第21話 地より来たりし
賀茂篠酒造の前庭で、新年の餅がつきあがった。
トージは臼のなかにある巨大な餅の塊を半分取り、お湯の張られたタライのなかに、するりと流し込む。
「あとは麦団子と同じ要領だから、食べやすいようにちぎってあげて」
「ええ、お任せ下さい、トージさん」
トージから餅をあずかったリタは、人差し指と親指でわっかをつくるようにして、餅のかたまりをお湯の中でちぎりとる。
ちぎられた餅は、トージが蓋を開いたバットのなかに、ぽいぽいと放り込まれていく。
バットの種類は3種類。中身はそれぞれ黄土色、赤、白に染まっている。
「一番左のは甘いやつ、真ん中の赤いのは塩気のあるやつ。どっちでも好きなのを食べて良いよ! 白いヤツは仕上げがあるからちょっと待ってね」
おなかをすかせた一同が、ワっとバットに群がりはじめた。
「あまいのって、どんなかなー?」
リタの妹、ルーティが手を伸ばしたのは左のバットだ。
中には黄土色の粉末が大量に入っている。
「その粉を、たっぷりまぶして食べると美味しいよ!」
「はーい!」
黄土色の粉がたっぷりまぶされた一口サイズの餅に、ルーティが小さな口でかぶりつく。
「むみゅ? むむ―――――――っ」
「おお、すっげえ伸びるなぁ!?」
むにゅーんと伸びた餅に、リタの弟、ロッシが驚きの声をあげる。
デンプンが糊化する60度以上の温度で、ついてついてつきまくった餅は、たいへん良く伸びる。なんとか噛みきったルーティが、口に含んだ餅を飲み込むと、幼い顔に一杯の笑みが広がった。
「トージお兄ちゃん! 甘くておいしい! あと、いい香りがする!」
「だろう? 大豆を煎ったものをすりつぶして、白砂糖と混ぜたんだよ」
「砂糖ですか? なんて贅沢な……」
こんどはリタの母親、レルダが驚いた。
トージが作ったのは、餅つき大会の定番、きな粉餅である。きな粉と、その半分の量の白砂糖を混ぜたものに、若干の塩を加える。甘みを引き立たせ、きな粉の香ばしさを生かす黄金比率だ。
昨年、商人のオラシオと商談したときに、トージは白砂糖の価格が非常に高く、滅多に買えるものではないことを把握していた。
しかし、トージにとってきな粉餅は甘いものだ。村人全員に山ほど振る舞うならいざ知らず、身内数人が食べるぶんに、砂糖をケチる理由はない。
「おお~、こいつは旨そうでねぇか!」
真ん中のバットには、うわばみ三人組が群がっている。
バットに満たされた赤い中身は、ベーコンのドライトマトソース。
ドライトマトを水で戻してから刻んでペースト状にし、オリーブオイルで炒めたニンニクやベーコンにあわせて、ドライトマトの戻し汁で煮込んだ、リタ家の冬の味である。
こちらに投入する餅は、ちぎった餅に親指を突き刺し、凹凸をつけてソースが絡みやすくしてある。地球のニョッキをイメージしたものだ。
「スプーンと取り皿を使って、ソースごと持ってけよ~」
「わかってるだ! この団子、柔らかいのにもっちりしてて面白いだなぁ」
日本の餅つき大会では見られない味付けだが、3種類全部を異国の味にするよりは、食べ慣れた味がひとつくらいあったほうがいい。
トージはそう考えて、バットひとつの味付けをリタに任せたのである。
「ところでトージ様、折り入ってお願ぇがあるんですが……」
一個目の餅をぺろりと平らげたうわばみブラザーズが、作業中のトージのところに寄ってくる。
神妙な顔をしている彼らの狙いが見え見えすぎて、トージは顔が自然にニヤついてしまう。
「プクッ、わかってるって、これだろ、これ?」
トージはこらえきれずにひと笑いしてから、テーブルの下から瓶を取りだし、卓上にドンと置く。
緑色の一升瓶のなかには、とぷんと波打つ透明の液体。
封を切ると、ぷぅんと、甘い日本酒の香りが広がる。
「さっすがトージ様だぁ!」「話がわかるだ!」
3人は競うように、一升瓶の酒を杯に注ぎ、一杯目を飲み干していく。
「くぁぁぁっ、たまんねぇべ!」「生きててえがっただなぁや!」
幸せそうに酒を飲んでいるうわばみに、リタの反応は冷ややかだ。
