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苦手な方はご注意ください。

聖女追放もの / 婚約破棄もの

【コミカライズ】人形聖女は笑わない ~感情を失うまで虐げられた追放聖女が、ささやかな幸せを見つけるまで~

作者: アトハ

【SIDE: ミリア】


「聖女・ミリア。

 貴様との婚約を破棄し、新たな聖女・レイニーを我が妻とする!」


 パーティー会場には「本日は重要な発表がある」と多くの人が集められていました。

 多くの人の注目を集める中。

 私――ミリアは、突如として第一王子・フェルノーにより婚約破棄を突きつけられました。


「はい、かしこまりました」



 この国では、聖女と王子が結婚することが法律で決められていました。

 私は辺境の村で生まれ育った、ただの平民です。

 プライドの塊のようなフェルノーは、身分の低い私を蔑みひどく邪魔に思っているようでした。


 もともと互いに、何の恋愛感情もなかった婚約関係です。

 何も思うところはありませんでした。 



 それだけでなく。


(貴族様の言うことには、決して逆らってはいけません)



 どのような扱いをされても、従順に振る舞うこと。

 それが王都に連れてこられて10年かけて、私が身につけた処世術でした。


 この国の貴族は、平民を家畜程度にしか思っていません。

 いくら国を聖女の力で守ったとしても。

 彼らは、決して私を認めることはありませんでした。



「何が『かしこまりました』だ。

 このままだと貴様は、結界の外に追放だぞ?

 もっと何か言ったらどうだ!」


 私の答えが気に喰わなかったのでしょう。

 フェルノーは私を脅すように、国外追放をちらつかせます。


 国外追放――それは結界の外側への追放刑を意味します。

 結界の外側には悪しき魔物が徘徊しており、人間が住める場所ではないと言われています。




「ごめんなさい」

 

 私には、王子の望みが分かりませんでした。

 ただ従順であることを、今まで望まれてきましたから。



「国外追放されて魔物の餌。

 役立たずの人形聖女には、お似合いの最期じゃない?」


 私のことを嘲るように、王子の隣に立つ女性が言いました。


 人形聖女――それは私の蔑称でした。

 何を言われても、表情1つ変えずに淡々と自らの責務を果たす者。

 そうなるよう私に()いたくせに、何とひどい言いようでしょうか。



「平民のくせに、聖女として崇められて。

 これまで、さぞかし気持ちの良い生活を送ってこられたことでしょう?

 それももう終わりですね」


 レイニーによる蔑み切った目線。

 平民である私が王子の婚約者の座についたことから、伯爵令嬢であるレイニーにはひどく嫌われています。

 一方的に難癖を付けられることも当たり前。

 だからこれぐらい慣れた扱いだと、私は表情を凍らせます。



「王子の隣には、レイニー様こそがふさわしいです」

「見てくださいレイニーさま。

 おかわいそうに。これからの未来を想像して震えてますわよ」



 レイニーの取り巻きも、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべています。

 私が言い返せないからこそ、徹底的に追い詰めようという醜さ。

 人間は、自分より弱い生き物にどこまでも残酷になれる生き物なのです。



(何がそんなに楽しいんでしょう。

 私、これまで国のために頑張ってきましたよねーー?)


 国の結界を維持するための、過酷すぎる日々の職務を思い出します。


 休む間もなく祈りを捧げて、体調を崩すことなど日常茶飯事でした。

 完璧な聖女像を求められて――薬で体調を整えながら、無理やり儀式をやり遂げたことも数え切れません。

 もっともフラフラになってやり遂げても、褒めてくれるものは誰もいませんでしたが。



(……最初は、期待に応えようと頑張った。

 嫌がらせにも必死に言い返したし、認めてもらおうと必死だった――)


 そして長い努力の果てに、私は学びました。

 この国では平民である私がどれほど頑張ったところで、決してそれが認められることはないと。

 言い返せば言い返すだけ、面白がって徹底的に嫌がらせは繰り返されるということを。


 フェルノーは口ぐせのように「まだまだ魔力は搾り取れる」と言っていました。

 毎朝動けなくなるまで魔力を提供することを義務付けられ、フラフラの私に「人間、そう簡単には死なないとも」と口にしました。

 魔力を奉納しすぎて、動けなくなってしまったときも――


「卑しい平民には、やはり聖女なぞ務まらんな。

 恥ずかしいとは思わないのか!

 この聖女の言い伝えに泥を塗る出来損ないが!」


 などと暴言も吐かれました。

 もう、この国には何も期待しません。



(……思えば拷問みたいな毎日でしたね)


 そうして集められた魔力を、国の研究機関がフル活用して。

 さらには血反吐を吐くような思いで、毎日の儀式を行って。

 そうして国の平穏は、今日も保たれているのです。




(本当に、私の代わりなんているのでしょうか?)


 

 それは、ふとした疑問でした。


 新たにフェルノーの婚約者となる聖女・レイニーですが。

 国を守るためには少々、はっきり言えば力不足です。


 少しだけ光の術式の扱いには長けています。

 言うなればそれだけです。

 とてもではありませんが、国を支えられるような器の持ち主ではありません。



「私を追放して、この国は大丈夫なのでしょうか?」


 そのような目に遭わされても、私は聖女でした。

 ついつい国を心配してしまいます。


 聖女の力を生まれ持ってしまったせいで、これまで押し付けられた役割。

 どうして私がこんな目に遭わされるのか、と嘆いたこともありました。


(それでも……。私にしかできないことがあるのなら)


