第13話 発酵性能試験(前)
本日は2話更新です。
本話は金曜日1回目の投稿になります。
オラシオとの商談の翌日。
その日、リタは洗濯と水くみのために、小川のほうに向かっていた。
昼過ぎにはトージが、酒を造るためにリタの家を訪れることになっている。
「トージさんは昼過ぎに来るそうですし、その前に済ませてしまいましょう」
川の近くにたどり着いたリタが、荷物を降ろそうと川を見ると……。
「……なんでしょう、あれは……」
小川の真ん中に、人間くらいの大きさの真っ白なものが沈み、ゆらゆらと漂っているのだ。
リタが銀色の前髪の奥で、青緑色の瞳を不安に揺らしていると……その真っ白なものは、まるで怪獣映画の海棲生物が地上に現れる場面のごとく、大量の水飛沫を振りまきながらガバッと立ち上がったのである。
それは人間のような形をしていたが、肌は不自然に白くぬめり輝き、顔があるべきところには黒い円盤があり、目も口もない。無貌の異形であった。
「きゃぁぁぁぁーっ!!!」
川のほとりに、リタの悲鳴が響き渡った。
――――――――――◇――――――――――
「ごめんなさい、ホントごめんなさい」
川のほとりで、白い服の男が両手をあわせて平謝りしている。トージである。
彼の前には、地面にへたりこみ、涙目になっている銀髪の少女リタ。
日本なら即座に警察官がすっとんで来そうな光景がそこにあった。
「ほ、本当に怖かったんですよ……! 白い怪物に食い殺されるって!」
「本当にごめんなさい! 脅かすつもりは全然なかったんだ、今日の実験のために、どうしてもこの服を着て行かなきゃいかなくて、それで服に付いてる酵母を洗い流そうと思って川に入って……と、とにかく申し訳ない!」
リタが見た「真っ白な怪物」の正体は、無菌室作業用の全身防護服を着たトージだったのである。
必死に謝るトージだが、リタは驚きすぎてしゃっくりが止まらなくなってしまい、ひくっ、ひくっと、か細い声をあげ続けている。
トージはしゃっくりが楽になるよう、リタの背中をさすろうとしたが、「女の子の背中を勝手にさするってセクハラだ」と思いとどまり、どうすればいいかわからず頭を抱えていた。完全に自業自得といえよう。
トージが何も出来ずに途方に暮れているあいだに、リタのしゃっくりも収まってきたようだった。
落ち着きを取り戻したリタは、青緑色の瞳から射貫くような強い視線をトージに向け、語り始める。
「トージさん」
「はい」
「なんであんなことをしていたのか、説明を求めます」
肩をすぼめて小さくなったトージが、おずおずと説明をはじめた。
「ええっと、説明がとっても複雑な話になるんだけど……」
「まずは簡潔にお願いします」
「アッハイ……端的に言うと、今日の実験のために、この服を着て、洗濯する必要があったわけです。なので、服を着たまま川に漬かって服を洗ってました」
トージがそう説明すると、リタの眉が不審そうにひそめられる。
「あの服が、今日の実験に必要なことはわかりました。ですが洗濯なら、服を脱いでやればいいのでは?」
「そうすると酵母が……って言ってもわかんないよね……」
トージはしばらく考え、必死の説明を続ける。
「つまり、僕の体にはもともと“賀茂篠の蔵の酵母”がついてるんだ。だから、蔵の酵母が酒に混入しないように、この服で密封しているんだ」
「なるほど……難しい言葉が多くて理解はできていませんけれど、そうしなければならなかったことはわかりました、トージさん」
「理解してもらえた!? よかった……というわけで故意じゃないんです。どうか許してほしいのだけど」
「……やです」
「ええっ」
リタがぷいっと顔をそらし、そのまま背を向ける。
いつものトージなら、かわいらしい仕草だと感じたはずだったが、今のトージは許されなかった絶望のほうが先に立っていた。
「本当に怖かったんです。食べられて死んでしまうと思ったんですから」
「うん……」
「ですから、いつか仕返しをします。覚悟していてください、トージさん」
振り返りながらそう言ったリタの顔は、まるで獲物を見つけたイタズラ妖精のような笑顔になっていた。
あっけにとられているトージに「べー」と舌を突き出して、リタは家へと歩き出す。
(仕返しって、何するつもりなのぉ~!?)
