しばらくすると、一段高い台の上に、マユゲのミゲル村長があらわれた。
「皆、聞いてくれ。今年も母なる女神の恵みにより、麦と家畜を糧とすることができ、嬉しく思っている」
村長の顔はあいかわらずのしかめっ面だが、垂れ下がったマユゲが内心の喜びをあらわしているように見える。
「しかも今年は、大聖堂より、大地の神官様がお越し下さっている」
おおっ!! と、一斉にどよめく村人たち。
村長が「静粛に!」とうながすが、村人たちの興奮はおさまる様子がない。
「うわ、すごい盛り上がりだね?」
面食らったトージが隣に座るリタに問いかけるが、そのリタ自身も興奮を隠せないようだ。
「ええ! 大地の神官様が村の農地を祝福してくだされば、来年は豊作まちがいなしですから!」
「ええっと、豊作祈願のすごいやつ、みたいな感じ、なのかな?」
トージが村人たちのテンションについていけず戸惑っていると、村長の家に止まっていた立派な馬車から、白い神官服を身につけた痩身の男性が降りてきた。
左右には護衛とおぼしき兵士たちがずらりと付き従っている。
10人はいるのではないだろうか? ものものしい警戒態勢だ。
神官は村人たちの前に陣取ると、両手を地面にぺたりと付けて、なにやら呪文のようなものをとなえはじめた。
「不動を守護する大地の精霊に伏して願う。この地の土に恵みを与え、明くる年の豊穣をもたらしたまえ」
神官は呪文を唱えると、そのままの姿勢でぴくりとも動かない。
しばし、村の時が止まった。
(なんにも起きないな……)
トージがいぶかしげな顔をしていると、リタの母レルダが(トージ様、この後ですよ)と耳打ちをしてきた。
この後どうなるのかと神官の方を向き直ると、神官は不動の姿勢を崩し、マユゲ村長から小袋を受け取った。小袋から取り出した麦の種のようなものを地面に植えると、神官は立ち上がり、朗々と次の呪文を唱え始める。
「おお精霊よ、汝の恵みによりこの地の豊穣は成った! いまこそ種に命を与え、汝の恵みをすべての者に示したまえ!!」
そう言って、神官が両腕を大きく広げたときだった。
(な、なんだ、こりゃあ!?)
神官が麦の種を植えた地面から、早送り動画のようにニョキニョキと麦の芽が伸びてきたのだ! あまりのことにトージが呼吸をするのも忘れているうちに、麦の芽は茎となり、葉を伸ばし、穂を出し、黄金色に染まっていく。
そして黄金の穂から光の粒が無数に浮かび上がったかと思うと、光は尾を引きながら、村の四方の空へと飛んでいったのだ。
まるで花火大会を発射場から見ているかのような、それはトージにとっても未体験の、圧倒的な光景だった。
「うわぁ! きれぇ!」
リタの妹ルーティが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらはしゃいでいる。村人たちも金色の光のショーを見ながら抱き合い、感動を隠せない。
「リタさん、なんだいあれ!」
「神官様の精霊術ですよ」
「精霊術?」
「ご存知ありませんか? 世界の造物主である母なる女神様は、自分の手足として、地水火風氷の五種の精霊をつくりました。精霊は、ふだんは女神様の命令で世界を守護しています。ですが、まれに一部の精霊が人間を気に入って、力を貸してくれることがあるそうです」
「それが、あの神官さん?」
「はい。精霊様に見初められる方は本当に少なくて、この村に精霊使いの神官様が来てくださったのも、20年ぶりなんだそうですよ」
「なるほど、ものすごいエリートなんだなあ……」
リタとトージがそう話しているうちに儀式は終了した。神官の額の汗を従者が拭き取ると、神官は目線をあげて村人たちに宣言した。
「女神と大地の精霊の恵みにより、この地は力を取り戻しました。あなたがたが母なる女神への感謝を忘れず、真面目に畑を耕せば、母なる女神はこの麦穂のように、豊かな実りであなたがたの努力に応えることでしょう」
神官の儀式をかたずを飲んで見守っていた村人たちは、神官の言葉を聞いて、「ワァッ」と盛り上がる。なかには感極まって泣いている人も少なくない。
(魔法……ほんものの魔法だ……
これは、とんでもないところに来ちゃったぞ……!?)