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第28話 蒸した米を冷ます

 蔵元であるトージと、3人のうわばみブラザーズ。

 むさくるしい男たちが4人も住み込むことになった賀茂篠酒造の寮に、うら若い美少女であるリタが、住み込みで共同生活を送りたいと言い出した。


「……どうしてリタが、寮に泊まりたいんだい?」


「トージさんは、これから深夜にも酒造りの作業をするのですよね」


「うん、毎日じゃないけどね」


「私は、トージさんの酒造りをお手伝いしたいんです。トージさんがやることを全部おぼえて、いつでもトージさんの代わりができるようになりたいんです。そうでなければ、あんなにたくさん頂いている米粉に見合いません」


 必死に訴えるリタの剣幕に気圧され、トージは言葉を発せなくなってしまう。


「それに、夜道を避けようと日の出後に蔵に来たら、早朝の作業もできません」


「あ、ああ。そうなるね」


「それじゃあ、お手伝いになりません。酒造りの全部を勉強して、トージさんをお手伝いするには、私もここに泊まり込んで、深夜も早朝も、全部トージさんと一緒にやらないと無理です!」


 両手をぎゅっと握りしめ、必死の表情でトージを見つめるリタの全身に、トージは目線を巡らせる。

 この10日間、毎日欠かさなかったシャンプーによって清らかに洗われ、うっすらと天使の輪すら浮かびつつある銀色の艶髪。

 キラキラと光を反射する前髪の奥には、深くきらめくエメラルドグリーンの瞳。

 血色が良くなり、紅色が濃くなった唇には清純な色気がある。

 農家の娘とは思えない白い肌は、これまた毎日の入浴で垢の気配すらなくなり、まるで磨き上げられた白磁の人形を見ているかのようだ。

 可憐な印象とまったく噛み合わないツナギ服がミスマッチだが……

 おっぱい星人であるトージのストライクゾーンから外れていることを除けば、誰もがケチをつけようのない美少女である。


 こんな美少女が、家族と離れてひとり暮らし。

 男たちが働く深夜の蔵を、毎晩歩き回ることになるなら……


(間違いが起きない理由が想像できない……)


 まごうことなきトージの本音であった。

 賀茂篠酒造にも女性の蔵人(くらんど)がいたことは事実だ。

 だが、女性蔵人は全員が通勤で、寮を女性が利用したことはなかった。

 社長たるもの、企業コンプライアンスを構築し、厳守するのは当然である。

 トージは大学で学んだ安全優先設計(フェイルセーフ)の概念を人事や労働環境にも持ち込み、性犯罪やセクハラにつながりかねない労働環境をできるだけ排除してきたのだ。


「リタ、気持ちは嬉しいよ。でも、男だらけの蔵に、君みたいな女の子が泊まり込むのは……その……まずいだろ、あっちの意味で」


「十分気をつけます。部屋には鍵がかかるんですよね? トージさん以外に呼ばれても、扉は開けませんから」


「いや、部屋が安全でもなあ……」


 トージの脳裏に浮かんだのは、転移前、どこかのアイドルが帰宅時に待ち伏せされ、部屋に踏み込まれて危うく暴行を受けそうになったという事件だった。

 あまりにリスクが高すぎる。でも「トージと一緒に酒造りをしたい」というリタの気持ちは、飛び上がりたいほど嬉しいのだ。

 現実と感情の板挟みになったトージが悩んでいると、トージの胸で「ピピピッ ピピピッ」という電子音が鳴った。


「あっ、やべ。蒸し上がり予定時刻の5分前だ。リタ、その話しはとりあえず後にしよう。米のほうが優先だ」


「わかりましたトージさん、あとでかならずお願いしますよ?」


 トージは、ベッドの柔らかさにメロメロになっていたモジャの首ねっこをひっつかみ、蔵に向かって走り出した。


――――――――――◇――――――――――


 トージは、リタとテルテルとモジャ、そして朝食を食べ終えたノッポとギョロメを引き連れて、蒸し場に戻ってきた。

 蒸し場は蒸気に包まれている。特に(こしき)の近くでは、2m先にいる人間の表情が見えないほどだ。


「よーし、蒸気止めー! 帆布あげるぞー!」


 トージとノッポがふたりがかりで、丸くふくらんだ帆布を外すと、閉じ込められていた蒸気がムワっと立ち上った。


「どんな感じか見てみてよ!」


 トージは蔵人たちを順番に脚立に昇らせ、まだホカホカと湯気を立ち上らせている甑の中を見学させる。


「わぁ……! 真っ白で、とても綺麗です」


「なんだか嗅いだことのない匂いがすんべなぁ」


 トージが用意した100kgの米は、全体の50%を精米し、米の中心部である「芯白(しんぱく)」の部分だけを残した不透明なものだった。

 だが洗米で水分を吸収し、蒸気から受け取った熱でデンプンをα化させた蒸米は、光を通す半透明に変わり、白い花畑のようにキラキラと輝いている。

 独特の匂いとは、米を加熱したときに発する、日本人にはおなじみの“あの”香りだ。欧米人のなかにはこの匂いを嫌う人も多いが、蔵人たちのなかには、この匂いが苦手な者はいないようだった。


