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第二部 紡がれる未来夢

 翌々日、王子の願いは速やかに王に奏上され、その場で内諾が与えられた。

 王の意を受けたキサーロの領主に何の異存もあろう筈がなく、翌、土帰月つちきづき(十一月)、王子は多くの廷臣、従者らを従え、キサーロに旅立つ運びとなる。


 国を挙げての華やかな祝祭ムードの中、初めて地方に下る新しい陽世継ひよつぎの姿を一目見んと、沿道には多くの群衆が待ち受けた。


 道端の家々には祝祭の花が飾られ、華やかな隊列の中、飾りを付けた六頭立ての馬車で進む陽世継ぎの王子に、惜しみない歓呼と歓声が降り注がれる。


 それは、ムーアが希望と幸福を信じた、最後の輝かしいひと時であったのかもしれない。


 封じ込まれた禁断の未来夢さきむ…。

 滅びへと駆け下りる不吉な禍夢まがゆめが、結界を破って再びキサーロの地で紡がれようとしていた。





 青年の腕の中で、王子の体が二度、三度、小刻みに痙攣した。

 柄まで背に食い込んだ守陽しゅようの焔剣が、腕に抱く王子の命を確実に奪い取っていく。


 青年はずっしりと重みを増していく王子の体を一途に抱きしめながら、呆けたように何もない虚空を見つめていた。


 どこか遠くで、扉が壊される音がする。

 踏みこんでくる荒々しい靴音と、血に飢えた獣じみた喚声も。


 青年は王子の体から剣を引き抜いた。

 血塗られた焔剣が、音を立てて黒曜石の床を滑っていく。


「我が君……」


 苦痛に歪んでいるかと思われた王子の面は、在りし日と同じように穏やかに澄み、微かな笑みすら浮かんでいた。


 青年は涙を浮かべたまま、死んだ王子の髪を梳き、その頬を撫でた。

 笑みをたたえた唇に触れ、そうして何度も何度も頬の輪郭を辿り……。






 陶磁の割れる耳障りな音が、広い宴の間に響いた。

 陽世継ぎに酒杯を運んでいた領主の幼い娘の手から、銀の盆が滑り落ちたのだ。


「ヴェーナ…?どうしたのです!」


 やや離れたところに座していた母親のユリアナが不安そうに声をかける。

 少女は飛び散った液体や割れた破片には目もくれず、まるで夢の中を漂っているような虚ろな眼差しで、目の前の陽世継ぎをじっと見つめていた。


 それはすでに常人の目ではなかった。

 無垢でありながら奇妙に老成した眼差しは、この少女が来るべき未来を紡ぎ始めた事を一座の者に予感させた。


「ヴェーナ…!」


 紡ぎ始めた夢を断ち切ろうとするように、王子が鋭い声を割り込ませる。

 触発された力は刹那の映像となって少女の脳裏から立ち消え、夢から覚めたヴェーナはがくがくと体を震わせながら畏怖の主を仰ぎ見た。


「あ……」


 見たままの光景を告げようと口を開くヴェーナに、貴座の中の王子が身を竦ませた。

 未来を開く事の恐ろしさと残酷さを、幼いヴェーナはまだ微塵も知りはしなかった。


「……あ、貴方が殺される夢を見ました」

 胸の前で両手をしっかりと握り合わせ、覚束おぼつかない口調でヴェーナは奏上した。

「剣で背を刺し貫かれてお亡くなりになるのです」


 華やかにざわめいていた広間が、その瞬間、水を打ったようにしんと静まり返った。 


 ムーアの陽世継ひよつぎを館に迎えての晴れがましい晩餐の席。

 幼い唇が不用意に紡いだ不吉な夢に人々は色を失い、ぞっとした面持ちで領主の娘を凝視した。


 静まりかえった広間の床にかたりと小さな音を響かせたのは、楽師が思わず取り落とした三弦琵琶の弾き爪か。


 と、張り詰めた静寂を打ち破って、貴座の脇にいた一人の貴子が立ち上がった。


 すらりとした長身の守陽は、禍夢を紡がれた王子を守ろうとするように、ヴェーナの前に立ちはだかる。


「立場を弁えろ!

