第二部 滅びの予言
陽世継ぎの召喚を受けて、王城内にいた七人の夢視衆が地下祭殿の陽王の居室に呼び集められた。
洗礼直後の異例の召喚を、おそらく彼らは予期していたのだろう。
会した夢視たちのいずれにも惑いの色はなく、凄惨な未来を覗いてしまった者だけが垣間見せる耐え難い恐怖を眼差しに浮かべ、陽世継ぎの御前に膝をついた。
張り詰めた緊迫が場を覆っている。
陽世継ぎの視線を受けて、まずセザという古参の夢視が最初の口火を切った。
「つい先ほど、我らはこのムーアが滅びゆく姿を視ました。
それは世にも恐ろしい光景でした。
民は痩せこけ、あろう事か、醜く老いさらばえて、僅かばかりの食料を取り合って殺し合いをしておりました。
秩序はなく、ただ強い者が弱い者を虐げるだけの無残な世界です。
そこまでして生き延びようとしていた者たちも、やがて天からは炎が降り注ぎ、地は割れて逃げ惑う人々を呑み込んで、ついにはすべての人間がムーアから死に絶えました。
我らは貴方が憑夢から覚め次第、この事を奏上するつもりでおりました。
だがすでに、終焉の歯車は動き始めました。
欲の亡者らがムーアの惨劇を紡ぎ始め、もはや我らにそれを止める手立てはない…」
「だが、希望はあります」
苦し気に言葉を切ったセザに続き、口を開いたのは四寿のミロウだった。
「私はムーアの大地が、再び緑と光に包まれる光景を視ました。
凄惨な神の怒りはいつの日にか解かれ、我らは再びこの地に戻る事を許されるのです」
隣にいたナヨクという夢視が、大きく頷いて続きを引き取った。
「我らはこの地にとどまり、明かされたこの未来夢を伝え続け、神を畏れぬ者どもに殺されるでしょう。
我らだけではなく、この地に生を受けたすべての夢視たちが、我らと同じ運命を辿る事となる」
「そしてこの先、祝福を失ったムーアに夢視は現れない」
不意に声が重なった。
「民よ…!
まやかしの死を恐れるな。
人よりも神を、刹那の快楽よりも永久の祝福を信じる者だけが後の世の恩寵に与れる。
王城に留まる者よ…。
汝らは幸いなり。
神の裁きが下される今この瞬間、汝らは睡夢を漂う事を許された。
神の選んだ陽世継ぎは汝らを聖なる焔で灼き、祭殿を彩る紋様の一つと為すであろう。
そしていつの日にか、汝らは蘇る」
夢視たちの声は妖しく共鳴し、不可思議な高揚に満ち満ちた。
手繰り寄せた運命を違えずに伝えようとする醇乎たる意思は、自らの死を予見して尚、恐怖にくじける事はない。
彼らは滅びゆくムーアの先に確かな恩寵を感じ取り、祝された未来だけをひたすらに信じた。
そうした凄烈な魂の唱和は、今やムーア全土に在する夢視たちをも巻き込んで、更なる共鳴を引き起こしていく。
王都から遠く離れたキサーロでも、ムーロス卿の娘ヴェーナが共鳴に引きずられて未来夢を解き始めた。
「愚かなる者よ。汝が背きし神の怒りを知れ。
今宵、陽世継ぎは汝らの手によって果て、流される血と共にあらゆる祝福もムーアから失われる。
もはや大地の何処にも神の慈しみはなく、地を這う蛆にふさわしい、老いと病を与えよう。
天候は荒れ、地はひでり、時に豪雨をもたらせて、終わらぬ飢えが民を襲う事だろう。
やがて終焉は唐突に汝らを訪れる。
神の業火が地を覆い、大地はひび割れて、あらゆるものを呑み尽くす」
ヴェーナの周りには、異変を知った人々がざわざわと集まり始めていた。
そしてそれは、ムーアに三十人近く在すると言われる、他の夢視たちについても同様だった。
「神を畏れる者はムーアより出でて、異邦の地アクラヴァーに苦難の礎を築け。
迫害と貧困に喘ぎ、異端の民と貶められて尚、従容と次代に陽世継ぎの復活を語り継げ。
十年寿の時を経て陽世継ぎは蘇る。
艱難辛苦に耐えた流浪の民を、贖われしムーアの地に導くために。
守陽よ…!