「蒸し上がったら、まず蒸し具合が適切かを確認する」


 トージはそう皆に伝えたうえで、甑のなかから茶碗1杯ぶんくらいの蒸米を取る。

 そして、木製のスコップを上下逆にして床のくぼみに固定し、スコップの部分に米を押しつけて、手のひらの手首に近いところで餅のように練りはじめた。


「こうやって蒸した米を練って、堅さや手触り、伸び具合なんかを確認する。この作業を“ひねり餅”っていうんだ」


「と、トージ様、熱くねえだか?」


「慣れだよ慣れ、といいたいけど、さすがにこれは熱いんだ! 温度が100度だからね! だから手早くアーンド丁寧にね!」


 トージは熱さを我慢するために大声を張り上げながら練り続ける。

 やがて茶碗1杯の蒸し米は、焼く前のせんべいのような円盤状に変わる。


「はい、これを天井の照明に透かしてみてくれ」


 できあがった“ひねり餅”をリタたちに渡すトージ。


「全体がムラなく、透明になっていると思います」


「そうだね。うまい具合に蒸し上がった米は、ひねるとそうなるんだ」


 全員がひねり餅の検分を終えたことを確認して、トージは甑のなかから小さなネットをふたつ取り出す。


「良い例を見た後は悪い例も見よう。この袋のなかには、洗米のときにわざと水分を少なめに吸わせた米と、多めに吸わせた米を入れておいたんだ」


 トージはまず、水が少ない米を円盤状にひねっていく。


「さあ、透かしてみて。前のやつとどう違うかな?」


 リタたちは順番に、水分の少ない米のひねり餅を、光に透かして確認する。


「なんだか、ポツポツと白い点のようなものが?」


「だろう。そいつは米の芯の部分だ。水分量が少ないから、芯まで熱が通らずに生米のままの部分があるんだ。“生蒸(なまぶ)け”っていう失敗だね」


「こうなっちゃったら、どうすればいいんですか?」


「うーん、あまり良くないんだけど、追加で蒸して芯まで火を通すしかないかな。んで、次は水が多いほうにいってみよう」


 トージは水分量を多くした米をひねり始める。

 違いはすぐにあらわれた。トージが米を木のスコップに押しつけるたび、かすかにペチャ、ペチャという音がするのだ。


「こいつの違いは、触ってみればすぐにわかるね」


「うわ、なんかベタベタするだ」


「水分が多いから表面がべたつくんだね」


「米がこうなってしまったら、どうするんですか?」


「うーん、水分過多の蒸し米はわりとどうしようもない。ちょっとべたつくなら、次の工程でなんとかフォローできなくもないけど、これだけ多いと手の尽くしようがないね。醤油でも塗って、焼いて食べちゃうしかない。酒にはならないな」


「さけにならない、だめ」


「うん、だから米に水を吸わせるところで十分気をつけないとね」


 テルテルがぷっくりと頬をふくらませて不満を表明し、トージがそれに同意する。


「さあ、次は皆の番だ。うまく蒸せた米でひねり餅をやって、正しい蒸し米の感触を手に覚えさせるんだ」


「オラたちが? この熱い米を!?」


「YESYESYE~S! はいよ!」


 トージは早速、甑からすくい取った米を、うわばみの一人に渡す。


「あちっ! あちっ!!」


 うわばみのひとりノッポは、100度近いアツアツの蒸米を渡されて、我慢できずお手玉をはじめてしまう。


「ほらー! 冷める前にひねり餅しないと、正しい感触がわからないぞ!」


「そげなこと言ってもー!」


 ひねり餅の作業にいちばん早く適応したのはリタだった。

 顔をしかめながらではあるが、普段からかまどを預かっているだけあって、熱い物の扱いに慣れを感じる。

 うわばみたちは熱い蒸米に四苦八苦。

 大地の精霊テルテルは、熱さはまったく苦にしていないが、力加減が苦手なようで、米を練ったり円盤状に整形するのに苦労していた。


「よし、その手触りを覚えておくんだ。ひねり餅はそのへんにして、蒸米を冷ましにかかろう」


「おお、あっちぃ……トージ様、冷めてから練るわけにはいかねえんだか?」


「冷めたら手触りが変わっちゃうだろー?」


 文句を言うモジャをあしらいながら、トージは甑から離れ、天井からぶら下がったコードを手に取り、その末端についているボタンを操作する。

 すると、「ウイーーーーン」という音がして、甑の上に巨大なフックが姿をあらわした。電動クレーンである。


「うわっ、なんだべか、これ」


「蒸した米を一気に持ち上げるためのクレーンさ。これがないと、いちいちスコップで掘り出して運ばなきゃいけないから、時間が掛かるし蒸米が傷つくんだ」


 トージはそう説明しながら、蒸米を包んでいるネットの端を引っ張り、フックに引っかけていく。このネットは「群馬式モッコ」といって、甑で蒸した米を一気に吊り上げて運べるように設計されているのだ。


