「鋏と傷口」7
コツコツと、足音が近づいてくる。
空はすでに青紫で、夜の気配は薄れている。
近づいてくるのが誰なのか、すぐにわかった。
「ご苦労様でした、クララ・コルノミカ、リアン・ユリアホルン」
「副室長がわざわざ現場に出向くなんて珍しいんじゃないか?」
「本件とこの少女については異端審問室としては慎重な判断が必要でしたので、」
「判断もなにも、このまま捕まえて教会に連れて行くだけだろ?」
アルエットが足を止める。
その目はまっすぐ、少女を見つめている。
「いいえ、この魔女は今、この場で処刑いたします」
この女、今なんて言った?
アルエットに続き、異端審問室実働部隊のルイ・エクレール・ド・ルーマルクが大斧を両手に持って近づいてくる。
短く切られた白髪交じりの金色の髪にスミレ色の瞳。
教会の誇る聖階段騎士とも互角に渡り合えるくらいの異端審問室最強の戦力。
「処刑って、こんな子供をか?」
「犯罪者に歳は関係ありません。しかもこの少女は魔女で、その危険度をAクラスと判断いたしました」
立ち上がり、アルエットと視線の高さを合わせる。
「俺だってAクラスだぞ」
「ええ。ですがあなたにはちゃんと良心があります」
「この子供には良心がないっていうのか?」
「はい。さきほどのやりとりを見ていて判断しました」
「でも! これから先、もしかしたら善悪の区別がつくかもしれないだろ!」
「クララ・コルノミカ」
アルエットの目が鋭く光る。
「あなたは、この少女に己を重ねているのですか? 幼くして両親に傷を負わせた自身と」
こんな時に人の過去を持ち出すなんて卑怯だ。
「俺だけじゃないだろ……まだまだ周りのこと全然わからなくて、魔力だってみんな使えるものだと思ってて、知らずに誰かを傷つけたこと……」
「自身の力がなんなのかわからず悩み、ふとした衝撃で力を暴発させてしまうことはあります」
「だからこの子も!」
「あなたは、故意に両親に怪我を負わせた。そうでしたね?」
この女、一体何が言いたいんだよ。
「そうだよ。自分の力を十分理解してやった。でもこの子は――」
「この子は人を殺しているという感覚がないんですよ」
「だからそれは――」
アルエットに向かって身を乗り出そうとするのを、リアンが手を握って止める。
「この子にとって、物も人も同じものなんです。ただ物を壊しているだけなんです。消しているだけなんです。邪魔だと思ったものは人だろうが関係ありません。邪魔ものなんです。
子供だからちゃんと教えれば悪いことをしていると理解してくれる。それは勝手な思い込み。理想の押し付けに他なりません。もし、良心に目覚めたとしても、この子は殺しすぎました。自責の念に堪えられるかわかりません」
「それだって、じゅうぶんお前の勝手な思い込みだろ!」
今すぐリアンの手を振りほどいて一発ぶん殴ってやりたい気分だった。
「そうかもしれません。ですが、生かしたところでこの子の面倒を引き受ける者がいないのでは仕方がありません」
「だったら俺が――」
刹那、思いっきり腕を引っ張られ、頬に痛みが走った。
目の前にリアンの顔があった。
今にも泣きそうな、それでいて滅多に見ない怒った顔。
「……リアン?」
「そんなこと、私が許さないわ」
「どうして? 私を引き取ってくれたリアンならわかるだろ!?」
「わかるわよ!」
こんなふうに激情を露わにするリアンは久しぶりだった。
「わかるよ、この子はあなたとまるで違う。他の、幼い頃の過ちを抱えて生きる魔女とも違う。だって、私はいろんな傷口を見てきたんだもの。心の傷だってそうよ。塞げる傷口もあれば塞げない傷口もあった」
手を握ったまま、リアンはうなだれる。
「この子には、傷口が全くないの。何をされても、傷ができないの。そんなの――人間じゃないわ」
顔を伏せたまま、リアンがその場から去っていく。
その背を追いかけることができなかった。
隠された表情を、見るのが怖かった。
「夜が完全に明ける前に、神のもとへ還してあげましょう」
アルエットの言葉に、ルイは大斧を構え少女に近づく。
体が自然に動いた。
ルイと少女の間に割って入る。
「どけ。それとも反逆の罪でお前も裁かれたいのか?」
何がしたいのか、何が言いたいのか、何が正しいのかわからなかった。
ルイは仏頂面を崩すことなく言う。
「俺はそれでもかまわんが、お前の大事なパートナーをこれ以上悲しませてやるな」
「お前に、言われたくねぇよ」
ルイが私を避けて少女に近づくのを、これ以上引き留めることはできなかった。
「この矢を外して! 痛い! 痛いよぉ……」
「今すぐ、楽にしてやる」
ルイが大斧を振り上げるのを背後に感じた。
たった一瞬だ。
人は簡単に死ぬ。
簡単に死なないやつは、死なないためにあがいているからだ。