陽世継ぎをその手で殺し、無念の血を肌に浴びよ。
肌を染める神血によって、汝はこの後、時の風化を免れる。
痛嘆と渇仰の長き日々の果てに、汝はいつの日か陽世継ぎと再会する。
その時こそ、遥かなる忘却の眠りから陽世継ぎを覚醒せしめよ。
民よ…!呪われしムーアの民よ!
今まさに時は満ち、滅びは成就へと向かい始めた。
嘆き、惑い、のたうつ苦悶の生を終えよ。
それこそが神の願い、神の意志。
あらゆる希望、一切が救いは、今ここに断ち切られた」
夢を紡いでいた夢視たちの体が不意にぐらりと揺らめいた。
次の瞬間、憑依を終えた体は次々と力を失い、その場に頽れていく。
王子は茫然とその場に立ち尽くし、血が滲むほどに唇をきつく噛みしめていた。
ムーアに紡がれた凄惨な未来、そしてそれを指し示す神の瞋恚に、立っているのがやっとだった。
何という過酷な裁断を、神は民の未来に下されたのだろう。
一切の救いを奪い取り、ただ苦悶する生だけを遍く地に残された。
そして王子はようやく、一人、時の輪から切り離されていくイーデンの孤独と絶望を知った。
胸を抉る渇仰と痛嘆の叫びを、憑夢が見せたひとひらの真実の中に、自分は確かに見たのではなかったか。
岩に拳を叩きつけ、髪を乱して号泣し、それでもなお癒されずに嘆き狂う魂の咆哮を。
王子は皮膚に爪が食い込むほどに強くこぶしを握り締めた。
すべてを擲って、自分を支え守ってくれたイーデンに、自分はこの先更なる業を背負わせて苦しめていく事となる…。
「我が君」
その当人に後ろから呼びかけられて、王子はぎくりと体を強張らせた。
城内に命を伝えていたイーデンが戻ってきたのだ。
「これは……!」
イーデンは床に倒れ伏す夢視たちに気付き、形相を変えて駆け寄ってきた。
「一体何が起こったのですか」
「…神託が下った」
王子は緩く顔を伏せ、イーデンと顔を合わせる事を無意識に避けた。
贖いのために神が望むのは、異国に彷徨う民の辛酸と、陽筋を守る守陽の痛哭だ。
一筋の希望を先の世のムーアに繋ぐために、自分はこの夢を成就させなくてはならない。
それが、どれほどイーデンを苦しめ、傷つける事であったとしても。
場に立ち尽くしたままの王子に不審そうに眉宇を寄せたものの、こうしていては埒が明かないと思ったのだろう。
イーデンはすぐさま従僕を呼んで、夢視たちの介抱に当たらせた。
「皆はもう城から出たのか?」
せわしなく行き来する従僕の一人に王子がそう問いかけたのに、格別の意味はなかった。
強いて言えば、心を定める時間を少しでも引き伸ばしたかった。
それが唯一の道だと分かっていても、掴み取る運命は余りに重くつらい。
だがそれに対する従僕の答えは、王子の予想をはるかに超えるものだった。
「城を出たのは五十人かそこらです。
謀反を起こした王子の妾妃らとサナ王女、その親族や近しい仕え人がほとんどでした」
「五十人かそこら…?
だが、城内には三千人を超える者たちがいたのではなかったか…」
訝しげに瞳を眇めた王子に、問われた従僕は誇らしげに奏上した。
「たとえ命は助かっても、欲にとり憑かれた者どもに従って何になりましょう。
彼らは神の御心に背きました。
陽を継ぐ血脈は、今やはっきりと汚されたのです。
我らはもはや、あの者たちを王族とは認めない。
我らが唯一のお方と仰いで膝を折るのは、いと高き陽世継ぎの君、貴方さまだけです」
揺るぎない信仰と崇敬に満ちた言葉に、王子は胸を熱くする。
それこそが神の望まれたムーアの永久、百八十年先に約された嘉せられし民の姿に他ならなかったからだ。
…そしてこの信仰ゆえに、彼らは罪を免れる。
王子は瞑目して静かに彼らを祝福し、イーデンに向き直った。
「城内に残る全ての者を地下祭殿へ。
いずれ私もそこに向かおう」