 降寿こうじゅも浴びぬ不完全な未来視さきみでムーアの陽世継ぎを侮辱する気か!」



 怒声の凄まじさに、並み居る有寿ですら身を竦ませた。

 だが、怒りを放たれた当の少女はどこかあやふやな眼差しを守陽に返すだけで、その怒りに気を留めた様子もない。

 堪りかねたユリアナが少女の下に走り寄り、娘を庇うように弟の前に膝を折った。


「どうぞ、お許しくださいませ。まだ右の左もわからぬ無寿の申す事です」



 娘を庇うユリアナの声音には微かな怯えがあった。

 夢視ゆめみはあらゆる禍夢を解く許しを得ているが、如何いかんせん、紡がれた夢は余りに重く不吉だった。

 王家への不敬を問われれば、いくら無寿でも罪を免れ得ないだろう。


 だがそんな母の必死のとりなしにも気づかぬのか、ヴェーナは夢見る瞳を更に大きくして、自分を睨み据える守陽をぞっとしたように仰ぎ見た。


「貴方だわ…」

 しんと静まり返った室内に、恐怖を宿す少女の声が殊の外大きく響いた。


「貴方がその剣でこの方を刺し殺すの。

 貴方が陽世継ぎを殺すんだわ」



 度重なる禍夢に人々はどよめいた。

 イーデンは蒼白となり、我知らず腰の剣に手をかけた。

 取り乱して縋ろうとした姉の手を、イーデンは乱暴に振り払った。


「私が王子を刺し殺すだと…?」

 ヴェーナに向けられたその瞳は、抑えようもないいきどおろしさにぎらついていた。


「言うに事欠いて、よくもそのような戯言ざれごとを口にしたものだ。

 王子をこの手にかけるくらいなら、今この場で己が喉を突いて果てた方が余程ましだと思えるものを」



 平手ではなく鞘ごとの殴打は、貴族に対する最上級の侮辱に当たる。 

 手に触れる事さえ厭わしいという明確な意思表示。

 イーデンはそれを幼いヴェーナに対してなそうとした。


 ヴェーナが怯えたように顔を覆うのと、領主ムーロスがまろぶようにその場に割って入るのが同時だった。


「ヴェーナ……ッ!」

 ムーロス卿は守陽の前に身を投げ出し、身を震わせて娘を叱りつけた。

「すぐに謝罪を…!お前は自分の立場を何と心得るのだ!」


「お父様…」


 冷ややかに凍り付いた宴からは、すでに祝賀の華やぎは消えていた。

 親族らは青ざめて声もなく、王都から従ってきた廷臣らはもっとあからさまな視線で領主の娘の非礼を責め立てていた。


 ヴェーナは怯えたように後退った。

 刃にも似た非難の眼差しが四方から肌を焼き、息をする事もままならない。



 と、敵意に満ちた場の空気を一掃するように、明るく伸びやかな声が割り込んできた。


夢視ゆめみは時の権力者におもねってはならない。

 そうヴェーナに教えたのは、貴方ではありませんでしたか、ムーロス卿?」


 声には楽しそうな笑みが零れている。

 一座は弾かれたように声の方を向き、視線の先に、死を予言された当の陽世継ぎがにこやかに立ち上がるのを見て取った。



 王子はゆっくりとヴェーナの方に歩み寄り、その前に膝をついた。

 怯える少女の肩にそっと手をかけ、慈しむように瞳を覗き込む。


「まだ力は不安定だが、いずれムーアを背負う夢視ゆめみになるだろう。

 そうしてここに集うものは皆、お前を誇りに思うようになる」


 恐々と皇子を見上げていたヴェーナは、その眼差しに一片の怒りがない事を認めて、ほっと肩の力を抜いた。

 思わず零れ落ちた涙を、王子は優しく指で拭い取った。


「ヴェーナ。お前は夢を見間違えている。


 お前が紡いだのは先の守陽ムーランの夢だ。

 お前の血に流れる母の血がかの者の思念を呼び起こし、私の強すぎる霊気がお前の夢を歪ませた」


 淡々とした夢明かしに、一座から安堵のため息が漏れる。

 もう一度ヴェーナの頭を優しく撫でてから、王子はゆっくりと立ち上がった。


「夢に引きずられ、さぞ恐ろしかった事だろう。

 だが、夢違ゆめたがえは往々にある事だ。

 気にする事はない。


 …この件で父君に叱られるような事があれば、いつでも私に告げ口に来るが良いぞ」


 王子の軽口かるくちに思わず周囲から笑いが零れた。


 ヴェーナは自分が許された事を感じて母の胸に逃げ帰り、ムーロス卿は汗ばんだ額を拳で拭い取った。



 その様子を優しく眺めやり、王子は改めてイーデンに向き直った。


「イーデン。守陽ともあろう者が軽々しく己の死を口にしてはならぬ」 

 先程とは打って変わり、いつになく強い叱責だった。


「私はアクヴァル王ほど寛容ではないぞ。

 守陽しゅようを失ってなお、王としての責務故にこの面白みのない世に留まる気など、私には微塵もない」

 

 を継ぐ王子とは思えぬ不穏な言葉に、場は再び張り詰めた静寂に包まれた。

 そうした周囲の空気に気を留めた様子もなく、王子はイーデンだけを一心に見つめた。


「……大体、お前を失って後、私にどうやって生きて行けと言うつもりなのだ。

 アクヴァル王の痛嘆を同じように味わえとでも?


 どれほど不祥な夢が紡がれようと、私から離れる事は断じて許さぬ。

 ムーアの神に誓って、二度と自死などという言葉は使うな」


 決して語調は激しくなかったが、イーデンを見つめる眼差しには深い絶望と怒りが透けて見えた。

 それに気付き、イーデンは身を恥じて王子の前に改めて膝をついた。


「…申し訳ありませんでした」


 

 怒りにまかせてつい口が過ぎてしまったが、守陽の身で軽々しく自死を口にするなど、幼い唇が紡いだたがえ夢より遥かに罪深い所業である。


「浅慮な発言をお許し下さい。

 貴方の許しなしに傍から離れる事はないと、ここに改めてお誓い申し上げます」


 そのまま深く頭を下げていると、真摯な謝罪にようやく不安も薄らいだか、王子はやっと愁眉を開いた。


「ムーランの二の舞は許さぬ。お前の命の重みを何があっても忘れるな」


 最後にそう言葉を落とし、王子は自分を落ち着かせるように吐息をついて、優美な立ち居で貴座へと戻っていった。




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