「食事をいただいている側なのに、お酒までおねだりするなんて……本当にずうずうしい人たちですね……」
「いやいや。せっかくのお祭り、せっかくの宴会なのに、酒蔵の当主が酒の一杯も出さなかったら名折れってもんだ」
「そんなものですか……」
「そもそも酒を出す気がなかったら、こんなの作ったりしないって……おっ、良い感じに焼けてきたぞ」
トージの前には炭火が入った七輪があり、その上に金網が乗せられ、つきたての餅が焼かれている。
餅の表面には上新粉……つまり米の粉がまぶされているので、餅が金網に張り付くことはない。
ぷっくりとふくらみ始めた餅の両面に焦げ目がついたところで、トージは焼けた餅を、醤油の入った小皿に移す。
「餅にまんべんなく特製醤油をつけて、海苔で巻いて……ほい完成!」
日本人にはおなじみ、磯辺餅である。
できあがった最初の1個をリタに差し出すトージ。
「はいどーぞ。召し上がれ」
「これは、このあいだの磯辺団子のお餅版ですね」
リタが小さな磯部餅にかぶりつく。
トージが用意した特製醤油は、磯辺餅の定番である砂糖醤油に、隠し味を加えたものだ。砂糖の甘みと醤油の塩辛さを、醤油のうま味と大豆の甘みがまとめあげる。そして舌にはピリッとした刺激。
餅に巻かれた板海苔からは、香ばしい海の香りが運ばれてくる。
「この海苔の香りが好きなんです……つっ!?!?」
突然、眉をしかめ、目をギュッとつむるリタ。
鼻の奥にツーンとした、初体験の刺激が抜けていく。
「な、なんですかこれは?」
「ワサビっていうんだ。まあハーブの一種だね」
トージは緑色のチューブをふりふりと振ってみせる。
「不思議なハーブですね、食べた瞬間はちょっとした刺激しかないのに。鼻の奥にツーンとくるなんて」
ワサビの辛み成分は、唐辛子の辛み成分カプサイシンなどとは違って揮発性がある。そのため舌で感じる刺激は弱いが、喉を経由して鼻腔内に成分が逆流することにより、一歩遅れて刺激を知覚することになるのだ。
辛みを感じる器官がまったく異なるため、唐辛子の辛みはどれだけ多くても平気なのに、ワサビは少量だけで涙が出る、という人も少なくない。
「それにしても、こう刺激の強いものを食べると、スープが欲しくなってしまいます……」
そうやって一人、思いにふけるリタ。
その途中、はっと何かに気がついたリタが、トージのほうを振り返る。
ワサビを利かせた砂糖醤油をまぶすレシピは、ただの焼き餅を「酒のつまみ」に変えてしまう、酒飲みの知恵である。
トージは「計画通り!」とばかりに、ニヤついた顔でリタのほうを見ながら、一升瓶をちゃぷちゃぷと振っていたのだった。
「お嬢さんお嬢さん、餅だけ食わすのは忍びない。おいしい日本酒をご一緒にいかがかな?」
トージにそう言われて、リタはさきほど自分が、酒を要求するうわばみブラザーズに文句を言ったことを思い出し、恥じらいで顔を紅色に染める。
「もぅ! トージさんは意地悪です!!」
賀茂篠酒造の新年餅つき大会は、笑顔と笑い声に若干のイジリ合いを交えながら、つつがなく過ぎていった。
――――――――――◇――――――――――
餅つき大会のあと。
家に帰るリタの家族とうわばみブラザーズに、鏡餅がわりの餅を土産に持たせ、トージとリタが後片付けを進めていたとき。
「そういえば、地鎮祭やってなかったなぁ」
トージが唐突にそんなことを言い出した。
そんなわけで、ここは賀茂篠酒造の所有水田である。
水抜きされて乾いた冬の田んぼに、四本の細い青竹が立てられ、白い紙の縄がそれを四角くつないでいる。その真ん中では、トージが小さな祭壇を組み立てている。
準備の一部を任されていたリタは荷物を置き、銀色の前髪の隙間から、見たこともない儀式の準備を興味深そうにながめていた。
「トージさん、地鎮祭とは、どんなお祭りなんでしょうか?」
「お祭りというよりは儀式かな。土地を新しいことに使うときに、その土地の神様に挨拶や報告をして、神様が“そんな使い方聞いてないぞ!”って怒らないようにするんだ。水が変わったなら神様も変わってるかもしれないし……あ、土地神を鎮める祭りだから、地鎮祭ね」