「はい、みんな甑から離れてー」


 皆が指示にしたがって離れたのを見て、トージはクレーンのボタンを押す。

 クレーンが引き揚げられ、ネットに入った米が湯気を立てながら宙を歩く。そして甑から数歩離れたところにある、別の装置の上まで移動していった。


「はいOK。次は、この“蒸米放冷機”という機械を使って、ほかほかの米のあら熱を取る。ある程度冷めたら麻布の上に広げて、そこからは自然に冷やすんだ」


 トージが蒸米放冷機のスイッチを入れると、短いベルトコンベアーのような機械がゆっくりと動き始める。


「ネットの面倒は……ノッポ! 背が高いから、君はここだ」


「へ、へい!」


 うわばみブラザーズのひとり、ノッポがトージに並び立つ。


「いいか、ネットから米を落とすぞ。少しずつ、ゆっくりだ」


 クレーンに吊り下げられたネット「群馬式モッコ」の底の部分には、小さな穴が空くようにファスナーが取り付けられている。

 トージがそのファスナーを開いてネットをゆすると、蒸しあげられた米がぼとり、ぼとりと落ちてきた。

 蒸米はベルトコンベアの上に乗り、出口に向かって亀のようにゆっくりと移動する。そしてコンベアの下からは温風が吹き付けられ、いまだ90度近い温度の蒸し米を、湯気を巻き上げながら穏やかな速度で冷やしていく。


「みんなは、コンベアの上で移動している蒸し米の塊を手でほぐしてくれ。塊になってると中が冷えないからね。米粒を潰さないように気をつけて!」


「わかりました!」


「ノッポ、こっちは任せる。いまと同じ速さで蒸米を落としてくれ」


「へい!」

 

 ノッポによってネットから落とされ、リタやギョロメたちによってほぐされた蒸し米が、徐々に放冷機の出口に近づいてくる。出口付近での蒸米の表面温度は、90度から40度前後まで下がっていた。

 放冷機の出口まで運ばれた米は、その下に敷かれた麻布の上にぼとぼとと積み上がっていく。


「テルテル、モジャ、次の布を用意。僕が持ち上げたら下に滑り込ませるんだ」


「ん」


「わかっただ」


「せーのっ!」


 トージが、10kgほどの蒸米が乗った麻布を、巾着のようにまとめて持ち上げる。それと同時に、テルテルとモジャが、いままで布のあった場所に新しい布を敷く。間髪入れず、ベルトコンベアから新しい布へ、蒸米が落下する。


「テルテル、モジャ、ナイスタイミング!」


「おとしたら、もったいない」


「ヒヤヒヤするだよ……あっ」


 額に浮いた汗をぬぐおうとして、モジャがはっと手を止める。


「オーケー、いいぞモジャ。よく我慢したな」


 蒸米は雑菌に非常に弱い。人間の顔に触れた手で扱えば、すぐに雑菌が繁殖してしまう。そのためトージは「手で顔に触らない。汗はタオルで拭く。万が一触ったらすぐ手洗い」を事前に徹底させていたのだ。


「よ、余計に冷や汗かいちまうだ」


 そう言ってタオルで顔をぬぐうモジャに、蔵人たちの笑い声。


「よし、僕はこの米を麹室(こうじむろ)に持っていくからね。この調子で10往復すれば、蒸米の放冷はおしまいだ。次はいよいよ麹造り。昼ご飯まで、もう一息がんばろう!」


「「「はい!」」」


 日本酒造りの世界には、「一麹、二酛、三造り」という格言がある。

 これは、酒造りにおける3つの代表的な作業のうち、

 もっとも重要な作業は「麹造り」だということを意味している。


 日本酒の出来の善し悪しを大きく左右する、麹造り。

 トージにとっても産まれて初めて、先輩蔵人の力を借りず、アドバイスも受けずに行う麹造りが、いよいよ始まろうとしていた。

 わりといまさらですが、トージが行っている日本酒造りの工程は、あくまで賀茂篠酒造で行われている工程とお考えください。

 どの工程も「何のためにやるのか」という部分は同じなのですが、具体的なやり方となると蔵ごとにまったく違います。

(たとえば、トージが放冷機という機械を使って行った放冷作業も、機械を使わず、通気性のいい場所に置いて自然に冷めるのを待つやりかたもあります。そのほうが冷却そのものは遅くなりますが、機械の爪で蒸米の表面を傷つけずにすむわけです)


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