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第二部 父王からの言葉

 アクヴァル七寿十八年のあらた月(一月)、新しい年の幕開けと共にその発表はなされた。


 すなわち、まだ七寿でしかない王が、翌月の欠け月(二月)にはついの谷に下ると、正式に発表されたのである。



 民や廷臣らの衝撃は大きかった。

 ムーアの民にとっての王は神にも等しく、その王が残り一年寿を待たずに隠れられるという事態に民は慟哭し、それに勝る恐慌がムーア全土を覆い尽くした。


 禍事まがごとに怯える民の動揺を鎮めるには、新しい陽世継ひよつぎは余りに若く無力だった。

 権力を集中させようにも母后の生家はすでになく、唯一の後ろ盾であるトロワイヤはまだ一寿の廷臣でしかない。


 平時であれば、高潔で誠実な人柄こそを愛されようが、先行きの見えない未来を焦慮する民らにとって、陽世継ぎの清廉さは、不安を押しとどめる何の抑止力も持たなかった。


 そんな中、一切の権力図から弾き出されていた四人の兄王子らは、父王の早すぎる死を知ってにわかに色めき立ち、ついえた夢をもう一度掴み取ろうと結託し始めていた。


 自分たちが味わう筈だった栄華の蜜は、今なお芳醇ほうじゅんな香りを周囲に漂わせている。

 何故今更、それを諦める必要があるだろうか。





 日々乱れ行くムーアの先行きを憂え、年若い陽世継ぎの周囲はアクヴァル王の側近らが固めるようになっていた。

 アクヴァル王の懐刀ふところがたなと言われたムーロやミアズがそれである。


 彼らは忠節を尽くした王の死を目前に殉死を願い出ていたが、他ならぬ王の勅命を受け、このまま政治の世界に留まり、陽世継ぎを支える意思を明らかにした。



 本来ならば、王子は自分が紡いだ未来夢さきむを彼らに告げ、相談を仰ぐべきであった。

 だが、知らせたら最後、彼らは守陽しゅよう排斥はいせきに動かざるを得なくなるだろう。

 そしてその過程で、この秘密は必ず周囲に漏れていく。

 

 …その行き着く先は、イーデンの自死か処刑の二択だ。

 そのような事を許せる筈がない。


 

 頼りとすべき父王は、望み続けた死を前にすべての興味をムーアから失ってしまった。

 宮の奥深くに閉じこもり、心許した側近の他は誰とも会おうとしない。

 あれほど寵愛した清月妃にさえ、今では何の恋慕も覚えぬらしかった。


 今、清月妃の下には娘のユリアナだけがひっそりと従っている。

 暮枯月くれこづきから王都に滞在していたユリアナは、年が明けて王の死が発表されるや、清月妃の意向を確かめ、王と共に谷に下る事を表明した母のために、今しばらく王都にとどまる事を決めていた。