トージは戦々恐々としながら、リタの後について歩き出した。
――――――――――◇――――――――――
リタの家に到着すると、リタの家族はみな仕事で不在だった。
トージは防護服を着たまま、リタと二人で準備をはじめる。
持ってきた道具類をテーブルに広げ、オラシオから購入した材料を並べる。
「このあいだの蜂蜜のお酒より、材料が多いんですね」
「いろいろ試したいことがあるからね、ちょっとだけ複雑な酒にしたんだ」
テーブルの上には8本の瓶と、ライ麦のガレッタ(要は堅焼きビスケットだ)、レーズン、リンゴ、レモン、そして謎の瓶数本が並べられている。
「今回はちょっと事情があって、作業は全部リタさんにやってほしい。お願いできるかな?」
「わかりました。なにをすればいいのか、指示をお願いします」
白い防護服を身につけたトージと、腕まくりするリタ。
ふたりの共同作業が、ふたたび始まった。
まず、オラシオから購入したライ麦のガレッタを適当に割ってボウルに入れ、ひたひたになるまで温湯を入れて十分にふやかす。
滅菌処理済みのガラス瓶8つを用意し、レーズン、切ったリンゴ、レモン汁を入れたのち、30度まで冷ましたビスケット汁を流し込んだ。
「8本のうち2本はこれだけでOK。封をしたものをロットAと呼ぼう」
トージはリタに頼んで瓶の蓋をゆるく閉めさせると、側面に「A-酒蔵」「A-リタ」という文字を書き込んだ。
「残り6本のうち、4本にはこれを加えてもらうよ。ちょっと舐めてみて?」
トージが瓶の中からどろりとした茶色いペーストを匙ですくい、リタに渡す。
リタがそれを口に運ぶと、リタはその青緑色の目を丸くして驚いた。
「ものすごく甘いです! 蜂蜜より甘い……これは何なんでしょうか?」
「僕の故郷から持ってきた砂糖を、水で溶かして煮詰めた糖蜜さ。故郷では、キャラメルとかカラメルって呼んでるね。さあ、それを瓶に加えて?」
「これが全部砂糖ですか、ちょっと勿体ないですね……」
この世界では砂糖は高級品である。庶民が容易に口にできるものではない。
リタが名残惜しそうに、4つの瓶に糖蜜を流し込む。
「OK、それじゃ4本のうち2本は蓋を閉めて。これがロットBだ」
側面に「B-酒蔵」「B-リタ」という文字を書き込むトージ。
封をしていない瓶はあと4本。2本は糖蜜入り、もう2本は糖蜜なしだ。
「残った4本には、この液体を入れてもらえるかな」
トージが差し出したものは、栄養ドリンクの瓶に似ていた。
リタはそれを受け取ると、糖蜜を入れた残り2個の瓶の中に均等に流し込む。
「トージさん、この液はなんなんですか?」
「これがさっき言っていた“酵母”だよ。うちの蔵から連れてきたのさ」
トージは糖蜜+酵母液の瓶に「C-酒蔵」「C-リタ」と書き込んだ。
「糖蜜を入れていない瓶にも酵母を流し込もう」
リタが最後の2瓶に酵母を流し込むと、トージは「D-酒蔵」「D-リタ」と書き込み、いそいそと防護服を脱ぎ去った。
そして、8本の瓶のうち「リタ」と書かれた瓶4本を、屋外の日当たりのいい地面に埋め、大量の藁をかぶせる。
この位置なら、発酵に適した20度前後の温度を維持できそうだ。
「酒蔵」と書かれた4本はトージが持ち帰り、蔵のなかで熟成させる。
「よし、これでOK。あとは待つだけだね」
「トージさん、今度は、成功して欲しいですね」
「僕の故郷なら、ABCDのどの瓶もお酒になるはずなんだ。ただ、この実験で“どの瓶が酒になって、どの瓶が失敗したか”がわかれば、さっきの蜂蜜酒が酒にならなかった理由が分かるはずなんだ」
(全部酒にならなかったら……いや、やめよう。失敗したらまた実験するんだ。あきらめるな、鴨志野トージ)
最後の内心だけは口に出さず、トージはリタの家を退転する。
この発酵性能試験の成否が、トージの今後を決めるのだ。
(頼むぞ……今度こそ、酒になってくれよ……?)
トージは「酒蔵」と書かれた瓶4本を、祈る思いで抱きながら帰路についた。
A-酒造……添加物なし/酒蔵で熟成
A-リタ……添加物なし/リタ宅熟成
B-酒造……糖蜜を添加/酒蔵で熟成
B-リタ……糖蜜を添加/リタ宅熟成
C-酒造……糖蜜と酵母/酒蔵で熟成
C-リタ……糖蜜と酵母/リタ宅熟成
D-酒造……酵母を添加/酒蔵で熟成
D-リタ……酵母を添加/リタ宅熟成
トージはリタと一緒に、この8つの瓶に酒を仕込みました。
試験の結果はどうなるのか、次の話で確かめてください。