 誰に認められなくても、この国のために力を振るうこと。

 それこそが、ささやかな私の矜持でした。




「『私を追放して、国は大丈夫なのでしょうか?』だと?」


 フェルノーは、レイニーと顔を見合わせて。

 面白い冗談を聞いたとでもいうように、私のことをあざ笑いました。



「新たにレイニーが見つかったと言っただろう。

 貴様とは違い、高貴な生まれの人物だ。

 所詮はゴミだったおまえとは、次元が違うのだよ」


 フェルノーは、魔法の質について嫌みったらしく語ります。

 目覚めたばかりで、聖女として魔力を奉納できるとは思いませんが。

 だいたい、聖女の本分はこの国を守護する結界を維持するために祈りを捧げることの筈です。



「聞いているのか!? ほんとうに、眉一つ動かしやしない。

 極めて不愉快だ!」

「申し訳ありません」


 凍り付いたように、私の表情は無表情を貫きます。

 私の対貴族の処世術は、それしかありません。



 普段は泣き言ひとつ吐かずに国のため働けというのに。

 今度は相手を楽しませるために、泣き叫んで見せろと言うのでしょうか。

 私のことを、気持ち良くさせるための道具とでも思っているのでしょう。



「ねえ、フェルノー王子。

 平民でも血は赤いのかしら?」


 面白いことを思いついた、とばかりにレイニーが何かを言い出します。



(何を言い出すの?

 血なんて赤いに決まってるじゃない)


 レイニーさんの瞳に浮かぶのは、嗜虐的な表情。

 まるで幼い子供が親に欲しいおもちゃでもねだるように。

 その行動の根源にあるのは、平民でありながらフェルノーと結ばれようとしていた私に対する嫉妬でした。



「それは良い余興だな。

 どれ、少し試してみるとしようか」


 貴族様が平民を痛めつけるのに、特に理由はいりません。

 一度その気になってしまったら、しがない平民の私にできるのはその暴虐が過ぎ去るまでジッと耐え忍ぶことのみ。



 王子が懐から取り出したのは、人間の拳大の巨大なエメラルドの宝玉でした。

 それは長年ともに国を守ってきた、私の相棒とも言える仕事道具。

 フェルノーはまるでゴミでも放るように、ポイッと私に放って寄こすと――


「盛大に吹っ飛ぶが良い」


 発動させたのは、お得意の投擲魔法。

 私を狙うように、宝玉は急加速しながらこちらに飛来します。



(こんなことをして、何が楽しいの……?)


 私が自らの仕事道具に、無様に吹き飛ばされることを笑おうと。

 フェルノー王子やレイニーをはじめ、多くの視線が集まります。



(貴族様の楽しみのため。

 私に逆らうことは許されない)



 長年にわたって熟成されてきた、諦観が心を支配します。

 私は意図的に心を殺します。


(大丈夫。私は道具。

 痛くない。怖くない。何も感じない)


 ぎゅっと目を閉じます。



 もちろん、そんな筈はない。

 罵られれば悲しいし。

 あまりにも心無いことを言われれば泣きたくもなる。



 私は、襲い来る衝撃に身構え



 ギーンッ!



 聞こえてきたのは、金属と金属がぶつかるような激しい音。

 おずおずと目を開けると、


「――聖女様。大丈夫ですか?」

「レオナルド!」


 視界に入るのは、こちらをいたわるような従者の顔でした。

 私の傍に控えることを許された、ただ1人の従者で。


 ――ここでの私の唯一の味方

 ――私の大切な人



 相変わらずとんでもない剣の腕です。

 魔法により飛来した宝玉は、しっかりと彼の剣により止められているのでした。

 私の仕事道具だから傷つけないように、という意思も感じます。


「ど、どうして。

 そんなことをしても、あなたのためにならないでしょう!?」


「聖女様が、公衆の面前でここまで酷い目に遭わされてるんです。

 黙ってみているなんて、出来るはずがないでしょう」



 レオナルドには、決して返せない恩があります。

 スラム街に住んでいたところを、私のわがままでお城まで連れてきてしまったこと。

 180度違う生活に巻き込んでしまったこと。

 それでも文句1つ言わずに付き従ってくれるだけでなく――



「もっとお体を大事になさってください」

「……ごめんなさい」


 こうして、私の体調を気遣ってすらくれます。



 今の私では、彼に何の恩も返すことができません。


 彼ほどの腕があれば、本来であればエリートコースの騎士団にも入れたでしょうに。

 私という何の権力もない主人を持ってしまったせいで、人並みの出世コースから外れてしまったばかりか。


「今日も、みすぼらしいわね」

「平民の聖女に、元奴隷の従者。

 卑しい血の臭いが、こちらにまで臭ってきて鼻がヒン曲がりそうですわ」

「まあまあ。人形聖女にはお似合いじゃないですか?」


 ヒソヒソと、いわれのない陰口を叩かれるようになってしまいました。

 いきなり現れたレオナルドを、馬鹿にするような声が会場に響きました。



「元・奴隷の分際で、私に逆らうというのか」


 それらのひそひそ声を静める一声。

 声を発したのは、フェルノー王子でした。


「貴様も追放されたいか!」


 激高した王子は、そう叫びました。



 言葉の意味を理解するなり。

 私は青ざめました。


「い、いけません!

 従者の罪は、全て私にあります。

 どうか寛大なご措置を……!」


 フェルノー王子に、縋りつくように私は声を上げました。


(私のせいで、レオナルドまでもが国外追放に遭う)


 彼は、たった1人の私の味方でした。

 恩には報いる事は出来ないけれど、せめてこの国で幸せになって欲しい。

 それが私の最後の願いだったのに、どうして?


