大晦日の夜に願いを。
――田舎は、星が綺麗に見える。
大晦日、わたしは東京から田舎の実家に帰っていた。
大学生になり、今年から一人暮らしを始めたわたしにとって、この一年は結構大変だったけれど、終わってみればあっという間だったと思う。
周囲が開けた丘の上に、わたしは寝っ転がって夜空を見上げていた。
寒さのせいか、年の瀬だからか、今までの出来事を思い出す。
ちょうど、一年くらいだろうか。
実家に帰ってくると、やはり思い出してしまう。
わたしが告白して、失恋したこと。
彼は、今元気だろうか。
――わたしは。
一年も経っているのに、いまだに未練たらしいことこの上ない。
けれど、彼のどこが好きだったのかと問われると、うまく答えられる自信がない。
彼は、格好がいいわけではなく、運動や勉強ができるわけでも、ましてやお金持ちでもなかった。
性格も至って普通の、普通の人だった。
涙が溢れそうになる。これは、寒さのせいだ。鼻の奥がツンとするのも。
別のことを考えよう。
そうだ、今日の帰り、電車で高校生たちが大きな声で話し合っていたっけ。
親が○○大学だとか、従兄が海外の大学に行っているだとか。
そんな、自分の周囲の人間の自慢なんて、何の意味もないのに。
周囲がすごいから、自分は駄目なんじゃなくて、普通なんだ――そう、思いたいのだろうか。
わたしも、普通がいいと思うけれど。
でも、彼の特別になりたかった。――違う、そのことじゃなくて。
普通の逆は、特別じゃなくて、異端なんだ。
周囲から、社会から、異端だと思われないために、自分は普通だと言い聞かせている。
わたしは。
わたしも、周囲に合わせ、普通であろうと心掛けている。
だって、異端は悪だ。出る杭は打たれ、異質は排除される。
なんでこんなことを考えていたんだろうか。そんなことすら忘れてしまった。
――ゴォン
どこからか、除夜の鐘が鳴り響いている。
もう、そんな時間か。
そう実感すると同時に、寒さに身を震わせる。
身体は芯まで冷え切って、まるで自分の身体じゃないみたいだ。
体が冷えて、心も寂しいのだろうか。
だから、一年も前の失恋なんて、思い出してしまうのだ。
帰ろう。
帰って、炬燵に入って、年越し蕎麦でも食べながら、年末特番を見よう。
そして、忘れないと。
――ゴォン
立ち上がり、ふと街を見下ろすと、ポツポツと明かりが灯っているのがわかる。
東京とは大違いだ。
ふと、何かを思い出しそうな気がした。
何か、とても大事な――。
――ゴォン
◆
授業終了のチャイムが、キーンコーンと鳴っていた。
彼は、一心不乱に何かを書いていた。
わたしは、黒板を写しているのかな、真面目だな、なんて思いながら、その後ろを通り、机を覗き込んだ。
彼は、絵を描いていた。
――うまい、と思った。
わたしに気付いて、彼は驚いたように眼を見開き、そしてそのノートの絵を隠してしまった。
「絵、うまいね」
「あ、ありがとう」
そんな話をしたのを覚えている。
そのしばらく後だったろうか、彼が漫画家を目指していると知ったのは。
彼が、眩しく見えたのは。
彼が、特別に思えたのは。
◆
――そうだ。思い出した。
彼は、眩しく見えたんだ。
だって、高校生なんて、夢を語るのも恥ずかしいと思うものだ。
夢を語るやつは、馬鹿にされたりもした。彼も、馬鹿にされていたと思う。
それでも、彼は変わらなかった。その姿を、すごいと思ったのだ。
そうだった。
わたしは――。
そのあとだっただろうか。
わたしの友達が、進路を決め出したのは。
小説家になりたいだとか、看護師になりたいだとか、保育士になりたいだとか。
そう言いだしたのは。――なんだ、結局みんな、夢があるんじゃないか。
わたしだけ、何もないんじゃないか。
――わたしだけ。当時のわたしはそう思っていたはずだ。
今になって思えば、結局自分を特別に思っているじゃないか。
普通でありたいと願いつつ、みんなと違う、みんなより駄目だと。
そんな、歪んだ特別を。わたしは望んでいたんじゃない。
本当に、くだらない。
普通を望みつつ、特別を求めていたのは、自分だ。
――ゴォン
わたしの欲望は、大きく、膨らんでいた。
わたしは、特別になりたいんだ。
――ゴォン
彼の特別になりたかったんだ。特別な彼の、特別に。
――ゴォン
鐘は、何度も鳴っている。
わたしの煩悩も、年の瀬に置いていければいいのに。
そう思いつつ、わたしは家路に着いた。
鐘の音は、次第に遠く小さくなり、やがて聞こえなくなっていた。