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第一部 時止めの儀式 

   は満ちて、さまに奇跡を賜りぬ


 いにしえよりの言伝え通り、悠久を経てなお凄烈さを増す神のほのおは、焔満月ひみちづき(八月)を迎え、今一層の力を得て、噴き上げる紅蓮ぐれんを地下鍾乳洞の天井に揺らめかせていた。


 アクヴァル七寿、六年、焔満月。


 降寿こうじゅの年から六年目となる年の焔満月の朔日(さくじつ)、時止めの儀式には多くの民が地下祭殿に詰め掛けていた。


 無寿の王族の時止めの洗礼は『直寿ちょくじゅ』とも呼ばれ、寿を招く典礼として、いつの世も民の祝福を受けるものだが、この年、焔満の参拝にむろを訪れた民の数は、常の直寿にも増して多かった。


 普段は人もまばらな地下祭殿が今や民にあまねく埋め尽くされて、息詰まる興奮と熱気の渦と化している。



 寿を得ぬ限りは一人前とみなされぬムーアにおいて、無寿むじゅの王族を目にする機会はついぞなく、だからこそ今まで散々噂に上りながらも姿を拝めなかった末の王子…、その出生にまつわる黒い噂もさる事ながら、かのムーランに生き写しと言われた輝くばかりの美貌を一目見ようと、興味本位の民が室に殺到したからである。



 そうしたざわめきの理由を知ってか知らずか、の王は磨きたてられた祭壇の最上段、燃え盛る焔の前に静かに立ち控え、荒ぶる時の鼓動をひたすらに見定めていた。


 金糸を縫い取った白い禊衣をすらりと纏った精悍な王の姿は華やかな威厳と自信に溢れ、神とも紛う凛々しさを民の前に映し出している。


 けれど、そうした華やぎをそのままに喜べず、一抹の無残を添えているのは、この御技を助ける守陽しゅようが未だその傍らに見受けられない事だろう。

 

 王は亡きムーランに代わる守陽を決して認めようとせず、時を経て尚、癒されぬ失意を民の前に隠そうとしなかった。



 かのムーランに生き写しの末王子を十八で時止めさせたいと最初に願ったのは王であったが、言葉にされぬ思惑がどうであったにせよ、王子はすでに半年前、名門の貴子トロワイヤと連生れんせいの誓いを結んでいた。


 ムーアでも一、二を争う富裕の名家が王子の後見についた事で、王子は生涯に渡る財政的安定を保障された事になるが、縁組自体より周囲をひどく驚かせたのは、王子が洗礼を前に貴子に連生を強いた点にあろう。


 ムーアの歴史を紐解いても、あるじである王族が無寿のまま、主連の誓いを貴子と結んだ例はなく、それだけに周囲の非難はもっぱら王子に集中した。


 中でも皇子の母、清月妃の怒りは凄まじく、母妃はついに誓儀への出席すら拒んで、王子との確執をあからさまにした。



 今回の典礼は妃の義務であるが故に、清月妃はさすがに姿を連ねたが、取り繕った清雅な面の下、その心中はいかばかりのものであっただろうか。 

 顔色を隠すためか、やや派手やかに化粧された玲瓏な横顔を、王の寵を奪われた他の月妃らが、意地悪い眼差しでじっと眺めていた。



 やがてむろを照らす焔の輝きが一際の熾烈さを増した時、王は焔を仰いで拱手きょうしゅした。

 直寿典礼の始まりである。


 拱手を合図に、居並ぶ十八人の儀廷官が一斉に叩頭した。

 その中を一人昂然と面を上げた王が、焔印を結び、祈りを唱える。


 高らかな声明が響き渡り、やがてその韻が完全に途絶えた時、耐え難いほどの静謐が民の頭上を訪れた。



「第六王子ユーディス、こちらへ」


 儀廷官の声が静まり返った室に響き渡る。

 王子は緊張した面持ちで一礼し、呼名に応じて立ち上がった。


 チ…リン……。

 張り詰めた大気に澄んだ音色を響かせたのは、王子が纏う白い禊衣につけられた唯一の装身具の帯飾りだ。

 と見紛う金髪を流れるように背に散らし、凛と面を上げて進み出る姿の際立つ美しさに、並み居る人々の間から感嘆のどよめきが立ち上った。



 それはまさに、華やかな生を駆け抜けたかつての守陽、ムーランの姿に他ならなかった。

 高貴に愛らしく、見た者の魂を虜にせずにはいられない無辺の優美。


 垣間見たその美貌に心囚われて、王子アクヴァルが仕え人の手からもぎ取るように宮に連れ帰ったのは、ムーランがまだ十五の夏。

 惜しみなく贅を与えて慈しみ、無垢な体に悦楽を教え込んで、十八になるまで片時も傍から離さずに、アクヴァルは主連をムーランに求愛した。


 王子自らが洗礼の介添えに立った事で、その洗礼の儀は衆人の注目を集めたが、その典礼に参列した者は皆、神々しいまでのムーランの美しさに息を呑んだという。



 そして今、一世を風靡した当時の洗礼を再現するように、清雅に香しい美貌の王子が壇上に膝を折った。

 瞳を閉じ、敬虔に天を仰ぐ王子の体を、聖布を控え持ったトロワイヤが守るように背後から抱え込む。


 時を刻んだ焔が大きく揺らぎ、祈りを呼ぶ王の声明が王子の意識から遠ざかる。


 そして再び訪れる全きの静寂しじま…。


 と、次の瞬間、肌を食い破る凄まじい力の奔流が王子の体を食い破った。

 王の指を伝わってなだれ込む猛々しい生命の焔、澎湃ほうはいたる波浪のごとき力が体を燃やし尽くし…。



 そして、太古からの言伝えがうつつとなる。



   民よ

   よみせられしムーアの民よ

   神の恩寵を賜りて、永劫の浄化をその身に浴びよ


   そは祝福なり

   奇跡は今、開かれぬ






これで、第一部は終了です。ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

読んで下さった方、評価やブクマをつけて下さった方に感謝いたします。


少し休憩して、すぐ第二部に入りたいと思います。

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