 そう思っていたのに――考え得る限り最悪の未来です。



 取り乱す私を見て、フェルノー王子はやたらと嬉しそうな表情を浮かべました。

 弱者をいたぶって喜ぶ、底意地の悪い笑顔です。



「ほうほう。そうか。

 聖女様は、従者が国外追放に処されるのが嫌で仕方ないのか……?」


 残念だな、とフェルノー王子は心の底から楽しそうな笑みを浮かべました。



「どうか……お慈悲を――」


 フェルノー王子の残酷さを、私は10年の生活で知っています。

 それでも、無駄だと思っても――私は縋らずにはいられませんでした。



「国外追放ですね、構いませんよ」


 私が必死に王子に対して、許しを請う横で。

 くだんの従者はあっけらかんと、そう言い放ったのでした。




◇◆◇◆◇


(なんでこうなってしまったのでしょう……)


 王室御用達の馬車の中。

 馬車からは、ゆったりと景色が流れていくのが見えます。

 このまま国外追放されるというのに、空はどこまでものどかな晴れ模様。


 私はレオナルドとふたりっきりにされてしまい、どうしたものかと悩んでいました。

 横たわる沈黙が、どうにも気まずいです。


「あの……。

 やっぱり怒ってますよね……?」


 私は、おずおずと自らの従者に話しかけます。

 外の景色を眺めていたレオナルドは、ゆっくりとこちらに視線を向けると、


「なんで、そう思うの?」


 心底不思議そうに首を傾げました。



「だって……」


 あまりの申し訳なさに、私はそっと目を逸らします。

 こうして破滅に巻き込んでしまったこと。

 落ちぶれるならひとりで落ちぶれろと、そう罵られても当たり前です。


「……今からでも騎士団長に掛け合いましょう?

 私のことは良いとして、あなたまで国外に追放されるのはおかしいです。

 完全にフェルノー王子の腹いせじゃないですか」


「……この国がおかしいのは、今に始まったことじゃないでしょう」


 レオナルドは、あきれたようにため息をつきました。



「こんな時まで、他人の心配ばかり。

 少しは自分のことを――自分が幸せになることも考えてくださいよ」


 心配そうな表情で顔を覗き込んでくるレオナルドから、私は思わず目を逸らしてしまいます。


(自分の幸せのために……ですか)


 すっかり忘れてしまった感情です。

 それを諦めてしまったのは、いつだったでしょうか。


 王子の嫌がらせに慣れてしまった日?

 それとも聖女として国を守護する覚悟を決めた日?



「……私のことなんて、もう忘れて下さい。

 あなたにだけは、幸せに生きていて欲しいんです」


 それぐらい願っても許されるはずです。


「そういうことなら。なおさら、ぼくは聖女様の傍を離れるわけにはいきませんね」

「どうして……?」


 これまでの主従関係も、私の『聖女』という肩書きがあってのものです。

 これ以上私のそばにいても、何も得られる物なんて何もないというのに。



「簡単なことです」


 私から目線を逸らすことなく。

 レオナルドは、ぽかんとする私にこう告げました。



「ぼくの一番の幸せは、聖女様に仕えることですから」



「ええっと……?

 この国を守る聖女様に仕えたい、というのなら。

 レイニーさまの護衛の枠は、まだ空いているんじゃないですか?」


 そう私が口にすると、レオナルドはムスッとした表情を浮かべました。

 あからさまに機嫌が悪くなった様子。


「何でぼくが、あの性悪のために剣を振るわないといけないんですか。

 打診は来ましたよ? もちろん断りましたけど」

「な、なんて勿体ないことを……」



 事もなげに話したレオナルドですが、私は驚きを隠せません。


 聖女といっても、私は所詮は平民です。

 国中から虐げられる私を護衛したがる物好きは、まったくいませんでした。

 一方、新たに聖女となるレイニーは、国中から歓迎されている人物。

 護衛にあたることは、さぞ最高の名誉でしょうに。



 驚く私を見て、なぜかレオナルドも驚いたようで。 


「良いですか? ぼくが忠誠を捧げるのは、聖女さまでも他の誰でもない。

 ――ミリアお嬢様だけです」


 大げさなまでの言葉は、本心からそう言っているのが分かります。 


「……ありがとうございます」


 私にそこまでの価値があるとは、とても思えませんが。

 これ以上否定することは、レオナルドに対して失礼になるでしょう。



 国外追放を言い渡さたされた時には、孤独な未来が待っていると思っていました。


(そんなことはありませんでした)


 王国時代からの唯一の味方は、私を見放すことはなかったのです。

 結界のない過酷な環境でも、レオナルドも一緒なら少しは前向きに生きていける気がします。 


(……って、いけない。

 私のせいで、彼の人生を奪っておいて――。

 それなのに護衛というのを利用して頼りきろうなんて――あまりにも身勝手な発想です)


「ミリアお嬢様。

 今『ぼくに頼っては身勝手だ』とか考えませんでした?」

「うそ。何で分かったんですか?」


「どれだけ一緒にいたと思ってるんですか……」


 レオナルドは、ジトっとした目でこちらを見ると、



「ぼくがここにいるのは、ミリアお嬢様のおかげですから。

 王国の外では、一蓮托生ってやつです。

 どうか余計な気は使わないでください」


 どこまでも真摯な表情で、レオナルドは言葉を紡ぎます。

 


(思えば、いつもそうでした)


 彼は、いつでも私が欲しかった言葉を口にしてくれました。


 王国でもうダメだと、心が折れそうになったとき。

 彼の細やかの気遣いは、何度心を繋ぎ止めてくれたでしょう。

 彼の存在がなければ、あの日々を耐え抜くことは間違いなくできませんでした。



 なぜでしょう?

 そんなことを思い出すと――私は、まともにレオナルドの顔を見ることが出来なくなりました。


 うつむく私を、やっぱりレオナルドは優しい眼差しで見守っているようで。


「~~~っ!」


 車内は、ふたたび不思議な沈黙に包まれました。


 

 ガタン


 と馬車が止まる音がしました。

 遅れてやって来る僅かな衝動。


(ちょうど良いタイミングです)


 兵士たちが馬車を開け放ち、早く外に出るよう催促してきました。

 どうやら目的地に着いたようです。


「レ、レオナルド。行きましょう?」


 これから国外追放されるとは思えないほどの勢いで。

 私は、逃げるように馬車を飛び出すのでした。




◇◆◇◆◇


【SIDE: レオナルド】


「逃げられちゃったか……。

 でも良かった。どうにか、お傍に仕える許可は貰えた。

 それなら、いくらでもチャンスはある」


 慌ただしく馬車から飛び出していった、ミリアお嬢様を見ながら。

 ぼく――レオナルドは、これから訪れるであろう未来に思いをはせる。



 聖女による結界の外側。

 向かう先の危険は未知数――敵が何であっても関係ない。

 ミリアお嬢様を守り抜くためだけに、ぼくはこれまで腕を磨いてきたのだから。



(思ったより、元気そうで良かった)


 国外追放を言い渡された直後。

 怒るでも悲しむでもなく、ただただ全てを受け入れて諦めきった顔を思えば。

 さきほど目を白黒させて馬車を飛び出していった彼女は、まるで別人のようだった。

 

 すっかり感情を閉ざし、人形聖女と呼ばれるようにすらなっていったミリアお嬢様。

 そんな彼女も、ぼくの前では少しだけ感情を露わにしてくれる。


 そう思うのはぼくの自惚れだろうか?


