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ホワイトの事情

時間軸としては、60話の後です。


「まさか、無理心中しようなんて思ってませんよね?」



寂れた喫茶店の窓際の席で向かいに座る男が、こちらをまっすぐ見て尋ねてきた。

私は考える。

自殺をしようと思い立った者が誰かを道連れにしようと思った場合、それはその“誰か”との関係において余りにも多くの、そして分けることの出来ないものを共有しているからに他ならない。

だが私と娘において、それは当てはまらない。

何故なら、私と娘は殆どと言っていいほど何も共有していない。

利益も、損害も、過去も、命も。

私は娘に、何も与えることが出来ていない。

与えなければいけないときに、その責任に耐えきれず逃げ出した。



「してほしいのか?」


「まさか」



そう言って眉を上げた男はこう続けた。



「貴女が自分勝手に死ぬことは許されていない。貴女には自分が作ったものを最期まで見届ける義務がある。作って放り投げてハイさよならなんて、羨ましすぎて誰も許しませんよ」



男はグラスの氷をストローでカラカラと回しながら、そして思い出したように「僕以外はね」と言って笑う。



「そして貴女には遁世も許されていない。いまさら世を儚むってガラでもないでしょう?」



かつて夜天を屋根とし草を枕にするような生活に憧れ、そして実際にしていたことがある。

誰からも干渉されず、静かに本を読み、自然と共存する穏やかな生活。

そのうち“愛”という信念形態が自分にも備わっていると勘違いをし、“家族”を作ってしまった。

あれだけ疎んでいた家族という情緒的つながりを持ち、それを自らの手でコントロールすることを望み、そして失敗した。



「世を儚んでたわけじゃない。隠者に憧れていただけだ。私は結局、欲を捨てきれる人間ではなかった」



そう言って、ぬるくなりはじめたコーヒーに口をつける。



「だから今こうなってる」


「だったら何故いま、出ていくんです?娘さんまで連れて」



男が私の隣に視線を移す。

そこには、いまだ手のつけられていないミルクセーキが置いてある。



「ミルクセーキ嫌いだったかな?」



男がいたわしげに、私の隣にいる娘に笑いかける。

だがその問いに、私も娘も答えることが出来ない。

私には、娘が何が好きで何が嫌いかわからない。

娘はどこを見ているか分からない子供のような目で、ぼんやりと前を見つめている。

コーヒーに付いていたスプーンでミルクセーキを娘の口に運ぶと、すっと吸い込まれた。



「うん。良かった」



男は安心したように自分のアイスコーヒーのストローに口を付けた。

私はまた、娘にミルクセーキを飲ませる。

確かに嫌いなわけではないようだ。


娘はこうやって、周囲からの刺激に時々しか反応を返さない。

意識はあるのだが、それが表に出てこない。

世話をすれば生かすことはできる、大きな赤ん坊だ。

赤ん坊と違うのは、泣きも喚きもしないこと。

娘が何を求めているのかが分からない。

もしかしたら何も求めていないのかもしれない。



始まりは一体何処だったのだろうかと考える。

何処で間違ってしまったのか。

今ではもう取り返しのつかないところまできてしまった。

もしかしたら家族を持とうとしたことが。

家族を見捨てて逃げてきたことが。

私なら助けられると思ってしまったことが。

だが娘が不幸の原因ではない。

私が因子だ。



十三年前、私を頼って来た娘の目は、最後に見たときとほとんど変わっていないように見えた。

娘は自分が何処にいるのか、誰といるのかを認識していないようだった。

娘を連れてきた元夫は、見る陰もないほど疲れ果てていた。

夫が何を言ったかは覚えていない。

何も言わなかったのかもしれない。

ただ私は娘を受け取り、彼は去った。



私は娘の意識の在り処を探した。

脳波はほとんどが単純なシグナルを示しており、複雑に活性化するのはほんの僅かな時間のみだった。

私にはこれで充分だった。

ほんの僅かでも娘に意識があるのであれば、その意識を人工知能に移すことが出来ると信じた。



そのうち自身の研究だけでは限界を感じ、知己を頼った。

柳に会い、そしてマキナが生まれた。

そこには私の理想の娘がいた。



「それで、どこに行くつもりなんです?」



男の声で我に帰ると、ミルクセーキは半分まで減っていた。男のアイスコーヒーはほぼ空になっている。



「どうせ知っているのだろう」


「僕が知っているのは、貴女がアイスランド行きのチケットを二人分購入したところまでですよ」



男はメニュー表を手に取り、何とはなしに開く。



「文字とは結局、月をす指にしか過ぎない、ってこれ誰の言葉でしたっけ?何の漫画だったかな」



男はメニューに興味を引かれるものが無かったのか、「ま、いっか」と言いながらメニュー表を閉じた。



「逃げる訳ではないんでしょう?」


「ああ」


「なら僕が言えることはただ一つ。どうぞ楽しんできて」



男はメニュー表を戻して立ち上がる。



「あ、そうそう。良かったら何か食べていったらどうですか?ここカレーが美味しいんですよ。僕の奢りだし」


「お前の飼い主(・・・)の、奢りだろう?」



私がそう言うと、男は笑って「じゃあ、また」と、扉から出ていった。

扉に付いた鈴の音が、決して広くはない店内にしばらく響く。

どうせならこの店で一番高いものを注文してやろうとメニュー表を手に取ると、“こだわりゴンカレー”なるものがこの店で一番価格が高かった。

千七百円。

寂れるのも無理はないだろう、と思う。

奥にいたマスターを呼び、ゴンカレーを注文する。

ふと思い付いて、食後にと、ケーキも二種類注文した。



思い出はデータでは作れない。

記憶とは単なる記録ではない。

主観が多いに混じり合う。

主観とはいわゆる心、そして魂と呼ばれるもの。

思い出は、本人にしか分からない色で彩られている。



十年前、娘からマキナへの精神転送は失敗した。

そもそも、この子に転送出来る精神があったかどうかも分からないが。



だが、報告によると、マキナはアイスランドに行きたがっていたらしい。

そんなデータを入れていないにも関わらず、だ。

何が原因かは分からない。

だが、何かが娘の望みを抽出した。

そう私は思った。


私はまた間違いを冒しているのかもしれない。


だが、これが今の私の望みだ。


ストローでミルクセーキを一口飲む。


こうやって、一つずつ、娘の好みを把握していこう。

望んだ反応があるかは分からないが、一つずつ、娘との思い出を作ろう。



運ばれてきたカレーをすくい、そっと娘の鼻に近付けると、娘が微笑んだ気がした。


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