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第二部 終焉の足音

 滅びを告げる凄烈せいれつな夢が、今、静かにムーアの地に降り積もろうとしていた。


 黒々と星一つない闇空の下を、数千の松明がうねるように行進している。

 禍々しい謀反の炎に照らされるのは、それぞれの王族の宮名を表わす豪奢な旗だ。


 第一王子のリクイーン、第二王子のヨーザ、第四王子のゼノウ、第五王子のムーゾク。

 まるで正義は我にありと言わんばかりに、その旗印は悠々と夜風になびき、威信を見せつけるように高々と振り上げられる。



   止めろ…!


 その行進を止めようと、自分は虚しく夢に向かって手を伸ばす。


   愚かなる者よ。神の怒りが見えぬのか!


 火のついた髪を掻きむしり、地を転げまわって咆哮ほうこうする男の顔が闇に溶ける。

 ある者は喚きながら地に呑み込まれ、壊れた瓦礫がれきの下からは、苦悶に固まる血塗れの手が枯れ枝のようににょきりと突き出ていた。


 神の報復は熾烈しれつを極め、やがてムーア全土を焦土へと化していくだろう。


 …この隊列がムーアを弔う葬列に他ならない事を、彼らはまだ気づいていなかった。







 その異変にいち早く気付いたのは、砦の見張りに立っていた二寿の若い兵士だった。


「謀反です!

 幾千もの兵士が王城の周囲を取り囲もうとしております!」


 洗礼を終えた陽世継ひよつぎをようやく安らがせ、寝所に従っていたイーデンは、火急の知らせに取るものも取りあえず砦の階段を駆け上がった。


 遠く眼下を見渡せば、確かに無数の松明が王城を目刺してゆっくりと集結しつつある。


「愚かな事を…!」

 石の手すりを爪が食い込むほどに握り締め、イーデンは呻くようにそう呟いた。

「神の選ばれた陽世継ぎを手に掛ける気か!」


 洗礼への出席を拒絶した兄王子らが、それぞれ、生母の実家が所有する領地に向かった事は報告で聞いていた。


 不穏な動きは気になったが、所詮は神の祝福を持たぬ身だ。

 民を扇動したところで大した動きにはなるまいと自分たちは軽く考えていたのだ。

 

 地下祭殿の焔をつかさどる陽世継ぎは、ムーアにとって神にも等しき存在だ。

 その陽世継ぎに正面切って仇なす者が現れようなどと、どうして信じられようか。



 いつの間にか傍らに侍していたムーロが、口惜しげに闇を見据えて口を開いた。


「かつての王が不幸な事件で命を落とされた時、そのご兄弟に御力が発現したという例が一度だけございました。

 兄君たちはそれを狙っておられるのでしょう」


 イーデンは血の気の引いた顔で小さく頷いた。


 確かアクヴァル王の数世代前に、王座を継いだばかりの若い王が、乱心した家臣に刺し殺されるという痛ましい事件が起きていた。

 その時王には、まだ姫君しか生まれておらず、血の途絶えにムーアは震撼したが、その二年後、その異母兄が御力を現わし、王家の血脈は無事、現在いまへと受け継がれたのだ。


「だがカッディカは、陽の王を手にかけて力づくで王位を手にした訳ではない」

 イーデンの言葉に、ムーロは重々しく頷いた。


「その通りです。

 神が定めた陽世継ぎを、己の欲で手に掛けるなど、神がお許しになる筈がない。

 血塗られた手で無理やり王冠を奪ったとて、どうして神の祝福が与えられましょうや」


 イーデンは唇を噛み、闇にうごめく不気味な明かりを苛烈な眼差しで睨み据えた。


「城内には今、どのくらい兵士がいる」


「一千人程度ではないかと」

 ムーロは苦渋に満ちた声でそう答えた。


「兵士だけでは到底足りません。城内に在する男をすべて、兵として動員させましょう。

 何があろうとも、我々は最後まで陽世継ぎをお守りせねばなりませぬ。

 ただ……」


 ムーロは無念そうに言葉を切った。


「これだけはお心にお留めおき下さい。

 この王城のつくりでは、一刻保つのが精一杯です」


 ムーロの言いたい事は理解できた。

 元々、戦を想定して作られた城ではないのだ。

 陽の血筋に大掛かりな謀反を抱く者が現れようなどと、一体誰に想像できただろう。


「ムーロ。我らに一体どんな手がある。

 今、王子を地下祭殿から連れ出す訳にはいかないんだ」


 数百人の民に洗礼を施し、命の気を使い果たした王子にとって、地下祭殿に燃え盛る焔は命を紡ぐ源だ。

 地下祭殿から離れれば、王子の命は尽きてしまう。


 それを知ればこそ、兄王子たちは今日のこの日に行動を起こしたのだろうが。


「速やかに王子にお報せを…」

 ムーロは感情を抑えてそう進言する。

「このまま隠し通す事は、もはや不可能です」


 イーデンはぞっとしたように面を上げた。

 受け入れ難い言葉に、端正の面が恐怖に歪む。


 簒奪者への憤怒ふんど、耐え難い自責、苦渋、そして絶望……。

 様々な思いが一瞬の眼差しに錯綜し、やがてイーデンは己の無力さを噛みしめるように瞳を伏せた。


「わかった…。王子にお伝えしよう」





 