(聖女……か)


 祈りによって、国を守護する非常に重要な役割。

 1人の少女に背負わせるには、あまりに重たく過酷な運命。

 

 この国が、どれだけミリアお嬢様に助けられてきたか。

 もうじきこの国のやつらは思い知らされることになるだろう。


(ふっ。良い気味だ)


 ぼくは、昏い笑みを浮かべる。


 ミリアお嬢様には、国をあげて感謝して当然。

 それなのに、この国の連中は今まで何をしてきたか。

 到底、許されるものではない。



(まあ、そんなのはどうでも良いか)


 たとえば王国の連中が、土下座して謝ったとしても。

 ミリアお嬢様の失われた時は、もう戻ってこない。

 それに、ミリアお嬢様はそんなことは望まないだろう。


「ミリアお嬢様は、これまで随分苦しんだんだ。

 これからは絶対に幸せになるべき人なんだ――」


 祈りのように漏れた言葉は。

 誰の耳に入ることもなく、虚空に消えていくのだった。




◇◆◇◆◇


【SIDE: フェルノー王子】


 一方そのころお城では。

 豪華な装飾品に囲まれた執務室の中で、俺――フェルノーは苛々と文官が上げてくる報告を聞き流していた。

 その報告というのが――



「聖女・レイニーを、よりにもよって人形聖女のお付きとして育てろだと?」


 不快感を隠さずに、俺は意見してくる文官に蔑みの目線を向ける。

 

 身元の確かなレイニーが、聖女としての力に目覚めたのだ。

 同じ聖女であればレイニーの方が、貴族であるぶん遥かに能力も格上に違いない。


「はい。失礼ながらレイニー様は、聖女としての力にお目覚めになったばかりです。

 ミリア様に、聖女としての力の在り方を手ほどきして頂くべきです」


「黙れ! 貴様は、よりにもよって平民に教えを乞えと言うのか?

 伯爵令嬢であるレイニーに、どこの生まれとも知れぬ平民に教えさせようと!」



 実に不愉快な提案であり、感情に任せて俺は思わず怒鳴りつける。

 

 おおかたこの文官は、平民上がりだから人形聖女を贔屓しているのだろう。

 能力があるものを登用せよという宰相の助言に従い、取り立ててやったのに何たる言い分であろうか。

 次の異動では、そのまま地方に飛ばしてくれよう。


 これからはレイニーは、婚約者として方々に顔を見せなければならないのだ。

 聖女の任務など、人形聖女ですら10年も勤め上げていた。

 傍らでもどうとでもなる。

 今重要なのは、堅実な基盤固めだ。



「言いたいことは、それだけか?

 用が済んだら戻るが良い」


 この国が、いかに人形聖女に頼っていたか。

 人形聖女がどれほど聖女として優れていたかを文官は語っていたが――

 

 俺は、文官を冷めた眼差しで見返すと。

 衛兵に命じて無理やり下がらせたのであった。



 レイニーでは聖女として力不足だという文官の懸念は。

 皮肉なことに当たることとなる――。




「フェルノー王子、お助けください!」


 

 それから数刻したのちにフラフラっと訪れたのは、俺の婚約者・レイニーであった。

 必死に走ってきたのか、普段のたおやかな雰囲気は見る影もない。

 俺の姿を見るなり、血走った形相で駆け寄ると



「この無礼な方が、私に魔力を寄こせと横暴を働くのです」


 そう言いながら、追いかけてくる研究員を指さす。

 研究員は無表情にガラスの瓶を握り、困ったようにこういった。


「横暴などではありません。

 朝のお勤めとして魔力を我々に捧げることは――聖女の義務です」



 人形聖女からは、ギリギリまで搾り取っていたからな。

 聖女の魔力は特別な力を宿す――国を守護する様々な研究が進むのだ。


「レイニーよ。ぶしつけなやり方ではあるが、これも聖女の役割だ。

 聖女の捧げる祈りと魔力で、この国はこれまで栄えてきた。

 人形聖女のいない今――その役目は新たな聖女であるレイニーが継ぐのだ」


「む、無茶です。

 ありったけの魔力を吸われて、もう立っているのもやっとなのです。

 これで10%なんて――正気ではありません」


「ですが人形聖女は、文句も言わず淡々とこなしていましたよ?」



 顔面を蒼白にするレイニーを、不思議そうに見つめる研究員。



「お、横暴です! 王子、お助けください!」

「レイニー様。聖女のお役目をサボられるのは困ります……」


 この国は、聖女の加護が無ければままならない。

 だいたい聖女の義務は、これまで平民の人形聖女ですらこなせるものだったのだ――才能に恵まれた伯爵令嬢であるレイニーにこなせない道理がない。

 ならばこれも、レイニーが甘えているだけか。


 ――失礼ながらレイニー様は、聖女としての力にお目覚めになって間もありません!