 そうしてそれぞれの思いを胸に秘め、ただ過ぎ行く季節だけが緩慢に時を刻んでいた。


 終焉の日は、すぐそこまで来ていた。





 煌々(こうこう)としたともしびが闇に浮かぶ白亜の宮をしんしんと照らし出している。


 うるう降谷こうこくを明日に控えて王宮は寂漠たる静けさに包まれ、王子は一人窓辺に腰を掛け、月のない夜空を無心に眺めていた。

 イーデンは最後の別れに清月妃の下を訪ねており、豪奢な室内には今、王子が一人きりだ。


 明日には父王は崩御される。

 それについて、王子はもはや何の感慨も覚えていなかった。

 覚悟はすでについているし、嘆くほどの情も持っていない。


 だが父王の死は、確かに何かの始まりとなるのだ。

 絶対的な統治者を失って、ムーアは自ら破滅の階段を上り始める。


 呪わしい未来夢さきむから逃れようと両手に顔を埋めた時、その使者は唐突に王子の下を訪れた。

 思いもよらぬ、王からの召喚の使者だった。





「私をお呼びとお聞きしました」

 王の前に敬虔に膝を折り、王子は静かに言葉を掛けた。


 王は窓の外の闇をじっと見つめている。

 灯心を絞ったほの暗い燭光が、彫りの深い王の横顔に淡い陰影を落としていた。


「逝く前にお前と話をするのも悪くないと思ってな」


 王の真意が見えずに王子は押し黙った。

 こんな風に二人きりで会った事はなかった。

 ムーランの面影を追うように、気紛れに呼ばれる事はあったとしても。


「私は今まで、お前を我が子と思った事はなかった」

 正直過ぎる王の告白に、王子は柔らかく微笑んだ。

「存じております」


「不思議なものだ。 

 あれを死なせて得た息子が、陽世継ぎの力を受け継ごうとはな」


「…明日にはかの方とお会いできるでしょう。

 日々、気配を濃くする魂を感じます故」


 精霊の加護を纏う陽の王は、ついの谷へ下りても自ら死ぬ事はできない。

 清浄な空気が王の周りを取り囲み、霧にかれる事を阻むからだ。


 そして年寿を終えようとする王を精霊の加護から解き放ち、静謐な死へと導くのは、御力を継いだ陽世継ぎの大切な役目だった。


「長い年月だった。ようやく焦がれ続けた望みが叶う…」

 王は自らの手で追い詰めた守陽の魂を恋うように、小さく独り言ちた。


「王よ。夢はご覧になりませんか?」


 唐突に投げかけられた問いに、王は訝し気に王子を見た。

「夢?未来夢さきむか?」


「はい」


「お前を得てから夢は見ぬ。私が死ぬ夢が最後の夢だった」


 最後の望みを託すように王を見上げていた皇子は、その答えにそっと瞳を伏せた。


「何か未来夢を見たか?」


「いいえ…」

 そして皇子は否定する。明日は逝く王に、要らぬ心配を掛けさせぬために。



「……ユーディス」

 王はそんな王子のかおを黙って見つめていたが、やがて静かに口を開いた。


「どんな夢を紡いだとしても、救いは必ず与えられる。神はそのためにお前を選んだのだから」


 王子はその言葉をじっくりと噛みしめ、畏敬を込めて王に問いかけた。

「王よ。未来夢は必然ではなく、起こりうる未来の一つと捉える事は可能でしょうか。

 夢をかえりみて行いを改めれば、あるいは…」


「紡がれた夢を回避する事は可能かと?」


「…はい」


「紡がれた未来などいくらでも変わり得る。

 尤も元凶をなす者が奢りを捨て去らねば、見るべきものも見えぬのだろうが」


 王はそして言葉を切ると、過去を揺蕩たゆたう眼差しを玉響たまゆらの闇に据えた。


「ユーディス。

 私は神にも等しい人間と崇められてここまで来たが、所詮は地を這う人間だった。

 ただ神に選ばれて祝福を与えられたという…。


 それに気付くまで、どれほど長い時を無駄にしてきただろう。

 最も大切なものをこの手から失うまで、望んで叶わぬものは何一つないと、傲慢にも私は信じ込んでいた。


 神の祝福は、自らを優れた者と決めつける血筋の確かさにあるのではなく、身を律して神にへりくだる、謙虚な心の内にこそ存在するのだと私は思う。


 王家の血筋を神格化するあまり、誰もがこの簡単なことわりを忘れてしまった」


 王は慈愛と哀しみを込めた眼差しで王子を見つめ、厳かに言葉を継いだ。


「ユーディス。お前は神が私に与え賜うた最後の果報だった。

 いかなる未来夢が紡がれようと恐れるな。

 神の加護はたゆまずお前と共に在る」


 王子は真摯に王を仰ぎ、言葉を押し頂くように拝礼した。

 運命さだめに懊悩する皇子にとって、何よりの手向たむけの言葉だった。


 王は寂漠たる闇を見つめ、時の彼方あなたに記された未来を思って微笑んだ。

 語るべき言葉はすべて語り終えた。

 もはや何の憂いも王は持たなかった。


「行くがいい。そして心せよ」

 去りゆく陽世継ぎに王は静かに声をかけた。

「お前こそが唯一、ムーアの世継ぎに相応ふさわしい」





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