藤の墓参り
時間軸としては、37話の前です。
匿名で葬られることを望む人の気持ちとは、一体どういうものなのだろうか。
自らの生きた証を残すことを拒否する。
人は死ぬと文字になるのだ、と言ったのは誰だったか。
彼等は文字になり石碑に刻まれることを良しとしなかった。
それは一体、誰のためか。
墓守が居ないことを悲観してのものなのか、それとも負担となることを嫌がり思いやった結果なのか、ただ忘れられたかったのか。
誰にも伝えなかった彼等の思いは彼等だけのものであり、考えても分からないものを考えても仕方がないのだが……。
俺の運転する車はいま、月白先輩の祖父母の墓に向かっている。
歩いて行くには遠く、交通機関も無いとのことで隣の親切な婆さんから車を借りた。随分年代物のドイツ車で走行距離も長かったが、普通に走る分には問題無いとのことだった。
昔レースをしていた頃には考えられないスピードで、閑散とした町の石畳の道を走らせる。悪路というほどでも無いのだが、尻にかなりの振動がくる。
しばらく走らせると、狙った速度を維持しつつ、思ったライン通りに曲がることが出来るようになった。自分のプラグが車にがっちり嵌ったかのようなこの人馬一体の感覚を味わうと、運転が好きだと改めて実感する。まるで機械と会話をして意思の疎通が出来たような気がして嬉しい。
オーディオからは古い英語の歌が流れている。あの婆さんが気を効かせて出発前に入れてくれたCDだ。孫のものだと言う。クラシックにまるで興味が無いから助かったのだが、感傷的な歌詞に少し気が滅入る。静かなメロディに乗せて「アイム・ノット・イン・ラブ(俺は恋に落ちてなどいない)」と強がる男の歌は、まるで昔の自分を見てるようで気恥ずかしく、とうとう運転に集中出来なくなってきたのでオーディオを止めた。
俺は昔から面倒事を出来るだけ避ける人間だった。
失敗するくらいなら最初からやらないほうがいいと思っていた。
だがそれが、失敗するのが怖いから興味のないふりをしてやり過ごしていただけだと気付いたのは、先輩が居なくなってからだった。
後悔どころではない。
先輩にとって後輩以外の何者でもない自分に腹がたった。
レーサーとして今ひとつ抜けることが出来なかったのも、自分の臆病のせいだと今では分かる。ここまで物事に首を突っ込むなど、少し前までの俺では考えられないことだ。
あの探偵の思い通りに動いてやってるのがシャクではあるが、これが先輩の為になるのならしょうがない。隠し部屋はとりあえずあいつに任せよう。
……先輩は一体何処にいるのだろう。一番に見つけるのが自分でありたいと思う。
探しても部屋にパスポートが無かったことから、もしかしたらとは思ったが、あの家に最近誰かが来た痕跡は無かった。埃は積もり放題で蜘蛛の温床。恐らく主が不在になった時からそのままなのだろう、もうめくられることのない古いカレンダーが黄色く変色していた。
そしてもうすぐ、もう一つ先輩のいる可能性のある場所に着く。
近くの広場に車を停めて地図を確認する。隣の婆さんからは公園のような場所だと聞いていたが、目的の場所の入口は、森と言って差し支えないほど鬱蒼としていた。奥をよく見るとなんとか手入れをされているようなので、そこまで歩くことにした。
森を少し入ると急に視界が開ける。少し手入れをサボった感のある植木に囲まれた墓がいくつも立ち並んでおり、その奥には芝生の上に個人の名前が刻まれた石が並んでいた。
いくつかのベンチや、生前有名だったんであろう人物の墓などを通り過ぎ、目的の場所にたどり着く。婆さんの手書きの地図によれば、この大きな木の下に、先輩の祖父母が眠っているらしい。石で出来た十字架が、ぞんざいに土に植わっている。基礎も何もないのか斜めに立っていて、地震でもあればすぐに倒れてしまいそうだ。
十字架の足元には鉢植えの木や花が置いてあり、どれも新しい物では無さそうだった。婆さんのアドバイスで、切り花では無く鉢植えを持ってきて良かった。墓前に白いベゴニアの鉢を供え、手を併せる。
あなた方はきっと、自分たちが文字になり、遺した人間の喪失感に折り合いが付くことを良しとしなかった。
もう自分たちがどこにもいないということを忘れられたくなかったのでしょう。
きっといつまでも後悔してほしいはずだ。
最期の時すら側にいなかったことを。
あなた方に何があったかは知らないが、俺が彼女を救います。
彼女に一番優しくするのも、彼女を一番傷付けるのも、彼女の過去や未来全てをひっくるめて、俺が彼女の一番中心にいる人間になります。
だからどうぞ、安らかに眠ってください。
立ち上がり、念の為写真を撮ると、まるで返事をしたかのように、近くの教会から鐘の音が鳴り響いた。
誰かの葬式でも始まるのかもしれない。黒い服を来た人が数人見えた。
もうドイツでやることはない。早く日本に帰って、先輩を探さなければ。