 文官の声が脳裏に蘇るが、首を振って追い払う。

 そんなはずはない。

 そんなはずがないのだ。



「レイニーよ。聖女の魔力がなければ、この国は困ったことになる。

 わがままを言わないで協力してあげなさい」



 だから俺は、レイニーを優しく諭す。

 それに対してレイニーは、どこか絶望的な表情を浮かべるのであった。



「失礼します」


 こうして研究員は、レイニーの腕を捕まえると。

 手に注射器のような器具をあてがい、レイニーから聖女の魔力を得ようとする。



「も、もうやめてください。

 私には魔力なんて、もう残されていないんです……!」


「ですが、今日のノルマの10%も得られていません。

 もう一度、エーテリアルを摂取して……。

 いいえ、基礎的な魔力貯蔵力が低すぎるんです。それではあまりに効率が悪い――」



 レイニーは、悲痛な悲鳴を上げていた。

 体の魔力をほとんど抜かれて、その場に崩れ落ちるように脱力するが――



 それすらも許されない。


 いつの間にか現れていた研究員の助手が、レイニーを脇から支えると。

 今度は失われたレイニーの体に、魔力を充填するために新たな機材が投入される。



「いやあああああ!」


 思わずといった様子で。

 レイニーはそう悲鳴を上げる。


 失われた魔力を、薬を使って補充すること。

 人形聖女があまりに表情を変えずに淡々とこなすから忘れがちだが、それは大の大人でも悲鳴を抑えきれない治療法の1つ。


(……な、なんだこれは)



 聖女に対する扱い。

 こんなの、あんまりではないか。


「お、おい。

 研究員としても、私の婚約者にこの様な仕打ちをして許されると思っているのか!?」

「その立場も聖女という肩書があってこそのもの。

 まずは、しっかり聖女としてのお役目を果たしてもらわなければ……」


 研究所の持つ権力は非常に大きい。

 聖女から得られた力を利用して国の安全を守る機関でもあるのだ。

 その機関からそっぽを向かれれば、王子である俺もただではすまない。


 だから自らの婚約者がひどい目に遭わされていても。

 俺には黙って見ていることしか、できないのだ。



「も、もう勘弁してください……」

「すまないレイニー。

 耐えてくれ」


 これまで、どれほどの泣き言を上げようと。

 平民である人形聖女――ミリアのために、その待遇改善を要求することはなかった。

 平民の癖に俺の婚約者の地位にいる彼女のことを恨んでもいた。

 どうせなら、徹底的に搾り取るぐらいの心構えでいたはずだ。


 なにも初めから人形聖女と呼ばれていたわけではない。

 レイニーのように泣き叫び、取り乱し、俺にも助けを求め――その全てを黙殺されたからこそ『人形聖女』と呼ばれるほどに、その感情を押し隠すようになったのだ。


 ならこの光景は、国が生んだ歪みそのものだ。

 魔力回復の機材を取り外され、わずかに余裕を取り戻したレイニーが大声で叫ぶ。

 恥も外聞もない取り乱した様子で。



「人形聖女を呼んでください!

 魔力の供給ごとき、平民のものでも十分なはずです」


 それは無理な相談だ。

 長年の枷だった人形聖女も、その従者も。

 これまでの恨みを晴らすように、国外追放してしまった後なのだ。



「レイニー様。あと82%でございます。

 この国の行く末は、これからのあなたの働き方にかかっています」


 無慈悲に告げられる宣告に。

 レイニーは青ざめた表情で俺を見るが、どうしようもなかった。

 俺はそっと目線を逸らす。


 淡々と作業をこなすように。

 泣きわめくレイニーを宥めると、研究員は再び魔力を補充するために機材をONにする。



 ――魔力の充填が100%になるまで


 実に4時間近くの時間を要するのであった。


 この国がどれだけ"聖女"に頼り切っていたのかを、あざ笑うかのように。

 さらに凶報は続く。





「本日の聖女の祈りが滞っているのが原因で、結界が綻んでいます。

 すぐに聖女様を派遣してください」


 その地域はたしか、聖女の力をまったく信じていなかった土地。

 平民のくせに聖女の真似事など生意気だと、人形聖女に武器を向ける者もいた――俺すらも思わず目を背けるほどの、平民蔑視の凄い地方。


 もっとも追い返されてきても「説得するのも聖女の役目だろう」と人形聖女を送りこんだわけだが。

 人形聖女め、サボったのか?



