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第二部 神の報復

最終段階となりましたので、二話続けて投稿します。

この回は、残酷な描写が入ります。苦手な方はご遠慮ください。

 政変から一夜が明けると、第一王子リクイーンは引き連れてきた兵士らを政務殿の大広間に集め、陽王ひおう陽世継ひよつぎ空位の混乱を鎮めるために、自らが王となって即位する事を皆の前で宣言した。


 王城にいた筈の三千を超す人々の行方は依然として不明だったが、空となった王城には月太后や王子たちの妾妃、親族らが改めて入城し、新たな使用人も多く移り住んで、傍目には以前と変わらぬ華やいだ活気が戻ってきた。



 リクイーンが王としてまず行ったのは、陽世継ぎであるユーディスを殺害したとして、王子の守陽、イーデン・トロワイヤを第一級の罪に問い、莫大な懸賞金をかけて行方を追う事だった。


 洗礼の当日の夜、四王子が兵を率いて王城を取り囲んでいた事実を知る人々は、当然その王命に疑念を覚えたが、陽世継ぎの忠実な臣下たちが忽然と消え失せ、リクイーン王やその王弟らの持つ派閥が政権中枢部で睨みを利かせるようになった今、表立って逆らう事もできない。


 人々は不安そうに互いを見やり、残された陽王の血脈に新たな祝福が与えられるのを、ひたすら待つより他はなかった。



 ただ、王や王弟たちがいくら事を取り繕おうしても、綻びは至る所から見え始めていた。


 あの日以来、地下祭殿は死を思わせる闇に満ち、奇跡を呼ぶ神の焔は二度と祭殿を訪れる事はなかった。

 多くの神官が闊歩し、朝に夕に神事を行っていた頃のかつての賑わいがまるで嘘のように、闇に沈んだ祭殿へと続く門もまた、固く閉じられたままだ。



 そして、王族に次ぐ崇敬を集めていた夢視衆ゆめみしゅうは、人知れず地下牢へと収監されていた。


 あの後、眠りから覚めた夢視衆は、陽世継ぎを死へと追い込んだ兄王子らを厳しく糾弾した。

 そして神からあずかった恐ろしい未来夢さきむを、すなわちこののちムーアが進みゆく凋落ちょうらくと滅亡への道筋を、あやまたずに簒奪者たちに奏上したのである。

 

 兄王子らは戦慄した。


 そのような未来は断じて認められぬと、彼らは夢視たちを地下に拘束し、予言を翻すよう執拗に責め立てた。

 度重なる暴虐の中で、夢視衆は一人、また一人と命を散らしていき、今は僅か二人の夢視が辛うじて命を繋いでいる状態だ。


 どれほどの苦悶が身を訪れても、彼らは決して言を翻す事はなかった。

 真実を紡ぎ続けて神を畏れぬ者どもに殺されると、いと高き神はのたまわれた。ならばこの惨苦さんくの先にこそ、祝福されし未来がある…。





 神の恩寵が自分たちから失われたと民が気付き始めるのに、さしたる時間はかからなかった。

 翌年の新た月、ムーアの民に若さと命を繋ぐ焔の降寿こうじゅは、ついにムーアを訪れなかったのだ。

 

 不測の事態に人々は色を失い、何度も祈るように天を仰いだが、神を直召喚ちょくしょうかんできるの血筋が未だムーアに現れぬというのであれば、どう対処の仕様もない。

 

 なすすべもないまま虚しく時が降り積もり、やがて民らは身の毛もよだつような恐怖に襲われていく事となる。



 始まりは女たちの妊娠だった。

 各年寿に一度しか身籠る事のなかった女たちが、気付けば次のやや子を身ごもるようになったのだ。


 有寿らの戸惑いをよそに次々と誕生する新しい命。

 やがて忍びやかな病が民の間に浸透するようになり、その事実をようやく認識できるようになった頃、人々は鏡の中の自分に小さな皺を見出した。


 日々、身体に刻まれていく体の老い。


 この事実にムーアの人々は震撼した。



 王城にいた七人の夢視衆はすでに死に絶えていたが、ムーアの各地に夢視たちは散在していた。

 王位の簒奪者たちに命を狙われている事を知った夢視たちは地下に潜り、神の言葉をひたすら伝え続けていたが、その言葉がようやく現実となって人々の耳に届き始めた。


 信じたくないと頑なに耳を閉ざしていた民たちも、こうなった以上、うつつから目を背けている訳にはいかなくなる。


 民の嘆きと動揺はそのまま国の中枢を揺るがす事態となり、人心は乱れ、瞬く間に国の秩序は崩壊し始めた。



 皮切りとなったのは、暫定的な王の座についていたリクイーンの誅殺ちゅうさつだった。

 王の欲に踊らされて未来を失ったと思い知った護衛騎士が、玉座に座していた王に向かって突如、剣を振りかざし、襲い掛かったのだ。


 手傷を負ったリクイーンは悲鳴を上げながら逃げ惑ったが、周囲にいた家臣は誰も助けようとしなかった。

 声にできぬ怨みを、皆、溜めていたからだ。



 燦々と午後の陽が差し込む政務殿で、リクイーンは腹と言わず、顔と言わず、生きながら体中を剣で刺し貫かれた。

 万座の中で失禁し、血だらけとなったリクイーンは切れ切れに助けを求めて這いずり回り、磨き立てられた床は見る間に赤く染まっていった。

 

