「受難告知」1
聖都庁舎の広間が当分のセシルのアトリエだった。
セシルは特に描く絵の大きさにこだわりがあるわけではないが、最近は大きい絵の仕事が多く、こうして広い場所を借りて絵を描いている。
教会の管理下にある魔女は、ほとんどがその能力を教会からの仕事に用いる。
暴走した魔女の鎮圧だったり、街の治安維持など、ハードなものもあるが、セシルの場合は宗教絵画を描かされることが多い。
彼女は描いたものを具現化する能力を持っているが、見たことがあるもの、存在しているものに限る。逆に言えば存在していないものは具現化することができない。
そして、セシルが能力を発動させなければ具現化もしない。
普段の彼女は平凡な画家なのだ。
いや、平凡と言っては失礼だろう。
彼女の作品は人気が高い。
世に出すときは偽名だし、魔女であることも隠している。
それでも彼女に弟子入りしたいという者は後を絶たないという。
三百号サイズのキャンバス。
自分よりも大きなサイズの絵はそろそろ完成で、細かい部分の仕上げ段階に入っているが、筆のストロークは迷いなくキャンバスの上を走る。
「セシルさーん、軽食用意しましたけど、食べますか?」
はしごの上のセシルに声をかける。
「なに?」
「玉子とトマトのサンドイッチです」
「トマトいらねぇ」
「ちゃんと苦手なヌルヌルしてる部分は取ってありますよ」
それを聞いて、セシルは梯子から降りてくる。
もうガス灯の明かりは消えている。日付が変わった証拠だ。
専任審問官はその生活を監視するだけで、食事の用意なんてする義務はない。健康管理も然り。魔女が病気や怪我をしたと一報を入れるなり、異端審問室に運び込めば、すべては専門の者が治療にあたってくれる。
それでもこうして甲斐甲斐しく世話をしてしまうのはなぜなんだろう?
周りから「お前は生まれてくる性別を間違えた」と言われたことがあるが、別に男でも世話好きはいるんじゃないか?
「セシルさんストップ! ちゃんと手を拭いてください。ちゃんと布巾を置いてあるでしょ」
「腹に収まれば全部同じだって」
「その言葉、使いどころ間違ってますからね。とにかく拭いてください。絵の具の原料って案外体に悪いものも多いんですからね」
「ようやく気づいた?」
「知ってて絵の具ついた手でお菓子食べてたんですか?」
セシルは知らんぷりして、口笛を吹きながら手に付いた絵の具をとっていく。
「まったく、気持ちが乗らないって、ここ数日放置してたくせに。今度はどんな風の吹き回しですか?」
絵筆を途中で投げ出すこと自体は珍しくない。そして、スイッチが入るのもいつも突然だ。
「恥ずかしくていえねぇ」
サンドイッチを頬張りながらセシルは言う。
「……今日、音楽家に会っただろ」
「ドルチェさんが何か?」
「あいつさ、生まれた時からああなんだってさ」
「ああって、足が不自由なんですか?」
セシルは頷く。
「生まれた時点で下半身が動かなかったんだって。それを知った両親が孤児院にポイって」
「酷い話ですね」
「親がどんな理由で捨てたかは知らんけど、当事者としては本当に酷い話だ。だけどさ、アイツはまったく怒らなかったんだってさ」
「アイツって、ドルチェさんがですか?」
「そう。ボクは能力に目覚めた数時間後には異端審問室に連れて行かれてその場でポイだぜ? そりゃあ怒ったよ。普通は泣くものだって言われたけど、泣いてどうにかなるもんでもないだろ」
――怒ってもどうにもならないと思いますけど。
「そうやって、怒って腹減って、留置所から出たいなーって思ってるときにアイツとアイツの専任審問官に会ったんだ」
サンドイッチを食べ終わって、セシルは手に付いたパン粉を払う。
「なんか、すげぇうらやましく見えたんだ」
そう言って、セシルは黙って遠くを見つめていた。
たぶん、僕と出会うまでの長い過去を思い出しているんだと思って、何も言えなかった。