「無茶を言うな。

 ようやく魔力を供給しきった後なのだ――すぐには動けない」


 俺の隣にいるのは、顔を青白くしたレイニーの姿。

 衰弱しきって涙を流す姿は、ミリアを人形聖女と蔑んでいた者と同一人物とは思えない。


 初日ということもあり、慣れない魔力供給で疲れたのだろう。

 さんざん抵抗しようと暴れたせいか、ドレス姿は乱れており。

 俺と並び立ってこそ映えると言われた華やかな姿は、そこにはなかった。


 俺は、ちらりとレイニーに目線を向けると。



「もう許してくださいませ。

 私には無理でございます……」


 すっかり自信を失ってしまったのだろう。

 レイニーは、怯えたように全力で首を振る。



「ですが、結界の綻びを突くように魔物が入り込もうとしています」


「結界が綻ぶような場所は、どうせ地方の貧乏領土のことだろう。

 中央の結界はまだ万全だ。

 このような時のための兵士だ、せいぜい働いてもらおう」


「言いづらいことですが……結界に守られていたせいで。

 いざという時に戦える者が控えていなかったようです。

 おかげさまで、地方は大混乱ですよ」

「は――!?」


 そうして文官は、地方の被害を伝えてくる。

 人的被害。

 物的被害。

 共に――甚大。



 すぐにでも中央から兵を派遣しなければならないのは明白で。

 しかし議会は決断を先延ばしにするのみで、ここぞというときに腰が重い。

 だからこそ王子に許可を貰おうと、勇気を出してすっ飛んで来たとのことで。



「なら勝手に中央の騎士団でも派遣せよ。

 そのような些事をここまで持ってくるでない!」


 俺は、取り乱したままに叫ぶ。

 文官は呆れたように俺とレイニーを眺めていたが。

 やがては「かしこまりました」と一礼して立ち去っていく。



 立ち去り際に――


「この国やばいんじゃないか?」

「お坊ちゃん、軍を動員することを些事だとよ」

「次の定期便までまだ時間がある。

 この緊急事態にあのお粗末な対応だ。

 隣国に亡命することも考えた方が良いな……」


 ヒソヒソと。

 聞こえてきたのはそんな声。

 もはや「不敬だぞ!」と咎める気力すら沸かず。


 この国には、確実に破滅の刻が訪れようとしている。

 それを予感しながらも、その引き金を引くことになってしまった俺は。


 その場に項垂れることしか出来なかった。




 聖女に頼り切っていた歪みは、徐々に国中に波及していく。

 この国が繁栄していたのは――人形聖女と呼ばれる1人の少女を犠牲にしていたから。


 当たり前のように享受していた幸せは、当たり前のものではなかった。

 そのことに国民が気が付いた時には――もはやすべてが手遅れであった。




◇◆◇◆◇


【SIDE: ミリア】


 国を守るための結界を張ることが、聖女の役割でした。

 その外側というのは、どれほど恐ろしい場所なのかとビクビクしていましたが。



「――風が、気持ちいい」


 結界の外で私を待っていたもの。

 それは、なんてことはないごく普通の草原でした。


 あたり一面に広がる緑の草木。

 人間の手が入らずどこまでも覆い繁るそれは、どこか特有の匂いを発しています。


 結界内のように、整えられた清い空気ではありませんが。

 ここはあるべきものがそのまま残されている場所で。

 どこか活力が湧いてくるような気がします。


「ミリアお嬢様。思ったよりも良い場所でしょう?」

「うん。結界の中よりも居心地が良いぐらいですね」


「ろ過されていない自然の空気ですからね。

 お貴族様には、ちょっと刺激が強いんですよ」


 そんなことを言って、レオナルドは笑ってみせました。



「国で貴族に嫌みを言われる心配もない。

 魔力を提供させられることも、儀式を強要されることもありません。

 ミリアお嬢様。これからは、自由に生きられるんです」


 レオナルドは、清々しい笑みを浮かべます。



「こうしてミリアお嬢様と、結界の外に出られる日が来るなんて。

 まるで夢みたいだ……」


 結界内の貴族様は、誰もが結界の外に恐れを抱いていました。

 そのイメージとこの草原が、あまり結びつかず私は小首を傾げます。



「レオナルドは、結界の外に出たことがあったんですか?」

「あった、というよりは元々は旅商人だったんだよ。

 それが奴隷商人に捕まって――結界内で売られたんだ」



 レオナルドはサラッと口にしますが、それは壮絶な過去でした。


(興味本位で聞いて良いことではなかった……)


「ごっ、ごめんなさい」


 嫌な想いをさせてしまった。

 後悔の念に駆られて、私は思わずレオナルドを見ましたが、


「そのお陰で、こうしてミリアお嬢様にお仕えすることができました。

 奴隷商人に感謝――は流石に出来ませんが、今は本当に幸せなんです」


 レオナルドは、どこまでも優しい微笑みを浮かべながら。

 慈しむような目線をこちらに向けてきます。



「今が、幸せ?」


 出世コースからも外れて、国外追放なんて最悪の目にあったのに?



「ええ。こうして大切な人と一緒にいられて。

 明日から何をしようかと、ワクワクしていますよ」


(大切な人、というのは私なんだろうな)


 何故かはわかりませんが、レオナルドは私を大切にしてくれます。

 私が聖女だから? でも今はもう、ただの国外追放された平民なのに。



「明日から……」


 未来のことを楽しそうに語る、レオナルドの笑顔が眩しすぎて。

 私なんて、今日これからをどうやって生き延びようかと考えるだけでも、どんよりしてしまうのに。



「ミリアお嬢様は、何も心配しないでください」


 そんな私の心配を見越したように、レオナルドは自分に任せるよう言いました。

 なるべく表情には出さないようにしていたはずですが。


(レオナルドに隠し事はできませんね……)


「まずは近くの村を目指そうかと思います。

 昔と変わっていなければ、そう遠くない場所に村があるはずです」

「……頼り切りでごめんなさい」


 こうして巻き込んでしまった挙句に、何から何まで世話になってしまうこと。

 あまりに情けなく、どうしても申し訳なさが募ります。



「ミリアお嬢様。

 あなたは強いから誰にも頼らず、倒れるまで頑張っちゃいます。

 これまで、ずっとおひとりで頑張ってきたんですから」


「これからは、もっともっと僕を頼って下さい」


 俯いてしまった私を励ますように。

 レオナルドは、胸を張ってそう言い切りました。



「私は、これまで頑張ってきた……?

 こうしてお役御免になったのに?」


「そのことは、100% 貴族連中が悪いです。

 ミリアお嬢様は、これ以上ないほどに頑張りました。

 立派に国を守ってきたんです」


 それこそ国では聖女の勤めを果たすため、必死で努力をしてきました。

 でもそれは心ない貴族たちにとっては、出来て当たり前のこと。

 できないのは、まだまだ努力が足りないから。

 毎日、そう蔑まれてきました。


 認められることなんて、とっくに諦めきっていたはずでした。

 なのに――



「み、ミリアお嬢様!?」


 レオナルドが慌てた様子を見せて。

 私は目からポロポロと、涙がこぼれていることに気が付きました。



 お払い箱扱いされて捨てられた今。

 その一言に、私がどれだけ救われたことか。


(レオナルドは、どうしてこうも私が欲しい言葉をピンポイントで口にするのでしょうか……)


 ずるいです。

 私は、何をすればこの大切な従者に恩を返せるのでしょうか。



「やっぱり結界外の空気が、体に障ったのですか。

 ど、どうすれば!?」


 なにやら慌てふためいている様子のレオナルド。

 まずは、その誤解を解かなければいけませんね。


「もう大丈夫です、レオナルド。

 本当にありがとうございます」

「何でもない人の反応ではないでしょう?」



 レオナルドに、これ以上の心配をかけるわけにはいきません。


「嬉しかったんです。

 こうしてゴミと言われて追放された身で――」

「……ミリアお嬢様は、ゴミなどではありません」


 レオナルドは、追放を言い渡した身勝手な貴族に対する怒りを隠そうともせず。

 強い口調で、そう否定します。

 そのように本気で憤ってくれるのも、私を大切に思っているからこそで。



「『頑張ってる』と認めてもらえたことが、嬉しかったんです。

 ありがとう、レオナルド」


 心がポカポカと温かい。



(だからこそ、頼り切ってはいけない)