 家臣らが無表情に見つめる中、助けを求めるリクイーンの悲鳴は次第に意味をなさないものとなり、やがて獣のような唸り声すらいつしか途絶えて、人型を留めぬほどの肉塊だけが、荒い息を繰り返す護衛騎士と共に残された。


 王を手に掛けた騎士はその後取り押さえられ、王家はすぐに王弟であるヨーザを次の王として迎え入れるが、その頃にはすでに人心は王家から遠く離れ、ヨーザはこの後、恐怖政治で国を支配していく事となる。



 民の不穏を煽る者として、まず槍玉やりだまに挙げられたのが、各地に潜伏する夢視ゆめみたちだった。


 夢視狩りと称されたこの時期、無冠の夢視たちは王に居場所を突き止められて次々と捕らえられた。

 彼らは紡いだ夢を撤回するよう権力者らに迫られたが、頑なにそれを拒み続け、陽世継ぎに殉じるように命を散らしていった。


 

 そしてこの頃より、ついの谷を覆っていた死の霧が次第にその範囲を広げていった。

 谷の西側にあったピロー山がまず霧に呑まれ、ピロー山を背にして立つ神殿にも白い触手が容赦なく伸びていった。


 このままいけば、一年経つか経たないかの内に王城はすべて霧に呑まれることになる。

 ヨーザ王は、ムーアの最南に当たるヴァレスの街に遷都を決めた。

 数世代前の王が譲位した時に作った城郭都市がそのまま残されていたからだ。


 慌ただしく移転の準備が行われ、遷都発表から僅か二か月後に王族らはヴァレスへと出立した。

 数千の兵士に前後を守られて、王家の権威を示すように大きく旗を靡かせ、きらびやかな隊列が大通りを南へと進んで行ったが、歓呼に手を振る民は誰もいなかった。


 逃げた王族の後を追うように商人や工人らも王都を慌ただしく去って行き、それと並行するように国の荒廃もまた、目に見える速さで進んでいった。


 すでにムーアの大地には旱魃かんばつと洪水が交互に訪れるようになっている。


 収穫量は年々減りつつあったが、取り立てられる年貢はほとんど以前のままだ。

 食い詰めた農夫らの中には土地を捨てて夜逃げする者も出始めて、王がいくら刑罰を重くしようとその流れが変わる事はなかった。


 地を追われた者は夜盗に転じ、治安もまた急速に悪化していく。

 市場からはだんだんと物が失われ、物乞いたちの間に流行はやり病が広がり始めるや、みるみる病が市中に蔓延まんえんして、栄養状態の悪い者や幼い子どもたちがまずその犠牲となった。

  


 神の祝福がムーアから失われておよそ十五年。

 民の憤懣、慷慨こうがいは極限まで達しようとしていた。


 …始まりは、ザハドという小さな町だった。


 何がきっかけだったのかは定かではない。

 その二日ほど前、一人息子を病で亡くした夫婦が首を吊って死んでいたから、もしかするとその死を嘆く声が怨嗟えんさに繋がっていったのかもしれない。

 

 ある日、ザハドの民たちは鎌やこん棒を手に町境へと集結し、王族の皆殺しを叫んでヴァレスへと行進し始めた。


 叛徒は見る間に膨れ上がった。


 王が報せを受けた頃には、すでに数千を超える大群衆が城郭のすぐ間近に迫っており、兵を配置する間もあらばこそ、群衆はそのまま警備兵を数で蹴散らせて、正門を押し破って城内へとなだれ込んだ。


