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あたたかい、血潮の雨が降っていた――――。
「―――吉村。おい、吉村」
あの日は、確か。
「吉村、吉村千歳!!」
鋭い痛みが、頬に走った。
は、と目を見開いて少女、吉村千歳は自分を心配そうにのぞき込んでくる一人の男の顔を見つめた。
「おい、大丈夫か?? 汗が」
生暖かい液体がこめかみからカーブを描いて輪郭をたどって落ちた。
うなじにも気色の悪い感覚があり、ショートカットにしたばかりとはいえ、千歳は無意識に片手でうなじの汗を掬う。
「悪いな。今すぐ、窓を開けてやるから。気分は悪くないか??」
きしんで音を立てるイスから立ち上がった半そでワイシャツ姿の男が、足早に窓辺に歩み寄った。薄く引いていたカーテンを開け、わずかにしか開いていなかった窓を全開にすれば、新鮮な空気が湿気を伴いながら部屋の中に入り込んでくる。
千歳は顎先に溜まった汗を手の甲でぬぐった。
夏場にしてはあまり日に焼けていない、白い肌の上に付着した汗が光る。
彼女の名は吉村千歳。
そして、窓を開け放ち再びこちらにつま先を向けた長身の男は彼女のクラスの担任教師、藤原春明である。右手の中指の先から手の甲、肘にかけて火事で火傷したような、あるいは熊にひっかかれでもしたような大きな傷跡のような痣がある人物だ。
1年からの繰上りでそろそろ2年半年の付き合いになる人物だが、左利きで、既婚者、剣道部の顧問、日本史の教師、今年子供が生まれるということ以外に担任教師について知っている情報はない。
端正と言うより精悍な顔立ちの男性だが、千歳が所属する高校で1,2を争う新米ルーキーでたしか今年の秋で27になるとかならないとか。他校から彼が赴任してきたとき、一時的にその容貌から女子生徒によるファンクラブなるものが結束しかけたのだが、既婚者ということがわかりすぐさま散会したようだ。
もとよりその手の話題に興味がない千歳としてはどうでもいいことだったのだが。
「グダグダ言ってもしょうがないからな。今日はこれまで」
「今日はこれまで、って。先生、また後日面談するんですか??」
一息ついて、ようやく「いつもの」自分に戻れた心地がした千歳は外から入り込んでくる空気をありがたく吸い込みながら、ややむくれた表情で応じた。