 彼には既に、一生かけても返せないほどの恩があるのです。

 どんなことをしてでも、レオナルドには幸せになって貰います。

 ヨシッ、と両手をグッと握りしめて決意を新たにしていると



「……ミリアお嬢様が、何を考えてるか当てようか?」


 ジトーっとした目のレオナルド。

 私は、そっと目を逸らします。



「また、頼ってはいけないなんて考えたよね」

「……ごめんなさい」


「謝って欲しいわけじゃないよ」


 拗ねたようにレオナルドは言いました。

 そして何やらいいことを思いついた、とばかりに笑みを浮かべると



「ミリアお嬢様は、僕に幸せになって欲しいって言ったよね?」

「うん」


「なら僕をもっと頼ってよ。

 それが僕の幸せなんだ」

「頼られることが、幸せなの……?」


 さっぱり分からない。



「大切な人の役に立ちたい。

 そう思うのは、そんなにおかしいことかな?」


 レオナルドに幸せになって欲しい。

 そのために、役に立ちたいという気持ち。


(ああ、レオナルドも私と同じなんだ……)



「なにも――おかしくありません」


「ならこれからは困ったことがあったら、なんでも僕に相談すること。良いね?」

「……うん」


 何かうまくまるめ込まれた気もしますが。



(まあ良いか)


 ニコニコと幸せそうな笑みを浮かべる従者の顔を見て。

 私はそう思うのでした。




◇◆◇◆◇


「僕から離れないで下さいね?」


 やたらと張り切るレオナルドが道案内をかってでて。

 私は、先導する従者の後ろをちょこちょこと付いて歩きます。


 私のペースに合わせているせいでしょう。

 レオナルドの歩みは普段よりも遥かに遅く、申し訳なさが募るばかり。



「れ、レオナルド。あれは何でしょう?

 なかなか見ない珍しい花ですね!」


 レオナルドの後を、ちょこちょこと付いて行くこと30分。

 私は、前方に変わった花が生えているのを見つけます。



 直径1メートルはあるでしょうか。

 赤紫色の花弁が草原の緑に映えて、その存在を主張しています。


(結界の中では見たことがありません。

 綺麗――)


 吸い寄せられるように近づいて行った私を――


「ダメです、ミリアお嬢様っ!」


 慌てたレオナルドが、私を止めると同時に、



 ――ヒュルルッ!


 紫色の植物は、まるで私を捕食しようとでもいうように、トゲの生えたツタを伸ばしてくるのでした。

 突然のことに反応できないでいる私でしたが、レオナルドに突き飛ばされ転がり込むように間一髪で回避することに成功。


「ミリアお嬢様、ここは結界の中とは違います。

 一歩間違えたら死にますよ」

「無害な花に見えますが、あれもモンスターです」


 油断なく剣を構え。

 ジリジリと花型モンスターと距離を取りながら、レオナルドは私にそう忠告します。



「ご、ごめんなさい。

 私がノコノコと近づいてしまったから……」


「いいえ、ミリアお嬢様は何も気にしないで下さい。

 元はと言えば、モンスターに気付かなかった私の落ち度ですから」


 レオナルドは、強がるようにそう言います。

 しかし、その表情は苦しそうに歪んでおり、額からは汗が流れています。



(これが貴族相手なら、どれだけ罵られたことか。

 レオナルドは本当に……どこまでも優しい)


 それが心地よく。

 同時にただ守られるだけの自分がものすごく情けない。


(私だって、これまでは国を守る聖女でした。

 何かできることを――)



 私はレオナルドの様子を、注意深く見つめます。

 離れてくださいと訴えかける視線は、いまだにこちらの安否を気遣うもので。


(ツタによる傷は、そこまで深くはなさそうです。

 だとすれば――毒?)


 私に専門的な知識はありません。

 大雑把な判断でも、これまで培ってきた祈りの力が通じる範囲なら大丈夫です。



「私が頼れるのは、結局――この力だけ」


 生まれ持った聖女の力。

 国で奴隷のように使われるようになった、全ての元凶でもあり。

 レオナルドとの、素敵な出会いを与えてくれたきっかけでもあり。

 

 頑張ってくれた、そう認めてくれた人のために。

 私は精一杯この力を、役立てたい。



 ――清浄なる光よ

 ――清らかなる衣で、かの者を守り給え


 結界内の空気を浄化し、悪意のある者からの攻撃を防ぐ鉄壁の守り。

 それは国を守るために張っていた結界でした。


 長年の習慣とも言える、体に染みついた祈りの儀式。

 ただし国を対象とするのではなく、効果はうんと限定して。



(うまくいった!)


 光の衣が現れ、レオナルドを守護するように包み込みます。

 これまで国のために祈ってきた、結界術の応用でした。



「な、なんですか。これは……!?」

「聖女の結界術です。

 これまでは国を対象にしていましたが――それを簡略化しました」


 とっさのことで、うまくいくか不安でしたが。



「驚きました。そんなこと出来たんですね?」


 光の衣は、レオナルドを守護するだけでなく。

 さながら結界の効力をそのまま発揮したかのように。

 私のかけた結界術は、レオナルドの毒を見事に浄化したのでした。



「この日のために、必死に力を付けてきたはずなのに。

 情けないな僕は……」


 ほっと安心してため息をついた私とは対照的に。

 レオナルドは、なぜか弱々しくそう呟きました。

 そのまま私から視線を外すと、キッと花のモンスターに向き直ります。 



 そこからは、レオナルドの独壇場でした。

 派手さこそないものの、精密に相手の弱点を突く堅実な戦い方。


 もともと役立たずな私が足を引っ張ったせいで、不用意な先制攻撃を喰らってしまったのでしょう。

 相手のツタによる攻撃をまるで寄せ付けず。

 あっと言う間に花弁に囲まれたモンスターのコアまでたどり着き――



 一閃。


「レオナルドの剣は、いつ見てもすごいです……」


 あれほど恐ろしかったモンスターを、一瞬で葬り去り。

 なんの感慨もなさそうに見下ろす姿は、熟練の剣士のようで。


 私なんかには、本当に勿体ない従者です。




◇◆◇◆◇


 凄まじい手際で紫色の花のモンスターを倒すことで。

 たしかな剣の腕を見せたはずのレオナルドは、

 