そう語りながら、トージのテンションはいつもと変わらない。
彼も「祭」と名前が付いていればなんでも興奮するわけではない。
あくまでトージが愛しているのは、多くの人が集い、賑やかに楽しむ、祭りの晴れがましい空気感なのだ。
「土地の神様……もしかして、土地ひとつひとつに神がいるのですか?」
「土地だけじゃないよ。僕の故郷では、八百万の神っていって、世界中ありとあらゆるところに神がいるって考えるんだ。酒の神様も何種類もいるし、米粒ひとつにだって神が住んでると考えられてたよ」
「わたしたちの常識では考えにくいことですね……」
「そういえばこっちでは、神様は沢山いないんだったね」
「沢山どころか、神と呼ばれるのは、世界で唯一、母なる女神様だけです。女神様は、自分の手足として、地水火風氷の五種の精霊を無数に従え、この世界と人々を守護されています」
「そうだった。謝肉祭で教えてもらったね、それ」
(唯一の神の下に、無数の神の使い……キリスト教みたいな雰囲気だな)
トージはそう、地球の宗教事情に思いを馳せる。
「……そういえば、トージさんが言うような教えもありますね」
「どんなの?」
「東の果てには、女神様の存在を認めず、精霊様だけを信仰する国があると聞いたことがあります……そういえば、この地鎮祭というのは、こちらの人間には“大地の精霊”に挨拶する儀式に見えますね」
「なるほどね。今後はそう説明するよ。異端とかで吊られるのは嫌だし」
そうおしゃべりしている間にも、トージの手は休みなく動いていた。
シンプルな構造の祭壇は、すぐに組み上がる。
「それじゃ、さっそく始めようか。ただ、正式なやり方なんてわかんないから、なんちゃって地鎮祭だけどね」
トージとリタは、井戸水で手を清め、祭壇に供物を備える。
五つの小さな器には、炊いた米、塩、水、焼き魚の切り身、そして賀茂篠酒造の酒が満たされている。
トージは祭壇の前で二度礼をし、パンパンと二度柏手を打つ。
「土地神様か地の精霊様か、存じ上げませんがご報告します」
いかに酒蔵が古い日本文化に近しいとはいえ、トージは地鎮祭のくわしい手順は覚えていないし、当然神官の祝詞などわからない。
だから、自分のありのままの気持ちを、平易な言葉で神に伝える。
「私、鴨志野冬至は、なんの因果かこの地に流れ着き、ここで暮らしていくことになりました」
「これからこの地で、米を育て、酒を造って生きていくつもりです」
「この土地を米作りと酒造りに使うことをお許しください」
「お礼として、僕たちが去年作った米と酒をお供えします」
トージはそう唱えおわると、大きく一礼して祭壇の前から下がった。
そして、リタから一升瓶を受け取ると……
「この世界には酒がないみたいですから、酒と言われても何のことかわかりませんよね。こういう飲み物ですんで、ご賞味くださいよ」
そう言って、地面にドプドプと酒を注いだのだった。
「ずいぶんたくさん注ぎましたね、トージさん」
「この広い田んぼの神様だしね、おちょこ一杯じゃ満足できないでしょ」
大吟醸酒を一本まるまる田んぼの地面に献上し、片付けをはじめようとしたその時だった。
「トージさん! 下、下です!」
「ん、なんかあった?」
リタの指差す先を見ると、さっきまで祭壇が置かれていた場所の地面がもこもこと盛り上がり、ひび割れはじめている。
「モグラ……? にしてはデカすぎる」
「下がってください! 危険です!」
「あ、あぁ、わかった!」
ふたりは、大きなカボチャのように盛り上がった地面から距離を取り、じっと成り行きを見つめる。
やがて盛り上がった土はポンとはじけ……
「……っ、ぷぁ」
トージとリタがそこに見たのは……リタの妹ルーティと同じくらいの年齢に見える、幼い女の子の上半身が、地面から生えている姿だった。
「さっきの、ちょうだい」
地面から生えた女の子は、あぜんとするトージたちに向かって両手を差し出しながら、小さくて高い声でつぶやいた。
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