 王と王弟ゼノウは間一髪、抜け道を使って城外に脱したが、逃げ遅れた第五王子のムーゾクと第二王女サナ、アクヴァル王の月妃らが次々と叛徒らに摑まった。



 彼らは兵が集結できる大きな広場に王族らを引きずって行き、身に纏っていた豪奢な衣を剥ぎ取って、地に穿うがたれた柱にはりつけとした。


 下着姿とされ、身動きのとれぬ王族らに、叛徒は口々に罵声を浴びせかけた。


 お前たちのせいで、ムーアは祝福を失った。

 神の怒りは、欲深いお前たちだけに降りかかるべきだ、と。




 王族らに唾を吐きかけ、口々に罵る叛徒らは、同じ口で亡き陽世継ぎとその守陽を景仰けいぎょうした。



 ヴァレスの城の中で幾重にも守られ、未だ王族としての矜持きょうじに浸っていた王族らは、事ここに至ってようやく己の立ち位置を理解した。


 かつて自分たちが余るほど手にしていた民からの傾慕けいぼはすでになく、向けられるのはただ、恨みに満ちた憤激と臓腑を喰らうような憎悪のみなのだ、と。



 と、一人の女が罵りながらムーゾクに石礫を投げつけた。

 私の子を返せ…!と。


 噴き出した憎しみと恨みは瞬く間に叛徒はんと全体へ広がって、彼らは争うように落ちていた石を掴み上げ、王族らに石をぶつけ始めた。


 自分たちの未来も、子や孫の未来も、若さも健康も穏やかな暮らしもすべて失った。

 すべては、この王族たちのせいだった。


 まともな未来はもう残されていない。ムーアに残れば神の怒りに触れ、ムーアから逃れても、その先で貧困に苦しめられ、迫害されるのだ。



 石礫がつぎつぎと王族らの顔や頭、腹や四肢に当たり、柔らかな皮膚は裂けて血が飛沫き、顔は見る間に腫れ上がった。

 柱に括りつけられた王族らは血だらけとなって咆哮ほうこうした。


 泣き叫んで謝っても民の許しが与えられる事はなく、更に憎しみの礫をぶつけられる。


 

 …数刻後、勢いを盛り返した国王軍が兵を引き連れて王城に戻ってきた時、そこには顔や体の見分けもつかぬほど崩れた数体の遺体が柱に括りつけられたまま放置されていた。

  

 王城を埋め尽くしていた叛徒らは、城にあった食料や物を奪い取って逃げ出した後で、すでに影も形もない。



 ヨーザは追撃をよしとはしなかった。

 今、これ以上民を煽るのはかえって危険だと判じたからだ。


 はりつけとなっていた遺体は葬儀すら行われずに墓地へと埋められ、やがて何事もなかったかのように日常が再開された。


 

 …これがムーアにおける、最初で最後の暴動となった。


 民の不信と恐慌はこの惨禍をって頂点に達し、彼らはついにムーアの地を見限り、異邦の地へ救いを見出そうと遁走し始めたからだ。



 異邦とはほとんど交流を持たないムーアの民であったが、ムーアの南西に位置するバーグの街の商人だけは、いにしえよりつ国との交易が認められていた。


 神に祈願し、数年に一度通る事が許されるその交易路は、カルライ連山を超えてアクラヴァーという国へと続いている。


 民たちはその道を通って国外に逃れ出ようと考えた。



 裕福な商人や貴族らは多くの財を馬車に積み、新しい土地に希望を求めて越山を試みたが、それは到底、神の意に沿うものではなかった。


 山の中腹にさしかかろうかという頃、道は突然、足元さえ見えぬほどの深い霧に覆われて、歩く事さえ覚束おぼつかなくなる。


 手探りで馬車を進ませるうち、馬車もろとも谷底に転落し、せめて残された者たちだけで何とか山を越えようと歩を進めるも、いつの間にか道を大きく外れ、山中に迷い込んでいた。


 視界は塞がり、心細さに連れの名を呼ぶが返事はなく、気付けば一人はぐれて山中に一人きりになっている。

 そうなれば後はもう、方向もわからぬまま前へ前へと進むしかなかった。

 

 飢えと渇きに倒れる者、怪我を負ってそのまま動けなくなる者、足を踏み外して崖下に転落する者…。


 彼らは険しい崖や峡谷の前に僅かに身に持していた僅かな荷さえ諦めなければならず、そうしてある者は身一つでようやく外の国へたどり着き、ある者は越山できずに命からがらムーアへと逃げ帰った。





 予言の成就は刻一刻と近付きつつあった。


 死の霧は王都を中心に日一日と広がっており、すでに国の北半分は白い霧の中に埋没し、今なお浸潤を続けていた。


 ムーアに残る人々は、何度か脱出を試みて叶わずに舞い戻った者がほとんどで、行く手を阻むカルライの山々を、ただ恨めし気に遠く見仰ぐより他はない。


 まだ辛うじて国のていをなしているが、実る作物も僅かで、その僅かな収穫すら権力者に搾取されていた。


  

 彼らがまだ、形ばかりでもヨーザ王に従っているのは、逆らうだけの気力がないほどに疲弊しているせいだ。

 なけなしの作物を年貢として持っていかれ、働き手となる男衆を夫役ぶやくに取られても、権力に逆らえば三族皆殺しにされる。


 死に物狂いで王を倒したとしてもその先に未来がない事を知る民らは、ただ惰性のように王に従い、生の営みを続けるしかなかった。


 そして諦念に満ちたその生活すらも、いずれ近いうちに終焉を迎えるだろう。




 枯れた大地は不吉な地鳴りを響かせ始め、耐え難い熱波と暴雨とが間断なく大地を襲うようになっていた。


 陽世継ぎが死んで三十余年、かつてあれほど華やいだムーアに栄華の影はかけらもなく、退廃と冥い絶望だけが虚しく時を彩った。





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