「ミリアお嬢様を危険な目に合わせるなんて。

 僕は従者失格です……」


 どんよりした雰囲気をまとい、ズーンと落ち込んだ様子で。

 私の顔を見るなり、そう謝るのでした。



「いいえ、全部私が悪いんです。

 珍しい花を見たからといって、小さな子どもみたいに近寄ってしまって……」



 不意打ちを喰らったのは、完全に私が原因のアクシデント。

 勝手なことをするなと、怒鳴られても文句は言えません。


「そのことも、最初に注意しておくべきだったんです。

 結界内と常識が違うこと――ミリアお嬢様は何も悪くありません」


 だというのに、自分自身を責め続けるレオナルド。

 こうしてお互い無事で、何も謝られることなんてないというのに。



「しかも、肝心なときに毒を貰って動けなくなるなんて。

 よりにもよって護衛対象に助けられるなんて、従者にあるまじきことです……」


「……私が今もこうして生きているのは、レオナルドのおかげですよ?」


 レオナルドの剣の腕は、間違いなく国でトップクラスのもの。

 私は感謝とともに、レオナルドを励ますように言葉を紡ぎます。



「……ミリアお嬢様の援護がなかったら、下手すると僕たちは殺されていました。

 そんな役立たずの護衛なんて、いっそ消えてしまった方が――」


「レオナルド!」


 レオナルドは――私にとっての英雄でした。

 だからどうかそんなことを言わないで。


 感情なんて、とっく捨てたつもりでいましたが。

 この胸に湧き上がる悲しみと怒りは、どうにも抑え込むことはできず。


 言葉少なく、感情に駆られるまま。

 私は、レオナルドの言葉を止めようと必死になって――



「……なんでミリアお嬢様が、そんな顔をするんですか。

 僕なんかのために」


 こちらを恐る恐る見つめてくるレオナルド。

 その様子は、怒られるのを待つ子犬のようで。




「……レオナルドには、幸せになって欲しいんです。

 だから、どうかそんな自分を卑下するようなことを言わないで下さい」


「僕は、ミリアお嬢様に仕えるだけで幸せです。

 そんなことよりも、ミリアお嬢様に幸せになって欲しいです」


 至近距離で見つめ合ったまま。

 互いに目線を外すことはなく。 



「私の幸せは――レオナルドが幸せになることだから」

「なら僕の幸せは――ミリアお嬢様の幸せです」



 幸せ。

 お互いが何度も口にしてきた願い。

 私たちは、相手の願いからは目を背けていたのも事実で。



 ――ああ、なんと難しい願いなのでしょう



 レオナルドが幸せになるために、私の全身全霊を捧げよう。

 そう思っていたのに、そんな生き方は望まれていないと――許されないと知り。



(幸せ、って何でしょう?)


 楽しい、なんて感情も捨てたつもりでした。

 期待するだけ無駄なら、はじめから望みなんて持たない方が良い。

 それが諦めが支配する国での暮らしから学んだこと。


(……私はこの先、どうしたいんでしょう?)


 大切な人が笑える世界であって欲しい。

 国を追われた今だからこそ、より強く想うこと。

 奴隷上がりの身分でありながら、これまで頑張ってきたレオナルドが報われる世界であって欲しい。

 そのために私は――


「――幸せになる」



 強い決意を込めて。

 私は宣言します。


「僕も、幸せになるよ」


 ほぼ同時に、レオナルドもそう宣言しました。


 私たちは、きっと似た者同士なのでしょう。

 どうしようもない国で、互いを支え合って過ごし。

 追放されてなお、お互いの幸せを願う。




(私自身の幸せ、って何だろう?)


 貴族を見返すこと?

 国に復讐すること?

 世界一の富を手にすること?

 

 どれもピンと来ません。




「ねえ、レオナルド?」

「なんですか? ミリアお嬢様」


「幸せって、何でしょうね?」

「何なんでしょうね、幸せって」



 ただ漠然と「幸せになって欲しい」と言っていました。

 お互いに、とんと自分の幸せには無頓着。



「先は長そうですね……」


 思わず半眼になってしまいます。

 そんな私にレオナルドは、優しく微笑みかけると




「一緒に幸せになりましょう」


 そう優しく告げるのでした。

 その微笑みを見て――



 私も思わず、釣られて笑みをこぼすのでした。



「ミリアお嬢様。

 ようやく、笑ってくださいましたね」


 心底嬉しそうなレオナルドの声。

 緩み切ったその表情を見て――



 私は、ふと思うのでした。



(大切な人と、こうして当たり前のように話ができて。

 お互いに幸せを願うような、大切な人。

 私が笑えただけで、こんなに親身に喜んでくれる人。

 これからも、こんな毎日が続いていくのなら――)

 


 私はもう、幸せなんじゃないかな? なんて。


最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

楽しんでいただけたなら非常に嬉しいです。


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[気になる点] 僕なのかぼくなのか 同じキャラが連続で喋るのも変で読み辛いなあ [一言] 内容はとても面白かった
[一言] すごく面白かったです!
[一言] 王国の崩壊の兆しで描写が終わっていますが、これって国中で新たな聖女を探したり、追放された聖女を捜索し始めたりしないんでしょうか。 それと追放された先で聖女がそれほど危険な目に合わずに生きら…
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