 イーデンが寝所に戻ると、王子はまだ昏々と眠り続けていた。

 寝台の傍らでその眠りを静かに見守っていた侍従らが、イーデンの姿にほっとしたように顔を上げる。


「…ここはもういい。下がっていてくれ」

 


 二人の侍従を遠ざけると、イーデンは傍らに腰かけて、しばらく何も言わずにその安らかな寝顔を見つめていた。

 

 不穏な芽が出始めている事を、自分やムーロはとうに気付いていた。

 なのに、神に等しい陽世継ぎに手をかけるような者はいまいと、どこかで高をくくっていた。


 そうした慢心の結果がこれだ。悔やんでも悔やみきれるものではなかった。


「我が君…」

 イーデンは王子の右手を取り、拝跪はいきするようにその甲に口づけた。

「お許し下さい。貴方を守るとお誓いしたのに」


 慙愧ざんきの念にイーデンは嗚咽する。己のふがいなさが凍えるほどに口惜しかった。

 無念の涙が頬を流れて顎に落ち、王子の右手を濡らしていった。


 と、握り締めていた王子の指が、その時微かに動いた気がした。


「イーデン…」

 不意に声を掛けられ、イーデンは驚愕して貌を上げた。


 声の方に目をやると、王子はうっすらと瞳を開け、今まさに覚醒しようとしているところだった。


「闇の中を、幾千もの松明が行進している。

 欲に満ちた悪意が私を塗り込めて、心まで凍り付きそうだ。


 あれは未来夢さきむか…?

 それとも憑夢ひょうむが紡いだ只の狂気か…?」


「我が君…」

 イーデンは答えを口にする事を恐れるように一瞬言い淀んだ。


「謀反が起こりました。

 この城壁の周りを、今何千もの兵士が取り囲んでおります」


「謀反…?

 だがなぜ今頃になって…?」


 信じがたい面持ちでゆっくりと身を起こした王子は、次の瞬間、全てを悟って瞠目した。


「ああ…」

 悲痛が滲むあえかな声が、虚ろな闇に落ちていく。


 洗礼の焔を扱った直後では、自分は地下祭殿の外へは逃げられない。

 そうやって退路を断った上で、兄たちは自分を殺そうと言うのだろう。


「城内の兵士はすべて城門近くに待機させました。

 最後の一兵となろうとも、我々は貴方を守るために戦い抜きます」


 決意を込めてイーデンがそう奏上するのへ、

「…何のために?」

 王子はまるで笑んでいるような口調で尋ねかけた。


「無益な戦だ。私の死は免れまい」

「何をおっしゃいます!

 そのように弱気な事をおっしゃられては…」


「イーデン、もういいんだ…。

 すべては夢が指し示す方向に向かって動いている。

 それに逆らう事はできない」

 

 王子の声音は静謐せいひつな諦念に満ちていた。


「夢…?」

 イーデンは弾かれたように顔を上げた。

「夢とは何の事です?

 貴方はまさか、この事を未来視さきみされていたとでもおっしゃるつもりか…!」


 王子は何も答えなかった。

 ただ、覚悟を秘めた眼差しを薄闇の向こうに据え、更にその先に続く未来を見定めようとしていた。


「兄上に使者を立ててくれ。 

 一刻の猶予をくれと。その間に私は自分の進退を決める」


「なりません…ッ!」

 イーデンは顔色を変えて王子を止めようとした。


「いいから聞くんだ」

 そんなイーデンを、王子は凛とした声で制した。


「助かりたいと願う者は城から逃してやれ。決して引き留めてはならぬ。

 この日たまたま王城にいたという理由だけで、私と共に滅びる必要などないんだ。

 

 今世こんぜでの享楽より、たゆまぬ神の恩寵を信じる者だけが、私と共に滅びればいい」


 揺るぎない決意に満ちた言葉に、イーデンはもはや王子の心を引き留める術を持たない事を知った。

 今更自分がどう言葉を尽くそうと、その意思を翻す事は出来ないだろう。


 無念に肩を震わせて踵を返したイーデンを、王子が静かに呼び止めた。


「イーデン、この城に詰めているすべての夢視ゆめみを集めてくれ。

 神はムーアを見捨て賜うが、救いは必ず残される筈だ。

 …私はそれが知りたい」


 王子は苦しげに言葉を止め、ふと不可解な柔らかな光をその双眸に見せた。

「何よりお前のために…」


「我が君」

 イーデンは力なく(あるじ)を見つめた。


「貴方を失って後のムーアの行く末など私にはどうでもいい事です。

 だがそれが貴方の望みならば…」


 イーデンは諦めの滲む眼差しで王子を見つめ、哀しげに微笑んだ。

「すぐに夢視を召喚致しましょう」




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